85話
ある日、リベンはトモイに尋ねた。
「お前は競技性ケンランの試合を見るのが好き、演技性ケンランも好きでそっちの道に行くつもりなんだよな」
「そうだよ」
「競技性で培った技を演技性の方で活かしたいということか?」
演技性の方は競技性の倍以上の市場規模がある。それでもより稼げる方だけ残すのではなく、協会が意図的に両方残しているのには意味がある。競技性の方は主に新しい技を、演技性の方は主に新しい表現を作り出し、相互に影響し合って質を高めている。客受けを考えず、こんな新しいことができるようになったと紹介する場もあり、そこで紹介された技術が改良されて使われるようになることもある。
「確かに技が活かせるというのもあるけど、僕が競技性ケンランを好きなのは利用するためというよりも、単純に好きだからかな。すごい人たちの試合を見るのが楽しい。じゃあ僕がしたいことはというと…言うなれば歴史に残るものを作ること。一時代を築くものと言い換えてもいい」
リベンはその言葉を聞いて警戒した。そう言っていた母が事件を起こした話を思い出したためだ。
「考えてごらんよ。一時代を築いた作品を見ても、後の時代では別段優れたところが見えないことがある。当時としては画期的だったけど、それが標準となっている現代ではすごさが分からない。当時画期的な演出でも今ではみんなやっている演出となっていて普通のことに感じられたりね」
「確かにそういうことはあるな。鑑賞作品に限らず機械や料理でもあるかも」
「うん。それで僕は思うんだよ。歴史に残る作品というのはその時代に画期的なもので以降の時代では標準になるものだと。ただし、真似されないようなものはただ変なだけで画期的ではないし、過激なだけなのも画期的ではない。あまりに離れすぎていると理解ができないからだ」
「だろうな。例えば死人が出るような過激な試合をすれば歴史に残るなんて悪名しか残らないと思う。やはり、ちゃんとしたものじゃなきゃな」
「そうだね。そして、現代に残ったものから昔を知るけど、現代に残らなかった無数の挑戦もあるはずなんだ。僕は挑戦するよ」
リベンはトモイの話を聞いて安心した。そして自分に対しても、何か残したいと思うことに対する恐怖感がすうっと消えた。それを考えれば母のように凶行に走るのではないかという不安が薄っすらとあり、自分の手で何かを残したいという考え自体を避けていた。
「壮大な夢だな」
「その方が楽しいからね」
「…そうだな。頑張れよ」
「うん」
リベンとトモイは軽くグータッチして自然と笑みがこぼれた。
それからおよそ12年後。平日の夜。
その日、プロの競技性ケンラン選手となったパーリラは引退試合を終え、挨拶や取材を終えて22時を回っていた。今日は帰宅し、来週の休日に今季の引退選手たちの送別会が行われる。
車で迎えに来たリベンはパーリラを連れて夜道を運転した。暗い車内を外の明かりの横を通る度、照らしては薄れ、照らしては薄れと繰り返していった。
パーリラは宙にウィンドウを出してこれから家に帰る連絡をしてウィンドウを閉じた。
「これでパーリラは引退か。お疲れ様」
「本当よ。ちょっとゆっくりさせてもらうわ。学園で教師やるのはもう少し先ね」
「俺は3か月後の試合で引退だからもうひと踏ん張りだ」
「もう自分の試合は無いし残りは全力で応援するわ」
車は暗く静まり返った住宅街に入り、自宅に着いて駐車して2人は降りた。パーリラがそっと家の鍵を開けると、リビングにいたメランドが気づいて玄関へやって来て出迎えた。これから家に帰ると連絡を送った先はメランドだった。
「ただいま」
「おかえり。子供たちは寝てるからそっとね」
「うん」
「ただいま」
「おかえり。お迎えお疲れ様」
リベンも家に上がり、玄関をそっと閉めて靴を脱いで家に上がった。
リベンとパーリラはそれぞれ別のシャワー室でシャワーを浴びて着替えた。その後、パーリラは寝室に行って寝ている子供たちの頭を優しく撫でた。その顔は慈愛に満ち、穏やかな笑みを浮かべていた。
その後、リビングに行くとリベンとメランドがお茶を飲んで休んでいた。
「お疲れ、夜食に何か食べる?」
「今日はやめとくわ。お茶だけもらう」
「ん」
パーリラはいつもの席に座り、メランドはお茶を淹れて、お椀を前に出した。
「ありがとう」
メランドは自分の席に戻って座った。
「今日で選手引退。今まで助かったわ、これからはもっと家事に関われると思う。リベンはこれからラストスパートだからその分も私がやるわ」
「やった。だいぶ楽になりそう。そうなるとうちの会社に復帰したいけど、それはもうちょっと子供たちが大きくなってからだね」
メランドは嬉しそうに手を組み、上に上げて胸を張って伸びをした。
「私はもう引退したし、あの子たちの弟か妹、作れるよ」
「…そうだな。そうしようか」
「パーリラにはあの子たちのお世話で沢山助けてもらったから、その時は私が助ける番だね」
「よろしくね。経験者がいるのは心強いわ」
「経験から言えば、子供を任せられる人がいて外出して気分転換できるのは良かった。そうだ、暫く休みなら今度子供たち見ててくれない?また外出したい、できればリベンと」
「分かったわ。いつにする?」
「もう夜遅いし、また明日決めてから話すよ」
「了解」
メランドは口元を手で覆い、眠そうに欠伸をした。すっかり眠そうな目をしていた。
「さてと、私はもう寝るね。今夜は私が子供たちと寝るから。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
メランドは立ち上がってお椀を片付け、子供たちの寝室へと入っていった。
「じゃあ俺たちもそろそろ」
「そうね」
2人はお椀を片付けて別の寝室へと行き、リビングの明かりを消した。無人で無灯火のリビングは静寂に包まれて夜が更けていった。
彼らの関係は普通ではない。普通の幸せの形ではない。ケンラン選手には見られがちな普通ではない形。しかしそれでも互いを想い合い、支え合い、本人たちは幸せに過ごしたのだった。
ユリブラン学園の裏山は紅葉や黄葉でまだらに色めき、寒風の吹く学園内の木々はカラカラに乾いた枯れ葉を揺らし、乾いて擦れた音を立てていた。
亜綿郎は今日も建物の壁を通じて人々の営みを、人間社会の外から眺めていた。生徒の関係だけでなく、人間社会そのものを眺めていた。
この世界では謎のAR技術が浸透しており、大画面スマホが必要ない。宙のウィンドウである程度操作ができるが、長文のタイピングに難があり、ガラケーのような折りたたみ式の端末の物理キーでの入力を好む。元いた世界とは違って分離する形に進化したところが面白い。
この国が加盟している大海洋同盟では、加盟国内で使える共通決済通貨が存在する。加盟国間で使える変動相場の共通通貨だ。それぞれの国が自国の通貨を持ち、この決済通貨を一度挟んで外国と貿易を行う。元いた世界では基軸通貨がその役割を果たしていたがここでは決済通貨がそれに代わって存在する。元いた世界と違うアプローチをしていて面白い。
亜綿郎は人々の営みを面白く感じていることに自分でも驚いた。人間がどうなろうと自分は関係ないというのに興味を持っている。彼の中で何かが変わって来ていたのだ。人間関係から離れて休息となったことで、余裕ができたのだ。
彼は人付き合いに疲れていたが、人が嫌いなわけではないと気づいた。頑張る若者たちを見て応援したくなった。普通ではない人たちが、普通ではない形であろうと幸せを掴み、それを失わないように努力する様子に解放感に似たものを感じ取った。
彼の真面目で、正しくなければならない、人に認められないという思いが強すぎて疲れていたが、ここで変わった人々が懸命に生きて認められていくのを目の当たりにして心が軽くなった。
壁に生まれ変わった時は、人と関わらずに済むなんてすばらしい、人間なんて面倒だったと思った。しかし今は考えが少し変わっていた。また人間に生まれ変わるようなことがあれば、それもそんなに悪いことじゃないと思えた。
そして建物に囚われていた彼の魂は天に召され、再び体から解放されたのだった。
完
これにて完結です。ご愛読ありがとうございました。
皆落ち着きはあるけどそれなりに個性的にできたと思います。
一度中編か短編か書いてまた長編が書きたいですね。




