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第36話 貧困街からの来訪者

辺境の森に降り注ぐ朝陽は、今日も穏やかで、木漏れ日が庭の芝生に柔らかな(まだら)模様を描いていた。


剛山象(ベヒモス)が魔力を注いだこの庭は、今や世界で最も安全で、そして最も贅沢な「遊び場」となっている。


「いい? ルールは簡単よ。私が後ろを向いて壁を叩いている間だけ動いていいの。私が振り向いた時に動いていたら、『特製・くすぐり地獄』の刑だからね!」


私は小さな身体を精一杯伸ばして、古びた大樹の幹に手を当てた。


背後からは、4つの異なる、けれど等しく期待に満ちた鼻息が聞こえてくる。


「いくわよー。……だ・る・ま・さ・んが、……ころんだ!!」


――パッと振り向く。


そこには、彫刻のように静止した4つの「世界の理」の赤ちゃんたちがいた。


ユキは、片足を上げたまま、銀色の毛並みを朝陽に輝かせて静止している。

その瞳は瞬き一つせず、私をじっと見据えていた。


ルウは、土の魔力で自分の足を地面に固定したのか、微塵の揺らぎも感じさせない完璧な静止。


ヒナは、羽を半開きにした状態で、まるで時間が止まったかのような芸術的なポーズで固まっている。


……すごい。


この子たち、遊びとなると恐ろしいまでの集中力を発揮するわね。


普段なら、森に枯れ葉が一枚落ちただけで反応するはずなのに。


今は『動かないこと』だけに全神経を注いで、周囲の気配を完全に遮断してる。


これじゃあ、隣で爆発が起きても気づかないんじゃないかな?


そして、最後の一匹。ヨルだ。


漆黒の毛並みを持つ彼女は、影の中に半分溶け込むような低い姿勢で止まっている。


他の園児たちが「動かないこと」を楽しんでいるのに対し、ヨルの耳だけは、時折ピクリと、1mmにも満たない微かな動きを見せていた。


ヨル。


あの子だけは、やっぱり少し違うわね。遊びに夢中になっているフリをして、ちゃんと私のこと、そしてこの場の空気を『視て』る。


ツンツンしてるけど、本当は誰よりも心配性なのね。


「だるまさんが……ころんだっ!」


私が再び壁に向かい、声を張り上げる。


その隙に、庭を横切る小さな足音が「タタタッ」と響く。


だが、その平和な音に混じって、森の深淵から「異質な殺気」が忍び寄っていた。



 ◆



森の茂み。


そこには、自称・世界最強の密猟団『スリー・ブラザーズ』が潜んでいた。


彼らは魔導双眼鏡越しに、信じられない光景を目の当たりにしていた。


「おい見ろよ。『魔獣』が4匹も、あんな小娘と遊んでやがる」


リーダーの男が、下卑た笑みを浮かべて舌なめずりをした。


彼らはこれまで、王宮の宝物庫や帝国の厳重な警備を潜り抜け、数々の魔獣を「商品」として扱ってきた。


だが、人気のない辺境の森に、複数の『魔獣』の赤ん坊が無防備に一箇所に集まっているなど、彼らにとっては生涯一度の「宝くじ」に当選したも同然だった。


「兄貴、あのガキはどうします? 邪魔なら消しちまいますか?」


「いや、あんなチビ放っておけ。まずはあの黒い猫からだ。あいつが一番厄介な逃げ足を持ってそうだ。……おい、準備はいいな?」


彼らが取り出したのは、特殊な術式を施された『捕獲魔蛙(キャッチャーフロッグ)』だった。


この魔獣の舌は、一度絡みつけば対象の魔力を封じ、音もなく引き寄せることができる。


「……さぁ、『魔獣』狩りの始まりだぜぇ〜」


三匹の野良犬たちが涎を垂らしながら動き出した。


無垢な赤ちゃんたちが、「世界の理」を担う『幻獣』であるとも知らずに。



 ◆



庭では、ゲームが最高潮に達していた。


あと数メートルでネネの背中に触れられるという距離まで、毛玉ズがじわじわと迫っている。


「だるまさんが……っ!」


ネネが振り向こうとした、その瞬間だった。


森の中から、肉眼では捉えられない速度で、粘着質の大舌が「シュルルッ!」と空を切り裂いて伸びてきた。


ターゲットは、列の最後尾にいたヨルだ。


(――っ! 今の音……!?)


ネネが異変を感じて完全に振り向くより早く、ヨルの身体が、その巨大な舌にぐるぐる巻きにされ、森の闇へと一瞬で引きずり込まれた。


ユキとルウが遊びに集中しすぎるあまり、異変に気づかない中、密猟団のメンバーたちは森の奥でガッツポーズを作っていた。


「やったぜ! 1匹確保だ! さあ、残りのバケモノ共も――」


だが、彼らが自分たちの足元に引き寄せた「獲物」を確認した瞬間、その笑顔は凍りついた。


舌に巻かれていたのは、黒い子猫ではなかった。


それは、実体を持たない、どろりと溶けた「影」の塊。


ヨルが瞬時に編み出した、精巧な身代わりの人形だったのだ。


「な、なんだこれは!? 消えやがった……!?」


影の人形が霧のように霧散し、密猟団の背後から、凍てつくような低い声――ならぬ、低いうなり声が響いた。


「…………ゔぅっ!!(ふん。私の『お遊び』を邪魔するなんて、いい度胸ね)」


影の中からスッと姿を現したのは、翡翠の瞳を鋭く光らせた本物のヨルだった。


彼女は、庭でみんなと過ごす大切な時間を汚されたことに、静かな、けれど底知れない怒りを燃やしていた。


ヨルの爪が、殺意を纏って長く伸びる。


自称世界最強の密猟団スリー・ブラザーズが絶望の淵に立たされるまで、


あと、数秒。




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