第0,2話 「光り輝く目標」
この物語は第一部より過去の物語となります。
しかし、まだ第一部をお読みになっていらっしゃらないのでしたら、そちらのほうを先にお読みになることをお勧めいたします。
◇1
カタカタカタカタカタカタ……
重たく緊張した空気。
授業中だというのにもかかわらず、教室の中はそんな雰囲気に包まれていた。その空気を作り出しているのは、カタカタとスマートフォンをタップする音を生み出している一人の女子高校生だ。
机の上に堂々と足を乗り出して、偉そうに座る彼女。ガングロの肌に、人工的な金色のボサボサ髪は、妖怪山姥を連想させる。もちろんノートを取ることもなく、右手は忙しく携帯電話をいじり、左手はカーディガンのポケットの中へと収まっている。一言で説明すれば、どこにでもいるようなチャラい女子高校生だ。
そんな彼女は教室の後ろ中央の席にどかんと存在し、教室の空気を異質のものへと変えていた。そう、彼女はこの教室の長と化していたのである。彼女の支配下には、教師も置かれている。
「……で、あるからにして、ここにXの値を代入してやると……」
温厚なことで有名な数学教師の鈴木は、今年で還暦を迎える。その性格から不良の女子生徒には逆らえず、こうして冷や汗を流しながら授業をしているという状況だ。
――カタッ
唐突にスマートフォンをタップする音が止むと、クラス中の全員が縮こまった。彼女が動く。それを恐れているのである。
その女子生徒は、厚く口紅が塗りたくられた唇を開いた。
「あー、ひまぁー」
わざとらしく大きな声に、鈴木は黒板に走らせていた手を止めた。しかし、それでは彼女に呑まれてしまうと思い、すぐに板書を再開する。
「ねー、あたし暇だっつってんだけどぉ?」
鈴木は再度手を止め、彼女に振り向いた。それから、汗たっぷりの笑みを作り、勇気を振り絞って言う。
「な、なら、授業しよう……な?」
「あぁあん?」
女子生徒はギロリと鈴木を睨んだ。
これに鈴木は怯み、もう何も言えなくなってしまう。
すると女子生徒はつまらなさそうに舌打ちをし、席を立った。
「ま、待て! どこに行くんだっ、沖野!」
鈴木は止めようと声を掛けたが、沖野と呼ばれた女子生徒は無視して教室を後にしてしまった。
沖野未来、高校二年生。それは、クラスや教師を支配する無敵の妖怪だった。
「ねえ、未来。今日もいっとくっしょ?」
未来の友人のチエが彼女に問いかけた。その友人も、ガングロの肌に灰色のボサボサ髪と、未来に負けず劣らず妖怪臭を放っている。
彼女の言う、いっとく、とは、カツアゲをして回ることだ。それを資金として、夜の街を遊び歩くのである。
こういう格好をしてそうしたことをするのは、世間では非行だ何だと言われ、悪い行いとされていることを未来は知っている。しかし、知っているにも関わらずそういうことをしていることに、特にこれといって理由はなかった。むしろ、理由がないからしているのかもしれない。未来の両親は放任主義のため、彼女の行いに関して口を出すということは特にしない。クラスメイトや先生もあんなだから、周りに止める人はいなかった。その上、彼女たちは部活に所属しておらず、やりたいことも目標もなかったため、自制することもなかった。
特に止める理由もない。そう思って未来はチエに頷き、そして訊ねる。
「今夜はどこ回るよ?」
「駅前でいいんじゃね? あそこは土地ないやつがよく釣れるし」
駅前は、彼女たちのお気に入りだった。そこには、この辺りよりも遥かに田舎から来る者や県外の者も集まるため、絶好の狩場だったのである。
夜になると、ギラギラとした店明かりが照らす駅前の大きな通りから外れた裏路地を、彼女たちは歩いていた。未来やチエのほかにもう二人取り巻きが加わっての四人編成である。全員が全員、山姥そっくりのメイクをしており、その歩く姿はまるで百鬼夜行だ。
ここに、運悪く、暗い路地をとぼとぼと一人で歩いてきた女子高校生が、彼女らと目が合ってしまった。制服から察するにこの近くの高校の生徒だろう。その真新しさから、未来たちの一つ下の一年生と推測できる。山姥集団は狙いやすいカモに狙いを定めた。
「ねー、あーしら金ないんだけど、ちょっと分けてくんない?」
取り巻きの一人が女子高生に声を掛けた。
泣きそうな顔をする女子高校生だったが、山姥から目を逸らしつつも勇気を振り絞る。
「あ、あの……すみません、ちょっと困ります……」
だが、彼女のなけなしの勇気は、山姥の豪快な声によって吹き飛ばされてしまう。
「はっ? なに言ってんの? 金持ってんだろ、出せよ!」
ぐっと顔を近づけて威嚇する山姥に対し、怯えたように縮こまる女子高生。彼女に救いは無かった。そもそも人通りの少ない裏路地には他に人なんていない。それに、たとえ通りかかる人がいたとしても、この妖怪四人衆に逆らおうなんて考える人はいるはずがない。いるとすればそれは馬鹿だ。
だが、暗い裏路地に一筋の光が差した。
そう、その馬鹿が現れたのである。
「ちょっとお前ら、そのへんにしとけよ」
どこにでもいそうな普通の男子高校生。無造作だが清潔感のある髪型に、誠実そうな顔付きをしている。その男子高生が、この場のリーダー格と見抜いたのか、未来とチエに向かって声をかけてきていた。
なぜか未来には、その馬鹿のことがキラキラと輝いて見えた。しかし、馬鹿は馬鹿だ。未来は顔の前の雲を振り払うように首を振って、嘲るように笑いながらチエに訊ねる。
「なにこいつ? チエの知り合い?」
「なわけないっしょ。こんな冴えない男。うわぁ、サゲだわぁー」
本気でやめてほしいという顔で答えたチエに、未来は思わず聞き返してしまう。
「え、冴えない……?」
「ん、なに、未来?」
「……いや、なんでもねーよ」
本当のところ、未来は彼のことを冴えないとは思わなかった。美男だとかそういう話ではない。最初にキラキラと輝いて見えたのもそうだが、どことなく彼の態度や雰囲気が格好良く見えてしまったのだ。
急に黙りこくってしまった未来のかわりにチエが男子高生に言う。
「ねえ、これはあーしらの問題だから引っ込めよ。お家帰って大人しく●●●とか×××でもしてな」
「女の子がそんなはしたない言葉を……」
チエの恥じらいの欠片もない言葉に男子高生は呆れたように頭を抱えていた。それから再度未来たちに向き直って、軽い口調で諭しにかかる。
「まあいい。とにかくその子を放してやれよ。困ってるぞ?」
さっきは格好いいとか思っていた未来だったが、彼のこの一言に対し、かあっと頭に血が上った。
「てめっ、ちょづいてんじゃねぇぞ!」
未来が怒鳴ると、男子高生はやや怖気づいたようだった。よく見るとその額には冷や汗が浮かんでいる。もしかしたら彼は、初めからかなり怖がりながらも助けに入ったのかもしれない。
そんな彼は、たった今見せてしまった弱さを隠すように強がる。
「い、粋がるのはいいが、警察を呼んでおいたからそろそろ逃げたほうがいいゾ?」
声が変に裏返り、所々棒読みとなっていた。誰が見ても一目瞭然。どう見ても嘘である。
もちろん、未来たちはたじろぐことはせずに、仲間たちで顔を見合わせて下品に笑い声を上げた。彼女たちがおかしかったのは、何も嘘があからさまだったからだけではない。
未来が笑いながら言う。
「ウケるっ! 嘘が下手なのも笑えるけど、こいつ、あたしらがポリバビッって帰ると思ってやがんの!」
「な、なに? ポリバケツ……?」
「ちげーよっ! ポリバビる!」
ポリとは警察のことで、バビるとは酷く怖がることなどを言う。男子高生には翻訳の難しい単語だったようで、彼は頭上に疑問符を浮かべて首を傾げていた。
けれども、そんなこともお構いなしに未来は男子高生に笑っている理由を話す。
「あたしらはね、目標もなんもないの! だからぁ、ポリにウゼェこと言われようが、関係ねーの」
それは確かに、彼女たちにとって警察に関われば面倒なことは事実だ。だが、だからと言って、他に誰かから責められるわけではないし、今後の人生に関わってくるということもない。適当に反省したふりをしていればすぐ終わるから、ほぼ無害と言ってもいい。それゆえ、彼女たちにとって警察というものは、全く圧力として働かないのである。
形勢は彼女たちに有利。そう思われた。
しかし、男子高生の目が鋭くなった。
「目標も何もない。だったら、せめて周りの人の邪魔だけはするなよ。格好悪いだろ」
明らかに、さっきまでの彼よりも語気が強まっていた。彼はどんどん勢いを増すように山姥たちに立ち向かう。
「俺には目標がある。その子にだって……」
男子高生はカツアゲされていた女子高生に一度目を向けて、未来たちに視線を戻した。
「人は誰しも、どんなものであれ目標があるはずだ。そういった目標のある人にまとまりついて、お前らは寄生虫か何かか?」
ただでさえ短気な妖怪たちは、頭の血管が爆発する寸前だった。しかし男子高生は、起爆寸前の爆弾に対してさらにダイナマイトを放り込む。
「なあ、お前らには、本当に目標も何もないのか?」
このダイナマイトに、未来だけは頭を撃ち抜かれたかのような感覚がした。
――人は誰しも、どんなものであれ目標があるはずだ。
――お前たちには、本当に目標も何もないのか?
未来は、自分には目標というものはないと信じていた。実際、考えたところで思いつかない。だが、もしかしたら、目標というものは持とうと思えば持てるものなのかもしれない。気が付かなかっただけで、目標はすぐそこにあったのかもしれないのだ。
今まで持つことすらないと思っていた目標という存在に、彼女は精神を掻き乱された。
その脇で、チエをはじめとした三人が一歩乗り出す。
「てめぇっ!!」
しかし、未来だけは踵を返して歩き出した。
「ポリ捕まんのメンディーから帰ろ……」
リーダー格の喪失に群れは戸惑い、男子高生に逆らう気力を無くしたようだ。残った妖怪三人もすぐに後を追って退散した
「あ、おい、未来!」
「てめぇの顔覚えたらからなっ!」
「ちっ!」
妖怪を追い払ったことに、男子高生は安堵の息を漏らすのだった。
◇2
あの日から、男子高生に出会ってしまった日からというもの、未来はずっと考え事ばかりをしていた。
自分はどうして、あんな男子高生のことがキラキラと輝いて見えたのだろう。また、目標がすぐそこにあると気が付いた時、自分はどうしてあんなにも動揺したのだろう。
わからなかった。考えても答えは出なかった。そもそも自分は馬鹿だから、考えても無駄だと思った。でもなぜか、考えずにはいられなかった。
あの男子高生の顔が、声が、言ったことが頭から離れなかったのだ。
寝ても覚めてもそのことばかり考えていたせいで、普段あまり使うことのなかった頭を酷使しすぎて知恵熱まで出たほどである。
「未来、今夜もいっとくっしょ?」
いつものように、チエに誘われるが気分が乗らなかった。今まで散々やってきたことだが、どうしてか最近はこれが嫌なことに思えて仕方がなかったのだ。
「あたし今日はいいわ。ちょっと萎えた」
「は? ちょっと待てよ未来!」
沖野未来という妖怪が突然そんなにもやる気を無くしたものだから、最近周囲では、彼女のことを異様に思っている人が多いようだった。チエをはじめとした仲間たちも、付き合いが悪いと徐々に距離を置くようになっていた。
そんなある日、学校の裏口に未来の仲間たちが集まっているのを彼女は発見した。
「どこに行くの?」
何かただ事ではないことが起こりそうな気がする。そう思って未来が訊ねると、代表してチエが答える。
「あーしの彼ぴっぴがぁ、この前のあの冴えない男の学校突き止めてくれたらしーの。なんかぁ、日向高校の川島光輝とかゆーらしーよ。だからぁ、今からポコりに行こうってなったんよ。未来も行くかんじ?」
チエは、未来がまたいつものように自分たちと遊んでくれることを願ってそうしたのかもしれない。未来があの男子高生――川島光輝と出会ってから変わってしまったのは明白だった。だから、原因の根本である光輝を叩いてしまえば、未来は元に戻ってくれる。そう思ったのだろう。
しかし、これに対し未来はこれまで以上に嫌な感じがした。
「そんなこと、やめない?」
期待外れの未来のこの言葉に、チエは眉を吊り上げた。
「はぁ? 何言ってんの未来。ノリ悪いぞ?」
友人から向けられた初めてのその表情に困惑し、未来は委縮した。
「ごめん、その……」
そこに畳みかけるようにしてチエが声を荒げる。
「は? ぐちぐち言ってても分かんねーよ。はっきり言えよっ!」
未来はビクンッと身体を震わせた。本能的に怖いと感じて、言葉が浮かばなくなってしまう。このままではチエたちを止めることはできない。そうなれば、あの川島光輝という少年は酷い目に遭ってしまう。それだけは絶対に嫌だった。
未来は止まりかけていた思考に鞭を打った。
……中途半端に止めようとしても無駄だ。自分の仲間たちがそういう性格をしていることは重々承知している。彼女たちを止めるためには、自分の本音や思いをさらけ出して、本気でぶつからないといけない。
――あたしは、あの人のことをどう思っている? なぜチエたちを止めたい?
未来は自問した。が、やはりその答えは、言葉として出てきてくれるわけではなかった。
しかし、その代わりに、非常に強い感情となって帰ってくるものがあった。
目標を持っているという光輝の勢いある姿が、どうしようもなく輝いて見えた。自分も、そのように輝けるのだったら、輝いてみたい。自分は、あの勢いに、あの輝きに憧れているんだ。
――あたしは……あの人に憧れているんだ。
この感情は一言では言い表せない。生半可な言葉ではいけない。一番近い言葉は……。
「あ、あたし……あの人のこと好きになっちまったんだよっ!」
気が付いたら未来の口からはそんな言葉が飛び出していた。
でも、こんなんじゃ足りない。
チエたちの表情を見てそう思った未来は、付け加える。
「あたしっ、あの人に恋しちまったんだぁ!」
――これで十分だろう。自分の思いはちゃんとチエたちに伝わったはずだ。
達成感を覚えると共に、未来の脳は、そこでようやく自分の言ってしまったことに気が付き始めた。
――え、待って! わたし、好きとか恋とかっ! ええ!
顔を真っ赤に火照らせる未来に、チエがニタニタと笑いながら肩をぶつけてきた。
「ほほぉー、ついに未来にそういう人ができたんだぁ~。最近様子がおかしいと思ったら、そーゆーことかよ~。そうなら最初から言えよな~。ちょっとダサメンだけど、応援してやんよ~」
チエ以外の仲間たちも、皆各々顔を赤らめて興奮しているようだった。妖怪や山姥に見える彼女たちだが、列記とした乙女である。こうしたコイバナといった話題は大好物なのだ。
とりあえずはうまく事が収まりそうなことに安心した未来は、戸惑いながらもお礼を口にした。
「え、あ、ありがとう」
その後、未来は彼女の仲間たちとの仲を取り戻し、同時に元気も出ていったという。
◇3
カリカリカリカリカリカリ……
重たく緊張した空気。
授業中だというのにもかかわらず、教室の中はそんな雰囲気に包まれていた。その空気を作り出しているのは、カリカリとノートにペンを走らせる音を生み出している一人の女子高校生だ。
授業なのだから、黒板をノートに書き写すのは当たり前である。それなのに、なぜこんなにもクラスの雰囲気が異様なものへと変化してしまっているのかと言うと、その女子高生の数日前までの格好や素行に理由がある。
何日か前までは、ガングロの肌に人工的な金色のボサボサ髪と、妖怪山姥を思わせる姿で、机の上に堂々と足を乗り出して偉そうに座っていた。もちろんノートを取ることもなく、右手は忙しく携帯電話をいじり、左手はカーディガンのポケットの中へと収まっていた。一言で説明すれば、どこにでもいるようなチャラい女子高校生だった。
それが、どういうわけか今は、どこからどう見ても優等生のいでたちをしていた。長くてさらりとした黒髪をおさげに結って肩の前に垂らし、お手本とも言うべきくらいに綺麗に制服を着こなしている。肌だって白くて美しいし、その瞳にはどこか強い光が宿っているような気がする。
変化した、というよりは、別人に入れ替わったと言うほうが受け入れられる。そう、沖野未来という少女は、妖怪から優等生へと生まれ変わったのである。
「……で、あるからにして、ここに②の値を代入してやると……」
はらりと汗を垂らしながら板書をする数学教師の鈴木。
そんな彼に容赦なく少女は挙手して声をぶつける。
「先生!」
彼女から先生と呼ばれ慣れていない鈴木は一瞬動揺しながらも指名した。
「は、はい、沖野さん」
「すみません。前回終わった箇所から問題がいくつか飛んでいるようなのですが」
一同は目を見開いて沖野を見つめていた。しかし、その視線は鈴木のもとへと集まる。
「え、あ、はい」
あまりに予想外の人物からの予想外の指摘に、鈴木の頭は硬直してしまっていたが、彼は急いで確認に入る。
「あ、ああ、ごめんなさい。そ、そのようですね。えっと、じゃあ、一ページ戻ってください」
クラス中がざわついた。
鈴木が解く問題を間違えていたことに、ではない。それを指摘したのが沖野未来だったことに、だ。
数日前の未来からは想像もできないその姿に、皆は動揺し、そして喜びの声を上げていたのだ。これで教室は平和になる、と。
優等生にジョブチェンジした未来の周りには、これまで彼女を恐れてきた生徒たちがたくさん集まるようになった。あっという間に友達が増え、普通の高校生として生活をするようになったのである。もちろん、夜な夜なカツアゲして回るということもなくなった。
そして、器用なことに、未来はこれまで通りチエたちとも友達であり続けた。彼女たちのグループも、未来という頭がいなくなったことで、あまり活動的ではなくなったのだ。多少荒れているかもしれないが、そう悪い生徒達でもなくなったという印象を周りからも受けている。
未来がここまで変身を遂げたのは、言わずもがな、川島光輝という少年が原因である。彼女は彼の勢いや輝きに憧れて――まずは彼という目標を持つことにした。
つまり未来は、目標を持って輝いている人を目標して、輝こうとしているのだ。
だが実のところ、未来は目標を持って今まさに輝いているということを、彼女は知らないのだった。
『光り輝く目標』FIN




