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あの子の  作者: ヒビ
14/19

疑念


お前は随分と久しぶりに外に出たことだし、と体育祭が終わった後に朔夜は綴をディナーに誘った。後ろで大きな声で打ち上げしよう!と朔夜を呼ぶクラスメイトの声などまるで気にしていないらしい。その様子に苦笑するが、断らなかった。着替えてくるから先に車乗っとけよと言って軽く綴の頭を撫でてから去っていった朔夜の後ろ姿は退役時とまた少し違って大きく見えた。


慣れたような手つきで京紡家のベンツのドアを開けた朔夜に笑っていたところ着いたのは相変わらず銀座だった。幼い頃から家族での外出は銀座ばかりだったらしく、朔夜が連れてきてくれるのは大体ここの店だった。


今夜はお腹が空いたと焼肉に連れてきてくれた。貰い物のワンピースに匂いがつくのはどうかなとも思うが、新しく買うからと言われると断れなかった。焼肉は美味しかったし、朔夜もどこか楽しそうだったのに綴は嫌な予感がしていた。








その翌月、事態は急激に動き始めた。


まず、国内に残っていた隣国の工作員たちが一斉に武装蜂起したのだ。戦争に勝ったとは言え、自治権も認めており良き隣人としての地位は確立していたと思った矢先の出来事に国内は直ちに混乱に陥った。流入していた外国人がいなくなり、他国との商売も外交も取り消された。交通も規制され、国民はいまだ抜け切らない戦乱を予感して蒼白になった。


せっかくの安寧がと不貞腐れた綴は怒りのまま叔父の元へ向かった。朝から晩まで会議をするらしい叔父の顔色もまたひどいものだった。どうやら本当に寝耳に水の出来事らしい。一つ疑問がこぼれた。



「…なぜ?」


「それは何度も何度も何度も、考えたんだよ。……わからないんだ。君にはわかるかい?怪物ならば、隣国の気持ちが、わかるかい?」


「私の中で、隣国との関係は特段悪くはないと認識しています。むしろ自治権も認めて、賠償金も他国並み、揉めていた国境付近もできるだけの平定をして、ビザも解禁してすぐなのに、なぜ…」


「君でもわからないか…あぁ、どうしようか。これで平定できなかったら、もし、もしかしたら不戦条項が破られたら…戦果はおじゃんだ」



グッと奥歯を噛み締めるが、何も思い当たらなかった。そうこうしているうちになんとかかき集めた軍人たちが特別任務に当たった。いまだに戦争の後片付けを終えていないのだ、国境警備と武装した市民たちに銃を突きつけるだけで精一杯だった。


その成り行きを静かに見守っていた隣国は、そこでようやくこの国の体力がないと判断したのか不戦条項を破棄した。あぁ、開戦だ、絶望的な空気を国民は感じていたし、もちろんひしひしと早く終わらせろの圧迫感を感じていた雨宮は綴を呼び出した。終戦の立役者、公家の王、影の指導者、呼び名は様々だったが、雨宮からすれば悪魔に違いなかった。人の心をわからない、だからこそ神がかり的な予知をできるのだから。



「全くムカつく話だ。こちらは国債まで買ったのに」


「み、京紡様のご献身にはいつも軍人一同感謝の念に絶えません」


「…今はそんな話をしている場合ではないだろう」


「それで、政治家たちは隣国の要望を聞いてきたのか?」


「…国境付近の例の土地の割譲」


「そんなもので?こんなことを?戦火が広がるだけだろうに…」


「そうなんだよ。全く不思議な話だ。恐ろしいくらいだ、誰かに隣国が操られてると聞いた方が納得する」



逃げるわけにはいかないが、どうしたらいいのかもわからない、そんな苦悩が戦務局から湧いているようだ。確かに不思議な話だ。戦後一年経ってから国境付近のなだらかなちょっとした土地を巡って争うなんて。


しかし、怖がっている暇はない。急拵えであるが、だんだん戦力も取り戻さないといけない。前回の大戦での敗戦国から緊急で徴兵してもいいかもしれない。隣国は小国だから、少しばかり数の優位性もあるだろう。脳内で算段をつけてから、慎重に綴は地図を見ながら考察を始めた。鈍く光る紫炎が久しぶりに軍内を包み込むような威圧感だった。気圧されたのか、不平を言うことなく他の者たちも黙って状況打破の一点を考え始めた。


開戦まであと一歩、領空侵犯すれば撃ち落とすと互いに警告を出したその時、綴は一つの結論にようやく至ったのだ。


誰か、こちらのスパイがいる、と。


考えなかったわけがないが、志願した時に詳細な身元の洗い出しと共に面談を経てようやく入隊となるのだ。そのため、軍の中央に近い者たちはみな上流階級だったり、国籍がきちんとした人間が多い。もちろん外国の研究のために雇った外国籍の者もいくらかいるが、こちらの意図は汲み取らせないような部署にしかいさせない。


だから、他のことを疑う方が合理的だと思っていたのだ。しかし、今となっては早めにその可能性を摘んでおくべきだったとも思う。誰が誰を信じたらいいのか、綴はこの可能性が軍の根底を揺るがすほど大きな問題を孕んでいるのをわかっており、だからこそ血筋という切っても切れない縁の雨宮にしか話すことができなかった。


人払いを済ませた上に深夜2時だ。自分たちの物音以外生物の気配すらしない。異様なまでに人を信じない綴に合わせて雨宮もこの時間帯に秘密の話をするのだ。



「…スパイだと?」


「えぇ、もうこれしか考えられないでしょう」


「まさか、そんな…」


「想定よりも緩やかなスピードでしか国力を回復できず、軍も段階的に解散している最中で敗戦国からの賠償金もいまだ入らず、明るい話題は多かったのですが失ったものは完璧には戻ってきませんでした」


「その通りだね」


「国民の方を見ていると富んでいるように見えるでしょう。来年には主催でスポーツの祭典も始めるつもりでしたし。だからこそ、観光客や工作員たちからの計画とは考えられない。これはこちらの軍の内部の人間が認識した、攻め入る隙だったのですよ。新たな大戦ではなく、国境の小競り合いを少し大ごとにしたつもりなのはそのためです。今ならば警戒も緩んでいる国力の低下した国から領土を掠め取るつもりだった」



呆気に取られた顔をしていた雨宮の表情から血の気が戻った。



「…大戦には発展しない?」


「えぇ、私の見込みではその通りです。本土を戦火に巻き込むほどの戦力は向こうにもこちらにもありません、多分こちらが大きく反撃してこないのは織り込み済みでしょう」


「ひとまずの安心材料だね、もう一度今すぐに大戦はできなかった。無条件の降伏はできないが、それでも大きな犠牲が出ていただろうし」


「そうですね」


「ただ、問題は…疑わなきゃかー、うちの人間を」


「そうですね、炙り出しは急務です」


「…君は誰だと思う?」



すうっと目を細めた綴はゆっくりと首を振った。見当もつかないらしい。その言葉を予想していたのか雨宮も変わらない顔で頷いた。



「…どこから行くか?手の内は見せたくないだろ」


「そうですね、まずは身内から洗ってみましょうか」


「君一人で大丈夫かい?俺が動くとバレそうだ」


「もちろん、そのつもりです。他の誰も信頼はできませんし」



そう呟いた綴は一ミリたりともブレないいつもの冷徹な顔だった。そこにどこか安心した雨宮は綴にスパイを見つけるように頼んで部屋を出た。


同じく部屋を出た綴は与えられた一室に戻った。将校時代に使っていた部屋は空き部屋として使われていなかったのだろう、伽藍としていた。召集をかけられてから綴も特段持ち込む物もなく、恐ろしく殺風景だ。カーテンもないため隙間風に少しだけ震えながら毛布にくるまって眠りについた。目を閉じると、幼い頃の冷たい孤独が染み込んでくるような気がした。京紡様!と家庭教師の声が耳の奥でこだました。



起きると早速偵察に向かう。将校で召集に応じた者たち同士挨拶は交わしたが、その下に付く者たちとはまだ知り合えていなかったため、挨拶がてらさまざまな部署へ赴く。綴は馴染みの部下たちと苦笑しつつ久しぶりだと会話を交わしながら、スパイの存在を確信しつつあった。ほんの少しだけチリリとうなじを焦がすような鋭い視線を感じたのだ。


自分の顔が整っているのを知っている綴は、憧れられることも多い。自分が鉄槌を下すごとに、あまりに惨いやり方で敵を打ちのめすごとに、その憧れは恐怖へと変えてしまったが、それでも憧れられた時期は嬉しそうに頬を染めて綴に話しかけてくる男も女もたくさんいたのだ。


そんな眼差しとは違うのを肌で感じた。どちらかというと、敵意だ。そっとその視線を向けられた方を見てみるが、誰もいなかった。ただ、作戦局だということだけを把握して踵を返した。



「…京様?どうかされましたか?」


「いや、書類を受け取りに来ただけだ。雨宮少将から伝言はなかったか?」


「あぁ、京中佐が来たら渡すようにと受け取ったものがございます」


「ありがとう」


「最近は色々な部署に顔を出していると伺いましたが…」


「すまないな、雨宮少将の使い走りだ。なかなか少将の秘書官が集まらなくて、私が一番暇そうだからだと」


「そんなわけが…」


「腹の立つ話だな、全く」


「信頼されている証でしょうね、誰もお二人の間に入って対等に話ができる者はいませんし」



持ち上げて見せながらも苦笑する部下たちは、作戦局の先輩たちだ。先の大戦の立案者であり、内々に勲章も授与され、それなりの額ももらったというのに召集に応じたらしい。これには少しばかり驚いたものの変わり者の人たちだからと納得もした。


先輩たちの身分ももう一度洗い直した。身内は帝国大学の教授、銀行の部長クラス、軍人、国鉄の幹部に政治屋の親戚、と華々しい経歴だ。幾度か私生活も漁ってみたが、何も疑わしい人物との繋がりは見えなかった。空振り、と呟いて綴はまた新たな人物を探し始めた。


そんなことを何度か繰り返すうちに可能性のありそうな人はほとんど空振りということになった。そろそろ戦況もまた変わりそうだ。支持率を上げたい隣国は、愛国心を味方につけたいらしくどうしても国境付近の土地を割譲させたいようだ。政権幹部の我々の土地という言葉が日に日に力強さを増していくのを肌で感じた。もうそろそろ占拠されてもおかしくはないだろう、元に今その揉めている土地に隣国の大統領は視察に来ている。



「君、裏切り者は見つけたか?」


「いえ、まだです」


「出来るだけ急いでくれよ。属国たちも騒ぎ始めた。独立したいんだと」


「わかっております」


「いいや、わかっていない。ことは一刻を争うんだぞ」



よほど余裕がないのかいつもよりきつい口調だ。叱責も罵倒も綴は慣れているが、久しぶりだなと驚きもした。



「えぇ、今確信を持って違うと言える人物は280名、引き続き監視する必要があるのが7名、残り330名が洗い出していません」


「…そんなにいるのか」


「えぇ、一人だけでの調査となるとやはり効率が悪いです」


「そうか、ただ誰を味方につけるものか…元情報局すら少し危ういな。君の身元を分家に売り払っていたし」


「そうですね」


「……流は?あいつも召集するか?」



目が血走った雨宮は内線用の子機を手に取った瞬間、息を呑んだ。目の前にいる綴から恐ろしいほどの殺意を感じたからだ。お久しぶりです、またお世話になりますと挨拶しにきたとき、雨宮は少し安心したのだ。召集された綴が少しだけふっくらとした気がして。華奢で触れれば折れそうな体つきが健康的にうっすら筋肉がつき、纏う雰囲気も何か親しみやすいものへ変化したように感じたのだ。娑婆とは素晴らしいものだなと口にはせずとも思ったが、今の綴を見ると誤った認識だったと痛感する。



「…なんと仰いました?」


「…だから、流、少佐を………」


「あれは絶対呼び戻しません。平和を甘受するのは市民の権利ですよ」


「は、退役したと言えあいつも軍人だったんだぞ」


「えぇ、でも今はまだ市民だ」


「…本音で話せ、疲れる。あいつを戦乱に巻き込みたくない、そう言いなさい」



にっこりと微笑んで黙った綴を見て、大きくため息が出た。凄んでも言いたくないらしい。





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