3.自由とは
この特区では部屋毎に一つの組とみなされ、ルームメイトとは丸一日ほぼ一緒にいる。そして俺達の組は工場員としての勤労を義務づけられていた。
ちょっと強い風が吹けばはがれそうなトタン屋根が目印の、離れの工場。そこに朝食を終えた十五分後には六十人近い同胞が勢ぞろいする。だが誰もが無表情だ。鍵もかからない更衣室でくすんだ青の作業着に着替え、同布で作った帽子をかぶると、工場の中央、やや広い空間に五列十二行に等間隔で並んでいく。ここまで誰も一言も発しない。
並び終えたところで誰からともなく準備体操を始める。率先して動き出すのは、たいていはどこかの組の長だ。だがキリュウが先陣を切るところは一度も見たことがない。こういうところがキリュウらしいと常々思っている。
体操が終われば各自の持ち場に移動だ。
俺達の組はおねじ作りの一工程を任されている。おねじ製作は三組で分担しているのだが、そのうち転造と呼ばれる作業を担当しているのだ。転造とはおねじの溝を生成する作業である。
作業自体は単純だ。まず前工程を担当する組からおねじの頭部分だけが加工されたものをもらってくる。次にダイスと呼ばれるねじ溝を切った板におねじの棒となる部分を挟む。そして機械の電源を入れれば、あとは機械が勝手に溝を切ってくれるというわけだ。
高速で回転、圧縮された棒は、やがて熱々のおねじに生まれ変わる。
ただ――ことはそう簡単ではない。
「今日のノルマはM16を千個だ」
組毎の朝礼では長であるキリュウが本日のノルマを告げるのが決まりだ。だが、淡々と語ってはいるが、その顔は苦い何かを口に含んだかのように渋い。ここに置いてある機械がどれも骨とう品に近い代物であるがゆえの表情だ。
うちの組の転造機もご多分に漏れず半世紀以上前に作られたもので、俺がここで働き始めてからも毎日どこかしら調子が悪くなっている有様だった。
朝礼を終えるや、キリュウとタケダが前工程を担当する組の作業場へと向かうのはルーティンだ。頭だけを加工したねじを受け取るために。ただし、はいと渡されてありがとうと素直に受け取ればいいわけではない。彼ら二人にはその場で前工程の担当者の立ち合いのもと全品検査をする義務があるのだ。
外観検査で変色したものやバリのあるもの、加工ミスがあるものをざっと省き、量りに載せて規定の重量であることを確かめ、最後にノギスとマイクロメータで図面通りの寸法であることをチェックする。
ここで不良品が規定数以上発見されると、それは前工程を担当した組のペナルティとなる。逆に省くべき不良品を規定数以上発見できなかった場合、それはうちの組のペナルティとなる。ただし、ペナルティとは減俸とか一食抜きのようなかわいらしいものではない。だからどちらの組も朝から真剣だ。
キリュウとタケダが戻ってくるまでの時間、俺とミヤギで転造機の動作チェックを行っていく。チェックシートにのっとり二人がかりで確認していくのだ。こちらもノルマ達成の可否や加工後の全品検査に影響する作業だから真剣だ。最後に試し加工が成功するまでは気が抜けない。
とはいえ、ミヤギはああいう男なだけあって、初日からいたってマイペースだった。
「わたしはこういった武骨な機械は扱ったことがないんですが」
なんて言って、手伝うどころか学ぼうともしなかったのである。
「だったらやるんだ。ここでは働かない奴には飯はでないぞ」
そう言ってやったら「それは困りますね」と全然困っていなさそうな体でようやく動いてくれたが。
*
そんな風にミヤギの面倒をみるようになってはや一か月――。
ミヤギは相も変わらずマイペースだった。
そして慣れとは恐ろしいもので、俺もいつの間にか転造機のメンテナンスをしながらミヤギと雑談をするようになっていた。
ちなみに工場の中は騒音がうるさいのもあり、ここでは盗聴器の類は設置されていないと誰もが信じている。アルファ系の守衛はくすんだ色しか見当たらない工場内ではカラフルで目立つから、巡回を見逃すこともない――そう信じている。
「なあ。今日も教えてくれないか。あの歌っていうものについてさ」
ミヤギがここにやって来て五日後のことだった。あの配膳係の歌が聞こえてくるようになったのは。
初めてそれを聞いた朝、俺は天国に召されたのかと勘違いし、「今日からはゆっくり寝ていられるんだな」と二度寝しかけたほどだった。それほどまでに心に響く声、調子だった。
朝食後、工場への移動中に「今朝のあの歌はよかったですねえ」とミヤギがつぶやき、「歌?」と尋ね返した瞬間、前を歩いていたキリュウが振り向き無言で睨みをきかせてきた。その後、作業の合間を縫って「歌ってなんだ?」とミヤギに訊ねたところ、「そうか、普通は知らないんですね」としみじみと言われたのだった。
「今日はメロディについて教えましょうか」
「メロディ?」
黙々と作業をしているふりをして目線も合わせずに話をするのは、この頃では慣れたものだ。
「音と音の連なりのことをメロディというんです」
「音は知ってるぞ。声の高さや低さのことだろう?」
ミヤギの教えは時間があれば都度脳内で復習している。新しいことを知る――それがこんなにも面白いと思えるのは、今のこの環境が特殊なせいだろうか。
もともと頭を使うことは苦手だったが、ここに収容されてからはその傾向がますます顕著となっている。何かを真剣に考えてもここから出られる見込みはなく、それどころか考えすぎることでむやみに不安が募り絶望に陥る恐れもあり……であれば『何も考えない』『言われた通りにする』、それがここでの最善だと結論づけていたのだ。
だが――。
「そうです、そうです。そういった音同士を繋げたものをメロディというんです。そしてですね、音はとても自由なものなんですよ」
こうしてミヤギと頭を使う会話をしている時間は、なぜかとても楽しい。
「自由?」
「高低だけじゃくて、強弱も長短もメロディの要素なんです。たとえば柔らかく伸ばしたり鋭く跳ねるように切ったり、ね」
「へえ。決まりがないってことか」
ようやく『自由』の意味が分かった。これも忘れないようにしなくては。
「ええ。音は自由に動きまわることができるものんですよ。ですからメロディというものは無限に生み出せるものなのです。メロディというのは自由な音の集合体のことですから」
「へえー」
「そうそう、それです。へえー。今、ワタベは「へ」よりも「え」を長く発声しましたよね。でもって「へ」と「え」は同じ音の高さだった。そういうことなんです」
歌というのは、声でメロディを表現することなんですよ、とミヤギが言う。
「それは違うだろう」
つい手を止めてしまった。
「おっさん、言ったよな。歌っていうのは人間の口から自然に出てくるものだって」
だからミヤギが配膳係に勝手に付けた『ナイチンゲール』というあだ名についても意味を理解するまでに時間がかかってしまった。どうして人間の口から出てくるというのに鳥の名前を付けたりするんだ、と。
「そんなに睨まないでくれませんか」
定められたパーツに油をさすミヤギは平然としている。
「歌とはなにか。自分にとって当たり前のことを面と向かって訊ねられたことはなかったものですから。訊かれてとっさに思いついた答えがね、たまたまそうだったってだけで」
話を聞いていたら、今更な疑問がわいてきた。
「そういえば……どうしておっさんはそんなに物知りなんだ?」
「わたしは物知りなんかじゃありませんよ。デルタ系の中では音楽に詳しい方だとは思いますけど」
「おっと。その音楽ってのはなんなんだ」
それはですね、と言いかけたミヤギが口をつぐんだ。向こうから一度も関わったことのない組の人間が近づいてきたからだ。そのくすんだ黄色の作業着は――家具等の木工製品を制作する作業者の証だ。
「おい。あんたらの長はどこにいる?」
青白い顔は明らかに何かがあった証だ。
無言で居場所を指さすと、彼は急ぎ足でそちらへと去っていった。
彼の後ろ姿を眺めていたら、まだおろしていなかった自分の人差し指がほのかに震えていることに気がついた。
見ると、彼が来た方向にはアルファ系の守衛が腕組みをして立っていた。
どことなく楽し気な顔にネオンピンクの髪がよく似合っていた。
◇◇◇




