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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第四章 圧巻のナイチンゲール ―ワタベ―
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2.歌とはなにか

「おっさん、さっさと飯を持ってきてくれや」


 この部屋の長であるキリュウがベッドに寝転がったまま横柄に声を張り上げる。これにミヤギは従順に「はい」と返し仕事を再開する。だが名残惜しそうな様子はいつものことだ。


 ミヤギが配膳係の青年の歌に毎回聞き惚れていることを、俺も含めこの部屋に住む全員が知っている。とはいえ、キリュウに逆らっては平穏に暮らせないことも分かりすぎるほどに分かっていた。俺としても、しかるべき日が来るまでは争いごとは避けたいし、この身を大切に守りたいから、キリュウの一挙一動には常に注意を払っている。


 ミヤギが食事の載ったトレーをキリュウの元に持っていくと、キリュウは礼の一つもなく片手で無言で受け取った。


 袖を肘のところでまくり上げているせいで露出したキリュウの二の腕は、ずいぶんたくましく肌の張りもいい。俺はそれをいつもうらやましく思いながら見ている。自分が過去というほど昔ではない時期に所有していた当たり前のもの――それに懐かしさよりも妬みを感じてしまうような年齢になりつつあることに幾分かの恥辱を覚えながら。


 ああいう体の方があの方達に喜んでもらえるんじゃないか――そんな風に朝っぱらからないものねだりをしていると、キリュウが突然大声をあげた。


「おいっ! 気をつけろ!」


 怒声に瞬時に体が硬くなる。それはタケダも同じようだった。


 どうやらミヤギはキリュウの腕にスープをこぼしてしまったようだ。すみません、すみませんと何度も頭を下げている。下げるたびに髪の薄い頭部のてっぺんがライトの光を反射して地味にまぶしい。


「もういい。さっさと行けよ」


 憎々しげに舌打ちをされたミヤギはもう一度頭を下げると、急いで配膳の続きへと取り掛かった。この部屋における格付け順にトレーを配るのは新人の仕事だ。ミヤギの次は十八歳のタケダ、その後に三十六歳のワタベ――俺のことだ――、そして最後に自分の分を。


 それぞれがそれぞれのベッドに腰掛ければ、トレイを膝に載せて黙々と食べ始めるのはいつもの光景だ。この四人の仲がいいとか悪いとかではなく、室内には盗聴器が仕掛けられているからあまり会話をする気にならないのである。


 それに、食事には慎重さが必要だ。


 案の状、大してうまくもないパンの中に異物が入っていた。ムカデだ。


 とはいえパンそのものに罪はない。けっしてうまくはないが、これを腹に収めなければ昼食まで体がもたない。パンを半分に割ってムカデをつまみだしていると、隣のベッドでミヤギが胸を叩きだした。


「うぐっ! ぐええっ」


 このおっさんは頭の回転が悪いというか、学習能力がなくて、こういうことはしょっちゅうだった。どうせさっきの配膳係の歌を脳内で反すうしていたのだろう。それがこの収容所での唯一の楽しみらしい。そんなミヤギの手には食べかけのパンが握られていて、断面には物の見事に食いちぎられたムカデの体が見えた。


「うるさいぞ!」


 すかさずキリュウがミヤギに怒鳴る。


 彼はこの部屋の長のくせに怒りの沸点が低い。しかもそういったときにミスを犯しやすいという欠点があった。朝からキリュウの機嫌を損ね過ぎている――とっさに判断した俺はミヤギの隣に座って背中をさすった。新参者であるミヤギの指導係を任されているのは、何を隠そうこの俺だった。


「おっさん、大丈夫か」


 これに涙目のミヤギが小さな笑みを浮かべて頭を下げた。


「ああ、すみません……。これ以上は機嫌を損ねないように気をつけなくちゃいけませんね」


 まだせき込みつつもそうつぶやいたミヤギに「そうだぜ」と小声で返す。分かってるじゃないか、と。


 しばらく背中をさすっていたら、ミヤギが感じ入ったようにつぶやいた。


「……わたしが今死ぬように命じられたら、それはムカデを飲み込んだことが理由になるんでしょうねえ」

「しっ。そういうことは口にするな」


 口元に人差し指をたてて制すると、「すみません」とミヤギがまた頭を下げた。


 ミヤギが何かをしでかすたびに不安と焦り、それに恐怖を覚える。ミヤギが失態をおかせば、それすなわちこの部屋の人間全員の命を奪う可能性があるからだ。そう、ここでは部屋毎に連帯責任をとらされるのである。


 ミヤギの性格は普通の生活をしている時ならばあまり問題にならないだろう。無自覚な天然さも素直さも、愛嬌的なものとして広い心で受け入れてやることもできるかもしれない。だがここは普通の場所ではない。実験体としていつ招集されるか分からないうえに、アルファ系の意志一つで管理されるここでは、罰によりこの身を失う可能性もあった。それは絶対に避けたいと俺は思っている。しかし年上相手に強く言うこともできずにいた。


 さらに気になることがあった。ミヤギに対する苛立ちをキリュウが日に日に隠しきれなくなっているのだ。当然、キリュウのミスも連帯責任へと発展する可能性があり――今、この部屋は二つの危険因子を有している状態にあるといえた。


 キリュウがまたもやミヤギにからみだした。


「おい、おっさん。そのにやにやにやしながら食べる癖、どうにかしろよ」

「変でしょうか」


 俺の隣でミヤギがへらっと笑った。


「その顔だよ。気色悪いんだよ。食欲が失せちまう」

「……だったらわたしの顔を見なければいいじゃないですか」

「なんだって?」

「いいえ。なんでもありません」


 至近距離にいた俺にはミヤギの悪態はばっちり聞こえている。だから無言で背中をさする手に力を込めた。こんなことで制止力があるとは思わないが。


 このじいさんは何かあるとぼんやりする癖があって、以前訊いたら「現実逃避をしているんですよ」とちょっと泣きそうな顔で言われた。ナイチンゲールの歌を思い出しているんです、と。それで知ったんだ。ナイチンゲールとは鳥の一種で、あの配膳係の青年のことをミヤギが勝手にナイチンゲールと呼んでいることを。


 そして歌とはなにかを知った。



  ◇◇◇


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