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第20話 喧嘩するお泊まり組

夕刻の陽光が、森の木々を燃えるような朱色に染め上げていた。


庭の片付けを概ね終えた頃、大きな影が森の奥から音もなく現れる。

ルウの親――あの巨大な葉耳兎だ。


「もきゅーっ!」


ルウは名残惜しそうに、私の膝に最後の一揉みを施すと、親兎のふかふかな背中へと飛び乗った。


親兎は、庭に残る「夜の王」の魔力の残滓と、侵入者たちの腐ったような恐怖の匂いを鼻先で嗅ぎ、満足げに目を細めた。


「不届き者は排除されたようね」――そんな無言の了解を交わすと、ルウを乗せた巨体は、一跳びで深い緑の海へと消えていった。


「……さて。これで、ようやくいつもの時間が戻ってきたわね」


私は身体を小さく丸め、玄関の鍵を閉める。


ルウが帰った後の保育園は、急に静寂が重くなる。


だが、それは寂しさではなく、ここからが「お泊まり組」との、より親密で、より神経を使う『真の夜勤』の始まりであることを意味していた。


私がリビングの暖炉に火を灯すと、待ってましたと言わんばかりに、二つの気配が左右から迫ってきた。


「わぅ(わたしの番よ)」

「にゃっ(下がりなさい、野犬)」


ユキとヨルだ。


日中、侵入者を撃退する際は、一方は感覚を凍らせ、一方は影で攻撃するという見事な連携を見せていたというのに、今やその協力体制は微塵も残っていない。


彼女たちの視線の先にあるのは、一つしかない「私の膝の上」という、この世で最も価値のあると彼女たちが信じて疑わない領土だった。


……うーん。


外敵を追い払った後のほうが、精神を削られるのはどうしてなのか。


二人とも、目が本気(マジ)だわ。


ユキは銀色の毛をふかふかと波打たせ、私の右側に陣取ると、得意の「子犬のような潤んだ瞳」で私を見上げてくる。


……えっ、もしかしてその可愛さで、私を堕とそうとしてるの!?


対するヨルは、私の左肩に飛び乗り、喉をゴロゴロと鳴らしながら、自慢の艶やかな漆黒の尾を私の首筋に巻き付けた。


……えっ、ヨルまで!?


私はユキとヨルの可愛さに身悶えしながらも、必死に平静を装う。


彼女たちはお互いにバチバチと敵対意識を向け合う。文字通り火花散る攻防。


「はいはい、喧嘩はしない。……今日は、とっておきの食材と、ヨルのための黒曜石の粉を混ぜた、特製の夜食を作ってあげるから」


私がキッチンに向かおうとすると、ユキが裾を噛んで引き止め、ヨルが背中に爪を立てて「行かせない」と主張する。


結局、私は二匹を両腕に抱えたまま、一歩一歩が重労働の状態で食事の準備をすることになった。



 ◆



――その頃。


森を命からがら逃げ出したギルガートたちは、王都の入り口にある検問所に辿り着いていた。


馬車はボロボロ、護衛の傭兵たちは精神を病んで虚空を見つめ、何より商会長であるギルガート本人が、自分の影を見るたびに「ひぃっ、来るな!」と叫んでのたうち回るという異常事態。


「……何があった、これは。黄金の天秤商会が、なぜこれほど無惨な姿に……」


検問の兵士たちが絶句する中、発狂した鑑定士ボルドが、うわ言のように繰り返していた。


「……見てはいけない。あの女は、人間じゃない。あれは、神獣たちを統べる、『深淵の飼育主』だ……」


この噂は、翌朝には王都の裏社会を駆け巡ることになる。


「辺境の森には、手を出してはならない聖域がある」、

「そこには、あらゆる理を跪かせる、小さな魔女がいる」と。


期せずして、王都の欲深き者たちに対し、最高の「魔除け」を施したことになったのだ。


夜の闇。月明かりを背に、巨大な白狼と黒猫が、彼らを見下ろしていた。



 ◆



深夜。


保育園の寝室は、穏やかな月光に満たされていた。


私は、両腕の痺れに耐えながら、ベッドの真ん中で仰向けになっていた。


右脇には、体温を僅かに下げて「安眠の温度」を作ってくれるユキ。


左脇には、削り出した黒曜石のベッドではなく、あえて私の脇腹を選んで丸まっているヨル。


ヨルの影は、今は恐ろしい武器ではなく、私の布団をそっと包み込む「薄暗い毛布」のように優しく広がっている。


……ふふ。結局、石より私の方がいいのね。ちょっと嬉しいけど。


私は、自由の利く指先で、二匹の頭を交互に撫でた。


銀の毛並みと、黒の毛並み。

冷たい雪の気配と、静かな夜の気配。


二つの強大な「理」が、私の身体を介して、不思議な調和を保って共存している。


王都の人たちは、この子たちを『財宝』や『兵器』だと言うけれど。


……私にとっては、ただの甘えん坊な園児たちね。


どんなに重い影を背負っていようと、どんなに冷たい風を纏っていようと、こうして私を求めてくれる限り、私はここを動かない。


窓の外では、夜の王・ケットシーが、森の影の中から静かにこちらを見守っている気配がした。


だが、今の私に恐怖はない。

確かな重みと、二つの心音。


明日もまた、ルウが元気にやってきて、賑やかな朝が始まるだろう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◼️保育日誌:星暦9999年、深冬の月


●園児:【お泊まり組】ユキ、ヨル【通園組】ルウ


●出来事:強欲な商人たちの来訪。ヨルちゃんの「影の重さ」により、

     物理的な対話を試みるも、相手側が自壊。幸い、園児たちに怪我はなし。


●収穫:世界樹の雫の結晶、および大量の金貨や宝石や道具(賠償金として計上)。

    ルウちゃんの成長促進剤として活用予定。


●園長のコメント:私の膝の奪い合いが激化中。この身体では、面積が足りない

         という致命的な問題に直面している。

         もっと大きなソファーを発注した方がいいかもしれない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


私は、まどろみの中で最後の一行を書き終え、ペンを置いた。


腕の傷は、ヨルの影が持つ不思議な治癒力によって、すでに綺麗な跡になりつつある。


冬の夜は長い。


けれど、この腕の中にある小さな神様たちの体温が、私に最高の安らぎを約束してくれていた。




―――――あとがき―――――

今作をここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になった方は、モチベーションに繋がりますので、

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――――――――――――――

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