プロローグ 女神様は人の話を聞かない
俺、佐倉悠真、十七歳。
取り柄は、ない。
顔は普通。成績は真ん中。運動神経も真ん中。部活は帰宅部。強いて自慢できることを挙げるとすれば、高校に入ってから一度も遅刻していないことくらいだ。皆勤賞、三年連続を狙っていた。
その記録は、横断歩道の白線の上で終わった。
信号は青だった。それだけは断言できる。青だったのに、右から来た四トントラックはまったく減速しなかった。
視界の端で、コンビニの袋がゆっくり回転していたのを覚えている。
――ああ、これ死ぬやつだ。
そう思った瞬間、痛みも音も匂いも、全部が消えた。
◇
気がつくと、俺は真っ白な空間に立っていた。
上も下も、右も左も白。地平線もない。自分の足が地面についている感覚だけはあるのに、その地面が見えない。
「……夢か?」
つぶやいた声が、どこにも反響せずに消えた。
その時。
コツ。
コツ。
コツ。
足音が聞こえた。何もないはずの白い空間に、たしかに靴音が響いている。
振り返ると、女がいた。
腰まで届く銀色の髪。淡く光る白いドレス。背中には、装飾品なのか本物なのか判別のつかない光の輪。そして、こちらを見つめる金色の瞳。
美人、なんて言葉では足りない。人間の造形じゃない。見ているだけで背筋が寒くなるような、完成されすぎた美しさだった。
「はじめまして。わたしは女神ルミナリア」
「……女神」
「そう。あなた、死にましたね」
「はい」
素直に頷いてしまった。トラックの正面図が脳裏に焼き付いている。あれで生きていたら奇跡だ。
「かわいそうに。まだ十七年しか生きていないのに」
女神は指を組み、悲しげに眉を下げた。心のこもった、実に美しい所作だった。
「そこで、あなたには異世界に転生してもらいます」
「えっ」
「そして、魔王軍幹部を攻略してもらいます」
「えっ?」
急に話が飛んだ。
「あの、攻略って……戦えってことですか。俺、体育の成績3なんですけど」
「いいえ。物理的にではありません」
女神はにっこりと微笑んだ。
「精神的にです」
「……精神的に」
「要は、魔王軍幹部に恋をさせて、無力化してほしいのです」
白い空間に、俺の「は?」という声だけが響かずに消えた。
「待って待って待ってください。恋を、させる?」
「はい」
「なんで?」
「魔王軍の幹部たちは強すぎるのです。勇者を十七人、聖騎士団を三個師団、伝説の竜を二頭。すべて溶かされました」
「溶かされた」
「けれど、恋をした者は弱くなります。剣が鈍り、判断が甘くなり、殺すべき相手を殺せなくなる。――これは世界の理です」
とんでもない理を聞かされている気がする。
「無理です」
「なぜ?」
「俺、女子と喋ったことほとんどないんですけど。中学の時、隣の席の子に消しゴム借りるのに三日かかったタイプなんですけど」
「大丈夫。三日あれば借りられるということですね」
「そういう話じゃない!」
「安心してください。あなたには特別な加護を授けます」
女神が指を鳴らした。
俺の手の甲に、淡く光る紋章が浮かび上がる。
「おお……これは? 最強の剣術とか? 無限の魔力とか?」
「『死んだら、その日の朝に戻る』加護です」
「……なんて?」
「殺されても、その日の朝からやり直せます。何度でも」
「何度でも殺される前提で話をしないでもらえます?」
女神は答えなかった。代わりに、その完璧な微笑みを一ミリも崩さずにこう言った。
「では、いってらっしゃい」
「いや待って! 俺、やるって言ってない! 拒否権は!?」
「ないです」
即答だった。
足元の白が抜けた。落ちる。落ちていく。
遠ざかっていく女神が、最後に小さく手を振った。その口元が、たしかにこう動いた。
――がんばって。三十四人目。
「三十四人目ってなんだよ!!」
俺の叫びは、白い空間に置き去りにされた。
(第一話につづく)




