第27話 隣国からの来訪者
辺境の森の朝は、清冽な空気と共にはじまる。
私は、小さな身体を精一杯伸ばして、彼女たちが保育園にやってくるのを待つ。
昨夜の騒がしさが嘘のように、森は穏やかだ。
ユキとヨルは、すでにお泊まり組としての朝の支度を終え、私の足元で「お友達」の到着を今か今かと待ち構えている。
やがて、遠くから「トーン、トーン」という、大地を優しく叩くような心地よいリズムが聞こえてきた。
ルウと、その母親であるあの巨大な母兎の登場だ。
「もきゅーっ!」
母兎のふかふかとした背中の上で、ルウが元気いっぱいに跳ねている。
母兎は、私の姿を見つけると、その琥珀色の瞳を和らげ、ゆっくりと歩みを寄せてきた。
「おはよう、ルウ。今日も早起きね。……お母さんも、おはようございます」
私が母兎の鼻先を優しく撫でると、彼女は満足げに目を細めた。
そこへ、上空から温かな風が吹き降ろしてくる。
朝の光を反射して、真紅と黄金の羽をキラキラと輝かせながら、不死鳥の親子が舞い降りてきた。
ヒナのママは、相変わらずどこか儚げな、幸薄系の美人さんだ。
けれど、私と視線が合うと、表情が和らぐのが分かった。
「ぴぃっ! ぴぃーっ!」
ヒナは、着地するなりルウの元へと突撃し、2つの「もふもふ団子」になって庭を転げ回る。
それを見守る母親たち――「優しさの権化」である葉耳兎のママと、「紅蓮の孤独」を纏う不死鳥のママ。
母兎は、不死鳥のママの元へトコトコと近づくと、その巨大な鼻先を相手の細い首筋に寄せて、フンフンと匂いを嗅いだ。
『昨日はよく眠れた? ヒナちゃん、うちの子と仲良くしてくれて嬉しいわ』
言葉はなくとも、そんな会話が聞こえてくるような、穏やかなママ友の交流。
不死鳥のママも、最初は戸惑っていたようだが、母兎の圧倒的なコミュ力に包み込まれるようにして、静かに羽を休め、挨拶を返している。
「ふふ……。いいわね、こういうの」
平和な雰囲気が辺りを満たす。
「それじゃあ、お母さんたち。今日も、責任を持ってお預かりしますね」
私が一礼すると、母兎は一度だけ私を舐め、不死鳥のママは一閃の熱風を残して、それぞれの住処へと帰っていった。
そこから、私の「保育」がはじまる。
朝の点呼、庭での運動会、そして腕が四本欲しくなるほどの、至福のミルクタイム。
お腹がいっぱいになった4つの「もふもふ」は、夕暮れ時、木陰に敷いた柔らかな毛布の上で、重なり合うようにしてスヤスヤと眠りについた。
だが、その静寂は、鉄の臭いと魔導の不協和音によって、無残に踏み躙られることになる。
キィィィィィィィン……ッ!
不意に響いた、鼓膜を削るような音。
私は、ハッと顔を上げた。
森の木々の隙間から、どす黒い魔装具に身を包んだ集団が、音もなく現れた。
隣国ジークフリード帝国の隠密部隊。その数、優に30人。彼らは、眠っている赤ん坊たちを包囲するようにして、無機質な魔導銃の銃口を向けた。
「見つけたぞ。……ここが、あの不死鳥の魔力が検知された『聖域』か。フン、こんな小娘が一人か。拍子抜けだな」
集団の中から、冷酷な光を宿した瞳の指揮官が進み出てきた。
彼は、寝ているルウたちを一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「貴様が追放されたおかげで、王都の幻獣どもはストライキを起こし、国防は今や完全にゼロだ。王都はもう、我ら帝国が飲み込むのを待つだけの死に体よ。……だが、その前に。ここにいる『至宝』たちはすべて帝国が回収させてもらう」
「……何、言ってるの?」
私は、眠っているユキたちを背中に隠すようにして、ゆっくりと立ち上がった。
「王都がどうなろうと、私の知ったことじゃないわ。……でも。今、この子たちは寝ているの。……国家の事情だか何だか知らないけれど、この子たちの昼寝を邪魔するなら、相応の覚悟はできているんでしょうね?」
私の言葉に、指揮官は嘲笑を浮かべた。
「ハッ! 覚悟だと? 小娘が何を抜かす。……いいものを見せてやろう。これこそが帝国の誇る、真の『使役』だ。……出せ!!」
指揮官の号令と共に、部隊の後方の地面が、激しく、暴力的に隆起した。
大地を突き破って現れたのは、一匹の巨大な象だった。
だが、その姿を見た瞬間、私の指先が、怒りで真っ白に震えた。
剛山象。
本来なら『山の理』を司り、その巨体で大地を鎮め、豊かな地形を維持する高潔な守護者。
けれど、目の前の幻獣は、全身を肉に食い込むほどきつく締め上げられた魔導拘束具で縛られ、そこからはどす黒い血と膿が滴っていた。
魔力を強制的に引き出すための杭が急所に何本も打ち込まれ、薬物で濁った瞳は、ただ激しい苦痛に喘ぐことしかできていない。
「ぐ、……ぉぉ……ぉ……ッ!」
帝国の幻獣が呻くたびに、暴走した『山の理』が、庭の芝生を引き裂き、鋭い岩石を突き出させる。
それは地形操作ではない。
ただの、絶叫だ。
あまりの轟音に、赤ちゃん幻獣たちが飛び起きた。
「これが帝国の魔導強制制御だ。苦痛を与えれば、幻獣は最強の重戦車となる。……さあ、不死鳥を誘い出せ! この巨獣で、この場所を更地にしてやる!」
指揮官が、象の首に埋め込まれた制御具のレバーを、嘲笑いながら引き上げた。
バチッ! と激しい紫の放電が象の患部を焼き、剛山象が、天地を揺るがすほどの絶叫を上げた。
「……あの子を。……『山の主』を、よくも、そんな……」
私は、静かに、けれど心の底から、氷のような殺意を紡いだ。
「園児の眠りを妨げ、母親を愚弄し、あろうことか同胞をこんな風に弄んだこと。……地獄の底で、後悔することになるわよ」
次の瞬間。
上空の雲が真っ赤に焼ける。
太陽が二つに分かれたかのような紅蓮の閃光が、天から真っ直ぐに降り注ぐ。
娘の危機と、ネネの怒りに呼応して――死と再生の理が、ついにその翼を広げたのだ。




