第七話 扉ではなく俺のために残ってほしい
強く握られた手から、熱が伝わってくる。
「俺の過ちを理由に、フィーネを傷つけることは許さない。偽の手紙を作り、侍女を買収し、根拠のない噂を流した責任は君自身にある」
「証拠など……」
「買収された侍女は、すでにすべて話した」
「王太子家の封蝋を偽造した職人も判明しております。オルブライト伯爵家からの支払い記録も確認いたしました」
侍従長が進み出る。その手には、フィーネへ届けられた偽の手紙と、複数の書類があった。
ロゼリンドの顔が青ざめる。
「お父上からの迎えが来ている。今夜のうちに領地へ戻れ。王族の名を騙った件については、後日改めて沙汰を下す」
「殿下、わたくしは、ずっと殿下を……」
「だからこそ、俺は君に謝った。だが、愛している相手の妻を傷つけることが、君の愛だというのなら、俺には受け入れられない」
侍従たちに促され、ロゼリンドが広間を去っていく。
貴族たちのざわめきが収まらない中、アルベリクはフィーネへ向き直った。
「フィーネ。俺が婚礼前に愚かな約束をしたことは事実だ。皆の前で、改めて謝罪させてほしい」
「殿下……」
「俺は、お前を知りもしないまま拒んだ。だが今は違う。この婚姻を解消するつもりはない。お前以外の女性を、妻に望むこともない」
フィーネの喉が震える。
「それは、両国のためですか?」
「違う」
「王太子としての義務でも?」
「違う」
アルベリクは初夜と同じ言葉を重ね、フィーネの手を胸元へ引き寄せた。
「俺自身が、お前を望んでいる」
広間を満たしていたざわめきが、今度こそ消えた。
夜会を終えたあと、アルベリクはフィーネの部屋を訪れた。
侍女たちを退出させると、彼は扉の前に立ったまま、なかなか口を開かなかった。
「夜会では、ありがとうございました」
「礼を言われることではない。もっと早く、俺が止めるべきだった」
「ロゼリンド様への処分は、どうなりますか」
「王族の名を使った偽造は軽くない。しばらく領地から出ることは許されないだろう。ただ、彼女だけに罪を負わせるつもりはない。伯爵家の管理と、俺が過去に与えた期待については、父上にもすべて話す」
アルベリクはフィーネの前まで歩み寄る。
「ロゼリンドへの気持ちが、すべて偽物だったとは言わない。だが俺は、彼女を愛することと、父上に決められた婚姻へ逆らうことを混同していた。自分で選んだ未来にこだわるあまり、お前を最初から拒絶した」
「はい」
「許してほしいとは言わない。ただ、もう一度、俺を選ぶ機会をくれないだろうか」
アルベリクが膝をつく。
王太子が誰かに膝をつく姿など、見たことがない。
「フィーネ。白い結婚を、撤回させてほしい」
「……殿下」
「何だ」
「白い結婚でしたら、初夜の時点ですでに失敗しております」
「……そうだったな」
「ご先祖様が作った、あの部屋のせいで」
「その話は忘れてくれ」
「忘れられるはずがございません」
アルベリクは片手で顔を覆った。
その姿がおかしくて、フィーネの口元から笑みがこぼれる。
「では、言い直す」
アルベリクはフィーネの手を取り、まっすぐに見上げた。
「離縁の約束を撤回させてほしい。今度は政略でも、扉を開けるためでもない。俺の意志で、お前を妻にしたい」
「本命の方は、もうよろしいのですか?」
「ああ。俺の本命は、目の前にいる」
胸の奥へ満ちた熱が、目元まで上がってくる。
フィーネは涙がこぼれる前に、アルベリクの手を握り返した。
「その言葉を、ずっとお待ちしておりました」
「では」
「はい。わたくしも、あなたの妻でいたいです。アルベリク様」
名前を呼ぶと、アルベリクが立ち上がる。
頬へ手が伸びてきた。
今度は途中で止まらない。
大きな手がフィーネの頬を包み、唇が重なった。
初夜よりも穏やかで、それでいて逃がすつもりのない口づけだった。
離れたあとも、アルベリクの腕はフィーネの腰へ回されたままだ。
「フィーネ」
「はい」
「今夜は、もう止まれない」
フィーネは開いたままの扉へ目を向けた。
「けれど、今夜はあの部屋ではございませんよ。何もしなくても、いつでも出られます」
「ああ。だから今度は、扉ではなく俺のために残ってほしい」
「喜んで」
フィーネは微笑み、アルベリクの首へ両腕を回した。
アルベリクはフィーネを抱き寄せたまま、自ら扉を閉めた。
最後までお付き合いありがとうございました。
「〇〇しないと出られない部屋」がもし異世界恋愛でもあったなら…と考えながら書いてみました。
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