第28話
レキサはダンスとキディアスを、村の中で最も大きな建物へと導いていく。おそらく村長の家なのだろう。ダンスはそれとなくレキサを観察していたが、彼女のふるまいには緊張や焦りは見て取れない。
階段を数段上って、「レキサだ」と名乗ると、彼女は両開きのドアを引き開けた。部屋の中には長方形の大きなテーブルがあり、奥に老人が座っているのが見える。よく日に焼けた顔には幾筋もの深いしわが刻まれ、体格こそ小さいものの引き締まった肉体は、若いころから太陽の下で懸命に働いてきたことが見て取れた。
「あれが村長だ」
レキサはダンスとキディアスを振り返ってそういうと、身振りで椅子に座るよううながした。村長のすぐ下座だ。二人が椅子を引いて席に着くと、レキサはその向かいに座った。
3人が着座すると、村長が重々しく口を開いた。
「わしが村長のデジレじゃ。よく来た。しかしこの村に、壁守が足を踏み入れる日が来るとはな」
何かの儀礼だろうか。デジレ村長は両手を顔の前に差し上げると、ゆっくりと動かし、何か図形のようなものを描き始めた。ダンスが神妙な顔をしてその身振りが終わるのを待っていると、キディアスは突然椅子を鳴らして立ち上がった。
「村長よ。どこで……どこでその礼式を知った」
「ほう。これがわかるとは。やはりおぬしは真の壁守じゃったか。まずは合格だの」
あっけにとられているダンスに、キディアスは短く説明する。
「あれは、我々魔術師が使う魔術礼式の一部を、ごくゆっくり再現したものだ。『壁』を意味している動きだ」
そうか、キディアスは「壁防御」や「壁観測」の礼式を施すが、あのときの動きということか。それをこの村長が知っているということは。
「この村には、かつて壁守、いや魔術師がいたのか?」
「この村ができる以前の話じゃ。あれを見てみよ」
デジレ村長は、手にした杖を持ち上げるとキディアスの背後の壁を指した。そこには古びた一着のローブが飾られている。色あせてはいるが、布地の深い紫と、なにより袖口の金糸の名残が見て取れた。
「ドルグが『壁守を見た』と言ってきたときにはな、またあのお調子者が大ボラを吹いていると思ったものよ。だがおぬしの服装を聞いた時には驚いた」
「まず聞きたい」
と、キディアスが焦り気味に口をはさむ。
「村のあなたがたにとって、『壁』とは何だ。『壁守』とは何なのだ」
「ほう。お前たちにとって、それがそんなに大事なことなのか?」
間髪を入れずに返ってきたデジレ村長の返事に、キディアスは言葉に詰まった。『壁』と共に生まれ、『壁』を疑うことに情熱を燃やしてきたキディアスにとっては、問うまでもないことだ。
デジレ村長は目をつぶると、言葉をつづけた。
「我らにとって『壁』は、ただ触れてはならぬものに過ぎぬ。確かに、我らの村を作ったのはあの『壁』の向こうから来た者たちだ。我の祖父もそうだったと聞いた。だが、それだけのことだ」
村長は言葉を切って、キディアスを見つめた。目にはドルグによく似たいたずらっぽい表情が浮かんでいる。
「そんなことより、我にとっては次の冬をどう乗り越えるかのほうがよっぽど大事でな。さて、それではわしが問おう。おぬしら二人にとって、『壁』とは何じゃ」
「『壁』は街を守るもの。危険なものは通さず、陽の光や恵みの雨のみを通す。我ら魔術師がそれを守護する……とされている。私は、『壁』の真実を突き止めたい」
とキディアスが慎重に答える。
「外は危険で、その危険からおれたちを守ってくれている、と信じていた。だから『壁』を守る仕事に就いた。そうだ、子供のころは『壁』の外に行ってみたいと思っていたな」
ダンスはややぶっきらぼうに答えた。こんなことを今さら聞いて、どうするっていうんだ。
「なるほど。その言葉からわかることはひとつ。おぬしらは壁守とその眷属でありながら、『壁』のことも、その外のことも、壁守のことも知らぬということだ。
知っているのは『壁』の内側だけ。あの『壁』の中に閉じこもっておれば仕方のないことかもしれんが、な」
村長はそういうと、ゆったりと座りなおし、再び口を開いた。
「我らの村は、壁守によって『壁』から切り捨てられた者たちによって誕生したと聞いておる。我の祖父母の時代、我らは『壁』と壁守に見捨てられたのよ」
「馬鹿な。我々魔術師が人々をわざわざ壁の外側に置き去りにするなんて、あり得ないことだ」
「キディアス、落ち着け。今は話を聞こう」
またも思わず立ち上がったキディアスをなだめ、ダンスはデジレ村長に続きを促した。
「『壁』を抜けて街に戻ろうとした者たちは、残らず死んだ。しかも、人間とは思えないひどい死にざまだったという」
「ひどい死に方で、残らず死んだ。だから『壁』は禁忌なのか」
ダンスがうめくようにつぶやいた。
「そうじゃな。昔から、ドルグのようなあわて者はその禁忌に挑戦したくて仕方ないようじゃが、うまくいった者はおらん」
ふっとレキサが口をはさむ。
「わえに言わせれば、暴れ牛に素手で立ち向かうのは愚か者じゃ。『壁』もそうじゃ。危ないとわかっているものにわざわざ突っ込む馬鹿がおるか?」
「ちょっと待て」
キディアスが口を出す。
「じゃあ、あの壁守のローブは何だ。壁守はお前たちを捨てたんじゃなかったのか?」
村長は首を振る。
「あのローブを着ていた者が誰なのか、どうなったのか、我は知らん。伝えられておらんからな」
キディアスは唇を嚙んだ。
「もうひとつ、聞かせてくれ」
と声を上げたのはダンスだ。
「もし『壁』を抜けられるとしたら、あんたたちは街に戻るのか?」
「戻る?」
怪訝な顔をしたのはレキサだ。
「わえらはこの村で生まれ、この村を守って暮らしておる。わえが戻る場所はこの村のみ。石の街を見てみたいという気はあるが、わざわざ危険を冒すほどではないわな」
「そういうことじゃな。村は村、街は街。街に今でも人が住んでおる、壁守もおると知ったのは驚きじゃが、だからといって我らの村がどう変わるということもない」
村長の顔は、おだやかな笑顔をたたえている。
そうか、「戻る」という考え方自体がないのか。ダンスは自分の発想が、自分が暮らす街から一歩も出ていないことに気づかされ、思わず赤面した。
さて、と村長が杖にすがって立ち上がった。
「レキサよ、お預かりした武器をお返ししなさい。キディアスとダンス、いつでも村には来て構わんぞ。次は武器を取り上げたりもせん。だが、ドルグのような子供を刺激しないようにだけ、気をつけてくれよ。あれでもかわいい孫じゃものな」
レキサは立ち上がり、ダンスとキディアスを促した。3人は一礼すると、村長の家を後にした。




