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ノイズ・ダイヴァ  作者: 深津 弓春


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1 ランバージャック


 列島最大の都市の夜は、聳え立つ無数のピラーの明かりで照らされて、影と光のコントラストが激しい。夜がやってくるにつれて、ビルや鉄道駅や住宅の白い灯りにピラーの放つ赤や緑やオレンジの長距離灯の光が覆い被さる。秋と冬の狭間の冷えた空気の中で、光はシャープに視界を彩る。

 シバはそんな多重光の足元で、鉄道の高架下に造られた一軒の店の前に立ち、準備中の札を完全に無視してドアを蹴り開けた。ドアのガラス部に映るのは淡い色の赤錆のような髪を首元まで伸ばした二十歳そこそこの若い女で、ドアが勢いよく開くのに合わせてその像が歪んで見えなくなる。


「グスタボ。銃か何かが欲しい。クズを殺してくれたクズを殺すために」


 店内を見回しもせずに告げると、シバの予想通りにカウンターの中に立っていた大男――グスタボが、呆れたような眼差しを彼女に向ける。


「営業中に来なかった理性はまあいいとして」


 正に筋骨隆々といった体躯の彼は、短く刈った頭髪の下で困ったように眉を折り曲げていた。四十手前のこの男は肉体の鍛錬に余念の無い筋肉凝り性で、この『アート・バー』と自称する飲食店の主であり、更に言うとちょっとしたものならあれこれ手に入れてくれる調達屋でもあることをシバは知っていた。


「データ監視員から木こり(ランバージャック)になったと思ったら、今度は殺し屋にでもなったのか……」

「目立たず持ち歩けて間違いなく人一人ぶっ殺せるなら何でもいい。いくら?」


 一方的に言う。グスタボは心底どうしようもないといった風に肩をすくめて、カウンター奥の小さなドアの奥に向かうと、すぐに戻ってくる。雑多に酒やグラスが置かれたままの合板のカウンターに放り出されたのは、やや大ぶりで角ばった拳銃だった。


「ボルトガンだ。コイル加速でニードル・ショットを束で連射できる。反動はほとんどないし、ワンマガジン撃ち込めば装甲でも着込んでない限りまず確実」


 黙って手に取り、シバは少しの間銃を観察した。機構自体は単純で、マニュアルをどこかからダウンロードするまでもなく使い方は分かる。マガジンも受け取り腰のポーチに放り込む。と、グスタボはそんなシバから視線を逸らして、店の一角、床を一段高く整えた、小さなステージを見やる。アート・バーとグスタボが自称するここはほとんど単なる雑多な酒と食事のための店だが、このステージでは様々なアーティストが思い思いの作品を客に見せていた。


「ユアンのことはケリがついたのか」


 グスタボの問いに、シバはイエスともノーとも答えられず、とりあえずありのままを説明した。


「直接やったのは群集だから誰が誰か分からない。だから、発端になった与太話を流したクズ共をとりあえず破滅させることにした。で、そのためにナラティブ屋に依頼した」

「破れかぶれだな。ナラティブ屋ってあんなもん、デマ創作の、クズの総本山の一つだろ」

「その通りで、仕事が終わった後でそいつは私を脅迫してきた。仕事の記録は全部保存していて、つまり私が依頼してデマを創作させて流させたことがばらされたくなくば、ってわけ」

「デマ屋がデマ流布で脅迫か」

「私だけじゃなく顧客は基本脅迫対象なんでしょうね。で、今からそいつを始末しようってこと」

「やれやれだ。捨て鉢もいい所だな。場所は分かるのか」

「勿論。私、腕のいい凝視者(ゲイザー)だから」

「ナラティブ屋に頼んで破滅させた相手のことも自分で調べたのかい」


 頷くシバに、彼はステージの方を見たまま首を振る。彼の脳裏には、そこで奇妙な踊りを披露する一人の女性が想起されているのだろう。シバもまた同じものを想像する。ユアン。一緒にこの店に何度も訪れた。


「そいつ、気を付けて持ち歩けよ。金はいい。まあ、使う必要もないとは思うが」


 ポーチを目で指して注意するグスタボに軽く礼を言って、シバは店を後にする。


   *


 情報が光となって街の上空を駆け巡る。メッシュ状に張り巡らされたSINの情報網は街を覆い、国を覆い、今や地球をも覆っている。


 一七九三年七月十二日、クロード・シャップはフランス国内、ベルヴィユ、エクアン、サン・マルタン・ド・テルトル間において腕木通信の公開実験を実施し、これを見事成功させた。彼はそれ以前にも通信装置の開発を行っており、腕木通信の原型ともいうべき装置も別に存在したし、その装置もまた古代の様々な通信装置に源流を求めることができるが、一般に現代のネット――SIN《セマフォア・インターネット》の始まりと言えばこの一七九三年とされることが多い。


 腕木通信とは、可動式の複数の棒を組み合わせて作る信号を、バケツリレー式に伝達する通信を指す。腕木はちょうど漢字の「山」を上下反転させたような形状で、真ん中の棒と横棒の接点、そして横棒と横棒の両端の短い棒の接点が可動部になっており、それぞれの棒の角度を変えられる。この腕木を見晴らしのいい場所に置き、その足元に作られた小屋の中から機械的な仕組みを通じて腕木を操作する。操作に応じて腕木は角度を変え、様々な形状を作り、これを別の腕木小屋から望遠鏡で読み取って、その小屋でも同じ形を作り、それをまた別の小屋が……と続く。腕木の形状としてコード化された情報が、小屋から別の小屋へと可視光として伝えられるこの通信は、当時郵便馬車が一日か二日もかけてメッセージを届ける距離を、僅か一、二時間ほどで繋ぐことに成功した。その通信速度は平均で秒速千数百メートルにもなったというのだから、当時としては革命的という以外にない。


 腕木通信はその後フランス革命とナポレオンの台頭、王政復古の時代を経て、フランス国内にとどまらずその範囲を拡大し続ける。同時に技術的な進歩が少しずつ装置を改良し、産業革命や世界大戦中の急速な技術進歩、その後のコンピューター技術の進展の影響を受け、怪物的な変化を遂げていった。

 送受信される情報は単純な言語メッセージからリアルタイムでの高精細な映像にまで発展し、腕木はS(セマフォア)ピラーと呼ばれる巨大な機械式の塔へと姿を変えた。


 シバは都市の街路を歩きながら、あちこちの空に聳え立つピラーを視界に入れる。ピラーには無数の可動部が仕込まれており、最早元々の腕木とは似ても似つかない。大樹の枝葉のようにピラーの中心からは多数の細い可動腕が伸びており、その全てが無数の可動部を持ち、繊毛のような大量の突起が蠢き、小羽根のようなパネルがパカパカと開いては閉じて、プロペラのようなフィンが狂った時計の針のように角度を変え続ける。全ての動作が高密度情報通信のための動作だ。一八〇〇年頃の腕木通信の通信手がこれを望遠鏡で見たならば、あまりの情報量に昏倒する他にないだろう、という眺めだった。今では「腕木」のモーションからコード化された情報を読み取るのはカメラとコンピューターの仕事であり、例外はシバのような通信用のセマフォア義眼の持ち主だけ。


 セマフォア義眼は、腕木通信の膨大な動作を捉えて直接データを取得したり、逆に眼球表面の発光パターンで小容量のデータを発信する機能のある眼球で、ピラーの通信動作を強調して捕捉したり、視覚の時間分解能を上げて高精度な読み取りを行う機能を持ち、カメラを介さずに複雑なネット通信を読み取ることができる。義眼は生体素材で脳と接続されており、受け取った腕木信号は眼球内でデコードされ文字や映像などの情報となった上で、一般にはライトフォンなどの個人用端末などに転送されその画面で閲覧される。

 だがシバはデコードした情報を脳で直接受け取れる、そこそこ貴重な才覚の持ち主だった。ダイヴ――情報を「直視(ダイレクト・ヴュー)」できる者、ダイヴァと呼ばれる人間の一人というわけだ。

 ニュース、金融情報、娯楽映像、生放送番組、学術データ、そしてSNSのような雑多な個人の書き込みの群……その全てが地球の空をピラーからピラーへと伝わっているのがシバには直接見える。ビルの上から伸びた異形の柱から柱へと……。


 ここまで発達した現代の高度情報通信社会が一体どういうものか。シバはピラーに目を凝らす。無数の人々が、それぞれに都合の良い妄想的なデマをせっせと流し、ありとあらゆる悪徳が正当化され、事実も真実も屑籠に放り込み、代わりに現実を解釈するための口当たりの良いナラティブ(物語)がせっせと生産され、SNSや動画サイトに巨大な渦を巻いている。一瞥するだけで、ピラーにはそんな情報の「情景」が山ほど見える。

 このような情報の群は今ではしばしば暴走し、社会に惨禍を巻き起こす。そうして例えば、シバがかつて共に暮らしていた、踊りと惰眠をこよなく愛する一人の女性が、街路でリンチに遭って死亡したりもする。


 シバは古い集合住宅が立ち並ぶ区域に入り、暗渠になった細い通路を抜けて、小さな縦長のビルに至る。外階段で三階まで登り、各階に一つしかない入り口ドアを確認する。錠はかかっていなかった。

 迷わず開け放って、シバは室内に足を踏み入れる。雑多に物の積まれたごく小さなオフィスといった部屋に入り、同時にポーチから銃を抜いて奥に進む。

 メインのルームに入ると同時にそこにいるはずの人物に向けてシバは声をかけた。


「トネ。シバだよ。殺しに来たから」


 ほとんどあてずっぽうで銃を向けると、果たしてそこには人影があった。電灯もついていない暗い室内に、座った誰かと、立った誰か。二つの人影が。

 一人は安っぽい事務椅子に電気コードで括りつけられた小男で、これがトネだった。ネットデマの創作と拡散を生業とするクズの一人で、シバのために働き、その後シバを脅迫してきたナラティブ屋の男。誰かを炎上させたり、追い詰めたりするための大義名分を創作して、さも事実のように、そういうものを信じたがる人間の元に流布する。それがナラティブ屋だった。戦争のために歴史や民族や宗教の問題を「創作」して煽る国家規模の情報戦略みたいなものの、個人版だ。トネはそうしたクズのストーリーライター兼拡散屋としての腕は良かった。

 もう一人は、トネの背後に立つ老人男性だった。皺だらけの細身で、引き締まった筋肉質のボディをもつ老人。長い癖のある髪を、虹色のホログラム色に染めて輝かせている。


「こいつさん、失業の危機にあったみたいだな。今どき個人や集団を貶めるデマなんて、AIが半秒もあればダース単位でディテールまで凝ったものを生成するってんで、年々仕事が減ってたらしい」


 トネの頭をごつごつと拳で叩いて、老人が声を発する。トネをよく見ると、左右のセマフォア義眼が潰されており、更に片腕もおかしな角度に傾いでいた。気絶しているらしくピクリともしない。


「で、最近は脅迫業に精を出していたらしいが、そのために貯め込んだ情報の全てを街のあちこちに物理保存してたらしい。ご丁寧に有線で全部繋いでな。このご時世に、馬鹿なケーブル主義者ってわけだ」


 縛られたトネが、口の端から唾液を垂らしていた。死んではいないらしい。


「お前さんの依頼の件も含めて、消せるだけ消したよ。その上でこいつの仕事に関するあくどい情報を拡散してやった。いつものこいつの手口をそっくり真似してな」


 明日にはこいつもネット炎上有名人の仲間入りだ、破滅だな、と意地悪そうに笑う老人に、シバは銃口を下ろして尋ねる。


「誰?」

「おいおい、ご挨拶だな。会ったこと、あるだろ。ユアンの奴と一緒に」


 言われて、ようやくピンとくる。ド派手な髪には確かに見覚えがあった。


「ああ……ユアンのアート仲間――確か、バーで何度か見かけた」

「ラブリュスだ。ユアン含めて皆からはそう呼ばれている」

「それでラブリュスさん、どうしてこんなところで、こんな真似を?」

「あんたが陥れられようとしていると小耳に挟んだんだ。それで、このクズを、先に上手く始末してやったのさ」

「何の必要があって?」

「ユアンは友人だった。アーティスト仲間と言っていい。彼女の友人であるお前さんはだから、友人の友人だな。だからさ」

「理由になってない」


 老人、ラブリュスは、掠れた笑い声を一つ上げてから言葉を続けた。


「実際の所、ちょいと協力してほしいことがあるってこと。次に作る作品で、やってほしいことがある」

「義理ないでしょ。お互い」

「そうなんだがね、しかしきっと、きっとだ、気に入ると思うんだがな、この作品は。お前さんが嫌うこのバラバラの世界に蹴りを入れる代物になる。ユアンから聞いていてな。お前さんの願いってものを、少しは知っているんだ」

「私が、何を願うって?」


 あまりに馬鹿げた放言に、シバは頬がひくひくと痙攣するのを感じていた。笑いと苛立ちが皮膚上でコンフリクトしている。ラブリュスはと言えば、そんな様子など露ほども気にかけず、トネを縛った椅子をトネごと蹴倒して、にやりと笑む。


「勿論、希望に理想に正義にその他諸々さ。客観性、普遍性、整合性だ。人々が、各々の妄想的ナラティブに後退せず、むしろ普遍の意味に前進することで形作る価値だ」


 彼の発した言葉に、シバは強烈な覚えがあった。かつて自分が語ったことだったからだ。ユアンに、たった一度。だから彼女は、続きの言葉を待たず、自分の口から発した。


「世界という意味の啓蒙」


 したりと、ホログラムの髪を揺らして老人が笑みを深くする。そして、とどめとばかりに告げる。


「今回俺がやる作品はな、実は共同制作なんだ。俺と、ユアンのな。彼女にとっては遺作ってことになる」

「ユアンの……」


 あのデカのっぽ寝こけ女の。出鱈目踊り女の。


「でも、私は何のアーティストでもない。ダンサーでも彫刻家でも画家でも音楽家でもない」

「知ってるよ。だがお前さんにしかできないこともある。サードアイの使い手、名うてのゲイザー、そしてユアンの相棒さんよ。ユアンの指定なんだよ。こいつを演(や)るにはシバを使うべし、ってな」


 老人は、暗闇の中でウィンクする。だいぶ気色が悪かった。


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