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第32話

 そうだ、まだ何も終わっていない。ダンスはキディアスを振り返ると、力強い声で言う。


「キディアス、話はあとだ。生存者がいるかもしれない、探すぞ。礼式の射程距離はどこまでカバーできる?」


「私がこの通りの中心に立つとして、両側の建物入り口付近までは礼式の保護範囲内だ。だが、このありさまで生きている人間なんて……」


「望みが薄くても、できるだけのことはする。キディアス、その立ち位置から動かないでくれよ」


 ダンスはそういうと、天井が落ちた建物の中へと足を踏み入れた。

 

「あれで、俺たちが危ないとなったらすぐ撤退する。そのへんが、ダンスの旦那の偉いとこだよ」

 

 その後ろ姿を見ながら、パディルはそうつぶやいた。

 

「そうだな。優しいだけでもない、逃げ出すだけでもない。ダンスとはそういう男だ」


 キディアスはそう独り言のように口に出す。そのダンスに、さっきは二人とも命を救われたのだ。いざというときには自分の命を惜しまず仲間を助ける。そういうダンスだからこそ、二人は信頼を置いているのだ。

 

「待ってくれ、ダンス。ここは3人一緒に行動すべきだ」


 声をかけながら後を追ってきたキディアスを振り返ったダンスの表情は相変わらず厳しかったが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいるようにも見えた。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

「お待ちください、サイバルダ院長。この先は危険なのではありませんか」


 大股で進むサイバルダの後を追うドゥパルドの顎先からは、あとからあとから汗のしずくが垂れ落ちてくる。魔術師メイジの職位を表すローブは汗でぐっしょりと濡れ、一歩進むたびに全身にまとわりついた。


「危険。なるほど、危険だろう。我らを守る『壁』そのものが崩れ落ちる、これは危機だからね」


 サイバルダは歯切れよく応えると、いささかも歩く速度を緩めることなく足を進めていく。ドゥパルドの目には、サイバルダが向かう倉庫街は建物がことごとく潰れ、動くものの姿は何一つ見えない。あたりには奇妙に水っぽい異臭が立ち込めている。

 

「……」


 ふと立ち止まるとサイバルダは眉根を寄せてわずかに考え、胸の前に掲げた両手で一瞬のうちにいくつかの模様を描いた。

 

「なるほど、やはりそうなるか」


 あたりに目を凝らしたサイバルダは、続いて先ほどとは異なる模様を両手で描く。もしこの様子をダンスやパディルが見ていても、それが『壁防御』の礼式だとは気づかなかったかもしれない。それほどサイバルダの動きは素早く、精密だった。


 礼式を施し終えると、サイバルダは倉庫街に足を踏み入れる。なめらかな歩調は、堆積した瓦礫や押しつぶされた屋台を避ける時も揺るがない。

 

 ドゥパルドはよろめきながら、そのサイバルダの後を追っていった。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

  午後の日差しは瓦礫と死骸の上に降り注ぐ。ダンスとキディアス、パディルは黙って座り込んでいた。倉庫街の端にある広場、桟橋から陸揚げした貨物を仕分けする荷捌き場の中央で、3人は倒れた門柱に腰を下ろしていた。

 

 ここにたどり着くまで、襲いかかってきた肉柱は8体。助けることができた生存者はいなかった。崩れ落ちた柱や壁の下敷きになった死骸は数えきれないほどだったが、あるいはそれは幸せな死に方だったのかもしれない。

 

 ある倉庫の瓦礫の下には、レンガの塊に押しつぶされてうごめく、身体の小さな化け物がいた。ぬるぬるとした身体の真ん中には、どうした具合か小さな子供の顔立ちがぼんやりと残っていた。

 

「もしかしたら、死にきれなかった子供がこうやって姿を変えられたのかもな。なあ、キディアス。これは損失と回復に数えるのか?」

 

 とどめを刺しながらダンスは声をかけたが、キディアスは返事をしなかった。パディルは、震えが治まったはずの左手がじっとりと汗に濡れているのを感じていた。

 

「ここまでだな」


 顔を上げたダンスは、2人に声をかけた。どちらも疲れが顔に出ている。これ以上の行動は危険だ、とダンスは判断したのだ。生存者の捜索、遭遇戦の繰り返しは、3人の体力を限界近くまで削り取っていた。

 

 とそのとき、まるで青銅の鐘のようによく響く声が聞こえてきた。

 

「おや、これはこれはキディアス・バル=スルミドカス。貴方に『壁』の恵みあれ」


 大きな人影が3人に向かって歩いてくる。背筋はピンと伸び、整った歩調は寸分も揺るがない。

 

「サイバルダ……院長!」


「ああ、形式ばった挨拶は不要だよ、キディアス。それと、外縁保守局のダンス君にパディル君、だな」


 足を止めたサイバルダは3人に向かって手を振り、親しげに声をかけた。


「任務ご苦労だった。キディアス、状況の報告をするように」


 穏やかな語り口の奥に、有無を言わせぬ圧がある。キディアスは思わず立ち上がり、口を開いていた。

 

「はい。ここまで我々が遭遇したのは、損失10、回復10」


 そこまでするすると口に出したキディアスは、いったん言葉を切った。視界の端に、力なく垂れるパディルの左手が映り込む。彼女は唇を湿し、顔を上げて声を張る。

 

「いや、違います院長。数十人、ひょっとすると数百人の人々が亡くなっています。台帳に載せる損失や回復を気にしている場合では……」


「キディアス」


 サイバルダ院長の声は冷たく、キディアスの言葉は再び途切れた。

 

「私は報告をしろといったのだ。君の感傷について聞かせてくれ、と頼んだわけではない」


「人が死んでるんだぞ、まだわからないのか!」


 ダンスは吠えるように言葉を吐くと、勢いよく立ち上がる。握りしめた拳が震えている。


「お前たちお気に入りの損失と回復以外にどれだけの人間が死んだと思ってるんだ。屋台でうまいスープを食わせてくれた婆さんはペシャンコになって死んだ。人間として死にきれなかった子供にもとどめを刺した。なぜわからないんだ」

 

「わかっているとも。死者の数を数える、当然のことだ。だが重要なのは、『壁』は守られねばならぬということ。これはすべてに優先する。それにな、ダンス君」


 サイバルダは眼だけでダンスを制した。


「いつ私が、君の意見を求めたかね?」


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