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ノイズ・ダイヴァ  作者: 深津 弓春


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3 フィードバック・ループ


 二月ほどの間に行われた準備は、シバの肉体を気のせいほど強化し、いくらかのステップを付け焼刃的に身に付けさせた。同時に、ラブリュスは木こり(ランバージャック)ぶりを遺憾なく発揮し、ピラー・ダンス実行のためのプログラム群を用意し、ピラーに対する物理的なクラックも実行していった。警備の隙をミクロン単位でついて僅かずつ部品を入れ替えられた数本のピラー。それが、シバがエントリーするためのお膳立てだった。


 改造されたピラーに囲まれるように立つのは、一際目を引く太く巨大なピラーで、一帯の通信のハブとなる大ピラーだ。巨大な円筒形ビルのようなその主柱に、ちょっとした悪戯か何かの間違いのように設置された細い梯子を、シバはひたすら昇っていた。


「正気でやらせてるわけ? これってさ」


 ピラーは当然ながら周囲のビルより高い。そうでなければ腕木通信(セマフォア)として機能しない。途中までリフトで昇って、更に梯子の所々に退避スペースもあるとはいえ、無謀か狂気の極みのような状況に、シバは呻く。延々と続く梯子。上に向かって開いた地獄の穴のような主柱と夜空。


『あと百メートルもない。上に着いたら渡したバッグを開封しろ』


 通信越しにラブリュスの声が響く。今現在、シバから五十メートルほどの位置の空中に、ボール型の全方位カメラが浮かんでいた。球体上のカメラから植物の根のようなものを下方に生やしてせわしなく蠢かせており、カメラと根を繋ぐフレームにはいくつかのローターが取り付けられて回転している。シバの扱うカメラドローン、「サードアイ」だった。セマフォア義眼と同様の機能を持つカメラと、通信用の腕木である根のような可動部をもつドローンで、カメラによって受信を、根によって発信を行う空中浮遊版のミニピラー。丸いカメラと伸びた根が、遠目には空飛ぶ球根植物といった見た目だった。


 ダイヴァとしての資質を持つシバはこのサードアイのカメラ情報も視覚の一部として義眼経由で取り込む。視界の端にちらりとでもサードアイが映っていればその根の動きからカメラ情報を摂取できる。三つの目で同時に物を見て、腕木の情報を頭に受信できる。これによって、多方向からピラーを見ることでより高解像度で情報を受信したり、ピラーに頼らない情報通信を行ったり、自分が発信する情報を中継させることができる。データ監視員時代に重宝した道具と特技であり、木こり(ランバージャック)となった後もシバの特技であり続けていた。

 今、サードアイには嫌がらせのような長さの梯子にしがみつくシバの姿が映っている。背中にバッグを背負い、細く頼りない肉体にぴったり張り付くような機能性全身スーツを着込んでいる。スーツは各種動作の負担を軽減してくれる伸縮性の動作補助機能性衣類《パワーアシストクロージング》で、シバの手足をぎゅうぎゅうと締めて動かしていた。


 腕や足の疲れと痛みをうんざりするほど感じながら、シバは次第に遠ざかる地上を時々見下ろす。ユアンは、あの地上のどこかの路上で死んだ。ナラティブ化する世界で、全てが嘘の濁流の中で。

 人間の価値、倫理や正義や理想という普遍性は、世界がグローバル化しネットが登場し情報流通が劇的に変化する中で、一度は高まりつつも、今やどんどんと解体されているように見える。ネットは、個人ならば妄想で終わるような考えをも繋いだ。百人の妄想は陰謀論となり、一万人の陰謀論は事実に対する代替現実(オルタナティブ)として語られ、十万人の代替現実は物語(ナラティブ)として現実を蚕食する。繋いだことで裂かれた、バラバラの世界。


 ずっと、普遍的であるということに、シバは価値を感じていた。真善美、存在と無。より正確な意味とは、根本的で普遍的であるのだと考え、だからこそそれを自らの価値観の根本に置いていた。

 人間は世界という整合性を共有し、事実(ファクト)をベースにして、より普遍的で個人に収まらぬ価値を得るということを、長い歴史の中で憶えていった。価値とは価値という意味であり、意味とは普遍であるから意味である。完全に個人的な意味とは原理的・論理的に存在し得ない。だからこそ価値を追うならば人は普遍性に、間主観性や客観性に、事実ベースの世界に目を向けざるを得ない。価値の多様性は、意味の普遍性と客観性の上に築かれる壮大な個性の生態系であり、事実や客観を無視できるものではない。ナラティブな世界の価値とは、それ自体が矛盾ではないか。


 しかしその矛盾が、今の世のトレンドだ。見下ろす夜の都市は、無数の明かりを点して、無数の世界観に揺らぎ続けている。

 客観性は、普遍性は、整合性は、真実というものは、ほんの一時代に咲いた徒花に過ぎなかったのか。そうではないとシバは考えるが、同時に、逆にそれらの価値に人間は値しないのかとも疑えてしまう。

 粘りつくような諦念が精神の足首を掴み続けている。価値を信じ、世界に働きかけるという芸術的行為は、政治的思想的宗教的な改革や革命や啓蒙に通じるところがあるが、今のシバにはただひたすらに遠いものに思える。


 登り切り、立ち上がる。ハブ・ピラーの主柱はとてつもなく太く、それ故に天面も相応の広さがあった。アリーナ程とはいかないが、グスタボの店より断然広く、踊るには十分だ。ヘリパッドのようなつるりとした平面が丸く広がり、端にはメンテ作業員の為のフェンスや電源関連の装置が収まる箱体、カラビナをかける太い金具などが設置されていた。


『着いたな。よぅし、ここまでは万全。ピラーの警備システムも黙ったままだ』

「で、どう踊れって? 特に振付を習った覚えもないけど」

『リアルタイムで変化し続ける動作だからな、当然よ。スタートすればお前さんとそのハブ・ピラーの動作が連動同期する。動作が通信になり、通信が動作になり、その流れが全てを進行させる曲となる……それだけ。とはいえ、ちょっとした補助ならある。秘密兵器だな。バッグを開けろと言ったろ』

「結局何だったのこれ、けっこう重量あったんだけど」


 ぼやきながら、シバは下で行きしなに渡されたバッグを背中から降ろしてジッパーを開く。出てきたのは、見慣れた腕だった。

 ユアンの腕。三本目の。


『一緒に固定用のハーネスも入ってる。服の上からでいいから、取りつけろ』

「私、ユアンみたいに神経の増設なんてしてないけど」

『そいつには予め動作パターンがインプットされてる。お前さんが動かす必要はない。お前さんの動作をジャイロや光学センサーで読み取って、それに合わせてそいつも勝手に動いて、リードしてくれる』


 金属フレームと繊維束の人工筋で構成された腕を持ち上げて、シバはハーネスに取り付け、羽織るように装着する。シバに合わせて調整でもしたのか、ぴったりと右肩に貼り付くように固定される。

 おかしな気分だ、とシバは考える。何もかもがおかしな夢想のようだ、と。

 ユアンは度々このサームでシバに触れた。自分の手では恥ずかしがってあまり触れないくせに、その代わりとでもいうようにサームでシバを悪戯めいてつつき、撫で、掴んだ。三歳児の扱うマジックハンドの玩具のような使われ方をしていた特注の腕が、今はシバの身体に新たな重量を加える。


 広い舞台――ピラー天面の周囲からは無数の腕木が伸びている。数え切れぬほどの可動部を搭載した通信腕木が放射状に、幾何学的に柱から生えている。シャップの時代から二百年以上が経ち、手旗信号のようなシンプルさだった腕木は金属とワイヤー、モーターと生体部品からなるテクノロジカルな世界樹となり情報通信の天上界を支えている。

 枝葉の群の下の地上では、いくつかの大通りに砂粒のような人影が蝟集していた。検索すると、難民として逃れてきたある人間の、八歳になる娘の強制送還が遅れていることに対する抗議デモだという。元々の難民認定率の異常な低さや、この国生まれこの国育ちの子供を外国に放り出すことの問題は、全て適当なデマと妄想で塗り潰されて無視され、代わりに寄生虫をこれ以上繁殖させるなとの叫びが上がっている。


 これが今のこの世だ、ユアン。


 呟いて、シバは舞台中央に移動し、腕や足の筋を伸ばす。真冬の夜だが、梯子のおかげで体は既に温まっている。

 どうにかなるのか。こんなことに意味があるのか。木こり(ランバージャック)となって以来、シバにはただ短期的な復讐心以外に何があるわけでもなかった。かつて抱いていた願い――客観性、普遍性、整合性、世界という意味の啓蒙についての思いや価値意識が、今も体のどこかに残っているのかどうか、ここに至っても分からない。


『始めるぞ』


 目を閉じる。開く。


 同時に舞台の周りの腕木たちの多くが動きを止める。通信障害。そして別種の通信の挿入が行われる。シバの瞳はサードアイと共に広くこの動作の変化を認識している。

 突如止まった腕木の表面で、小さなパネルがかたかたと震える。僅かな動作がシバの目に捉えられて、脳に音声データとして感覚される。


 トン、となにかを叩く音。タップする音。


 音と同時に、腕が動き始める。シバの肩に乗った、ユアンの腕が一時の命を得る。


   *


 サームが前触れなしにスイングし、重心が移動する。反射的に踏み出した爪先が、最初のステップとなる。

 シバが踏み出した瞬間、シバの立つハブ・ピラーの腕木の群集が一斉に震える。掻き乱された空気が多重に震えて局所的に温度までが変化する。


 動作は通信。動作は情報。


 最初の動きが情報となる。ノイズの中に流れる新たなノイズになる。シバの視覚はそこに音を知覚する。ユアンが発想しラブリュスが設計し仕込んだプログラムが、即興の音の連なりを動作から生成する。

 ごう、と重い風のような音が押し寄せて、シバの背を押す。軽く腕を降ると、風の音が砕けて雨になる。リズムが芽生える。ノイズをノイズのままダンスとするプログラム・コードが幻の和音(コード)をシバに与える。コードの力がシバに意味を促し、動作を催させる。


 素早く爪先で滑るように舞台上を移動し、指先を小さく羽ばたかせる。背を逸らし、折り曲げ、ゆるりと回る。

 腕木が空を扇ぎ、無数の小さな触手状の可動部が波のように蠢く。腕木同士が偶に軽く打ち合い、甲高い金属音が響く。


 ピラーはわたし。わたしはノイズ。


 ぞっとするほどの快感と恐れが同時に湧きあがり、そのまま沸騰して消えていく。巨大なピラーが完全に自身の動作に同期して、自身そのものとなって踊る感覚は例えようがない。更に、踊りに連動して揺れて回転するシバの視覚、上空から広く見渡すサードアイの視覚が、シバがピラーからピラーへ広がっていく様を感覚させる。

 腕木同士がノイズを伝播させ、連鎖させる。意味などない、情報などないはずの誤魔化しのノイズ信号を、完全に無意味で完全に有意味なただの動作というノイズが乗っ取って塗り潰してリレーされていく。

 手の平を振る。肩を大きく上下させる。上半身を固定して、足先の側面だけを軸にしてぎゅと踏ん張り、素早く移動し、背中を反転させる。

 ピラーの群が腕木を振り上げ、回転させる。パネルが点滅する信号灯のように無数のリズムで開閉を繰り返す。サードアイでも見渡せない範囲にまで動作が伝播し、細波が動作ごとに増幅され重なり津波となって放たれていく。


 踊る。躍る。

 そして返る。


 フィードバック。広がった先で様々な人間がこれを見上げ、少しずつ動作する。瞬き、目で追い、首を伸ばし、次第に身体の末端が、先端が震え、小さく振られ、地面をタップし、鼓動が塗り替えられて躍動が始まる。無数の動作がピラーに捕捉され、拾い上げられ、貪欲に呑み込まれる。そして逆向きに吐き出される。フィードバック。


 津波が帰る。シバの元に押し寄せる。無数の方向性を持った動きにピラーの動きが広がっている。腕木の圧倒的な量の情報=動作にシバは無数の人間を感覚する。勝手バラバラな動きをギリギリで抑えるように舞い続け、同時にもっとやっちまえと発破をかけるようにも舞い続ける。素人以外にあり得ないシバの動きがしかし、ピラーと一体化することで、サームが先導することで、誰も見たことのないノイズ・ダンスを成立させていた。

 繰り返す動作。一度きりの動作。動くほどに時間が進み、ノイズが伝播し、人間に届いて反射する。寄せては返すノイズ動作に、確かに人間の根源的なメッセージが乗っている。怒り、喜び、興奮、同調、拒否、渇望……言語化されコード化される以前のメッセージが、ノイズのはずの動作に載っている。


 メッセージは多人称。多人称は並立。


 サードアイがシバの姿をシバに見せる。多数の人間とピラーが参加する動作の大渦がシバ自身に殴りつけるようなメッセージを伝え、シバもまた同じように返す。人がいる。人がいる。大勢いる。今やフィードバック・ループには無数の人間が参加している。無数の動作が集積している。


「なんてことだろう」


 掠れた声が漏れ出る。確かに伝わって、伝わり返している。動作そのものであるだけの動作が無色の上に無数の意味をホロ映像のように投射しながら往復し続けている。

 どこまでもコミュニケーティブなアートが成立しつつあることを感じる。シバは直感する。アートの本質の一つとは、コミュニケーション可能性であるのだ、と。これが私であり私の世界でありあなたでありあなたの世界であるというコミュニケーション。ユアンの言葉を思い出す。これのことかと息を呑む。

 これを見せたかったのかユアン。これが見たかったのかユアン。


『アーティスティック・ノイズだ』


 ラブリュスの声が踊りの中に紛れる。


『ノイズという非情報そのものを、人類を現実に今一度接続させるための衝撃、意識をノックする手段として利用するという考えから生まれたユアンの思想。非情報をもって人に影響する情報であるが故に、解釈や相対性で客観性や現実から逃げることはできない』


 倒れ込むように膝を折り、すぐに伸ばして跳ねる。掻き毟るように衣服の首元を掴んでそのまま叫ぶように上半身を振り動かす。サームが動作に合わせて大きく弧を描いて宙に見えないカーブラインを描く。

 怪物じみた情報の群、ノイズの群を制御し、増幅しながらシバは唐突に、必然的に、理解する。コミュニケーションの成立とは要するに、客観性の成立であり、普遍性の権限だ。あなたが私であり、誰でもあり、誰でもないという事の自覚がコミュニケーションの根本にある。

 千々に乱れる人類にはしかし、コミュニケーション可能性という普遍性が残っている。動物的な長い進化史の、場当たり的な変化の中で偶然培われ、その後社会を築き生活する中でずっと使用されてきた機能がある。未だにある。ある。だから踊っている。

 ならば。


『シバ、規定値ギリギリだ。動作の範囲が、無意味化とは逆の方向に振れ過ぎている。極端な意味化に踏み込めばダンスがどう変化するか予測がつかない。ユアンの指定範囲を超えないように――』


 と言いかけていたラブリュスが、途中で黙り込む。今やピラーは想像すらできないほど豊かに動き、怪しく動き、おぞましく動き、純粋に動く。


『いいさ。好きにやりな。ユアンの贈り物だ。お前さんが好きにする自由がある』


 ならば。

 シバは覚悟する。決定する。意志する。

 人の中に世界を、他人を、整合を重ねる力がまだあるというなら。それなのにこれほどまでにバラバラに乱れた世界が今の世だというなら。そこに、叩きつけてやろう。

 この世で最も根底にある、基底の基底にある、現実そのもの、普遍性そのものに最接近する概念の一つを。――今正に私が感じているものを、伝播させよう。


 空白を叩きつけてやる。そこにないということを。生と死、存在と無という、この世で最も根底にある通信客観性/整合性(プロトコル)を、再インストールしてやる。


 ステップを踏む。もつれて転倒する。痛みも動作に代わる。冷たさで凍る肌も、頬に滲む血液の流れも動作となる。転がり、手足で横になったまま跳ねて、地面を殴りつけて立ち上がる。骨が震える。首筋を血が伝う。サームがシバの髪に触れる。頭を微かに撫でていく。知っている感覚。ユアンの腕。



 なんでこの世だ。なんでこの社会だ。なんでこの不在だ。



 声はもう出ない。代わりに動作だけがある。全身が蠢動する。破裂したように急激に動く。続け様に回り、宙を蹴り上げ、反動を殺さず空中に舞い上がり、三本の腕を振るう。



 ユアン!



 口を大きく開く。動作で叫ぶ。

 ピラーが叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ、伝播する。人々が叫んでいるのが返ってくる動作で感じられる。コミュニケーション。シバを中心に、何度も波が返って集中し、シバを巨大なノイズの振動で打ち据える。


 理解が芽生える。なぜシバ自身がこの場で踊らねばならなかったのか。この設計の意図は何か。ごく単純なことだった。

 ユアンはシバのためにこれを作った。シバという人間に普遍の価値を改めて感じさせるために。他の誰でもない。ユアンと共に居た頃からすでに、シバは倦んでいた。こぼした愚痴の全てが一瞬の間に想起される。

 跳ぶ。飛ぶ。地に指先をこすりつけてターンし、走り出してすぐに反転する。サームの重量をカウンターにして体を傾がせる。傾けたまま残り二本の腕を振りかざす。

 結局ユアンはいつも通り自分勝手なアーティストで、大規模な犯罪的作品ですら多分個人的な、シバへの贈り物でしかない。


 ユアンはアホ。アホはパートナー。


 ピラーの動作は事前の予定、セットアップされたプログラムの範囲を超えて、無情報ループを形成し震わせていた。


 世界は相互作用。相互作用は踊り。


 時間を刻むように爪先を連続して振り下ろす。細かなステップが雨滴のように地面を叩き、微動が重なり体を新たなテンポで覆う。

 ピラーがしなる。地震や強風対策の主柱変形機構が、あまりに大きな動作の振動群によって駆動している。揺れる舞台の上でシバは急激に速度を変化させ続けながら小さな肉体を巨大なピラーと共に展開し収縮し、引き絞り解き放ち、あとはもう何も考えずに、跳躍する。


 伝わる全てが跳んだシバに集まり、最後のフィードバックが生じる。

 そして落ちる。飛翔から接地へ、始まったものが終わる。必然の終着として、闇に降りる。


 これは世界。世界は諦念など抱きようがない意味の源泉。


 ぶつかる。熱と痛み。


   *


「おー、おー、どいつもこいつも凄い再生数だな」


 ラブリュスが上機嫌にタブレット端末を覗き込んで笑う。ほの暗いアパートの一室でギラギラ輝く髪を揺らしながら微笑む老人は中々に不気味だった。


「私が直で映ったものがあまりなくて良かったよ。消すの大変だし」


 シバは嘆息して、タブレットから目を離す。

 二人がいるのはラブリュスが用意したアジトの一つだった。あの晩の踊り――信じ難いことにたった半時間ほどの出来事だった――は当然ながら大きな騒ぎとなり、犯人が特定されたわけではないもののシバもラブリュスも自宅でのんびりしているわけにはいかなくなっていた。しばらくは木こり(ランバージャック)としてこの事件の推移を見守り、自身の関与が明らかにならぬよう動く必要がある。


「良い作品になったもんだ。共同制作者の俺も鼻高々だな」


 老人はずっと得意げだった。無理もない、とシバは思う。地上の人々によって撮影されたピラーダンスの様子は今やSIN上で一大コンテンツだ。ラブリュスは名前こそ出していないが、実質としてその製作者という称号を得ている。一方でシバの肉体に残ったのは、生きてることを後悔しそうな筋肉痛、肉離れ、疲労骨折といった負傷の数々だった。生きてピラーを降りられたのは奇跡に近い。

 精神の側には、そんな傷の痛みの総和とは別の何かが息づく、かもしれない。と、動画を見ながらラブリュスが出し抜けに、


「ちょっと面白い話なんだがな、シバよ、このダンスに関するSIN上での言説には、デマが明らかに少ないんだ。SNSやらを解析にぶち込んだんだが、分からない部分は分からないとそのままに語る者が多くてな。他の話題と比較すると、ピラーダンスの夜に関するナラティブは明らかに、全然、育ってない」


 と語る。

 シバは「そう」とだけ返す。それが何を意味するのか――それほどドラマチックに、都合の良い話にはならないだろう。踊り一つで人も社会も変わりはしない。がらりとは。相変わらず世界は個々のナラティブに引きこもっている。とはいえ、一つの揺さぶりになったのならば、悪い事ではない。


「実際、ユアンの構想は見事だった」


 深い実感と共にラブリュスは語る。


「言語的意識をショートカットして直接、動作によって普遍性というコミュニケーション可能性を人々にショックとして与えたんだ。見るものイコール通信であるために、そこにアートを仕込むことで直接魂をノックできた。人々の意識に、都合の良い想像を作る余地もなく、想像の外の宇宙からの蹴りを入れることができる。ふむ、考えてみれば、可視光だけじゃない、もし人類の大規模広範囲通信が音や味や香りや手触りで行われていたとしても、同じようなことができたかもな」


 調子のよさそうな声に、シバは水を差すべく問いを向ける。


「じゃあ、そのどれでもなかったら? 人が直接感じ取ることのできない何かを媒体とする通信こそが主体だったら?」


 しばし老人は考えこみ、それから「まあ、決まってるわな」と手を叩く。


「簡単だ。言葉を使うんだよ。言葉をな。元々俺たちの通信だって言葉を光に変えて言葉に戻すって代物だ。言葉は視覚像ほど即効性がないから難易度は上がるかもしれないが、その分長期的な効き目は強い。言葉ってのは遅効性だからな。魂をキックするのがダンスなら、意識にパンチするのが言葉さ。打ち込んで、後から後から効いてくる。粘土板や石碑や羊皮紙だって古くからある情報ネットワークだ。できるはずさ、きっとな」


 人々は言語を含む情報通信によってナラティブに引きこもるようになったが、同じ言語によって百年前や千年前からは想像もできないほどに、人倫や公正や正義といった意味を普及させてもきた。そんなことを、ラブリュスはシバに言って聞かせる。


「結局のところ言葉も動作も関係なく、人間が人間とのコミュニケーション可能性、整合性、普遍性を感じようとするかどうか、ってこと……」

「そもそも、ナラティブ化する人々は実のところ自分のAIが表示する気持ちのいい言語的な物語にしたって、半分も読んでないのさ。字面や単語、映像や音の印象で何となく気分を高揚させるだけ。それは今回俺たちがやったダンスと表裏一体の現象だ。言語と言語で無いものはどちらもそこにあって人を堕落させもするし、その逆にもできる」


 タブレットの画面の中で、ピラーが踊り続ける。

「人は言語以外の面で魂を揺さぶり、言語によって意識を導くことができる。諦めることも倦むことも何一つねぇってこったな」


 笑う彼に、シバは一つ思いついて、尋ねる。


「ねえ、ラブリュス。あなたはユアンのアート仲間でしょ。彼女と比べて私の踊りは、どうだったの」


 この問いは、予想していなかったらしい。元気に話し続けていた老人は一瞬ぽかんとしてから、うははと大笑いする。

 そして一言、


「ド下手くそ」


 とだけ答えた。


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