第27話
「まさか、20射もできないなんて」
自分の左手には、そんなにガタが来ていたのか。パディルは力を込めて、的に突き立った矢を抜く。もちろん、抜く動作に使うのは右手で、左手は的に添えるだけだ。
「だいたいな、最初におぬしらに会ったときにもな。街から来たと言われても信じられんかった」
隣の的では、ドルグが両手を使って矢を引っこ抜いている。小さな身体だが、その弓の腕前は本物だった。
「『壁』に触ったら死ぬと教わってきたからな。その『壁』の向こうにある石の街から来たなんて、考えられんじゃろ」
「なあ、ドルグ。その『壁』のことだけど。触ったら死ぬとか禁忌だとか、誰が言ってるんだ?」
矢を矢筒に収め終えると、パディルはドルグに尋ねた。
「誰って、そりゃ昔からの言い伝えよ。母ちゃんが子守唄で歌ってたのをまだ覚えとるわ」
「そっか。どんな歌なんだ?」
何気なくそう聞くと、なぜかドルグの顔は真っ赤になった。
「歌わんぞ! わしはもう子供じゃない!」
「悪かった、悪かったよ。そういうつもりじゃないんだ」
パディルは懸命になだめにかかる。そうだ、この年頃はそういうことを気にするんだったな。
「でもさ、ドルグ。お前この前は牧場にいただろ? あそこ、『壁』のすぐ近くじゃないか。危なくないのか?」
「危ない、行くなと言われて、承知しましたとおとなしくしてるなんて男らしくない。そうじゃろ?」
今度は得意顔で鼻高々だ。子供の機嫌を取るのは本当に難しい。
「なるほど。じゃあ、ドルグ以外は『壁』の近くに行く勇気のあるやつはいないんだな」
「そういうことじゃ。村長やレキサは、やれ『あの壁に触ると化けもんになる』とか言って脅かしてくる。そんなおとぎ話が通用するのは子供だけじゃからな」
『壁』に触ると死ぬ、化け物に変貌する。パディルがかつて信じていた街の常識とは異なる言い伝えが、この村には残されていた。
そしてパディルは、ドルグの村の言い伝えを否定しきれない自分に気づいていた。左手の震えは、今は止まっている。
「そうだ、そういえば。ドルグ、さっきはおれたちが『壁』の向こうから来たなんて信じられなかったって言ったよな。今はどう思ってるんだ?」
「ん、それならあの時すぐわかったわ。あの紫色の長い衣を着た女な。あの格好が、昔話に出てくる壁守そっくりじゃったからな。口先で『壁の向こうの街から来た』と言われても信用できんかったが、壁守がいるとなれば話は別じゃ。壁守は『壁』を通り抜けたり、いろんなことができると聞いた。じゃから、おぬしらも壁を通ってきたんじゃろ」
そのとおりだ。パディルはうなった。ドルグが語る村の言い伝えは、『壁』そのもののことを除けば納得いくことばかりだ。壁守を魔術師と読み替えれば、そこも正しい。いや、ちょっと待てよ……。
「思い出したぞ、ドルグ。あのとき、お前壁守のキディアスに向かって皿かなにか投げつけただろ。あと、壁守に追い出されたとかなんとか」
「わしはな、石の街に行ってみたいのよ。わしらの爺さんの爺さんたちは、街に住んでいたと聞かされた。そして、壁守に追い出された、とな。それまでは、誰でも『壁』を通って街に行けたらしい。でも、あるとき……」
「『壁』に触ったら死ぬ、化け物になる、そうなったってことか。じゃあ、壁守が追い出したってことは」
ドルグは大まじめな顔で頷いた。
「そうじゃ、壁守が『壁』をそういう危険なものに変えたんじゃろ。そうとしか思えん。そしてわしらは追い出された」
パディルは腕組みをして考える。ドルグの言うことは正しいような、何か見落としているような……。
「パディル、ここにいたのか!」
考えに沈んでいたパディルを現実に引き戻したのは、ダンスの一声だった。ダンスとキディアス、そしてレキサも一緒だ。
「おい、ドルグ! 待て! お前、客人の弓を勝手に持って行ったな?」
大目玉をくらう、と感づいていたドルグは、あっという間に走り去っていた。レキサの怒声がその後を追いかける。
「やれやれ、ひどいいたずら坊主だ」
苦笑いしながら近づいてきたダンスは、パディルの左腕をそっと叩いた。
「大丈夫か。弓勝負のこと、聞いたぞ」
「やれやれ、最優の射手パディル様の経歴に、でっかい汚れがついちまったよ」
ため息まじりに冗談を飛ばすパディルを、キディアスも優しい目で見つめていた。
「こちらは大きな収穫があった。これならサイバルダ院長も無視できまい」
キディアスはダンスと目線を合わせ、頷きあった。




