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双月の恋  作者: 藤之恵多
照日の章
6/6


「それで、どうなさるおつもりですか?」


 朔夜と入れ替わる――迦月の口からその言葉が出て、とりあえず遥日たちは場所を移すことにした。

 今いるのは迦月に宛がわれた場所であり、人気は少ない。置かれた調度品は数こそ少ないが、どれも高級品ばかりであった。


「言ったとおりよ。私と朔夜が入れ替わるの」


 迦月の表情は変わらない。楽しそうな微笑は、悪戯が成功した子供のようだった。


「ですが、先の右大臣さまは琴をご所望という話では」


 自信に満ち溢れた顔で言葉を続ける迦月に、遥日は僅かに首を傾げ尋ねた。

 琴に限らず、楽器という物は演者の腕が如実に出てしまうものである。同じ楽器を使っていても、上手下手はもちろん、その人の持つ癖などにより同じ曲が違うものに聞こえてしまうことが普通にある。

 そのうえ、今回の聴衆は先の右大臣さまという耳が肥えた方である。上手の中を更に聞き分ける方なのだ。

 朔夜と迦月が瓜二つの容姿をしているといっても琴の音まで誤魔化すことは難しいだろう。


「そうよ」

「では、迦月さまも琴がお上手なのですか?」


 それでも迦月の様子に変わりはない。余程、入れ替わりが上手く行く事を確信しているようだった。

 遥日は万に一つの可能性を思い、容姿と同じように琴の腕や音まで似ているだろうことに賭けた。楽器の音に同じものは一つとしてないと、よく高名な雅楽の祖が言っていたらしいが迦月ならばありえるかもしれないと遥日は思った。

 外で降る雨は止む様子がない。雷こそ鳴らないが厚い雲は変わらず空に立ち込めていて明日までこの天気が続く事を予想させた。


「私は弦を使う楽器と非常に相性が悪いわ」


 ごそごそと何かを探してながら迦月は遥日の問いに答える。それは遥日が望んでいたものとは正反対であり、一瞬呆けてしまった。


「で、では、どうするのですか?」

「琴ができないのならば、別のものを聞いて頂けばいいのよ」


「あ、あった」と迦月が取り出したのは群青の布袋で、細長いそれは笛が入っているように見受けられた。鮮やかな蒼が迦月の白い肌の上でじわりと広がって、遥日は見惚れるように迦月が袋の口を縛っている紐を解くのを見ていた。

 しゅ、しゅると絡まることもなく紐は解かれていく。迦月はどことなく頬の力が抜け、柔らかい表情になっていた。

 中から出てきたのは横笛であった。細長いそれは竹でできているのだろうか、七図家にある楽器にしては質素な造りである。

 そっと迦月がその笛を構え口元に運ぶ。赤い唇に滑らかな質感の竹が触れることに遥日は何故か胸が高鳴った。迦月がそれに口付けることで生まれる音の素晴らしさを予感していたからかもしれない。

――ピー

 まるで一陣の風が吹きぬけるようであった。聞いた瞬間に遥日は鳥肌が立った。

 音には人の本質が出る。優しい人が吹けば優しい音が、清廉な人が吹けば清い音が、楽器からは発せられると遥日は教えられていた。

 それを実感する。迦月の吹いた笛はまさしく彼女のように、芯が通っていて美しかった。苛烈なまでに清々しい音は朔夜とは反対のものだ。


「ふむ、まぁまぁね」


 迦月はなんてことない顔で笛から顔を離した。感触を確かめるかのように己の唇に指を這わす。

 驚いたのは遥日だった。今の音は間違いなく至高の音である。少なくとも「まぁまぁ」という言葉で表されるようなものではなかった。それを迦月は普通の顔で言うのだから、七図家の非凡さ極まるというものだ。


「どうしたの、遥日。そんな間抜けな顔をして」


 欠片もそんなことを自覚していない迦月は呆けている遥日を見て訝しげな顔をした。それから僅かに首を傾げながら笛を仕舞う。その手つきは鮮やかで、慣れているのを感じさせた。


「いえ、なんでもありません」


 遥日は首を振る。たぶん、何を言った所でこの気持ちを表す事はできない。迦月が理解することもできない。

 胸の中で燻る感情は何をもって、その火種を燃やし続けているのか遥日にもわからないのだから。生まれの差か、育ちの差か、それとも遥日と迦月という個人の性格の差なのか――とにかく、何か圧倒的なまでの壁が二人の間にはある気がした。

 それでも迦月に対して笑うべきなのか、呆れるべきなのか、判断がつかない状況であっても、遥日は目の前の人が大好きなのだ。七図の家は優しくて、遥日はいつの間にずっと仕えていいと思えるくらいに好きになっていた。


「そう? ならば、細かい諸事を練りましょうか」

「はい」


 迦月が笑う。その微笑みは相変わらず美しくて、遥日は少しだけ眉を下げて、それでも笑った。



 聞いてみれば迦月の作戦はとても簡単なものであった。

 元々朔夜と迦月は瓜二つである。直接見たところで判断がつかない人間がほとんどであり、御簾越しとなれば絶対にわかりはしない。僅かな体格の差はあれど、それは座っている事になれば誤魔化されてしまうものでもある。

 したがって遥日がすることなど皆無に等しく、迦月から言い渡された役目も一つしかない。


「いらっしゃいました」


 遥日は頭を下げたまま、迦月へと先の右大臣の到着を知らせた。

 ゆっくりと頭を上げると質素な局にまるで輝いているような人影が座っていた。言うまでもなく迦月である。

 朔夜の局にいるかの人はいつもならば着ない鮮やかな梅花の衣を纏っていた。これは朔夜が好んで身に着ける色であり、家人たちにばれないようにするためである。

 外へ使いに行っていた遥日に代わり、看病のため朔夜の側にそっと寄り添っている姿は、二人の美貌も相俟ってまるで一枚の絵のようだった。


「わかったわ。遥日、あとはよろしくね」

「はい」


 迦月のことで遥日ができることはない。しかし、いまだ熱のある朔夜は別である。

 仲の良い乳兄弟同士であり、迦月が朔夜のことを心配しているのは当然といえた。したがって迦月が心置きなく演奏をするためにも朔夜の側についている人間が必要であった。


「朔夜さまは心配しないで寝ていてくださいね?」

「……ええ」


 迦月を見上げる視線にあるのは申し訳なさだろうか。それでも微笑んで見送ろうとする姿勢に信頼を感じずにはいられない。

 遥日は側で二人のやり取りを見たあと、ゆっくりと頭を下げ迦月を見送った。

――衣擦れの音が遠くなる。瞳を瞑り、鮮やかな足取りを瞼に思い浮かべる。

 きっと迦月ならば何もかも上手くこなしてしまうに違いないと遥日は思った。


「ごめんなさい、遥日」


 きゅっと手を握られる感覚に遥日は瞳を開けた。そして自分の手を握る朔夜を見る。

 熱が大分下がったとはいえ、未だにその頬は赤く色づいていて、元々細いその体躯とあわせてみると、いつぶり返すか心配で仕方なかった。

 迦月は朔夜の熱がでることに慣れているのか顔色一つ変えなかったが、まだ数ヶ月しか使えていない遥日にその心構えは無理である。


「どうしました? 朔夜さま」

「色々、面倒をかけてしまったわ」


 朔夜の瞳は天井を彷徨っていた。それは言葉を選んでいるのか。何かを迷っているのか。遥日にはわからない。

 しかし"面倒をかけた"など下の者に言うことではない。遥日は朔夜に仕えているのだから、、体調を崩したときに世話をするくらい当然である。

 すっと朔夜の視線が動き遥日を見つめる。

 熱のせいで潤んだ瞳は色っぽく同性ながら緊張してしまう。


「そんな、面倒などそんなことありません」


 何かを言わなければ、と思ったのだが口から出てくるのは文をなさないような単語ばかりであった。

 こういう時、歌の一つでも読めたならば気の利いた従者と呼ばれるようになるのかもしれない。百の言葉を並べるより一つの句が雄弁に心を伝えるときがある。

 ひんやりとした空気が入り込んできた。先ほど雨戸を閉めたのだが、この様子では雨は弱まることは無く降り続いているのだろう。

 朔夜に寒くないかを尋ねようとした遥日の口元にそっと朔夜の細い指が添えられる。


「笛の音が聞こえるわ」


 ゆっくりと朔夜の唇から言葉が紡がれた。朔夜は静かに瞼を閉じ、音に集中する。

 驚いたのは遥日である。今の時間笛の音が聞こえるとすれば迦月が奏でているものに他ならない。

 しかし、迦月は遥日たちがいる東の対とは反対側の客殿で笛を演奏しているはずである。その上外では雨が振っており、普通に話している分にも言葉が聞き取りにくい。

 そんな中、朔夜は笛の音が聞こえると口に出したのだった。


「え?」


 遥日は耳を澄ませる。雨の音ばかりが聞こえてきたが、段々と他の騒めきも耳に入るようになる。

 その中の一つに遥日はあの怖いほど美しい笛の音を見つけた――朔夜に尋ねるまでもない。迦月が奏でる音だということがすぐにわかった。


「迦月が、笛を吹いているのね」


 ゆるりと朔夜の口角が上がった。瞳を閉じたまま笛の音を楽しむ様子はまるで音の波に浸っているかのようであった。迦月の笛だと断言した声は少し上ずり、滅多にないことを喜ぶ気持ちを伝える。

 低く高く、何処までも伸びやかに迦月の笛の音は響いていく。それはこの雨雲たちを吹き飛ばしたような爽快感を聞く者に与えてくれる。


「お分かりになりますか」

「ええ。これほどの音色、そう聞けるものではないし……私の琴の代わりとしては勿体無いくらいよ」


 うっすらと朔夜の瞼が開けられる。微笑んだ顔は先程より血色がよく、笛の音に癒されたことは明白であった。

 喜怒哀楽がはっきりとしている迦月に比べ、朔夜は余り感情が表に出ない人物であった。それはいつも微笑んでいることで彼女の素の感情が膜に包まれたようになってしまうからである。

 朔夜の感情がより強く表に出るときは迦月が関係しているときが多かった。仲の良い乳兄弟だからなのか、朔夜は自分が褒められるよりも迦月が褒められることの方が嬉しいようにさえ見えた。


「朔夜さまは本当に迦月さまが好きでいらっしゃいますね」


 遥日は呟く。思った瞬間に言葉が滑り出ていた。小さい音量で呟いたはずなのに、静寂が覆っている局では思ったより大きく聞こえた。

 朔夜はその言葉にきょとんとした顔をすると破顔一笑し、おかしくて堪らないというように口元を袖で隠した。

 うろたえたのは遥日である。元より勝手に口から出て行ったような言葉で、仕える主が大笑いしているのだ。


「さ、朔夜さま! そんなにお笑いにならなくてもっ」

「ふふっ、遥日は、本当に面白い子ね。私が迦月を好きだなんて」


 雫が目元にたまり、朔夜の白い指先がそれを拭っていく。まるい粒が肌をすべり零れ落ち、生地に吸い込まれて、その場所の色を濃く染める。

 朔夜の額に乗せていた塗れた布が振動で滑り落ちる。遥日はそれを拾うと桶の中の水につけ絞る。

 どうにも、しばらく朔夜の笑いは止まりそうに無かった。いつの間にか頬に上ってきた熱を誤魔化すように遥日は何回も布を浸しては絞るという動作を繰り返していた。


「そうね。私は迦月が好きだし、迦月の奏でる音も好き」


 一頻り笑った後に朔夜はそう口にした。未だに残る笑いがその肩を小刻みに揺らしていたが遥日は気付かない振りをした。

 小さく息を吸い込み、それから吐く。笑いすぎたせいで息が苦しいのだろう。遥日は熱のある朔夜の体の事を考えて少しだけ眉間に皺を寄せた。

 ん、とやっと整った息に朔夜は遥日へと顔を向けると微笑んだ。


「だから遥日の言葉に何も間違いはないわ」


 遥日は何と返せば良いのかわからなかった。静かに頷き笑いすぎたせいでずり落ちてしまった上着を肩までかける。

 わずかに触れた体温は平熱とは言いがたく、遥日は顔を顰める。そんな自分の従者を見て朔夜は「心配性ね、遥日は」とだけ言った。

 笛の音は続いている。

 入れ替わりが気づかれる事無く、もしくは気付かれたとしてもお咎めなく事は進んでいるようで、遥日はほっとする。

 そんな遥日を横目に朔夜は笑みを崩さない。いつもより紅く染まった頬も相俟って色っぽかった。


「だって、こんなに素晴らしい音を出せるのよ? 嫌いなわけないじゃない」


 くすくすと口の端に笑いを乗せつつ、朔夜は言う。その笑顔は遥日をからかう時の迦月のものに何処か似ていた。


「朔夜さま」


 それに嫌な予感がしたのは遥日である。

 迦月がからかうのは大体が遥日であり、つまり被害を受けるのも遥日だけという事になる。だからそれに対して警戒するのも当然彼女しかいなかった。


「雨止んだみたいね。遥日、そちらの雨戸開けてくれる?」


 少し身構えた遥日に朔夜は気付かない風で指を動かした。音に鋭い朔夜の耳は雨が降っているかどうかも直ぐにわかってしまうらしい。

 言葉を止められた遥日は一瞬不満げな顔をするも、次の瞬間には諦めたように席を立つ。

 相手は自分の主である朔夜である。幾ら親しくして貰っていても、堂々と文句など言える度胸もふてぶてしさも遥日にはなかった。

 よく磨かれた雨戸に手をかける。きちんと手入れのしてあるそれは大した抵抗もなく動いた。雨は止んでいた。


「――っ!」


 息を呑む、とはこういうことだと遥日は実感した。

 庭には音が溢れていた。確認するまでも無く迦月の笛の音だ。

 雨上がりの雫にキラキラと光る庭がまるで喜んでいるように感じる。それは正しく祝福の音色であった。

 低く、高く、どうすればそんな音が出るのか遥日には皆目見当がつかない程、滑らかに音が奏でられていた。乳兄弟であっても、そこには確かに七図の流れが感じられて遥日は自然と感歎の息を吐いていた。


「よく、聞こえるでしょ?」


 遥日は僅かに振り向く。微かに自慢げな顔をした朔夜が微笑んでいた。

 この家の構造を熟知している朔夜は、この雨戸を開ければ迦月の笛の音が良く聞こえると知っていたのだ。


「はい。素晴らしいです」


 遥日は朔夜の言葉に素直に頷いた。

 胸が大きく高鳴る。それほど迦月の笛の音には生命力が溢れていて、一つ一つが輝いていた。

 いつも自分をからかって楽しんでいる人と同じ人物とは思えないほど、素敵な音で、遥日はそっと胸の前で手を組む。


「私の乳兄弟だもの」


 そんな遥日の様子を知ってか、知らずか、朔夜は小さく答えると遥日と同じ方向――迦月の居る場所へと顔を向ける。


「誰もを惹きつける月の名を持った――だから」


 小さく、小さく呟かれた言葉は笛の音に消され遥日の耳には届かない。

 いつもとは僅かばかり毛色の違った声音に遥日が振り返るも、朔夜には何の変化もなかった。

 空耳だったのだろうか、と思いつつ、遥日は首を傾げ自分の主へと尋ねる。


「何とおっしゃったのですか?」


 遥日の問いかけに朔夜は視線を動かした。床、御簾、天井と局を一回りした視線はやがて雨戸の前に立つ遥日の元へと定まる。ちろりと光る瞳に何処か怪しい色をしていた。

 常の朔夜からは見たことのない色に遥日は少々身を硬くした。

 しかしそれも一瞬であり、朔夜はすぐにいつも通りの柔和な笑みを浮かべる。


「いいえ。何でもないわ」


 雨戸から吹き込んだ風が朔夜の黒髪を揺らす。

 微笑む顔からは何も読み取ることができない。それでも迦月のことを思って笑う朔夜は一等美しかった。

 迦月がこの局に帰ってくるまで、まだ暫くの時が必要だった。


3/1更新。

……話が進まないです。

閲覧ありがとうございます。

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