第十三話「Upgrade2="新たな力";」
ガタゴトと規則正しい振動が背中へ伝わってくる。
目を覚ますと、そこはカルバ車の荷台だった。
「……あれ?」
身体を起こそうとした瞬間、すぐ横から声が飛んできた。
「レイ君!」
「うわっ!?」
シーラさんが勢いよく顔を覗き込んでくる。
「よかったですわ! 目を覚ましたのですね! やっぱり、ただの魔力切れだったようですわ!」
ぐさり。
ただの魔力切れ。
その言葉が胸に突き刺さった。
「いやぁ、本当によかったですぜ!」
今度は御者台からドガルさんが振り返る。
「あれだけで魔力切れするとは思わなかったもんで、わしらも焦りましたぜ!」
ぐさささり。
あれだけで……
「右に同じくだ! まさか一発とは思わなかったぞ、レイ殿!」
ぐささささささり。
「お二人とも!」
シーラさんが二人を睨む。
「レイ君はまだ魔力の扱いを覚えたばかりなのですよ! 仕方ありませんでしょう!」
「いや、お嬢。わしらも責めてるわけじゃねぇですぜ」
「右に同じくだ。ただ予想の百分の一くらいだっただけじゃ」
ぐさささささささささり。
もうやめて。
僕のHPはとっくにゼロだ。
「……ご迷惑をおかけしました」
僕は毛布の中へ逃げるように顔を半分埋めた。
くそう。
悔しい。
あれだけ格好つけて「魔法だって練習すればいい」なんて考えていたのに、練習開始から一発で気絶。
ゲームだったらレビューに書かれるぞ……。
『チュートリアルで主人公が力尽きます。不具合でしょうか?』
違います。仕様です。
……最悪の仕様だ。
とりあえず現在の状態を確認しよう。
僕は意識を集中させる。
『Inspect』
視界に半透明の文字が浮かび上がった。
Level = 5
HP = 53
MP = 13
PP = 16
「…………」
MPは十三。
どうやら眠っている間に回復したらしい。
今まで自分の能力を使うときは、一回につきMPを一しか消費していなかった。
だから、ほとんど気にしたことがなかった。
でも、普通の魔法では違う。昨日は魔力を外へ放出しただけで全部使い切った。
「十三……」
もしかして、これはめちゃくちゃ少ないんじゃないか?
シーラさんのMPは二万を超えていた。
僕は十三。
「…………」
千倍どころじゃない。
いや、計算するのはやめよう。悲しくなる。
でも、逆に言えばやることは決まった。
「シーラさん!」
「は、はい?」
突然起き上がった僕に、シーラさんが少し驚く。
「絶対に、魔物がいたら僕にも倒させてくださいね!」
「え……ええ……」
シーラさんの視線が泳いだ。
ものすごく心配そうだ。
「その……もちろん、危険のない範囲でしたら……」
たぶん今の僕、シーラさんの中ではスライムにも負けそうな扱いになっている。
悔しい。
絶対に強くなってやる!!
レベルさえ上がれば、僕だって!!!
いや……それだけじゃ駄目だ。
僕はまだ、戦い方も、この世界のことも知らないことばかりだ。これからはもっといろんなことを教えてもらいたい。
そのためにも、いつまでも自分の力を隠しているわけにはいかない。
何ができて、何ができないのか。僕に合った戦い方を教えてもらうためにも、シーラさんたちにはやっぱりちゃんと話した方がいいのかもしれない。
それに——。
僕は三人を見る。
この人たちになら、話してもいい。そんな気がしていた。
「シーラさん。僕の力について、もう少し詳しく話してもいいですか?」
「え?……えぇ。もちろんですわ」
僕は自分の能力について、分かっている範囲で説明した。
僕の力は、ただ物を増やすだけではないこと。
物には僕にしか見えない情報があって、それを書き換えることで性質そのものを変えられる可能性があること。
昨日のお湯を見たとき、新しく温度らしき項目を発見したこと。
だから、もしかすると水の温度すら自由に変えられるかもしれない。
ただし、それを書き換えるためにはPPが足りない。
そしてPPもMPも、レベルが上がれば増えていく。
一通り説明し終わる頃には、シーラさんは完全に黙り込んでいた。
ドガルさんとスガルさんも、珍しく茶化してこない。
「……そんな力、聞いたことがありませんわ」
シーラさんがようやく口を開いた。
「種族によって特殊な力を持つ者は確かに存在します。ですが、レイ君のお話が本当なら……物を増やすだけでなく、その性質にまで干渉できるということでしょう?」
「まだ、できると決まったわけじゃないですけど……」
「それでも、とんでもない話ですわ」
シーラさんが少し考え込む。
「魔法とも違う。種族固有の能力とも違う。ましてや、世界の理そのものに手を加えるような力だなんて……」
「こりゃ驚きましたぜ」
ドガルさんが腕を組む。
「ですが、レイ殿が魔物を倒したがっている理由は分かりやした。レベルってやつを上げねぇと、その力も成長しねぇってわけですな」
「右に同じくだ。」
「ええ。ただ……」
シーラさんはまだ納得できないようだった。
「レベル、ですか……。魔力は成長とともに少しずつ増えていくものだと言われています。鍛錬によって扱える量も増えますわ。ですが、魔物を倒せば倒すほど突然増えるなんて……少なくとも私は聞いたことがありません」
やっぱりだ。
この世界の人たちには、「レベルが上がる」という概念そのものがない。
僕にだけ見えている数字。
僕にだけ起きている成長。
それも、この力と何か関係があるのかもしれない。
「でしたら、魔法の訓練については少し方針を変えましょう」
「方針?」
「ええ。当分は座学を中心にいたしますわ」
「えっ」
「不満そうな顔をしても駄目です」
先回りされた。
「でも——」
「魔力を一度放出しただけで倒れた子に、実践魔法を連発させると思いまして?」
「うっ……」
「もちろん、ずっと座学だけというわけではありませんわ。魔力の扱いに慣れてきたら、少しずつ実践も始めましょう」
「……はい!」
「それと、レイ君」
「はい?」
シーラさんの表情から笑みが消えた。
優しいけれど、真剣な目だった。
「昨夜もお話ししましたが、レイ君のその力は、使い方次第では世界を大きく変えてしまうものですわ」
「…………はい」
シーラさんは僕の目をまっすぐ見る。
「レイ君は、どうしてそこまで強くなりたいのです?」
「…………」
すぐには答えられなかった。
強くなりたい理由。
レベルを上げたい。PPを増やしたい。もっといろんなものを書き換えられるようになりたい。魔法だって覚えたい。
でも、それは全部手段だ。
僕が本当に欲しいものは——。
脳裏に、レナたちの姿が浮かんだ。
守れなかった。何もできなかった。逃げることしかできなかった。
もう、あんな思いはしたくない。
「……大切な人を、もう失いたくないからです」
自分でも驚くくらい、素直に言葉が出た。
シーラさんが静かに僕を見つめている。
もう大切な人を失うのが怖い。
誰かが傷ついているのに、何もできない自分に戻るのが怖い。
そして僕は、目の前にいる三人を見た。
「シーラさんたちのことも、守れるくらい強くなりたいです」
「…………」
シーラさんが目を大きくした。
ドガルさんとスガルさんも黙っている。
「…………」
あれ?
何か変なこと言ったかな。
そう思った瞬間。
「がっはっはっはっはっ!」
突然、ドガルさんが大声で笑い始めた。
「右に同じくだ! はっはっはっはっ!」
「な、なんですか!」
やっぱり笑われた!
さっき魔力を一回出しただけでぶっ倒れた奴が何言ってんだってことだろ!
僕だって分かってるよ!
「今は弱いですけど! こ……これから強くなるんです!」
「違いますぜ、レイ殿」
ドガルさんが笑いながら目元を拭う。
「え?」
「嬉しいんですぜ」
さっきまでの豪快な笑い方とは違う。
ドガルさんは、どこか照れくさそうに笑っていた。
「レイ殿はもう既に、わしらを一度救ってくださってるじゃありませんか」
「…………」
バルガに飲み込まれた三人を助けたときのことだ。
「あんときレイ殿がいなけりゃ、わしら三人はとっくにバルガの腹ん中で仲良く溶けてましたぜ」
「右に同じくだ。骨まで一緒じゃ」
「その通りですわ」
「そんなレイ殿が、今度はわしらを守りたいと言ってくれる。そりゃ嬉しいに決まってますぜ」
ドガルさんとスガルさんが僕の方を見る。
「ありがとうな、レイ殿」
「…………」
予想していた言葉と全然違った。
笑われていたんじゃない。
二人とも、本当に嬉しそうに笑っていた。
「レイ君」
シーラさんの声がする。
振り向く。
「ありがとうございます」
シーラさんが微笑んでいた。
「でも、一つだけ訂正させてくださいまし」
「訂正?」
「レイ君だけが、私たちを守るのではありませんわ」
シーラさんの手が僕の頭へ伸びる。
いつものように、優しく撫でられた。
「私たちも、レイ君を守ります」
「…………」
「レイ君が困っていたら助けます。傷ついたら治します。分からないことがあれば教えます。危ないことをしようとしたら止めますし、無茶をしたら叱ります」
「……最後の二つはいらないような」
「いります」
即答だった。
「特にレイ君には必要そうですわ」
「右に同じくだ」
「まだ何もしてないじゃないですか!」
「昨日、一発で倒れたではありませんか」
「それはもう忘れてください!」
三人が笑う。
僕もつられて笑った。
するとシーラさんの手が、もう一度僕の頭を撫でた。
「ですから、レイ君。一人で全部背負おうとしなくていいのですよ」
「…………」
その言葉だけは、胸の奥へ静かに落ちていった。
「守って、守られて。それでいいではありませんか」
シーラさんは少しだけ照れくさそうに笑った。
そして——。
「だって、レイ君はもう、私たちの家族みたいなものですもの」
「…………え?」
思わず聞き返してしまった。
家族。
レナ。
ラキさん。
ロナさん。
僕を拾って、家族にしてくれた人たち。
その人たちがいなくなって、僕はまた一人になったと思っていた。
それでも——。
今、僕の目の前には三人がいる。
僕が倒れれば心配してくれて。
失敗すれば笑って。
無茶をすれば止めてくれて。
僕が守りたいと言えば、同じように守ると言ってくれる人たちがいる。
それが。
たまらなく嬉しかった。
「……僕も」
声が少しだけ震えた。
「僕も、皆さんのこと……家族みたいに思ってもいいですか?」
シーラさんが一瞬きょとんとして——すぐに満面の笑みを浮かべた。
「もちろんですわ!」
「当たり前ですぜ、レイ殿!」
「右に同じくだ!」
「……ありがとうございます」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
するとドガルさんが腕を組み、大きく頷いた。
「よし! そういうことなら、今日からレイ殿はわしらの弟ですな!」
「右に同じくだ。兄と呼んでも構わんぞ」
「えっ」
「でしたら私はお姉さんですわね!」
「ええっ!?」
シーラさんまで嬉しそうに乗ってきた。
「さあ、レイ君。試しにお姉さんと呼んでみてくださいまし!!」
「ぜ……絶対嫌です!」
「なぜですの!? 先ほど家族だと言ったばかりではありませんこと?」
「それとこれとは別です!」
「レイ殿! わしは兄さんでも兄殿でも好きな方で構いませんぜ!」
「右に同じくだ。わしはお兄でも構わん」
「お……お二人まで!! 今まで通りにさせてください!!!」
カルバ車の荷台に、笑い声が響いた。
しばらくして騒ぎも落ち着き、カルバ車は再び砂漠の中を進んでいく。
流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
どこまで行っても続く砂。
ときどき遠くに岩山のようなものが見えるくらいで、景色はほとんど変わらない。
そんな中、不意にカルバ車の速度が落ちた。
「ん?」
前を見ると、御者台にいたドガルさんが何かを見つけたように目を細めている。
「レイ殿! ちょうどいいのがいましたぜ」
ドガルさんが手綱を引く。
走っていた二頭のカルバが速度を落とし、やがてカルバ車がゆっくりと止まった。
「ほれ、あそこですぜ」
指差された先へ目を向ける。
砂丘の向こうに、大きな何かがいた。
大きさはサイくらいだろうか。
ずんぐりとした四本の脚に、地面すれすれまで伸びた太い尻尾。見た目は巨大なヤモリと亀を無理やり合体させたような姿をしている。
何より目立つのは、その身体を覆う装甲だった。
頭から背中、尻尾に至るまで、岩のような灰褐色の甲殻で覆われている。
見るからに硬そうだ。
僕は意識を集中させた。
『Inspect』
視界に文字が浮かび上がる。
monster_Jaravamori
{
Name = "Jaravamori"
Level = 31
HP = 78
MP = 14
……
}
「レイ殿、ジャラバモリを見るのは初めてですかい?」
「はい。初めてです」
「なら、軽く説明しておきやしょう」
ドガルさんがカルバ車から降りる。
「ジャラバモリは足こそ遅いですが、防御に優れた魔物ですぜ。見ての通り、全身が分厚い甲殻で覆われております」
「わしらでも、正面から斬るなら全力でようやく傷をつけられるかどうかってところじゃ」
スガルさんも続ける。
「右に同じくだ。バルガの胃袋と同じくらい硬いですぜ」
「そんなに……」
「それと、一番気をつけるべきなのは——あの顎ですぜ」
ジャラバモリが大きく口を開く。
ずらりと並んだ太い牙が見えた。
「うわ……」
「レイ殿の細腕なら、噛まれれば簡単に持っていかれますぜ」
「さらっと怖いこと言わないでくださいよ!」
「がっはっは! まあ安心してくだせぇ。もし危なくなれば、お嬢が遠くから援護してくれますぜ」
振り返る。
シーラさんはすでに杖を手にしていた。
「レイ君。本当に危なくなったら、すぐに助けますからね?」
「はい!」
「それと、ジャラバモリは基本的にはおとなしい魔物じゃ」
スガルさんが付け加える。
「こちらから手を出さなければ、向こうから襲ってくることはほとんどありませんぜ」
なるほど。
だから訓練相手として選んだのか。
ドガルさんが僕を見る。
「さて、レイ殿」
「はい」
「勝算はありそうですかい?」
「…………」
僕はジャラバモリを見る。
今持っている武器は、腰に差した短剣一本だけ。
今まで使っていた小瓶は、あの戦いですべて割れてしまった。
つまり、水を増やす《AddWater》は使えない。
今使える能力は——。
『HelloWorld』
砂を増やす力だけだ。
短剣で甲殻を斬る?
無理だ。だったら、甲殻に覆われていない場所を狙おう。
僕はジャラバモリの顔を見る。装甲の隙間にある、大きな二つの目。
「……あの目を、まずは狙います」
ドガルさんがニヤリと笑った。
「正解じゃ」
スガルさんも頷く。
「硬い魔物を相手にするとき、馬鹿正直に硬いところを狙う必要はねぇ。柔らかいところを探して、そこを狙う。戦いの基本ですぜ」
「それじゃあレイ殿——戦ってみせよ!」
「右に同じくだ! ガツンと決めてやるんじゃ!」
「レイ君、気をつけてください!」
「はい!」
僕は短剣を抜いた。
深く息を吸って、ゆっくり吐く。
落ち着け。
こういうときにどうすればいいのかは、前に教えてもらった。
身体の中にある魔力を、できるだけ小さく抑える。呼吸も浅く、足音を立てず、余計な動きもしない。
胸の奥にある魔力核を意識する。そこから漏れ出しているものを、ぎゅっと身体の中へ押し込めるように。
僕は足を動かした。
一歩。また一歩。
砂を踏みしめないように、慎重に足を運ぶ。
十五メートル。
まだ気づかれていない。
十メートル——。
ここから一気に行く。
(……よし! 行くぞ!!)
地面を蹴った。
ザッ!
「あっ」
砂を強く蹴る音が、思った以上に大きく響いた。
その瞬間。
ジャラバモリがこちらを向いた。
「……!」
目が合う。
次の瞬間、ジャラバモリはくるりと身体の向きを変え、走り出した。
ドドドドドドッ!
太い四本の脚が砂を蹴り上げる。
「ちょっ、待て!」
僕も全力で追いかける。
でも、差は縮まらない。むしろ少しずつ離されている。
「足遅いって言ってたじゃないですかぁぁぁ!」
「遅いですぜぇ!」
後ろからドガルさんの声が飛んでくる。
「レイ殿よりは速いだけじゃ!」
「僕が遅いのかよ!」
くそっ。
このまま追いかけても追いつけない。
だったら——。
僕は走りながら、ジャラバモリの少し先へ視線を向けた。
そこに広がる砂地へ意識を集中させる。
「HelloWorld! Execute!!」
次の瞬間。
ボゴォッ!!
ジャラバモリの真正面にあった砂が、爆発するような勢いで一気に増えた。
突然目の前の砂が盛り上がり、ジャラバモリの巨体がわずかに宙へ浮く。
四本の脚が地面から離れた。
その隙に——。
「今だ!」
一気に距離を詰める。
五メートル。
三メートル。
二メートル。
届く!
そう思った瞬間だった。
ドンッ!
ジャラバモリの四本の脚が砂へ着地した。
「……!」
体勢を立て直すのが早い。
しかも、逃げなかった。
ジャラバモリがその場で勢いよく身体を反転させ、僕に向かって大きな口を開いた。
「グギィャアアアアッ!!」
牙が迫る。
まずい!
止まれない!
全力で走っていたせいで、急には方向を変えられなかった。
「くっ……!」
無理やり身体を横へ逸らす。
その瞬間、足が砂に取られた。
「っ!?」
身体が大きく傾く。
倒れてはいない。でも、もう踏ん張りが利かない。
目の前には開かれている、ジャラバモリの大きな口。
びっしりと並んだ牙。
赤黒い舌。
そのさらに奥にある、暗い喉。
全部が、やけにはっきり見えた。
——食われる。
そう思った。
心臓が、どくんと大きく鳴る。
身体は傾いたまま。
牙はもう目の前まで迫っている。
逃げられない——!!
そんな中、視界の端に何かが映った。
砂。
足元いっぱいに広がる砂。
「……!」
頭の中で、何かが繋がった。
まだ終わってない——!
「HelloWorld! Execute!!」
ボンッ!!
足元の砂が一気に膨れ上がった。
「うわぁぁぁっ!?」
増えた砂に足元から押し上げられ、僕の身体が勢いよく宙へ放り出された。
完全に姿勢が崩れる。
——ガチンッ!!
ジャラバモリの牙が、さっきまで僕がいた場所で勢いよく閉じていた。
「うわっ……!」
あれに挟まれていたら、本当に腕どころでは済まなかった。
でも、運がよかった。僕の身体はジャラバモリの真上へ飛んでいた。
「……っ!」
ドスンッ!
硬い甲殻の上へ落ちる。
「ぐっ!」
衝撃に耐えながら、慌てて甲殻の出っ張りへしがみついた。
「ギャアアアアアッ!」
ジャラバモリが暴れ始める。
巨体を左右へ振り、僕を振り落とそうとしてくる。
「うわっ! ちょっ……!」
必死にしがみつく。
右へ。
左へ。
身体が何度も振り回される。
それでも、短剣だけは離さない。
狙うのは——目。
僕は左手で甲殻を掴み、右手の短剣を振り上げた。
大きな目が、すぐそこにある。
「いっけぇぇぇぇぇぇ!!」
全力で腕を振り下ろす。
ズブッ!
短剣が、ジャラバモリの右目へ深く突き刺さった。
「ギャアアアアアアアッ!!」
絶叫。
ジャラバモリが今まで以上に激しく暴れ始める。
「うわぁっ!」
必死に短剣へしがみつく。
でも——。
まだ倒れない。
目を刺しただけだ。
このままじゃ振り落とされる。
だったら——。
僕は目に突き刺さった短剣を見る。
いつも使っていた短剣。
砂漠で何度も使ってきたせいで、刃にはわずかに砂がいつも付着している。
今、その刃はジャラバモリの目の奥にある。
だったら、この砂を増やせば——。
僕は短剣に付着した砂へ意識を集中させる。
「HelloWorld! Execute!!」
直後。
ボゴッ!!
鈍い音とともに、目の奥で砂が一気に膨れ上がった。
次の瞬間。
バンッ!!
「ギャアアアアアアアアアアッ!!」
ジャラバモリの両目が内側から弾け飛んだ。
「うわっ!?」
その勢いは、短剣を握っていた僕にも襲いかかった。
大量の砂が一気に噴き出した反動で腕を弾かれ、そのまま身体ごと後ろへ吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
宙へ投げ出され、砂の上へ背中から落ちた。
「いったぁ……!」
その直後。
「ギャアアアアアアアアアアッ!!」
ジャラバモリの絶叫が響いた。
両目があった場所からは、今も大量の砂が溢れ続けている。
視界を完全に失ったジャラバモリは、狂ったように頭を振り回していた。
僕はすぐに起き上がり、短剣を握り直す。
まだだ。
まだ、倒していない。
「レイ殿! とどめを刺すなら今じゃ!!!」
ドガルさんの声が飛んできた。
「……はい!」
短剣を握る手に力を込める。
ジャラバモリは大きく頭を振りながら、一歩、二歩、ふらつきながら進んでいる。
僕は走った。
「うおおおおっ!」
横から一気に距離を詰める。
狙うのは、硬い甲殻じゃない。
頭を振るたびに見えた、首の下。
そこにはあの硬い甲殻が、一部だけ剥がれている箇所があった。
短剣を両手で握り——。
「これでっ!! 終わりだっ!!」
思いきり突き刺した。
ズブッ!!
「ギィッ……!」
ジャラバモリの身体が大きく跳ねる。
怖くなって、すぐに短剣を引き抜き後ろへ飛び退いた。
ジャラバモリは二、三歩よろめいた。それでも立とうと脚を踏ん張る。
けれど——。
ドサァッ!!
巨体が砂の上へ崩れ落ちた。
「…………」
動かない。
しばらく待ってみても、もう起き上がる気配はなかった。
僕は短剣を握ったまま、大きく息を吐いた。
「……倒せた」
その瞬間。
——ピコン。
電子音が頭の中に響いた。
視界の中央へ、青白い文字が浮かび上がる。
Level = 6
HP = 60
MP = 16
PP = 21
「……上がった!」
レベル六。
HPが七。
MPが三。
そしてPPが五増えている。
「レイ君!」
顔を上げる。
シーラさんたちがこちらへ走ってきていた。
「怪我はありませんの!?」
「だ、大丈夫です!」
「本当に!? 噛まれていません? どこか痛いところは?」
僕が答えている間にも、シーラさんは腕やら背中やらを確認してくる。
「お嬢、落ち着きなされ」
ドガルさんが笑いながら近づいてきた。
そして僕の肩を、ばんっと叩く。
「レイ殿! お見事でしたぞ!」
「ありがとうございます!」
「特に最初の砂! 追いつけないと分かった瞬間、相手の進路上に砂を増やして足を止めるとは。いい機転でしたぜ!」
「右に同じくだ!」
スガルさんも大きく頷く。
「そして自分の足元の砂を増やして飛んだのには、わしも驚きましたぞ!」
「あれは半分事故ですけどね……」
「事故なんですかい!」
「でも、うまくいったので……」
「がっはっはっは! なら成功じゃ!」
成功でいいのか、それ。
そんなことを話している間にも、シーラさんは僕の髪や服についた砂をぱっぱっと払い落としている。
「もう……こんなに砂まみれになって。目にも入っていません?」
「大丈夫ですよ」
「口は?」
「大丈夫です」
「耳は?」
「シーラさん、僕を何歳児だと思われてるんですか?」
「あら。十三歳でしょう?」
「そういう意味じゃないです!」
後ろでドガルさんたちが笑っていた。
やがて二人は倒したジャラバモリのもとへ向かい、手慣れた様子で解体を始めた。
「今日は鍋がうまいぞぉ!」
「右に同じくだ! ジャラバモリの肉は煮込むと最高じゃ!」
もう晩ご飯の話をしている。
僕は苦笑しながら、シーラさんと一緒にカルバ車へ戻った。
//——
「レイ君はここで休んでいてくださいまし」
「シーラさんは?」
「わたくしは、あの二人を手伝ってきますわ」
そう言って、シーラさんは荷台の奥から大きな袋をいくつか取り出した。
「ジャラバモリのお肉や、使えそうな素材を入れるための袋ですの」
「僕も手伝いますよ」
「駄目ですわ」
即答だった。
「でも……」
「片付けくらい、わたくしたちに任せてくださいな」
シーラさんはそう言って微笑むと、袋を抱えてドガルさんたちのところへ戻っていった。
「…………」
そこまで言われたら、仕方がない。
甘えさせてもらおっと。
僕は荷台へ乗り込み、空いている場所へ腰を下ろした。
「ふぅ……」
ようやく一息ついたところで、さっきのレベルアップを思い出した。
そうだ。
レベルが上がったということは——。
僕は自分のステータスを確認する。
PPは二十一。
「……!」
これなら、試したかったコードを書くには——十分だ。
「……よし」
僕は小さく呟いた。
『Edit』
何もない空中に、黒い長方形の画面が音もなく浮かび上がる。
続いて、青白く光る半透明のキーボード。
僕はそこへ指を伸ばした。
昨日、お湯をInspectしたときに見つけた項目。
temperature。
僕は一文字ずつ入力していく。
mu.temperature= 0;
「…………」
エラーは出ない。
成功だ!!!
少なくとも、この世界はこの命令を受け付けている。
水の温度をゼロにする。
これを実行した水はおそらく——。
「凍る……はず」
本当なら、もっと低い数字も試してみたい。
マイナス百とか。確か絶対零度って、もっととんでもなく低い温度だったはずだ。
でも今はPPも貴重だし、そもそもそんな危なそうなものを試す必要もない。
ゼロで十分だ。
僕は半透明のマウスを動かし、保存するプログラムの名前を入力する欄をクリックする。
「名前……どうしよう」
《AddWater》みたいな名前でもいい。でも、ふと昨日シーラさんに言われたことを思い出した。
僕の能力について、他人にはできるだけ詳しく話さない方がいい、と。
だったら——。
いっそのこと、魔法に見えるような名前にしてしまえばいいんじゃないか?
そうすれば、誰かの前で使うことになっても、少しは誤魔化せるかもしれない。
「うーん……」
何かそれっぽい名前はないだろうか。
そんなことを考えていると、荷台の外から足音が聞こえてきた。
顔を上げると、さっきドガルさんたちの手伝いに行ったシーラさんが戻ってくるところだった。
手に持っていた袋はなくなっている。
ちょうどいい。
「シーラさん」
「はい?」
「氷を作る魔法って、名前は何ていうんですか?」
「氷魔法ですか? 一般的なものなら《フロスティア》ですわね」
「フロスティア……」
いいな。それにしよう。
僕は保存名を入力する。
Frostia
保存。
黒い画面がゆっくりと消えていった。
よし。さっそく試してみよう!
僕は荷台に置かれていた水樽から少量の水をすくい取り、手のひらへ垂らした。
冷たい水が、掌の上で小さく揺れる。
僕はその水へ意識を集中させた。
もし、僕の考えが正しければ——。
「Frostia」
一瞬だけ間を置く。
「Execute!」
直後。
「つめっ……!」
掌の上の水が、一気に冷たくなった。
けれど。
「…………あれ?」
凍らない。
失敗した?
そう思った、そのとき。
パキッ。
「……!」
水の端に、小さな氷ができていた。
そこからゆっくりと。
パキ……パキッ……。
透明だった水が少しずつ凍っていく。
「おお……!」
思わず声が出た。
凍ってる。
本当に、水が氷になっている!
「できた……!」
嬉しくなって、しばらく掌の上を眺めていた。
でも…………遅くない?
僕が想像していたのは、もっと一瞬でカチンッと凍る感じだった。
なのに、今は端から少しずつ凍っている。
「なんでだろう……」
空中に浮かぶコードを見る。
mu.temperature= 0;
水が凍る温度はゼロ度。
確か、学校でもそう習ったはずだ。
「…………」
……はず。
急に自信がなくなってきた。ここに来て、赤点常習犯だった弊害が……。
いや、待て。僕は必死に授業の記憶を掘り返す。
水はゼロ度で凍る、じゃなくて——。
「あっ」
思い出した。
「ゼロ度から、凍り始めるんだ」
だからか。ゼロ度にしただけだから、一気に氷になるんじゃなくて、少しずつ凍っていったんだ。
だったら、もっと温度を下げればいい。
僕はすぐにFrostia、Editと唱えて、数字の部分へカーソルを動かした。
mu.temperature= 0;
その『0』の前に、
-9
を追加する。
mu.temperature = -90;
「これなら……!」
もう一度、水樽から少量の水を手のひらへ垂らした。
「Frostia!」
そして——。
「Execute!」
パキンッ!!
「……!」
今度は違った。掌の上で揺れていた水が、ほとんど間を置かずに透き通った小さな氷へと変わった。
「おおっ!」
思わず顔がほころぶ。
「今度こそ、できた!」
僕が想像していた通りだ!
そう思った直後。
「つめっ!?」
あまりの冷たさに、反射的に氷を放り投げた。
カランッ。
小さな氷が荷台の床を転がっていく。
「つ、冷たぁ……!」
掌を慌てて反対の手で擦る。
そうだった。これ、ただの氷じゃない。
マイナス九十度だ。
「レイ君!?」
荷台の外から、シーラさんの慌てた声が飛んできた。
「どうしましたの!? 怪我をしました!?」
すぐに荷台へ顔を覗かせる。
その表情は、さっきまでとは違って明らかに焦っていた。
「あっ、シーラさん!」
僕は痛む掌を押さえながら、それでも思わず笑ってしまう。
「できました! できたんです!」
「え?」
「氷です! 水を凍らせられました!」
興奮したまま、床に転がっている小さな氷を指さす。
シーラさんは一瞬きょとんとして、それから僕の手と氷を交互に見た。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! その前に手を見せてください!」
「だ、大丈夫です! ちょっと冷たすぎただけで!」
「それを大丈夫とは言いませんわ!」
シーラさんは慌てて荷台へ上がり、僕の手を取った。
「怪我はなさそうですわね……」
「す、すみません。 でも、シーラさん見てください! 本当にできたんです!」
心配されているのに、嬉しさが抑えきれない。
僕はもう一度、床の氷を指さした。
「僕、水を氷にできました!」
シーラさんが目を丸くした。
そして床にある氷を見て、恐る恐る手を差し伸べた。
「本物……ですわね」
「はい!」
「本当に、物を増やす以外のことまで……」
シーラさんは驚いた表情のまま僕を見る。
「しかも、これもあの力と同じくらいの魔力しか使わないのですか?」
「たぶん……」
自分の状態を確認する。
MPは二しか減っていなかった。
「はい! 魔力は全然使っていないです!」
「…………レイ君」
「はい?」
「やっぱり、その力はとんでもないですわね」
「……そう、ですね」
言われて、改めて床に転がった氷を見る。
水を氷に変えた。
今まで僕ができたのは、物を増やすことだけだった。
水を増やす。
砂を増やす。
それだけでも、この世界では十分に異常な力だった。
でも——違った。
僕の力は、それだけじゃない。
温度を変えられた。水を、氷に変えられた。なら、他にも数字として表示されるものがあるとしたら?
重さは?
硬さは?
形は?
速度は?
今の僕には、まだ分からない。
書き換えるためのPPだって足りない。
でも、今日一つだけ分かった。
僕の力には——まだ先がある。
もっとレベルを上げれば。
もっと項目を見つければ。
もっとプログラムを書けるようになれば。
僕は、もっと強くなれる。
荷台の上で、小さな氷が陽の光を反射していた。
たった一滴の水から作った、小さな氷。
それなのに今の僕には、それが昨日までよりも、一歩だけ強くなれた証のように見えた。
「……よし」
僕は氷を拾う。
冷たい。冷たすぎる。
でも、その冷たさが、今はものすごく嬉しかった。




