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あの子の  作者: ヒビ
12/16

新たな日常2


美しい調のクラシック、赤赤と燃えるキャンドルとシックな絨毯、お手本通りの舞踏会の夜だ。集められた人々はその場に相応しく美しく装っており、流家の日に日に高まる家格を楽しもうと静かに囁きあっていた。今日のメインはもちろん麗しい嫡男の朔夜である。この場にいるほとんど全ての未婚の女性が彼を狙って、眉唾物の噂である彼の好みに合わせてドレスをオーダーしていた。そう、つまり青色のドレスとゴールドのイヤリングだ。


一方であまり目立たぬ様にさりげなくホールに入った綴もその悍ましく美しいその貌が今日はよく見えるようにクラシックなアップスタイルの髪型である。スモーキーで暗いブラウンのアイシャドウと長めに引いたアイライン、そして鈍い赤紫の口紅、リトルブラックドレスのせいで綴は夜の女神のようだった。


美しい後毛と共に揺れるピアスはセルペンティのシルバー、胸元に輝くディーヴァの赤いネックレスが魔性だ。


迎えに来た車に乗った時点で息を呑むほど美しいのはわかっていたが、こうしてシャンデリアの元だと総毛立つほど美しい。人を惑わす悪魔的であり、神を直視してしまったような破滅的であり、どんな言葉を尽くしても彼女の美しさを称えることはできないほどであり、朔夜はただただ夢見心地で彼女を見つめていた。



「…朔夜?大丈夫?」


「あ、ぁ…すまん」


「もう、せっかく素敵なんだから堂々としていたらいいのに」


「そうだな」


「主催者でしょ?私のところにいてもいいの?」


「あぁ、お前は主賓だよ、当たり前だろ」


「あはは、まだ身分は明かしてないんだけどね。君たち新興のとこには」


「こえーよ。それでこの間撃ち殺しそうになったじゃん」


「はいはい」



エスコートされるように差し出された手に手を乗せる。互いの人差し指には揃いのリングが嵌められている。ブルガリの個室で様々見せてもらっていると、またまた興が乗り、次々と買ったのだ。リングはやりすぎだと思うが、セルペンティ、ディーヴァと来ると、ゼロワンも欲しくなってしまったのだ。綴は右手の人差し指に、朔夜は左手の中指につけているが見る人が見ればお揃いだとわかるし、そして密な関係であることも明らかになるだろう。


その考えにそっと笑みをこぼす朔夜と、考えない様にしている綴。二人とも目を引く美貌だからかその場の注目は彼ら二人に独占されていた。


主催である朔夜の父が乾杯を告げると、綴と朔夜はいそいそと彼の父の元へ向かった。



「…流様、お久しぶりですね」


「君…京紡の」


「えぇ、お招きありがとうございます」


「そうか、来ていたのか」


「朔夜から聞いてはいないのですか?」 


「はは、すっかり反抗期でね…」


「まぁ、ふふ」



和やかな空気だったが、父の目は大きく揺れ動いていた。海千山千を相手にしているはずの父のそこまでの怯え様に少しだけ驚くが朔夜は会話に混じらず、横耳で聞いているだけに止めていた。



「それで最近の京紡は随分と忙しそうだったじゃないかね?」


「ふふ、少しばかり身辺整理ですわ。綺麗な方がさっぱりして動きやすいでしょう?」


「は、はは…矛先が流に向かわないことを祈るよ」


「まぁ、矛先を向けられるようなことなさったの?矛ではなく、槍に致しましょうか?私槍術も得意分野でしてね」


「…いや、やるわけないさ。君の敵にはならないよ、朔夜にこの上なく恨まれそうだ」


「あはは確かにその通りですね」



軽やかに笑って凄んでみせるが、流父の目にやましい光は見えなかった。動揺する様子もなくわかっていたことだが、流家は白なようだ。少しだけつまらないと思う。


挨拶も終わったことだし、と手を引かれるままフロアの中央に陣取る。今日は朔夜も美しく装っている。髪の毛は数束残して後ろに撫で付け、共に揃えたシャネルのスーツにブルガリのシルバーリングとピアス。いつか綴が評したように朔夜自体も青の瞳と艶やかな黒髪を持ち、その怜悧な美貌は一般社会には溶け込まないものだった。今日はいかにも財閥の息子といった美しい出立ちに何人か女達が声をかけようと近くを通り過ぎたが、対の人形のような二人の美貌に圧倒されて口を開くことはできなかった。そして朔夜本人は無表情だが、目の奥に隠れたのは不機嫌さだった。


思い返せば、探し人は見つかったか?と聞いた朔夜を襲ったのは凍てつく氷の様な目だった。常人であれば倒れ伏して目を回すほどの怒りだった。学園で見せたものよりもさらに迸る様な怒気に運転手や他のお共も息を呑んで身を縮めたのが見えた。


関係ないだろ、それにお前は樹を死んだと言ったな?と有無を言わさない口調で綴は言った。彼女の信頼を一気に失ったことにようやく気づいた朔夜は慌てて取り繕うように言い訳をしようとしたがその冷淡な眼差しは一ミリも変わることはなかった。


その後は会う機会もなく、どこかギクシャクしたまま今日を迎えたのだ。本当は人一倍舞踏会を楽しみにしていただけにどんな顔をして綴に会えばいいのかわからなかった。



「…朔夜、踊るの?」


「公家のとこのパーティは参加したことないが、俺らのとこは必須だ」


「へぇ」



楽しそうにシャンパングラスをボーイに下げさせると綴は朔夜に向き直った。ほんの少しいつもより酔ったのか、表情は柔らかい。少しばかり期待するような目でこちらを見上げている。黒のドレスの裾がさらりと靡いて、彼女の歓心を買ったのがわかった。


いつだってこいつに振り回されて、弄ばれて、前世自分はどんな悪行をしたのか、なんて考えながらもやはり好意を抱く女の子が待っていると考えると予想通りの言葉を言うしかなかった。



「美しい方、どうか踊っていただけますか?」


「…あぁ、もちろん」



えぇ、もちろんではないところに苦笑が漏れた。尊大さが滲み出ている。レディというよりはクイーンだ、でも一欠片たりとも彼女の興味を引けるのならばなんだって構いやしない。


朔夜は初めて女子に触れたように緊張し、顔をほんの少し赤らめて綴の腕をとった。




その夜のことを誰が忘れるだろうか。


黒い夜空のようなドレスを翻し、美しい紫の瞳はシャンパンの弾ける泡のようにパチパチと光を反射して美しく笑っていた。青いドレスしかない会場に一人だけ黒いドレスの彼女は目立っていた。天使様と誰かは言った。クリスマスの天使だと幼い少女は思ったのだ。途方もなく美しく祝福を遍き、寿ぎ、緩やかにステップを踏むだけで人々は目をとられるのだ、まさしく天使のようだった。微笑んだ彼女と手を取っている彼はとてもとても、それはそれは幸せそうに蕩けた笑顔を浮かべていたのだ。それはまるで祝福を受けた英雄、ヘラクレスのようだった。


その一方で大人たちは皆彼女を悪魔のようだと思った。幼い頃から彼らの親戚、または知り合いである流の嫡男を軍に志願させ、危険な任務に就かせたことは社交界でいつも眉を顰めながら語られたことだ。そして退役してなおその心と身を離さない恐ろしい魅力。彼女が軽やかにターンするだけで誰かはごくりと息を呑んだ。艶やかな黒いドレスは彼女の色気を苦しいほど引き立てており、そのドレスがはためくだけで何か見てはいけないものを見た様な気がした。彼女がその妖しい紫紺の瞳と真っ赤に彩られた唇を歪ませて美しく微笑んで見せるたびに何か不吉な予感を感じていた。うっとりと顔を赤らめた彼が彼女を見つめるたびにその破滅的な未来を予感した。それはまるで、セイレーンに魅了されて海へと引き摺り込まれる青年のようだった。


本人である朔夜はその夜のことを心に刻み込んでいた。



「…綺麗だったよな」


「あら、息子が自分に酔いしれてるわ」


「やれやれ、面白いやつだな」


「ち、違うって。…その、綴がだよ」


「…そうね、美しかったわよ」


「あぁ、お前らお似合いだったぞ」


「そうかよ」



大人たちの少しばかり陰鬱そうな表情を見てもなお彼は浮かれていた。まるで普通のカップルのようだと思ったのだ。こちらを見上げて楽しそうに微笑んだ少女に、胸が熱くなった。一緒に踊れば、どんな苦しい出来事もまるでこの夜のための前座にしか思えなかった。


あぁ、素敵な夜だ、そう微笑んだ彼女の顔を見るだけで心から幸せだと思ったのだ。




日にちはまた過ぎて、あっという間に今度は公家のパーティの夜がやってきた。前回ドレスを注文したことで、コツを掴んだ綴は今度は主催者である先槻家の所有するブランドからドレスを選んだ。誘ったのは私だからと、朔夜にスーツまで渡して迎えたその夜のことだった。



「…は、公家って、意味わかんね」


「どこが?」


「んなパーティが、あるわけ…ない」



流のような新興の金持ち軍団とは異なり、古くからこの国を支配し、古の貴族に由来を持つ公家という一部の特権階級がいるのは知っていた。ただ、公家は公家としか連んではいけないという掟でもあるのかと疑うほどパーティには参加しないし、同じ学園にもいない。新興貴族の多くがその商才による成り上がりであるものもすれば、公家の資産の多くは土地や利権、金融と言ったどの年代であっても価値の不変が担保されているものばかりであり、不労階級であることも特徴的だ。


新興財閥、新興貴族の多くはその特権階級に憧れを持ち、なんとかして公家の仲間入りをしたい、血縁になりたいと熱望しているのに関わらず彼らの存在はひたすらに隠され続けていた。


そんな公家のパーティ、朔夜の関心はただ側にいる綴のみだったがそれでも会場入りした時は思わず感嘆の息が漏れた。機密保持のためと綴自らが迎えに来てくれたのだが、城のような豪奢な建物に入るとホールには湖ができていた。中にはキャンドルやちょっとしたスイーツ、瓶の酒などさまざまなものが浮かんでは幻想的に会場を一周していた。集う人々も一目見てわかるほどの威圧感とセンスの良い正装を纏っていた。あぁ、これでは流家のパーティなどお遊びだと思わされるほどの栄華そのものだった。黄金の園をイメージしたらしいわよ、と綴が唇の端を歪めて呟いた。



「…黄金の園?」


「ヘスペリドスの黄金の園っていうギリシャ神話知らないかしら?」


「…さあ」


「ヘラクレスが戦ったとされる伝説だけれど、不死身の番人ヘスペリドスの園から黄金のリンゴを盗んできたのよ。そのリンゴはね、ゼウスとヘラの婚姻の品にもなった」


「こえーよ、なんでその恐ろしい話モチーフなんだよ。それに園だったら、俺ら倒される側じゃねえか」


「ふふ、もう、遊び心ってやつよ。確かね、前に河東家が、テセウスの旅路をモチーフにしたのかしら。そこからギリシャ神話ブームがちょっと沸き起こってね、ふふ。アフロディテとかアポロンとかメジャーなモチーフじゃなくて、ヘラクレスやオイディプス、へパクレイトスとかが粋なのよね」


「よくわかんねえけど、すごい綺麗だな。わ、天井にはなんか実ってるぞ」



青々と茂った木が天上を這い、人々の少し上の高さにまで枝を伸ばして身をつけている。林檎だ。



「…食えるのか?」


「まぁ、そうだろうね。ただ乾杯する前だし、まだ手を触れない方がいいだろう」


「あぁ、楽しみだな」



そこまで話してようやく主催の先槻が頃合いを見計らったように近づいてきた。しかし、絶対に目を合わせようともしない。それに夫人は古代ギリシャをモチーフにしたのか、ローブ風の白いドレスを纏っているのに、頭にはなぜかベールをかぶっていた。花嫁のようで似合ってはいるものの主催者が顔を隠すというのは聞いたことがないと朔夜は感じた。そしてよく観察してみれば、参加者の女性は全員ベールをつけていた。ドレスコードかと思ったが綴は付けていない。


それに柔らかく微笑んだ綴がようやく話しかける。夫人は口元しか見えないが微笑んでいるし、俯いたままの夫君は厳しい顔を少しだけ緩めているがどこかその空気はピリついたものだった。まるで、よしよしいい子だと言いながら猛獣に対峙しているようだと朔夜は嫌な予感がした。



「先槻様、素敵な夜ですね」


「京紡様……ご参加いただき、恐悦の至りです」


「ふふ、そんなに緊張しないでください。軽く楽しんだら帰りますわ、そしたらそのベールもお外しください」


「あぁ、寛大なお言葉に感謝致します。本当にお会いできて嬉しいですわ」


「京紡様、どうか楽しんでください」


「ありがとう」


「専用の個室、ご用意してますのでぜひ使用人に言いつけください」


「あぁ」



挨拶が終わり、乾杯を終えると目を輝かせた朔夜が促されるままりんごを木からむしり取った。



「…本物だ」


「ふふ、そうだね。齧る?」



齧ってしまえと微笑みながら仕向ける綴は今夜は白のドレスで白蛇のようだ。オフホワイトでもベージュでもアイボリーでもなく、真っ白なドレスは彼女の髪の毛の色そのもので神々しさに目を細めるしかなかった。軽くハンカチで拭いてから齧ってみようとした時、ボーイが慌てて寄ってきた。どうやら一口大に切り分けてくれるそうだ。これには少し頬を赤らめた朔夜がりんごを渡して綴を軽く睨んだ。



「おい、そういう催しかと思ったぞ」


「ふふ、そんなわけないじゃないの」


「お前、わかってたな…」


「もちろん、可愛いのね朔夜」



むすっとした朔夜に少し困るが、それにしても誰も挨拶に来ない。どうしてそんなに怯えられてるのだろうと思うが、先日の粛清を考えると妥当かと綴は思い直す。


シャンパンをあっという間に飲み干しておかわりをもらってまた口をつけていると切り分けられたリンゴが供された。齧ると甘くてよく熟しているのがわかった。口の中にまだ甘みが残っているのをシャンパンで洗い流すようにして含むとまた驚いた。シャンパンがまるでシードルのように爽やかな甘さへ変わったのだ。これはよく考えられた演出だ、そう感心すると隣で朔夜も同じように感じたらしく、うまいと唸っている。



「美味しいわね」


「だな、料理もリンゴを食べる前提なんだろうな。甘味が少ない。こういう尖ったテーマのパーティ、俺は結構好きだぜ」


「そう?それならもう少しいろんなパーティに参加する?公家の」


「…いや、こえーからいいわ」


「家でパーティするのもいいわね、今度は」



その言葉を聞いて思わずざわめくのは周りにいた公家たちだ。朔夜の言葉一つで意志を固めてしまう綴の様子に唖然とした。おかしい、自分たちが今目にしているのはこの国の最古の貴族であり、恐ろしき美しい怪物のはずだ。血も涙もなく血縁関係を切って捨て、汚職に塗れた分家を種ごと殺して行った、現に連絡の取れなくなった知り合いはもう片手では数えきれないほどいたのに、そんな少女がまるで…



「…あの男は価値がある」



誰が呟いただろう、その言葉は麻疹のように一気に広まった。



初めは心底怯えたように誰も近寄って来なかったが、会の終盤には程よく酔いも回り、恐る恐る近づいてくる公家もいた。公家にもランクがあり、その最上位の家から順に挨拶をしたかったらしい。各家の動向は知っていたものの生で聞くとまた少し違う実感があり、図らずしも綴はまあまあ会話を楽しんでいた。


社交は疲れるが、色々と情報を聞き取るのは悪くない。気分転換にもいいものだ、そう綴は結論付けて、年に一度は参加することを決めた。


季節は冬を過ぎ、春になり、夏が近寄って来たその日、朔夜から爆弾を落とされた。



「…お前、体育祭来る?」


「たいいくさい?」



なんだその庶民的な単語は、と本当に心底不思議な顔をして見せた綴に朔夜はキュンとした。退役したばかりは鋭さしかなく、触れるもの全てを切り捨てそうなほど畏怖に溢れた表情ばかりだったのに、この半年随分棘がなくなり、柔らかな表情をすることも増えて来た。その笑みを見るたびに涙が出そうなほど幸せだった。


話を戻すと、書類を書きながらコーヒーを啜っていた綴がこちらを見上げて大きく目を見開いた。紫の瞳は今日はメガネに覆われて、インテリチックなムードを帯びている。今日はなんとなく目の調子が悪いのだと呟いた綴は、端的に異端の美貌の苦労を語った。



「それで、どうする?」


「体育祭って、なに?」


「は?あぁ、辻影の時にやんなかったか?」


「いや、普通に戦時中ですよ、あの時」


「…そっか、戦後一年か。ええと、生徒たちが紅白に分かれて騎馬戦とか、徒競走とか、障害物走とかする」


「…全く見当もつかないわね、楽しいの?」


「あー、見てる分にはどうなんだろうな?親とかは子供の成長見るために来るけど」


「はは、私に朔夜の成長を感じさせてくれるの?」


「おうよ、かっこいいとこ見せてやるよ」


「キャー、カッコイー」


「綴、バカにしてんな!」


「してないよ、いいじゃん。青い春ねえ」


「…お前はずっとここに一人なのか?」



最近は毎日のように朔夜は京紡家に来ていた。理由などないが、この雪解けを感じさせるような綴に何か予感を感じていたからかもしれない。迎えを寄越せと授業が終わるたびに毎回連絡してくる朔夜に綴も諦めて、毎日迎えの車を出していた。なんなら運転手は綴よりも朔夜との方が会話が盛り上がって気楽そうだ。


朔夜は毎日見て来たからこそわかっていた、綴の生活は恐ろしいほど変わらない。6時に目を覚まして家の地下にあるジムで走ってシャワーを浴びて食事する。使用人が用意した糊の効いたマフィアスタイルのスーツに着替えて黙々と執務をし、昼食を取る。広大な庭を軽く散歩して午後の執務を終えたら本を読みながら朔夜を待つ。二人でのんびり話しながらお茶を飲んだり、映画を見たり、たまには演奏をしたりして夜になると風呂に入り、夕食をとり少しの寝酒と共にジャズかクラシックを楽しんで寝る。この生活を狂ったように毎日繰り返していた。休みも平日もない、そんな毎日だ。


側から見ても充実しているし、栄養のある食事に友人との語らいがあるのにも関わらず幸せそうにはとても思えなかった。たった一人でその華奢な背中に抱えきれないほどの重荷を背負い、朔夜が来るほんの少しの時間を楽しみに生活しているようなものだ。呆れたことにそれを本人がまるで不幸だと思っていない。



「そうね、生まれた時から一人よ?」



無邪気な顔だった。諦めているのでもなく、ごく自然なことだと認識しているのだ。この誰とも会話のない温度のない邸宅で一人ぼっちで生きている。何度も体感した背筋が凍るような思いを久しぶりに味わった。はぁ、とため息も漏れる。



「そんな悲しい顔しないで、あなたが遊びに来てくれるだけで楽しいわよ。私の蝶々さん」


「…気色悪い呼び方すんな」


「ひどいね、本当に」


「で、来るだろ?てか、来いよ」


「わかったわ、服はこれでいいの?」


「…お前、初夏でまあまあ暑い中そのスーツで来るつもりかよ?」


「30分くらいじゃないの?たいいくさい」


「1日がかりだわ、くそ。もっと普通の格好してこいよ」


「普通…?あなた、わかる?」



すみに控えていた使用人に聞くと、少し困った顔をしたのちに小さく呟いた。



「…純正装とかですかね?」


「おい、絶対にそんな結婚式みたいな格好で来るなよ」



思わず吹き出した。立場を考えて、綴に変な服を着せるわけにはいかないのだろうがにしてもやりすぎだ。この家にまともな奴はいない、そう納得した朔夜は服を贈ることを決めた。



「綴、俺が一式やるからそれを着ろよ」


「うんうん、わかったよ」



穏やかに微笑んだ二人を守るように庭のリンゴの枝葉がさらりと風で揺れた。暖かな初夏の訪れは誰の目にも明らかだった。







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