第46話 神器ドロボウ
俺とアテナが牢に捕らわれてから2日が経った。
看守兵が何度も前を巡回で通るが、リゼルはあれっきり姿を見せないままだ。
奴が再び俺たちの前に姿を現すよりも早く、この牢から脱出しなければいけない。
だが文字通り堅牢な造りの鉄格子は押しても引いても手ごたえが無く、抜け道になりそうな穴も見当たらない。
「無駄だ無駄だ。ここの区画は死刑囚が集められる最期の部屋だ。この俺が一週間かけても抜けられなかったのに、駆け出し賞金稼ぎ如きのお前に抜け出せるわけねーだろ」
向かい部屋のボタン=トリトンから絶えずヤジが飛んでくる。この2日間ずっとこの調子だ。
「ちょっと黙っててくれないか?」
「っは! いいザマだな。俺を捕らえたテメーがひと月も経たないうちに同じ牢に投獄だなんてよ? なあ、そろそろなにやらかしたのか教えてくれよ。ていうか、連れの女はどうしたんだよ。髪が薄っすら紅くて、品の無いガキはよ」
「……黙れ」
この男と話していると無性に怒りが湧いてくる。
パラスの兄という話だが、あのいい子と血がつながっているとは思えないほど粗暴な言葉遣いをする男だ。
……いや、呪いにかかっていた時はあの子もこんな感じだったっけ? ここまでではないにしろ。
「2人ともいい加減ケンカするのをやめてください! 今は一刻も早く誤解を解かないと……」
「誤解? 俺があんたの盾を盗んだのは純然たる事実だ。それとも何か? お優しい勇者サマはこの哀れな盗人に慈悲深い許しをいただけますってか?」
「許します。貴方が神殿から輸送中の守護の左手を盗んだのは魔公爵デュグラスの洗脳魔法によるものです。貴方には何の罪もありません」
「かぁ~っ! あり難くて涙がでらあ! ……で? その無実の俺はいつ釈放になるわけ?」
「そ、それは……」
返答に困ったアテナが目を泳がせる。アテナは先日、ボタンの無罪を主張するためにこの城を訪れたわけだが、今のアテナは勇者ではなく国王暗殺を目論んだ謀反人。
そしてアテナが城を訪れた際、何故か盗まれていたはずの守護の左手を所持していた。この事から宮廷はボタンとアテナの繋がりを疑っている。
いくらアテナが真実を述べようとも、国はそれに耳を傾けることはないのだ。
「あーあー、本当いい迷惑だぜ。ようするに俺はあんた達勇者と魔王とのいざこざに巻き込まれたって訳だろ? 知らないうちに賞金賭けられて挙句命まで失っちまう。せっかく王都に来たってのに、ずっと薄暗い牢屋の中。せめて一回くらいは外の景色を眺めたいものだね!」
「ご、ごめんなさい」
こいつを助けるためにアテナもシオンもパラスも懸命に動いているというのに、こいつは礼も言わずに責め立てるだけ。
なぜここまで傲慢な態度が取れるのかわからない。
「アテナ、こんな奴に謝る必要は無い! 第一、お前外の景色は一回見てるだろ。3日くらい前に公開処刑で広場にいたじゃないか」
「あぁ? 何言ってんだお前。俺の処刑は10日後だ。3日前っていくらなんでも早すぎだろアホか」
……なに?
そんなはずはない。あの時処刑台に立たされていた奴は間違いなくこの顔だった。見間違えようが無い。
「おそらく、魔公爵デュグラスの魔法で意識を奪われていたのでしょう。奴らもなるべく早く、そして事を荒立てないように貴方の存在を抹消しようとしているのです」
そう推測するアテナにボタンは首を傾げる。
「なんでそんな回りくどいことを。どうせ殺されるなら3日前でも10日後でも一緒じゃねえか」
「でも貴方は知っているんですよね? 魔公爵とこの国の大臣が繋がっている事を」
大臣、マキナ=カザリウス。
俺とアテナをこの地下牢に投獄した張本人。
「ああ、やっぱりあいつはここの大臣だったのか。リゼル、なんて偽名使ってたから一瞬困惑しちまったけどな」
「偽名なんかじゃないさ。本物のマキナ大臣はたぶんもう殺されている。今の大臣はリゼル・バイヤードが擬態した姿に他ならない」
「バイヤードって、あれか? 人に化けて夜な夜な人を食うっていう都市伝説の化け物か」
正確には人を食ってから人に化けるんだが、まあ一々訂正するほどの間違いでもないか。
「そうだ。俺たちは一刻も早くここを出て、あの大臣もどきの怪人を倒さなきゃいけない。わかったならもう邪魔をするなよ」
「あーはいはい。お好きにどうぞ。俺の声が聞こえなくなるくらいで脱獄できるっていうならな」
そう言うとボタンはこちらに背を向け横になった。
夕食からもう数時間ほど経つ。消灯にはまだ早いが、眠気が回ってくるには十分な時間帯だ。
悔しいがボタンの言う通り、脱獄の手段として考えうるものは全て試した。変身ベルトも武器も無い俺はその辺にいる大学生となんら変わりは無い。いや、この世界に大学生はいないのか。
一年間戦い続けたおかげで、戦闘技能は身に着いたが、それは脱獄に活かせるような技術ではない。
「イヌイコータさん、今日はもう休みましょう。きっと、シオンさんやリカが助けに来てくれるはずです」
正直シオンがここに来るかどうかは微妙なところだ。
あいつも元はバイヤード。話を聞く限りはアテナと共に行動するのも利害関係や成行きという面が強いように思える。果たして国を敵に回してまでここまで乗り込んでくるだろうか。
そしてリカ。あいつは絶対に来るだろう。リカにとってアテナはゼドリーの次にかけがえのない存在だ。その事はアタトス村の一件でよくわかっている。
……だからこそ絶対に来させちゃいけない。
リカの価値観は俺たち人間のものと大きく異なる。アテナが王宮の地下牢に捕らわれているなんて知ったら、どんな行動に出るかわからない。
考え無しに城に乗り込み、兵たちを無造作に殺して回り、最悪の場合は王族たちにも手を懸けてしまう可能性がある。
いや、それよりなによりマズいのは、リカがリゼルと鉢合わせすることだ。
リカの目的はあくまでもこの世界をバイヤード達で支配すること。その為には俺のようなヒーローではなく、同じバイヤードの仲間が必要だ。
現にダルトスの町ではソードフィッシュ・バイヤードと手を組み黄のエーテルディスクの強奪を目論んでいた。
リカにとってはアタトス村での戦いこそが例外だったのだ。
あいつをリカルメ・バイヤードにしてはいけない。俺はあいつを戌亥霧果に戻すと決めたんだ。これ以上、俺の妹には誰も殺させない。
「イヌイコータさん……?」
黙り込んだ俺を心配したアテナが顔を覗き込む。
リカの思想をアテナに聞かせるわけにもいかない。今日のところは大人しく眠りについた方がいいだろう。
しばらくすると看守により照明が落とされ、消灯の時間を迎えた。
俺もアテナも簡易ベッドに横になり、そのまま静かに夢の世界に落ちていった。
しかし、その数時間後。不意に俺たちの眠りは妨げられる。
「イヌイコータ殿、起きてください。イヌイコータ殿」
身体を揺さぶられる感覚。いま俺は誰かに起こされている。
アテナか? いや、違う。これは男の声だ。
しかし、この牢の中には俺の他にアテナしかいないはずだ。じゃあこの男は誰だ?
ゆっくりとまぶたを開けて男の姿を捉える。真っ暗で顔まではよく見えない。しかし、身に纏った銀色の鎧や兜からここの看守であることが伺える。
「……誰だお前は」
「シッ! 静かにしてください。私は貴方たちの味方です」
警戒する俺をなだめようと看守の男は両手を上げ武器を持っていない事をアピールする。
そして、よく見ると牢の扉が開けっ放しにされており、横を見るとアテナも起きていた。
「……私はエリッサ様の使いの兵です。私が地下牢の当番になったらお二人をここから逃がすよう指示されております」
「エリッサが……?」
「はい。姫様のお部屋までご案内致します」
……罠かもしれない。一瞬そんな考えが思い浮かんだが、どちらにせよここで死刑を待っているよりはずっとマシだ。
「急いでください。抜け道はご用意しておりますが、見張りの目を欺けるのも限度があります」
「わかった。行こう、アテナ」
暗がりではぐれるといけないので、アテナの手を取って牢を出た。
だが、先に進もうとする俺の手を後ろに引かれ静止する。
「待ってください、抜け出す前に一つお願いしたい事があります」
アテナは他の囚人たちを起こさないように小声で俺たちに耳打ちした。
それは俺としても、看守の彼としても受け入れがたい提案だった。
◇
「すぐに戻してきなさい。でなければ姫様の部屋にお招きすることは出来ません」
扉の前で待ち構えていたミギアさんはばっさりとそう言い放った。俺としては、ですよね、としか言いようがない。
「おいおい、拾ってきた犬みたいな扱いするんじゃねえよ。真夜中に起こされて、匿ってもらえるって聞いたからここまで危険を冒してついてきたっていうのによぉ」
あからさまに不機嫌な態度でボタンはそう答えた。
そう、アテナの提案とは俺たちと一緒にボタン=トリトンを外へ逃がそうというものだった。
元々アテナの目的は、パラスのためにボタンを釈放する事だったので提案自体は違和感のある物では無かった。俺個人がこいつの事を好きになれないという点についても、ここは一度忘れよう。
しかし、避難先がエリッサの部屋ともなれば話は別だ。
俺たちが潜むってだけでも色々問題がありそうなのに、そこに別の死刑囚を連れ込むだなんて正気の沙汰ではない。
「お願いします。ここがダメでも、どこか隠れられそうな部屋をお借りできませんか? この方の面倒は私が見ますので!」
「だから犬じゃねーっての!」
「そもそも姫様が助けようとしたのは貴方がた二人のみです。いくら勇者様とはいえ、勝手な事をされては困ります」
一言一句俺が予想した通りの受け答えだ。ならば、これから俺も予定通りの行動をするまでのこと。
「わかった。じゃあ俺がこいつを牢まで戻してくる。アテナは先に部屋で休んでいてくれ」
「待ってくださいイヌイコータさん! 私は、勇者としてパラスちゃんのご家族を救わないといけないんです! 部屋がダメなら、倉庫や馬小屋でも構いません! どうか、私にやり直しをさせてください!」
そう言うアテナの表情からどこか焦りのようなものを感じとれた。
もしかして、リゼルの罠に嵌ったことをまだ気にしていたのか。そしてその汚名を返上しようと躍起になっている。
その気持ちは痛いほどよくわかるが、だったらなおの事、他者から冷静な意見を聞かせてあげないといけない。
「何も見殺しにしようってわけじゃない。一旦この城から退却して、体制を整えてからまた助けにくればいいんだ」
「その間にボタンさんは殺されてしまいます。シオンさんが止めてくれなければ、三日前の時点でパラスちゃんは天涯孤独になってしまうところでした。いつ処刑が実行されてもおかしくない。いいえ、やろうと思えば処刑の段取りを無視して牢の中で殺されてしまうかもしれないのですよ!」
アテナの言う事にも一理ある。
エリッサが魔道具で処刑の様子を幻覚で再現した事を考えれば、処刑時にボタンが生きているか死んでいるかは大した問題ではなくなる。
「何をしておるのじゃミギア。さっさと中に通すのじゃ」
待ちかねた様子で扉を開けてエリッサが出てきた。横にはレフトもついている。今日は首から下をぴっちりとした全身タイツのような服装だ。色は鈍色。
家臣でも無いのに、もっと一国の姫である自覚を持ってほしいと願ってしまう。
「なんじゃその目は。お主の戦闘装束だって、装甲やプレートを外せば似たような恰好ではないか」
「装甲やプレートがついてるからいいの。流石にそのぴっちりタイツとレヴァンテインのスーツを一緒にするのはやめてくれ」
「これは妾の寝間着じゃ。……おや、その男は」
エリッサが片眼鏡で目を凝らしてボタンをジッと見つめる。
「ボタン=トリトンか……。うむ、都合がよい。全員中に入れ」
「「え?」」
俺とミギアさんが同時に声を上げる。
「いけませんエリッサ様! このような大罪人を部屋に上げるなど! どんなものを盗まれるかわかったものじゃありません!」
「ちょうど盗賊の手を借りたいと思っておったところじゃ。それよりも、いつまでも廊下に立っているとマキナ大臣の息がかかった者に見つかってしまう」
「……承知しました」
若干の不和は残りつつも俺たちは全員エリッサの部屋へと招かれた。
エリッサの左右にはミギアとレフトが控えており、ミギアの方はあからさまにボタンの動きに警戒している。
「エリッサ、助けてくれたのはありがたいんだけど、一応死刑囚の俺たちが脱走したなんて事になったら騒ぎにならないか? すぐにでも逃げ出さないと追手がここまで来るんじゃ……」
「それについては心配ない。妾の部屋に立ち入ろうとする無礼者はミギアとレフトが全て斬り捨てる。むしろ下手に城外に逃げ出す方が危険じゃ。王都のあらゆる場所ではゴアクリートの兵士が目を光らせておる」
「灯台下暗しってやつか」
だけど、ここから出られないんじゃ結局意味がない。これから仲良くみんなでこの部屋で暮らしていこうってわけにもいかないだろう。
「まず、イヌイコータよ。これらをお主に返そう」
そう言ってエリッサは机の上にレイバックルとエーテルディスクを置いた。
リゼルに没収されたと思っていたものが全てここに揃っている。
「こ、これは……! 取り戻してくれたのか!」
「取り戻すも何も、お主妾の部屋に置きっぱなしにしたまま飛び出して行ったではないか。届けようと部屋を出たらマキナ大臣が廊下に立っているものだから焦ったぞ」
あれ、そうだったっけ?
確かにエリッサに見せるために机の上に一式取り出した記憶はあるけど、あの後丸腰で謁見の間に向かっていたのか……。
ユリ博士にどやされそうな致命的ミスだけど、結果的にリゼルの手に渡らなかったのでよかったのかもしれない。
「あの、私の神器、守護の左手と報復の右手はどこにあるかわかりますか?」
「今はマキナ大臣が保管しておる。おそらく宝庫じゃろうな。流石にあそこの物は妾の権限で取り出せるものではない」
「そうですか……。あの二つが揃えば、私も戦いのお役に立てると思ったのですが」
「もちろん役に立ってもらうぞ。その為にこの男を部屋に招きいれたのじゃ」
エリッサが視線を向ける人物に皆が注目する。
当の本人は話も聞かずに出された茶菓子をボリボリ食べている。
「ボタン=トリトン。お主にはもう一度勇者アテナの神器を盗み出してもらうぞ」
「…………え? 俺?」





