第二話 最小限の行為で扉が開かないか試してみませんか
「殿下は、このような慣例があるとご存じだったのですか」
「初夜の間へ入ることは知っていた。だが、古い伝承を大げさに語っているだけだと思っていた」
「王家の婚礼で実際に使われた記録は?」
「祖父母が最後だ。両親は母の故国で婚礼を挙げたため、この部屋を使っていない」
「その祖父母にはお話を聞かなかったのですか」
「祖父は俺が生まれる前に亡くなった。祖母に初夜の話を尋ねられる孫がいると思うか?」
「いませんね」
「ああ」
フィーネは両手で扇を閉じ、アルベリクをまっすぐに見た。
「……こんな部屋を本気で作るなんて、この国の王家は馬鹿なのですか?」
「返す言葉もない」
「殿下のご先祖ですよね?」
「……すまん」
「なぜ殿下が謝るのです?」
「俺にも同じ血が流れているからだ」
「自覚がおありで何よりです」
アルベリクは片手で顔を覆った。
白い結婚を持ちかけた王太子が、婚礼の数時間後に、夫婦の契りを交わさなければ出られない部屋へ閉じ込められている。
あまりに出来すぎた話だ。
笑ってはいけないのだろうが、フィーネの口元がわずかに緩んだ。
「お前、笑っているだろう」
「いいえ」
「扇で隠しても分かる」
「白い結婚のお話を伺ったときよりは、楽しい気分になっております」
「俺は人生で最も頭を抱えている」
「ご先祖様も、まさか子孫が白い結婚を計画しているとは思わなかったでしょうね」
「フィーネ」
「はい」
「少し黙っていてくれ」
「承知いたしました」
フィーネは素直に口を閉じた。
しかし、黙ったところで扉が開くわけではない。
アルベリクは腰に差していた儀礼用の剣を抜き、扉の魔法陣へ切っ先を当てた。
「殿下。危険ではありませんか」
「このまま閉じ込められているわけにもいかない」
剣へ力を込めた瞬間、魔法陣が強く輝いた。
激しい音とともに火花が散り、アルベリクの身体が後方へ弾き飛ばされる。
「殿下!」
フィーネは慌てて駆け寄った。
アルベリクは床へ片膝をつき、剣を支えに身体を起こす。前髪が乱れ、儀礼用の上着の肩が焦げていた。
「お怪我は?」
「腕が痺れているだけだ」
「もう扉へ攻撃するのはおやめください」
「だが」
「夫婦の契りを交わす前に、夫が感電死した場合の説明など、石板にはございません」
「感電死はしていない」
「次もそうだとは限りません」
フィーネはアルベリクの腕を取り、長椅子へ座らせた。
焦げた手袋を外すと、手のひらが赤くなっている。卓上の水差しから冷たい水を布へ含ませ、その手へ当てた。
「先ほどまで、殿下との結婚は形だけだと思っておりましたのに、早くも未亡人になるところでした」
「悪かった」
「その言葉は、わたくしより扉へおっしゃってください」
アルベリクが小さく息を漏らす。
笑ったのだと気づき、フィーネは顔を上げた。
「何ですか」
「お前は、随分と変わった王女だな」
「婚礼当日に白い結婚を申し出て、直後にこのような部屋へ閉じ込められる王太子殿下ほどではございません」
「確かに、今夜の俺に勝てる者はいないだろうな」
今度は二人とも笑った。
ほんの少し、室内の息苦しさが薄れた。
アルベリクが衝立の向こうで婚礼衣装から着替えている間に、フィーネも夜着を手に取った。
ところが、侍女たちが退出したため、背中に並ぶ小さな釦へ手が届かない。何度か腕を伸ばしてみたものの、肩が痛むばかりだった。
「……殿下」
「どうした」
「大変申し上げにくいのですが、釦を外していただけますか」
衝立の向こうが静まり返った。
しばらくして、簡素な白いシャツと黒い長衣へ着替えたアルベリクが現れる。
「侍女を呼ぼう」
「先ほどの扉をご覧になったでしょう」
「……そうだったな」
フィーネはアルベリクに背を向け、長い髪を肩の前へ寄せた。
うなじに、冷えた空気が触れる。
アルベリクの指が、一番上の釦へかかった。
手袋を外した指先が、時折フィーネの肌をかすめる。触れるたび、背筋が小さく震えた。
「寒いか」
「少し」
アルベリクはそれ以上何も言わず、釦をひとつずつ外していく。
最後の釦が外れる頃には、フィーネの呼吸はひどく浅くなっていた。
「終わった」
「ありがとうございます」
振り返ると、アルベリクはすでに背を向けていた。
フィーネは衝立の向こうへ入り、厚い婚礼衣装を脱ぐ。薄い夜着へ袖を通してから戻ると、アルベリクは卓上の葡萄酒を杯へ注いでいた。
「飲むか」
「いただきます」
二人は暖炉の前に向かい合って座った。
宴ではほとんど口をつけられなかった果物を分け合い、少しずつ葡萄酒を飲む。
暖炉では薪が爆ぜ、赤い火の粉が舞い上がっている。窓の外から、夜の庭を渡る風の音が聞こえた。
「何か、最小限の行為で扉が開かないか試してみませんか」
フィーネが切り出すと、アルベリクが杯を置いた。
「最小限?」
「石板には、『夫婦の契り』としか書かれておりません。手をつなぐだけで開く可能性もございます」
「それで開くなら、随分と健全な部屋だな」
「試す価値はあるでしょう」
二人は立ち上がり、扉の前で手をつないだ。
何も起こらない。
「駄目ですね」
「ああ」
「では、抱擁でしょうか」
「……本気か」
「一つずつ確かめなければ、どこまで求められているのか分かりません」
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ





