エピローグ2
現実の世界で目を開けると、自室の天井が見えた。
ベッドから下りて陽が差し込む窓の前でうぅんと伸びをする。気持ちの良い朝……というより、もう昼だ。
キリエとの戦いから二週間。かなり長引いてしまったが、消耗し切っていた体力はすっかり回復した。あれから顔を合わせていない仲間たちが今後の活動の打ち合わせがてら来てくれるという話だったので、私は少しだけうきうきとした気分で一階へと下りる。
しかし、リビングにはママが一人立っているだけで三人の姿がない。
「おはよう、ママ。みんなはどこ行っちゃったの?」
「おはよう、ミコナ。三人はまだ来てないわよ」
「あれ、外が騒がしいってターナが言ってたんだけど……」
おかしいなと室内を見回していたところ、ママが黙ってニコニコしていることに気づく。
「どうしたの? 何だか楽しそうだけど」
訊ねると、「おいで、ミコナ」と言って腕を広げてきた。飛び込んで来いとばかりに。
ぐぃぃ、と凄まじい吸引力を誇るママのふかふかした胸元。体が無意識に踏み出そうとしていたが……待て、分かったぞ。これは罠だ。三人は隠れてこちらを窺っているに違いない。ママを巻き込んで、またも私の痴態を覗こうという魂胆なのだ。
私は余裕の笑みを浮かべてみせる。分かっていて罠に飛び込む馬鹿がいるものか。逆にアホ面提げて覗きをしている三人を見つけて勝ち誇ってやろう。
……と思ったのだが、
「ンマァンマァッ!! ンマァーンンンンマァッ!! ンマッ、ンマッ、んんんんんんーっ!! んすぅ―……マッ!! ママァーんマァーーーッ!! んぐるぅぅぅぅぅ……ンマァぁぁあっ!!」
恐るべし、ママの母性……気づいたら私はママを抱きしめて奇声を上げていた。それはもう全力で。恥じらいもなく、存分に甘えてしまっていた。
はっと我に返って離れると、邪気を払われたかのような無垢な笑顔が三つママの肩越しに覗いていた。
「もぉぉぉぉぉっ!! 何で私を辱めるんですかぁっ!! こんなの見て何が楽しいんですかもぉぉぉぉっ!!」
「いやぁ、最早楽しいかどうかではなく神聖なる儀式を拝んでいるような気分ですよ。汚れが払われ心が洗い流されるような、そんな感じでして」
「分かるわぁ。小悪魔系なあたしが純情天使系になっちゃいそうよ」
ルカとリリンはそのように気持ちを表明する。ライアは鎧が砕けて露わになった顔を期待に染め、先ほどのママと同じように腕を広げていた。
「いや、ライア……そんな顔しても抱き着いたりませんよ?」
「いいじゃないですか減るもんじゃないし! ほら先輩、がっ! と来てくださいよ! ライアもミコナ先輩をぎゅっとしたいんです! ほらほら!」
「やめてください、それはママだけの特権なんです!」
「じゃあライアは第二のママになります! 正直、子ども作るならミコナ先輩のような子が欲しいなって思ってたんですよ!」
「な、なに言ってるんですか! 鎧壊れて頭おかしくなったんじゃないでしょうね!?」
まだ体力が回復し切っていないのか、疲労を感じて椅子に座る。三人も続いて椅子に座り、「さてと」とルカは私の様子など気にもせず話し始めた。
「まずはパーティ揃って集まれたことをお祝いしましょうか。いやぁ、お腹に穴が開いた時は死んだかと思いましたよ。改めてラファエル様とミコナさんには心から感謝申し上げます」
ルカが恭しく頭を下げると、「いえいえ、こちらこそ」とママは同じように頭を下げた。
「娘を守ってくれて本当にありがとう。怪我をしたらいつでも私の下へ来てね。どんな傷でも治してあげるから」
ママは礼を言い終わると、手に持っていたバタークリームを挟んだケーキをテーブルに置いた。私は朝食も昼食もまだだったので、みんなに切り分けると思い切りがっつく。
「私からもお礼を言わせてもらいます。かばってくれてありがとうございました。でも正直、もう二度とあんな真似はして欲しくないです……私かなり頑丈ですし、この領にいる限り【治癒】魔法は『円』の消費なく使えますから、自分の命を優先してください」
私が言うと、「ふふ、良かったわね、ルカ」とリリンが愉快そうな声を上げた。
「ミコナはあんたのことが心配で心配で仕方なかったみたいよ。昏倒してるあんたの傍でずっと泣き出しそうだったんだから」
「えー、そうなんですか? いやぁワタシのせいでそんな心配をかけてしまったとは申し訳ないですけど……ムズムズとした嬉しさがありますね」
「くっ、またそうやって辱めようとして……別に腹に風穴が開こうが私にとってはかすり傷のようなものですし、大して動揺もしてなかったですよ」
「ね、ね、ミコナ先輩! ライアのことはどうだったんですか? ライアのことも心配してくれたんですか?」
「あ、いえ、リリンからまったくの無傷って聞いていたので、まったく」
「なっ、まったく!? ライアも結構がっつりやられてたんですよぉ? そういえばあの時、駆けつけてくれさえしなかったですよね!」
「そ、それは、ルカを病院に運ばなければいけなかったので、仕方なくて……あっ! そうえば、ようやく中の姿を拝めたわけですけど、ものすごい美人さんですね。あの鎧の外見とのギャップが凄すぎて、目の前で話しているとすごい違和感がありますよ」
「え、可愛くてプリティ? ありがとうございます、ミコナ先輩! お世辞でも嬉しいです!」
「ん? いえ、可愛いというか、まるで芸術品のように美人――」
「え、可愛くてプリティ? ありがとうございます、ミコナ先輩! お世辞でも嬉しいです!」
「あ、あの? ライア? 話し聞いてます?」
にこにこ顔なのに耳を閉ざしているような気配に困惑していると、「ダメです、ミコナさん。あんなに美しいのに、外見がコンプレックスみたいなんですよ」、「あたしもさっきこのループに陥ったわ」と、ルカとリリンが囁いてくる。話を逸らすために触れてしまった『美人』は禁句だったらしい……。
「な、なにはともあれ、ライアも無事で何よりです。でも鎧が砕けてしまって、これからが大変になりそうですね。身体機能の補助装置でもあったという話でしたし」
「ああ、そのことなんですが、見て下さい。右腕と……あとほら、左足を」
ライアはテーブルから少し離れると、衣服の右袖と左足の裾を捲ってみせる。そこには素肌に食い込むように鎧の欠片が残っていた。
「常に全開ではいられなくなっちゃいましたけど、残っている鎧の欠片を全身に広げて纏えば、以前通りの力が発揮できますよ。このように力を込めて……フンヌァッ!!」
歴戦の戦士のように殺意を顔に滾らせ筋肉を躍動させた途端、硬質の鎧が液状化し、一瞬にしてライアの全身に広がる。
以前のようなフルフェイスではなく、角つきの兜を被っているような形で顔が露出している以外は以前と変わりないように見えた。
「ただ、半日ほどしか維持できなくて、その後は丸一日休ませないと起動できなくなっちゃうんです。なので大幅に弱体化してしまったのは間違いないですね……」
「私と同じですね。『円』を完全に使い切ってしまったので、しばらくの間は【風魔】と【治癒】の魔法だけしか使えません。なので、以前のように戦えなくなってしまいました……」
同時に溜息を吐くと、「何二人してしょげてんのよ」とリリンは言う。
「あんたらは元のスペックが高いんだから大して影響ないでしょ。半日あれば大抵のクエストをこなせるだろうし、だめだったら中断すればいいじゃない。それに、ミコナの場合はあたしらの『円』を渡せば今まで通り魔法が使えるんでしょ?」
「そうですけど、受け取れませんよ。みなさんの『円』はみなさんのものなんですから」
「あんたが存分に力を振るってくれれば、それだけこなせるクエストの数が増えるじゃない。それでギフトカードを?き集められるのなら効率的でしょう?」
「それはまあ……そうかもしれませんね。うーん……それじゃあ、その必要があると思った時にだけそうすることにしましょう。キリエのように私じゃないと太刀打ちできないような相手が現れた時とか」
「そうね、それがちょうどいいのかも。でもキリエのようにぶっとんだやつとは二度と相手したくないところよねぇ……てか、そのキリエはどうなったの? 氷漬けのまま街に持って帰ったのは見てたけど、その後は?」
私はママに視線を送り、「話しても大丈夫よ」と許可を得てから口を開いた。
「キリエは氷漬けのまま神殿の地下牢に封じてあります。この世界に亜人抹殺のための施設がもしまだ残っていたとして、対処法が分からなかった場合に頼れるのは彼女の頭脳だけです。なので、冬眠刑で封印したままにしておくことになったんです」
「なるほどね。無難ではあるけれど、直接的な被害を被ったあたしからしたらさっさと処刑して欲しいわ。街の人たちもそう思ってるんじゃない?」
「そうですね。そういう声が多く寄せられていますけど……」
「? けど、何よ?」
「その……奇跡的に死者は出てないですし、そこまでしなくてもと私は思うんです。キリエは昔、酷い目にあったそうですし……私たちと楽しく話していた時の彼女が本物だったんじゃないかと思うんです」
「甘いわね! あいつは同胞を殺しに殺しまくったサイコキラーよ? そんなやつを庇うなんてどうかしてるわ!」
そう、キリエは古代人の滅ぼした張本人。おぞましき怪物に他ならない。
でも、体力回復に努めていたこの二週間、彼女のことや彼女の言葉を思い返していると、深い絶望を味わった悲しい人物のように思えてきたのだ。
だから彼女の処刑には同意できずにいたのだが、「まあ、あんたらしいけどね」とリリンは不意に表情を和らげ、私の悩みを断ち切るように話題を変えた。
「ま、キリエが動けないってんなら安心ね。あいつのことはさっさと忘れて、楽しい毎日へと戻ろうじゃない。てことで、さっそく今後の活動について打ち合わせしましょ! ここに来る前に役場に立ち寄って、色々と揃えてきたのよ!」
リリンは快活に言ってクエストの依頼書を取り出しテーブルに並べ始めた。
私も気持ちを切り替え、リリンに合わせて依頼書に意識を向けるのだが、「ちょっとお待ちを」とルカが制止してきた。
「残念ながら、リリンさんが取り出したその依頼、全部受けられません」
「は? 何でよ?」
「それはですね、『変異後再審規則』に引っかかるからです。竜人族の方に多いんですが、遺伝や先祖返りで別の動物の因子が肉体に現れることがあるでしょう?」
ウロコから毛が生え始めたとか、ウサミミがクマミミに変形したとか、そういう事例のことを話しているのだろう。「ええ、見たことありますよ」と私は答えた。
「そういった変異が起こると身体能力も変化して、筋力が増したり、逆に委縮したりすることもあります。その変化に気づかず高難度のクエストに挑戦して大変な事態に陥るという事故が多発しまして、今では変異が起こるとそれまでの活動実績がリセットされてしまうんです」
「へえ、そんなルールが……って、まさか! 私とライアも変異扱いになるんですか? 能力に変化があったために?」
「残念ながらそうなんです。ミコナさんは誤魔化せそうですが、ライアさんは『パーティ申請書』に写した人相書きから随分と変わってしまいましたからね。改めて書類を作り直して、もう一度活動実績を積まないとなりません」
「そ、そんな最初からやり直しだなんて……」
「ごめんなさい、ライアが不覚を取ってしまったばっかりに……」
「かぁー! それもどうにかして誤魔化せばいいじゃないのよ! そうやって真面目腐ってるから婚期遅れるのよ!」
「ウルセェェェーッ!! 分かっとるわ、この有翼種らしからぬ生真面目さのせいで男が寄ってこないのは!! あなたはだらしないからそんな体つきなんだろうがよォーッ!!」
「だらしないのは関係ないでしょ!? 変な言いがかりつけるんじゃないわよオバサン!!」
ルカとリリンが狂気を目に宿して言い争いを始めた直後、私室に戻っていたママが出てきた。
そそくさと近づいてくると、「こんなクエストがあるわよ。あなたたちにはちょうどいいんじゃないかしら?」と一枚のクエスト依頼書を差し出してきた。
騒いでいたルカとリリンも、私とライアもその一枚を覗き込む。
人数制限のない大量発生系の討伐クエストのようだ。狩人が『八重角ヤギ』を採りに『トビトの森』へ入ったところ、植物型の魔物である『ラフレシアン』の群れを見つけたらしい。根っこで歩き回り、雑食のためにあらゆるものを食べてしまうため、生態系の壊し屋とされている。
「お、簡単な討伐クエスト! ワタシたちにうってつけじゃないですか! これに参加して、さっさと実績作っちゃいましょう!」
「『ラフレシアン』ならあたしたちの敵じゃないわね。肩慣らしにはちょうど良い……って! ちょっと待って、開始日、今日じゃない! 開始時刻は――」
「あと数分後です! わわ、早く行かなと! 集合場所は街の南東出口ですから、走らないと間に合いませんよ!」
私たちは急いでケーキを口に突っ込み、ママが差し出してくれた水で流し込む。
それから慌てて荷物をまとめ、玄関へと向かった。
「ミコナ、気をつけて行ってらっしゃい」
「うん、行って来ます!」
元気良くそう言って、三人の仲間を追って外へと出た。三人はすでに階段を下り、私を見上げて待っている。
一瞬、私は足を止めた。
ママに元気よく挨拶をして、友だちの下へ向かう……不思議な光景。心地良い感覚。
「ミコナさん? どうかしました?」
「何ぼけっとしてんのよ!」
「先輩、早く早く! 討伐隊、出ちゃいますよ!」
「ああ、すみません。今行きます!」
急かしてくる三人と合流し、私たちは走り出した。
空を見上げると、気持ちの良い群青が広がっている。
背後には見送ってくれるママの姿。目の前には三人の仲間たち。
少し前から、私の世界は随分と姿を変えた。
大切なものに溢れ、たくさんの選択肢があって、やりたいこと、成し遂げたいことが私の活力として輝いている。
自分の意思で、自分の願いとして、『子宮』が欲しいと思った。
大切な人たちを全員幸せにしてあげたいと、私は希望を抱いた。
私は仲間を追って走り出す。
みんなみんな幸せにしてやる。私はそのように決意し、今日も戦い続ける。
今後何作か完結作品を投稿予定。奈坂秋吾ツイッター(@nasaka_syugo2)
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