5.カールの言い訳
5.カールの言い訳
オケの新歓後、帰宅してまっすぐにカールの部屋へ向かった。
理由はとにかく由希のことだ。
ノックをして出てきたカールはシャワーを浴びた直後だったらしく、髪がまだ濡れている。それを櫛恐怖症の彼は手櫛で整えるため、癖の強い髪の毛先が色んな方向を向いている。他のおとぎメンバーのシャワー後だと少なからずエロさを感じるのに、髪の毛のせいか、カールは少年ぽさが抜け切れていなくて色気の欠片も感じなかった。……こんなことを口に出したら再び言い合いが勃発しそうなのでお口にチャック。
カールの部屋はカリムの部屋と同じく、私の8畳部屋の2倍ほどある。本人に言わせればこれでもおとぎの国に比べればだいぶ狭いらしいのだが、一人過ごすだけの部屋でそれは贅沢だと強く思った。
カールは私を部屋に入れてくれるなり、空のティーポットとティーカップを出してきて、私に紅茶を淹れろと無言で示してきたので、ちゃんとお願いしろと頭にげんこつを落としつつ、私も大人しく紅茶を淹れた。
そして部屋のドア側8畳部分にあるソファに向かい合わせで座り、今に至る。
「で、梅乃がわざわざ俺の部屋に来なくちゃいけない用事って何なの?」
私の向かいでカモミールティーを一口飲んで、尋ねてきた。
「……カールさぁ、昨日ホビット公園行った?」
その質問にカールは片眉を上げる。
「ホビット公園て?」
「えーとうちからあっちの方向にある公園。河童公園と逆方向の」
私はホビット公園の方向を指差しながら説明する。先週までの本来の私のマンションの部屋だったら正しい方角なのだが、それを洋館に変えられてしまっているため、正直正しい方角が分からなくなっていた。だから”おそらく”という不確かな状態で指を差す。
だけどカールはそれでなんとなく分かったようだ。というか、少し青ざめている。
「え! あれホビット公園っていうのか!? なんて嫌な名前なんだー!」
と、ソファの上で頭を抱えて唸りだした。
……これは、”ホビット”ってワードがタブーだったのかな? 小人だもんね。トラウマの対象でしかないはず。
いや、それにしてもそれを知らずにホビット公園に行くとか、何の因縁なの? それともカールがただのバカなの?
「……とにかく行ったんだね?」
カールは両手で抱えた頭を、そのまま上下に振った。
「そこで女の子いなかった?背が低くて黒髪のおかっぱ頭の」
「……いた」
「はい、そこで何したか言って」
すると、カールは両手の下から恨めしそうに私を見上げた。
そして腕を組み、ぶすっとした顔でぷいと横を向いた。
「何でそんなことを梅乃に話さなくちゃならないんだよ。保護者か」
「いや、実際世話係だから保護者みたいなもんだし」
カールは眉間にしわを寄せた仏頂面を私に向けて、何故か私を睨むような目つきをした。
「梅乃には関係ないだろ? 別に話す必要もない」
その口ぶりに私も若干いらっとした。
「関係はないけど、相手は私の友達なの」
「はん、友達だと言わなきゃならないの? あんた相当お節介女だよな。本当にオバサ――――」
ばしんっ。
「なっなにするんだよっ」
「どっちにしろあんたは悪いことしたんでしょーが!」
私はカールの反抗的な態度に痺れを切らし、思いっきりその頭を叩いてやった。
それが結構いいところに命中したのか、カールは両手で叩かれたところを押さえて涙目で私を睨み上げてきた。
「由希に聞いたけど、あんた相当ひどいことやったらしいね。今日めちゃくちゃ怒ってたよ」
私はカールを叩くために浮かせていた腰を再びソファに沈める。
叩かれたカールは未だにぶすっとした表情をしてそっぽを向いた。
その姿だけ見たらまったく反省の色は感じられない。
「…………あの女、ユキっていうんだね。モリヤマユキ?」
しかし、カールは少し声を曇らせながら返してきた。
その声色には申し訳なさが漂っていた。
「そうだよ。森山由希。私と同じ3年生で教育学部」
「……あの女、なんて言ってた?」
「あの女ってあんた……。まぁいいわ。とにかく二度と会いたくない不審者だって」
その言葉に、反抗的に怒らせていた肩も、吊り上げていた眉毛も、目に見えて下がった。
鼻でため息をついて、明らかに落胆しているのが分かる。
「……言われて当然だよな。そう言われるようなことしちまったんだから」
カールはソファの上で膝を抱えて聞こえるか聞こえないかくらいの大きさの声で言った。
私は一つため息をつくと、先を促した。
「だから何したの?」
「あの女に聞いてないのか?」
「あんたがいきなり来てリンゴを――」
「うああっ口にしないでくれっ」
カールはその姿勢のまま再び耳を塞いで目をぎゅっと閉じる。
……まったく、リンゴというワードを聞いただけでこれなのに、どうしてリンゴを持っていたらしい由希に近づいたのか。
「まぁ、それで絵本投げたりとか、子供に下品な話を聞かせたりとか……」
「昨日は俺……どうかしてたんだ。あの女の手の中にあったものも、群がる子供も、あの絵本も、全部俺の見たくないものばかりだった。だけどあの女、かぶって見えたんだ……」
カールは顔の横に手を当てながら、ぽつりぽつりと喋りだした。
「かぶって見えたって……誰に?」
その質問に、カールはしばらく沈黙を置いてから答えた。
「白雪姫さ……」
由希が白雪姫にかぶって見えた? 実際の白雪姫を私は知らないから何とも言えないけど、それは由希が黒髪おかっぱ頭だから? 身長がちっさいから?
私の疑問をよそに、カールはそのまま続けて話した。
「よく見たらまったく別人なのは分かったけど、髪型とか、子供とか、所々似ていて、気がついたら重ね合わせてた。だけど手の中にあったものに気がついたとき、頭が真っ白になって……気がついたら飛び出してひどいことをしてた」
そこで一旦区切って、再びカールは話し始めた。
少し嘲笑のようなものを混ぜて。
「……だけどな、少し苛立ってもいたんだ」
「何に?」
「こっちで語られている話の内容に」
カールは落としていた眉も肩も再び反り上がらせ、テーブルに身を乗り出して言ってくる。
「当然それは『白雪姫』だけじゃない。他の話もそうだし、人の噂だってそうだ。いつだって事実はねじ曲げられる。こっちの方が聞こえがいいから、かっこいいから、ハッピーエンドの方が人気が出るから! …………そして人々はそれを信じるんだ。どこの世界も一緒なんだ……」
カールは再び肩を落とし、膝を抱えた状態に戻る。
カールの話は、一体何を指しているのだろうか。
この言い分だと、こっちで語られている物語の結末が実際と違うということを言いたいのだろうか。
確かにこの前アサドに聞いたカールのエピソードは、トラウマを抱えてしまうのではないかと言うほどの凄まじいものだったから、それを否定したいのは分からなくはない。だけど、それにしてはもっと何かがあるような――――。
それを考えていたら、その答えをすぐにカールは明かしてくれた。
「……俺、白雪姫を生き返らせるのに、何もしてないんだ」
カールはまたぽつりぽつりと話し始めた。
「気がついたら毒リンゴが口からこぼれて生き返った。なのに家来たちはそれを大袈裟に言って国中に広めた。最初は、それを否定していたけど、俺ら、幸せだったから、特に気に留めなかったんだ。だけどそれが……」
「――――いいよ、それ以上言わなくて」
ここまでの話でもカールは話すのにかなりエネルギーを使っているように見えた。そこから先の話は、カールとしても言いたくないことだろうし、きっとカールの中で決着がつけきれていない気がして、無理に話させるのは違う気がした。
「……俺、すっごく後悔したんだ。あのときちゃんと否定しておけばよかったって。何もしてないって。でなきゃ、あんなデマが広まることはなかったんだ」
―――これこそが、カールの言っていたことの答えか。
「聞こえがいい」「かっこいい」「ハッピーエンドの方が人気が出る」。
アサドが言っていたカールと白雪姫の噂って言うのは、「カールが白雪姫を助けた」とか「カール王子武勇伝」とかだったっけ? それはあくまで人が作り出した寓話であって、本当の話ではない。だけど、人々はそれに踊らされてカールと白雪姫を盛大に祝ってしまった。
「事実の捏造」が最終的にどんな結果になるかということを、カールは身をもって知ってしまった。だけどそれを知ったところで、世界のほとんどは「事実の捏造」で出来てしまっている。それに苛立ちを感じずにはいられないのだろう。
「だから俺、こっちに来て『白雪姫』の話は嘘だと広めてやるんだ」
カールは顔を上げて、それまでの頼りなさ気な眼差しを少し強めて私を見据えてきた。
「でも、嘘でもないじゃない。少なくとも、こっちに出回っているグリム童話の話にはちゃんと毒リンゴがこぼれる版のやつだってあるし、そもそも結婚するまでは間違いじゃないでしょう?」
それに、そもそもそんなことをしたらますますカールを不審な目で見る人が増えるだけじゃないのか。実際の話をしたところで、信じてくれる人の方が少ないように思える。
「だけど『いつまでも幸せに暮らしましたとさ』じゃないんだ。俺は知ってるぞ、多くの本でそう書かれていることを。でもグリム童話のちゃんとした本じゃ、そこまで書いてない。それこそ人がいいように付け足した嘘さ」
そこまで話して、カールは再びため息をついて肩を落とす。
「昨日も……言葉を選ばなかったけど、それを伝えたかったんだ。だけどあの女に否定されて……腹が立った」
「由希は……『白雪姫』とか『シンデレラ』とか『眠り姫』とか、ああいうお姫さまの物語好きだから」
「あぁ、だろうな。そういうのを信じていそうなところも、あの男に誤解を解けないままでいたのも全部、昔の俺にかぶって……余計に腹が立ったんだ」
あの男っていうのは、柳さんのことだろう。さっき由希をそれでからかっていたもんな。
由希としては不本意な柳さんの勘違いを、カールはその場で見てしまったわけだ。
そしてそれは自分が犯した過ちと同じだった――――。
「だから気がついたらひどいことを言っていたの?」
カールは視線を落としたまま、頷いた。
ソファの上に縮こまった姿は、叱られた子供よりも小さい存在のようだ。
今日初めてカールの口から彼の本心を知ったわけだけど、カールはやんちゃで明るい顔の下で、ずっとトラウマと後悔を抱え続けてきた。そのトラウマの原因と後悔した事が同時に自分の前に降ってきて、恐怖と苛立ちで心にもないことまで言ってしまったのだろう。
私は一つ息をつく。
「でも、それは由希からしたら何も知らないことだよ?」
「分かってる……。俺の都合で傷つけるべきじゃなかった」
「それじゃあ何するの?」
カールは顎を膝に預けた状態で私を見上げてきた。
「…………謝る」
それだけ聞くと、私は残っていた紅茶を飲み干して、カールの肩を叩いた。
「由希は多分教職とってるから、教養棟にもよく出現すると思うよ。それでなくても教育学部棟にはいるだろうから、明日ちゃんと謝んな」
ぽんぽんとカールの肩を叩くと、私は立ち上がる。
ここまで聞けば、もう私がこれ以上出ることではないだろう。あとは二人次第だ。
そう思ってドアの方へ行く。
「あ、ねぇ――っ」
「ん?」
だけど、私がその場を去ろうとする前に、カールに声を掛けられる。
カールは膝を抱えたまま首を伸ばして私を見てきた。
しかし、その顔は呼び止めたけど気まずげ、といった表情だった。
「あ、いや……なんでもない」
「そ」
何か言いたげだったが、言葉を整理できていないようにも見えた。
まぁ、また言いたいことがあれば自分から言ってくるだろう。
私はそのままカールの部屋を出た。
でも、私はちゃんとカールを理解してなかった。
カールが謝るときにどう切り出せばいいのか分からずにいたことを。
その後、どう謝ればいいのか分からないカールは、そのままゴールデンウィークを過ぎるまで由希に会うことはなかったらしい。