第3話
翌朝。
3時間交代の見張りを終えたダンスとパイパー、そしてキティアラは前哨地を後に、目指すダンジョンへと歩みを進める。
ぽつぽつと葉を茂らせた低木も目に留まるが、視界のほとんどはむき出しの岩山と乾いた地面、そしてただ青さだけが際立つ空だけだ。
踏みしめる足元には、はるか昔に誰かが敷いた石畳。今は手入れをされることもなく、不揃いで歯抜けになった敷石は、そこはかつては道だったことを知らせる役にしかたっていない。
前哨地からダンジョンまでは、およそ1日の距離だ。昨日まではわずかに見かけた農夫や商人の姿も、今朝はひとりも見かけていない。
「暑くないのだけはありがたいけどね」
と口を尖らすパイパー。確かに今年の夏はここ数年では群を抜く暑さだったが、秋口を迎えた今はようやく過ごしやすい気候が訪れている。
「キティアラさん、ペース速すぎないですか。このおっさん、そういう気が遣えるタイプじゃないから」
またパイパーが余計な口をたたく。女性に気遣いするのはいいマナーだと言えるが……。
「やっぱり魔術師のことは何も知らないんだな、パイパー。我々は身体的にもお前たちより優れている。これくらいの道中で音を上げるなんて、とんでもない」
魔術師たちは、ただ権威だけで社会の最上層に居座っているわけではない。あらゆる面で、民を率いるのにふさわしくなければ……というわけだ。いいところを見せようとしてはしごを外された格好のパイパーには申し訳ないが、これは一般常識というやつだ。
その言葉通り、汗もかかずに足を運ぶキティアラが、周囲を見回しながら尋ねた。
「ところでダンス。魔術院を出る前に地図を見てきたんだが、この先には牧場があるはずだな」
「準備万端、というわけだなキティアラ。その通りだ」
キティアラが言う通り、この石畳の道をたどっていくと小さな石造りの家とわずかばかりの畑、そして広い放牧地をかかえた牧場がある。前哨地からの距離はおよそ半日。
ダンスは毎月の任務の行き帰り、牧場主のディゴに搾りたての牛乳を飲ませてもらうのが好きだった。
娘のマイサが搾った牛乳をディゴが皮袋に入れ、井戸の中に吊るしておくと、キンキンに冷えたアイスミルクになる。これをグッと飲むのがたまらないのだ。
埃っぽい道を半日かけて歩いて熱を持った身体には、これ以上ないご馳走だ。ダンスは思わず喉が鳴るのを覚えた。
「ダンスのおっさん。あれ、もしかして……」
少し先を歩いていたパイパーが、目を細めて遠くを見やっている。その先には……人影か?
「男が一人。老人で、おぼつかない足取りだ。こっちに向かってる」
キティアラはローブの袖をまくって手をかざし、パイパーと同じ方向を見つめている。
わざわざ見定めるまでもない。あの少し右足を引きずる歩き方、つばの広い麦わら帽子に牛追い杖といえば、ディゴのじいさんに間違いない。
「だけど、なんで今時分こんなところに……?」
ディゴが牧場を離れるのは年に一度、その年に生まれた子牛を売りに行くときだけだ。今は子牛を売る季節じゃない。それに、マイサは足が不自由なディゴを一人で出かけさせるような娘じゃない。
口の中が乾いていくのを感じながら、ダンスは走った。ディゴは足元の石畳をじっと見つめながら、黙々と歩き続ける。駆け寄るダンスに気づいた様子もない。
「じいさん、どうした」
ダンスはディゴの両肩をつかんで強く揺さぶる。ようやく気づいたディゴの唇から、ぽつりぽつりと言葉がこぼれた。
「……ダンスか。遅かったな」
「遅かったって、何が遅かったんだよ」
「お前が来るのを、いつも楽しみにしていた。娘もわしもな」
「マイサに何かあったのか」
「マイサ、か。……もう、何もなくなっちまった。ぜんぶ壁の向こうだ」
壁の向こう、だと? いやまさか、そんなはずは。
「壁崩落か。思ったより早かったな」
いつの間にか追いついていたキティアラの声で、ダンスは我に返った。魔術師は凪の水面のように平板な声で、言葉を継ぐ。
「それで、いつだ。どこまで来た」
ディゴは暗く濁った眼でキティアラを振り返った。魔術師だと見て取ると、なんとか声を振り絞る。
「今朝、夜明け前のことで。何となく胸騒ぎがしたので起きだして、わしは牛たちの様子を見に牛舎に行った。牛たちもなんだか落ち着かないようで、しきりに歩き回っとった」
「それから」
ディゴの言葉が途切れると、キティアラが鞭打つように続きを促す。
「牛舎を出たわしは、牧場の柵を見に行った。熊かイノシシでも、柵を破って入り込んだんじゃないかと思ってな。そしたらいきなり、ものすごい音がした。濡れたぞうきんを床に叩きつけるような、それを何十倍にして、それがずっと続くようなひどい音だ」
ダンスは唇を嚙みしめた。『壁』は目に見えず重さもないとされているが、それでもなぜかそんな音を立てるのだ……崩れる時には。
「もういい。牛は何頭いた」
キティアラの尋問は続いていた。
「種付け用の雄牛が1頭、乳牛が4頭。今年生まれた子牛が3頭だ」
「8か。それと人間が1人で9だな」
パイパーはディゴのそばに座り込み、膝の上に置いた自分のこぶしをじっと睨みつけている。ダンスはただ立ち尽くしていた。
「聞くべきことは聞いた。行こう」
キティアラは用が済んだディゴには目もくれず、ダンスとパイパーに声をかけた。パイパーはまだ動かない。
「ディゴ、前哨地の場所はわかるな。あそこにいればそのうち定期巡回が来る。事情を話せばなんとかしてくれるだろう」
ダンスが声をかけると、ディゴは脚に鉛が詰まったような足取りでまた歩き始めた。
「パイパー、日が暮れるまでそうしてるつもりか。そうでないなら出発するぞ」
キティアラが声をかけると、パイパーはのろのろと立ち上がり、荷物を担ぎなおした。
パイパーにとっては初めてのことだ、ショックも受けるかもしれない。だが……。
「おれは、いつから慣れたんだろうな」
ダンスは先に立ち、牧場へと続く道を歩き始める。次いでキティアラ、パイパーが最後尾だ。油断なく周囲に目を配るパイパーの姿には、先ほどまでの動揺は見受けられない。
ダンスの視線の先に、丘の陰にうずくまるように建つディゴの牧場が入ってきた。母屋と牛舎、そして柵に囲われた牧草地が見える。
何か……何かが間違っている。よじれている。目の前に広がるのは、世界を守る『壁』が崩れたあとの光景。果ての向こうへと、3人は足を運ぶ。




