58話 A10
リベンは寮に戻り、風呂に入って雨に濡れた体を温め、夕食を食べて部屋に戻ると、携帯に通知が入って細長いランプが点滅していることに気づいた。
近づいて宙にウィンドウを開いて読むと、そこにはシュロンから約束の朗読のために部屋に来るように書いてあった。あまり遅いと人の多い談話室で読んでもらうとのこと。本気か冗談か、シュロンの淡々とした文章だけでは判断できなかった。
今から行くと返事をして、シュロンの部屋に向かった。共有部の廊下で待ち、人気が無い時を見計らって素早く彼女の部屋の前に行き、ノックをした。
「はい、どなた?」
「リベンだ。開けてくれ」
「ん。待ってたよ」
扉が開き、リベンは足早に部屋の中へ入った。シュロンは少し緊張した様子で部屋の奥へ案内した。
「今日の勝負良かったよ。こんなにやり取りが続くなんて大満足。もっと早く勝負決まること多いから」
「それは良かったな。まあ、楽しかったけど悔しさの方が大きい」
「ふうん。じゃあ約束通り朗読してもらうよ。悔しがる相手に命令を聞かせるのもいい。分かる?」
シュロンは緊張が残ったままニヤリと笑った。
「分かるけど…で、どの本だ?」
「これ」
シュロンは机の上に用意してあった本をリベンに渡した。あらすじを読んでパラパラとめくって見たところ普通の小説だった。
「じゃああたしは向こうに座るから読み聞かせて。立ったままの方が声が出しやすいならそれでいいし、椅子に座っても別にいいよ」
「じゃあ座って読ませてもらう」
リベンは勉強机の前にある椅子に腰かけ、椅子を回してベッドを背に座布団の上に座るシュロンに朗読を始めた。
「これは私の知るとても勇敢な男の物語。あなたにもぜひ聞いていただきたい…」
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その話はサバイバーズギルトを扱った小説だった。語り手が読者へ話を聞かせるという形で始まる。事故で友人たちが死に、自分だけが生き残った主人公は罪悪感に苛まれ、幸福を掴めないでいた。
彼は自分から楽しいことを探そうとはせず、運よく楽しいことに巡り合えても、自分だけがいい思いをしていいのだろうかと罪悪感が湧いて苦しむ。
辛いことを忘れて楽しい思いをした後でも、落ち着いて来ると死んだ友達たちのことが薄れていくようで、自己嫌悪に陥る。特に仲の良かった親友の夢を代わりに叶えてやろうと不向きなことに苦しみもがく様は見ていていたたまれない。
重く悲痛な小説だ。その悲しくも美しい旋律を奏でるような文章に魅力を感じる。俺には優れた芸術センスも読書経験の蓄積もないから、何となく綺麗だなと感じるくらいしか分からないことに自分の至らなさを感じる。
一章が終わったところで一旦止まり、そこでシュロンが制止した。
「ありがとう。5分くらいと言ったけど、沢山読ませちゃって。お茶出すね」
「ああ、ありがとう」
シュロンは立ち上がって隣の部屋にお茶を取りに行き、リベンは本を閉じて内容を考えた。
客観的に見れば、この主人公は気にし過ぎだろうと思う。しかし、事故の当事者である主人公はそうは思えないのだろう。
自分だけが幸せになってはいけないというのは、そもそも考える必要がないんじゃないだろうか。友人たちが生きていようと死んでいようと、自分の幸せを求めることと関係がない。
親友の夢を代わりに叶えなければならないというのは、そもそも自分の夢を叶えられる人は一握りだから、叶えられなくても罪悪感を感じる必要はない。
楽しいことで彼らの記憶が薄れていくようで自己嫌悪に陥るというのは、残酷なようだが打算的なことを言うならやめた方がいいだろう。死んだ人間よりも目の前の人間の方がこれから生きていく上で重要だろう。限りあるリソースは有効に使わなければならない。
今のところ勇敢な部分が分からないが、この後出てくるのだろうか?語り手とはどのような関係なのだろうか?
リベンは客観的にその主人公のことを考察していた。冒頭で語り手が読者に話を聞かせるという形式で、読者を客観的な立場に誘導する効果があり、その影響を受けていた。
シュロンは冷たいお茶を持って来てちゃぶ台の上に置いて手招きした。リベンは座布団に座り、コップを受け取ってお茶を飲んだ。
「なぜこれを俺に読ませた?」
「綺麗な文章だから音で聞きたかった。男の人の声だとどうなるかも気になってね」
「……」
シュロンの顔に少し緊張の色は見えるがそれでも落ち着き払っていた。
嘘っぽい。いや、正確に言うなら、そのこと自体は嘘ではないだろうが、一番の理由では無いだろう。おそらく俺が反応するか探っているのだ。過去に何かあったかを探るべく、よくもこんなものを読ませたな!と怒ったり、トラウマで言葉に詰まったり声を振るわせたりするかを観察しているのではないか?反応が無いようなら別の理由かと消去法でいける。
「まあ綺麗なのは何となく分かった」
「普段はリズミカルですらすらと読めるように出来ていて、苦しい場面では勢いのつく長い文の後に短い文が何度も挿入されて勢いを殺すような文章になってるんだ。まるでアクセルを踏んだと思えばブレーキがかかるような。だから抜け出せない苦しさがより際立つ」
「へー…そうだったのか。気づかなかった」
シロちゃんは剣術では相手を引っかける戦い方をする。規則性が分かっていれば、それを崩すことで相手は読み外す。もしかしたら本を楽しく読む時…いやそれだけでなく普通に生きているだけで、規則性やリズム感を見出して鍛える修行になっているのかもしれない。剣術だけやってるよりも強いだろうな。
「途中までで気になるでしょ?貸してあげるよ」
「うーん…俺が本を読むかなあ」
「いいから持って行きなよ。少しは本を読んだ方がいいよ。小説以外もあるから、ついでに持って行きなよ」
「そんなに一度に読めない。その小説だけ借りるよ」
「そう?じゃあはい」
シュロンは立ち上がり、朗読に使われた本をリベンに渡した。
「あ、もちろんだけど汚したら弁償してもらうから。持ち運ぶなら綺麗な鞄に入れて、読む時は綺麗な手で。お菓子掴んだ手で触ったりしたら許さない」
「大丈夫。借り物をそんな雑に扱わない」
「良かった。大事にしてね」
シュロンは多くの本を読み、心を動かす言葉の力を信じている。彼女の持っている本の中には言葉では伝わらないという原則に則る小説もあるが、それはその作中世界のルールだと考え、彼女は本気にしていない。読めば心を動くのだから、言葉に力はあると考えている。
彼女はリベンの過去に何があったか知らないが、過去の何かに囚われているのを感じ取っており、考え方の助けになればと思い小説を音読させて目と耳から入って行くようにした。普通に貸しても読まないだろうと思い、決闘で負けた方が朗読という条件で読ませた次第だ。
もしその小説の内容と状況が完全に一致するものだった場合は詮索しないでくれと言われていたのに調べていたのかと心を閉ざされる可能性があるため賭けだった。しかし結果は、心を閉ざされることはなく、少し警戒されたが関係が壊れるほどではなかった。
「とにかくこれで約束は果たしたし、決闘も満足いく勝負だったし、あたしはこれで満足」
「俺は…」
リベンは言いかけて迷った。
シロちゃんは満足したのだからもう復讐計画の方へ進むことができる。俺個人的には鍛えてまた挑みたいが、それを言い出したらキリがない。しかし、もしここで俺も満足したと言うようであれば不自然に思われそうだ。かといってまた挑むと明言すれば約束を破ることになりかねない。
「打ちのめされた直後でまだよく分からないや」
「そう…。まあそういうこともあるよね」
「それじゃそろそろ帰るよ」
「ああ、ありがとね。おやすみ」
「おやすみ」
リベンが立ち上がり、シュロンも立ち上がって先に廊下に出て周囲を確認した後、手招きした。リベンは外に出て足早に女子寮を出て共有部分にやって来た後、歩いて自室へと帰っていった。
その本の内容はリベンにはすぐには響かなかった。決闘で感じたこと、考えたことで頭がいっぱいだったためだ。しかしその夜、寝ている間に頭の中が整理され、遅れて心に影響を与えていくのだった。
来週の更新はお休みします。続きは再来週。




