第六章 「ザ・ワン」 1
第六章 「ザ・ワン」 1
地平を埋め尽くすような敵性反応の群れに、ただ一人向き合う。処理を簡単にするための立体の継ぎ接ぎたちが、一斉に動き出す。
ヒルトを握る手に力を込める。
これはシミュレーションだ。撃破されたとしても死ぬことはなく、守りたい仲間も存在しない。遠慮や加減をする必要はどこにもない。
「……いいんですね?」
搭乗前のそのアルザードの言葉に、責任者のエクターは確かに頷いた。
ならば、アルザードがするべきは。
ヒルトを握り直すと同時に、プリズマドライブの駆動音が跳ねるように大きくなった。
うるさいぐらいに唸りを上げるその音に包まれながら、アルザードは機体に動くよう指示を出す。
スクリーンに映し出されている映像が、動き出した。
助走もなしに、一息で速度が《アルフ・セル》のトップスピードを振り切った。盾を構え目の前の立体に突撃する。衝撃を知らせるアラートだけが鳴り響き、スクリーンに映る立体が吹き飛び、いくつかの敵を巻き込んで大地に転がる。すかさず右手の突撃銃で惜し気もなく弾丸をばら撒いてそれらにトドメを刺し、背後から近付いてくる敵性反応に肩からぶつかっていく。
左手の装備をアサルトソードに切り替え、盾を構えた敵を真正面から叩き潰す。出力に任せて強引に盾ごと敵を叩き割り、返す刃で水平に薙ぐ。近寄ってきていた敵が何体か吹き飛んだ。
これらはすべてデータ上のものだ。実際に同じことができるわけではないし、現実には取れるはずの行動ができなかったりもする。
自機が壊れる心配はなく、戦闘継続能力を気にして加減する必要もない。味方を気にする必要もなければ、武装の耐久力や残弾も考慮されない無制限設定だ。
アルザードの魔力適正、その出力を計るためだけの設定なのだ。
何を気にすることもなく、ただ暴れればいい。
吹き荒れる嵐のような駆動音が、強さを増していく。
そして、スクリーンは暗転し、シミュレーションは唐突に終わりを告げた。
操縦席で目を瞬かせること数秒、ハッチが外側から開かれて、ヴィヴィアンが顔を覗かせた。その向こうから、エクターの大笑いする声が聞こえてくる。
「あの……すみません、機体が止まっちゃいました」
ヴィヴィアンの顔に張り付いた苦笑は、またも信じられないものを見て笑うしかないとでも言いたげなものだった。
「ああ、うん……」
アルザードは小さく溜め息をつくと、操縦席から出た。
観測と測定用の大型機械の周りには作業員たちが集まっていて、全員がモニターを見て唖然としている。その脇でエクターだけが腹を抱えて大笑いしていた。
「《アルフ・カイン》用の最高品質プリズマドライブが五分と経たずに……?」
そんな研究員の呟きが聞こえた。
どうやら、このシミュレーターには近衛騎士用魔動機兵に搭載されているのと同品質のプリズマドライブが積まれていたらしい。
作業員の一人が胴体だけのシミュレーターに駆け寄り、プリズマドライブのメンテナンス用ハッチを開けていく。
「プリズマ結晶、破裂していて原型を留めていません……」
内部を確認した作業員は目を丸くして、振り返るなり震えた声でそう告げた。
アルザードはその隣でばつが悪そうに頭を掻くしかなかった。
「いやはや、これは予想以上だ! 最高だよ!」
笑い過ぎて目尻に涙を浮かべたエクターが駆け寄ってきてアルザードの肩を叩いた。
「やはりこの計画の要は君だな! このデータがあれば調整の方針も立てられるというものだ! 直ぐに再計算しよう!」
一人だけ異様に高いテンションで、エクターは直ぐにその場で手近な紙の裏面にペンを走らせ始めた。
「ああ、そうそう、今日のところはもう君に頼む仕事はないから後は邪魔さえしなければ自由にしてくれていい。ヴィヴィアン、案内を任せるよ」
「分かりました」
紙の上を走らせるペンの速度を落とすことなくエクターが言い、ヴィヴィアンは苦笑しながら返事をした。
エクターが調整のための計算を始めたことで、アルザードに出来ることはなくなってしまった。指示できる仕事もないようで、とりあえず今日のところはこれで休んで良いということのようだ。
ひとまず研究所の中をヴィヴィアンに一通り案内してもらい、最後に食堂で夕食を取ることになった。
時間的にも丁度良い。直令が下り、前線部隊を離れて王都に戻ってきて、直ぐにこの研究所に連れて来られた。移動中に昼の時間も過ぎたが、その時は前線から離れなければならないことへのショックで、あまり食が進まなかった。
前線で戦えないことに対する不満がなくなったわけではない。それでも、ここでの任務の重要性も理解できたことで前を向けたということなのか、食欲は戻っていた。
前線で戦う仲間たちを救いたいのならば、一日も早く新型とやらを完成させなければならない。
「話には聞いていましたが、プリズマ結晶って破裂するものなんですね……」
向かい合って夕食をとる形になったヴィヴィアンが、ぽつりと呟いた。
情報として聞いてはいても、実際に目にすると驚いてしまうものなのだろう。
「俺もあんなに早くダメになるとは思わなかった」
アルザードは肩を竦め、苦笑した。
前線にいた頃は、搭乗する魔動機兵にはアルザード専用の調整が施されていた。まさかそれが魔力伝導率を下げるものだったとは話に聞くまで思いも寄らなかったのだが。とはいえ、魔力伝導率を極限まで落としていた《アルフ・セル》でもアルザードが全力を発揮できたのはせいぜい長くて十分程度だ。
それでも、通常の調整と比べて倍以上に時間が伸びていたことになる。
「あの……すみません、合席してもよろしいですか?」
不意に横から声をかけられた。
見れば、紺色の髪をした一人の若い青年が食事の乗ったトレイを手に立っていた。温和そうな顔立ちをしているが、どこか頼り無さそうにも見える。緑色を基調とした制服から、低位騎士のようだ。
「ああ、構わないが……」
「ありがとうございます」
アルザードが応じると、青年は丁寧にお礼を言って隣の席に座った。
「僕はギルバート・ラナ・パルシバルと言います。階級は三等騎士です」
「……パルシバル?」
そのファミリーネームには聞き覚えがあった。
「ええ、サフィール・エス・パルシバルは僕の姉です」
アルザードの疑問に答えるように、青年はそう言って笑った。
ミドルネームを持つ貴族出身者のファミリーネームが偶然被るということは滅多にない。ファミリーネームが同じということは、血縁関係があるということだ。
「あなたと話がしたいと思っていたんです。姉からの手紙に書かれていた、無茶苦茶な新入り、というのがあなただと、先ほどのシミュレーターを見て確信したもので」
ギルバートはゆっくりと食事に手を着けながら、アルザードに声をかけた理由について語り出した。
騎士養成学校を優秀な成績で卒業したサフィールは、二、三の部隊異動を経てアーク騎士団第十二部隊に配属されるに至った。前線で戦う者の多くは、定期的に家族や恋人など、大切な人たちへ向けて手紙を書くものだ。当然検閲はされるから機密情報などは書けないが、それでも自分の無事を知らせ、思いのやり取りは戦うための活力にもなる。
サフィールからの手紙には、前線での日々が書かれていたのだろう。そこに、アルザードのことを仄めかすような記述があったらしい。
「僕は先日、騎士学校を卒業したばかりで、ここにも配属されたばかりなんです。お世辞にも良い成績だった、とは言えないのですが……」
ギルバートは苦笑した。
よほど良い成績を残したか、士官としての才覚を発揮して目をかけられない限り、通常は騎士養成学校を卒業し騎士になると低位騎士の最下位階級である五等騎士から始まるのが通例だ。
この研究所が重要施設であることを鑑みても、並程度の成績の者がいきなり三等騎士の階級を得て配属されるというのは異例なことなのだ。
「人手不足、ということか」
「だと思います」
アルザードの呟きに、ギルバートは頷いた。
もはや人的資源も潤沢とは言い難い現状だ。王都の中で、目立たぬように開発をしている研究所の警備として、重要度を鑑みて多少階級を盛っておいたというところか。
対外的には極秘の新型開発を行っている研究所なのだから、近衛騎士のような目立つ存在を警備に当たらせるわけにもいかない。それでも一応警備を付けるとして、王都の中にあり敵に攻撃される可能性の低さも考慮すれば、回す人員は間に合わせ程度の新人でも良いだろうと判断されたのかもしれない。
少なくとも、新型が完成するまではこの施設をよくある普通の基地と見せておく必要がある。
「シミュレーターでのあなたの戦う様を見て、言葉が出ませんでした」
どうやら、アルザードがシミュレーターをしていた時、格納庫にあった三機の《アルフ・ベル》は敵役に紛れて参加させられていたらしい。
警備を担当する騎手に、模擬戦ながらも経験を積ませるためか、あるいは敵の視点からアルザードの戦闘を観測した意見が欲しかったのか、もしくはその両方か。
「当たり前ですが僕には実戦経験もありませんし、自分が未熟なのも良く分かっているつもりです」
ここまで言われれば、アルザードにもオチが読めた。
「お願いします……! 僕を鍛えてもらえませんか」
「そうは言ってもな……」
予想通りの言葉に、アルザードは困り顔で返した。
確かに、直前まで最前線に配属されていたアルザードは並の騎士より経験豊富だと言えるだろう。部隊損耗率も屈指と言われていた獅子隊で戦い、生き延びた経歴だけ見ても、他の騎士からすれば精鋭だ。
だが、だからと言って誰かに教えられるほどアルザードの軍歴も長いわけではない。獅子隊にいたとは言え、アルザード自身は部隊の中では一番の下っ端のようなものだ。例え、どれだけの戦果を挙げていたとしても。
「訓練に付き合って下さるだけでもいいんです。実戦に出る時のために、少しでも強くなっておきたいんです」
ギルバートに熱意はあるようだった。




