30.ぬいぐるみ
第三者視点です
30.ぬいぐるみ
梅乃の大学から自転車で15分、徒歩で40分、最寄りの駅から10分くらいのところにファミリーレストラン「おどけたサンチョ」がある。
そこはひと月ほど前からとてもかっこよすぎる美青年の欧米人が働いていると、ちまたでは有名になっている。
その店員を見るためだけにおどけたサンチョに来る客も少なくない。
そんな彼、クリスティアン・シャルル・ド・ビュシエールに会うために今日もまた一人、店の扉を開く。
――――カランカラン。
「いらっしゃいませ――あぁ楠葉ちゃん、いらっしゃい」
「すみません、今日もまた来ちゃいました」
「はい、案内するね」
梅乃とアサドとテオが来店した翌日の金曜日。
その日もクリスはシフトに入っていて、いつものように楠葉が店にやってくる。
というのも、兄桐夜の帰りが遅く家に一人は寂しいからと、その寂しさを紛らわすためにいつもここに来ていた。
しかし、今日の楠葉にとってそれは口実でしかなかった。
席に案内されると、楠葉はクリスを見上げた。
「あの、今日お兄ちゃん迎えに来れないらしいんです。だから電車で帰らないといけないんですけど、帰り、駅まで一緒に来てもらってもいいですか?」
楠葉は言いながらだんだん尻すぼみしていく。
自分の言っていることに矛盾があるのを感じたからだ。
ここに来るのに電車に乗ってきたのなら帰りも一人で帰れるだろうし、何図々しいことをお願いしているんだと、少しひとりでに恥ずかしくなった。
「そうなんだ。うん、終わるまでしばらくかかるけど、ちゃんと送るよ」
しかし楠葉の内心の焦りとは別に、クリスはいつものようににっこりと優しい王子様スマイルを浮かべて承諾してくれた。
その笑顔を見るだけで楠葉はドキドキしてしまうのだが、まさかOKが返ってくるとは思っていなかっただけにとても嬉しくなった。
「それじゃ、しばらく待っててもらえるかな」
「はい!」
クリスはもう一度にこっと笑顔だけ残すと、別の客の対応に向かった。
そんな後ろ姿を見ながら、楠葉は今日このあとクリスと帰れることにとても胸がわくわくしていた。
適当に暇を潰して4時間経ったところでクリスのバイトが終わる。
店の前で待っていると、制服から着替え終わったクリスがやってくる。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
他愛もない話をしながら二人並んで歩く。
それは楠葉にとってうきうきするような時間であり、心地よい時間。
話しながらやっぱり自分はクリスのことが好きだなと思う。
初めて見たときはとてもかっこよすぎる王子さまみたいな人だと思った。
2回目会ったときは、とても優しい人だと思った。まさか落としたぬいぐるみが綺麗になって返ってくるとは思っていなかった。
おどけたサンチョに行けば、楠葉が寂しくならないようにしてくれた。
雨の日に待ちぼうけ食らったときも一緒に遊んでくれた。
校舎から落ちたときも、一番に迎えに来てくれた。
このひと月間、辛いことも苦しいことも沢山あったけれど、クリスのおかげでどこか心が救われていた。
もちろん桐夜や梅乃の支えもあるけれど、クリスに助けられたところが多かったと思う。
だからきちんと感謝の気持ちを伝えたい。
「クリスさん、本当にありがとうございました」
会話が途切れたところで楠葉はクリスに言った。
クリスは少し目を見開くと、すぐにまたやんわりと細めた。
「いや、僕は何もしていないよ。全部楠葉ちゃん自身で解決したことだ」
そう言ってクリスは楠葉の頭に手を乗せる。
それがやっぱり心地いい気がするが、ここははっきり言わなければと楠葉は首を横に振った。
「いいえ、クリスさんのおかげです。その、この前クリスさんにあんなことを言われていなかったら、きっと私、別の高校に逃げてたかもしれないし、みんなと一緒に透子を仲間外れにしてたかもしれないです」
すると今度はクリスが首を横に振った。
「あくまで僕は自分の意見を述べたまでだよ。それでどうするかは楠葉ちゃん次第。ちゃんと正しい選択ができたと楠葉ちゃんが思っているのなら、それは楠葉ちゃんの力だよ」
「でもお礼は嬉しいから受け取っておくよ」と最後に付け足して笑った。
楠葉の中であれは本当にクリスのおかげであると思っているのに、それでも謙虚でいるところを見るとよりいっそうクリスへの思いが高まるのを感じた。
クリスはぽんぽんと楠葉の頭を優しく叩くと、少し気恥ずかしげに笑って言う。
「なんだか楠葉ちゃんって見逃せないんだよね」
「え?」
クリスの言った一言に、楠葉の思考は停止する。
「見逃せない」ってどういうこと?
それまで心の内でクリスのことが好きかもって思っていた矢先にこの一言だ。
楠葉は自分の胸がどんどん高鳴るのを感じながら、クリスの次の言葉を待った。
「うん、妹みたいで見逃せないんだと思う」
しかし、クリスが続けていった言葉に、楠葉は再び停止した。
「い……妹……みたいなんですか?」
楠葉はおそるおそるクリスに尋ねる。
クリスはにっこりといつもの王子さまスマイルで答える。
「うん、妹みたいで可愛い」
「えっ」
今度は「可愛い」が降ってきたので、楠葉は思わず赤面する。
しかしすぐに「妹みたい」が前に付いていたことに現実に引き戻される。
「妹……みたいなんですね……?」
「うん、妹みたい」
3度目の「妹」発言に、楠葉は深くため息を吐く。
当然と言えば当然、しかし楠葉の中で恋心が膨らんできていたからこそ、クリスの「妹」発言に少なからず落胆してしまう。
「あれ? 楠葉ちゃん、どうしてそんながっかりした顔してるの? 僕何かいけないことでも……あ、もしかして」
突然沈んでしまった楠葉の様子にクリスは疑問を覚えた様子だが、ほどなくしてクリスも一気に青ざめる。
「もしかして『妹』なんて言ったのがよくなかったよね? そうだよね? だって楠葉ちゃんにはお兄さんがいるものね。あぁ、図々しいこと言ってごめんね? あぁ本当に図々しくてごめんね?」
楠葉の落胆の原因が自分だと考えたクリスは、みるみるうちに眉尻を下げ悲しげな表情になる。ネガティブモードが発動したのだ。
しかし、原因の発言が「妹」であることにはクリスは気がついているのに、それで楠葉がどう受け取ったのか自体を間違えているあたり、やはり自分の気持ちは伝わっていなかったのだと楠葉は思う。
楠葉は一つため息を吐く。
「いえ、全然図々しくなんかないです。むしろ近くなって嬉しいようなもどかしいような……」
言っていてなんだか自分が悲しくなってくる。
結構露骨に態度に示せていたのは、桐夜や梅乃の反応を見て分かっている。
それでも伝わっていなかったって言うのは、やっぱりそういう風にしか見られてなかったんじゃないかと、考えれば考えるほどに悲しくなってくる。
「あ、そういえば」
すると、クリスが何かを思い出したかのように言うと、鞄の中をがさごそと漁りだした。
そしてほどなくしてあるものを取り出した。
「はい、これ開けてみて」
クリスが出したのは茶色の紙袋。
楠葉はそれを受け取ると中を見た。
中に入っていたのは、ジャックオランタンの頭をしたぬいぐるみのキーホルダーが二つ。
片方は中学の友達にもらったもので、もう片方はクリスが作ってくれたもの。
どちらもクラスの子にズタズタにされてしまったやつだ。
「先週楠葉ちゃんを見つけたとき、僕が作った方は楠葉ちゃんが持っていたでしょ? だけどもう片方がどっかに行ったって言っていたから、少し探したんだ。そしてどっちもひどい状態だったから繕っておいたんだ」
と、先ほどまでのネガティブモードはどこへやら、いつもの完璧王子さまスマイルでにっこり笑ってきた。
「でもそれ以外にも入ってない?」
「え?」
そう言われて楠葉はもう一度紙袋の中を覗く。
そして楠葉は目を見開いた。
ぬいぐるみで隠れて見えなかったもの。
それはハイヒール型のチャームの付いたネックレスだった。
「え……これ……?」
楠葉はよく意味が分からなくなってクリスを見上げる。
するとクリスは穏やかな顔をして楠葉に言った。
「楠葉ちゃん、今日誕生日でしょ? だからこれ、僕からのプレゼント」
その言葉に楠葉は言葉をなくす。
確かに今日、5月17日は楠葉の誕生日だ。
最近色々ありすぎてすっかり忘れてしまっていた。
楠葉は袋の中のネックレスをもう一度見る。そして一緒に入っていた二つのキーホルダーにも目をやる。
するとなんだかじんわりと心があたたかくなるのを感じた。
――――とても嬉しい。
本当にどうしてこの人はここぞというときにこういうことをしてくれるのだろう。
先ほど自分が恋愛対象としてみられていないことが判明したというのに、こんなことをされるとどんどん好きになってしまうではないか。
楠葉はクリスを見上げた。
やっぱりそこにあるのは穏やかで優しい笑顔だった。
今まで沢山助けられた笑顔。
その笑顔を見ると、今はまだこの気持ちに気がついてもらえなくてもいいような気がしてきた。
今はなによりも感謝したいから。
だから心を込めて笑顔で言う。
「ありがとうございます」
お付き合いありがとうございました!
これで2章「落とし物はこれですか」(別名:クリスと楠葉)は終わりです。
ここまで付いてきてくださった読者の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです!
またあまり時間を空けずに3章に入りたいと思います。
是非是非今後もお楽しみ下さいませ。