暴れる猫
二人は日のある内に次の街へたどり着けなかったので、野宿をすることに決めた。
大きな木のそばに寝転がって、二人で空をのんきに見上げる。
今日は月明かりが強く、ペンタもあまり怖がってはいないようだ。
「ねぇ、シラカワ。シラカワの世界にも月はある?」
「まぁな、あんな小さな紫色の星はくっついてないけど、もっと大きい月が見えるよ」
「ふーん。なら……やっぱりシラカワの世界に行ってもいいかなぁ」
幼い少年は、長いまつ毛を物憂げに目に被せて、シラカワの顔を見た。
その瞳には、猫の姿ではなくて人間の姿の自分が映っているような気がして、シラカワはつい白状してしまいそうになった。
自分は本当は賢者でも猫の姿でもないけれど、ペンタと一緒にいたいという思いは嘘ではないと。
そう思いがまとまって、ついに声をかけようとしたその瞬間に、シラカワの声を遮るように野太い声が重なった。
「おい、ボウズ!随分とこづかいを貰ったようだな」
はっと振り返って声の方を見ると、四十歳くらいの腹がたるんだ男が、不気味な笑みを浮かべていた。
体にはガサガサした毛皮を巻き付けて、腰に三日月のように弧を描いた刀を差している。
頭の悪そうな縮れた髭が口の回りを覆って、大きな口から吐き出した息は酒臭かった。
しかし、その目には凄みがあり、ペンタとシラカワは二人でその場に凍りついた。
「酒場に行きたいのに手持ちが尽きたんだ。素直に金を渡せば、傷つけはしねぇ」
少しだけ下手に出るような声で、汚い男は二人に語りかけた。
しかし、従うしかないのにペンタは震えながら首を横に振った。
「なぜガキにそんな大金が必要なんだ。
なにに使うつもりだ?」
「これは、アーバルノの魔女に渡すんだ」
「なんだと?」
「僕、可愛くしてもらわないといけないの」
「は?」
「あ、それかシラカワと一緒に別の世界に行くんだ」
髭の男は奇妙な顔をして、下品な声で笑った。
ペンタは怯えて、シラカワの尻尾を強く掴んだ。
「子供ってのは、本当に頭の中がお粗末なんだな!
別の世界に行くだの、可愛くなりたいだの、馬鹿げた妄想ばっかり頭に詰め込みやがって」
「妄想じゃないよ……」
「妄想じゃなかったらなんだ。
大人の苦労も知らないガキは羨ましいなぁ。
そういうのは、甘やかしてくれるママに聞いてもらうんだな」
「ママなんか……ママなんかいないもん!」
驚いて後ろを振り返ると、ペンタはつぶらな瞳いっぱいに涙を溜めていた。
手と口はきつく結ばれて、必死に思いを堪えているのが分かる。
母親がいないというのは初耳だったが、それよりもシラカワにはある思いがあった。
子供なんだから泣いてしまえばいいのに、我慢なんかしなくていいのに。
シラカワは胸を締め付けられる思いで、ペンタの様子を見ていた。
しかし、髭の男はガハガハと大口を開けて笑った。
「へぇ、お前に愛想つかして出ていっちまったのかな?
頭空っぽなクセに生意気なガキなんて、めんどくさくて捨てちまうよなぁ。
大人の言うことも素直に聞かずに、訳の分からねぇ理由で大金持ち出して、本当に性根が腐ったガキだもんなぁ!」
「なに言ってんだ。テメェの方が腐りきってて鼻が曲がるよ」
かなり面食らったようで、男は目を見開いて猫の方を見た。
怯えるペンタを背にし、喋る猫は深い怒りを露にして、低い声で男を圧倒した。
「子供から金巻き上げて、酒代にあてようなんざ、おつむにうじが沸いちまってる。
テメェの脳みそはお飾りか。飾りのクセにギトギトのこ汚ぇ髪で隠してるんだから、飾りの役にも立たねぇよなあ。
この子がどんなつもりで魔女に会いに行くのか分かりもしないで、汚いツラ歪ませて笑いやがって。
テメェみたいなクズは生きてる価値もねぇな!」
男は自分が喧嘩を売った相手が賢者だとようやく気がつき、酔いが覚めたようで顔を青くした。
しかし、これだけの毒を吐かれて引き下がるわけにもいかない。
男はやけくそで猫に殴りかかる。
猫はよけることも出来ずに、後ろへ吹っ飛ばされた。
「シラカワ!!」
ペンタが悲痛な叫び声をあげた。
だが、シラカワはすぐに体勢を立て直し、男の顔に飛びかかると、ところ構わず噛みついて顔を引っ掻いた。
男は悶えながら猫を捕まえて、毛をむしりとって地面に投げつける。
それでもシラカワは怒りに全身を染めて、男の頭に噛みついた。
その様子は凄まじく、ペンタは泣きながら呟いた。
「誰か助けて……」
するとその時、ペンタの前方から男がシラカワ達の方に駆けつけた。
「おい!なにをやっている!」
しっかりと芯のある声が、夜の闇に響き渡る。
その声に慌てて、髭の男は猫を投げ捨て、遠くに走り去った。
後にはぐったりしたシラカワと、泣いて鼻水を垂らしているペンタと、駆けつけた男だけが残った。
男は若く、二十代後半くらいに見える。
育ちが良さそうな顔つきで、繊細な身のこなしだった。
男は丁寧に傷を調べると、シラカワの体に手を置いて、ゆっくり体の上をなぞった。
シラカワはぼんやりと目を開けていて、その手に微かな光を見た気がした。
「もう、これで大丈夫ですよ。傷薬を塗りましたからね」
「本当に!?本当に、シラカワ大丈夫なの!?」
「大丈夫だから落ち着いて。明日まで休めば元気になるから」
「本当なの!?」
まだビービー泣いているペンタをなだめて、安心させるように青年は笑顔を見せた。
「君、名前はなんていうの?」
「僕は、ペンタ」
「そうか。私はサハイって言うんだ。
ペンタ君、もう君のお友だちは大丈夫だからね」
「ううん、友達じゃなくて仲間だよ」
「そっかぁ。二人で旅をしてるの?」
「うん……アーバルノの魔女に会いに行くの」
話をしている内に、ペンタはいくらか落ち着いてきていた。
青年はペンタを背中におぶって、シラカワを腕に抱えて立ち上がる。
どこかへ歩き出す青年の、穏やかな体の揺れが心地よく、シラカワとペンタはいつの間にか寝てしまった。
青年は森の中にひっそりと建つ小屋へ二人を連れていき、二人をベッドに寝かせて、そっと小屋を離れていった。




