第13話 パンドラの箱 その7
カレー大好き『リンゴと蜂ミッツ』と申します。いつも読んでくださっている方は、大変ありがとうございます。
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家に帰ると同時にスマホの通知音が鳴った。
タイミング的には母さんからのメッセージだろう。画面を確認すると思った通りで、両親と居候の杏叔母さんの帰宅が遅くなるとのことだった。
甘ったるい匂いがして横を向くと、スマホの画面を覗き込んできた妹の横顔がすぐ近くにあった。自然と彼女の顔に見惚れてしまい、不意に目が合ったので慌てて顔を背けた。
「もしかして汗臭かった?」
「えっ―――!? ち、違う、そういう訳じゃ‥‥‥」
てっきりいつものように揶揄われるのかと思ったけど、変な勘違いをした妹が鼻をくんくんと鳴らして自分の脇へと近づけた。
「くさくないって‥‥‥その逆っていうか」
「ぎゃく?」
「‥‥‥いい匂い」
またしても心の声が洩れてしまった。
最近は、妹のことを意識しすぎているせいか、気が緩めばこういうことがよくある。
「む―――」
僕の本音を聞いた妹が、悶絶したように体をふるふるとさせた。
口をむっと結んで何かを我慢している。その仕草がめちゃくちゃ可愛かった。
しばらくして身悶えていた妹が落ち着きを取り戻すと、真顔で「エロ兄貴」と言い放った。
「そういう言い方は」
「はぁあ~? 妹の匂いで興奮したんか? うん? ほら、正直に言ってみ」
妹は口の端をニッと持ち上げて小悪魔的な表情を見せていた。
「興奮とか、そういうのじゃないから。それに恋は僕の妹を卒業して彼女になったんじゃないのかな」
いつもは揶揄われて終わるパターンだ。だけど今回は少しだけ意趣返しのつもりで言い返してみた。すると妹の顔がみるみる真っ赤に染まった。
「ははは‥‥‥‥‥‥」
妹の渇いた笑い声がリビングに響く。手うちわで顔を扇ぎ始めた。壊れたオモチャみたいな動きだ。
ギャルっぽい見た目の妹は、意外にも打たれ弱かったみたいで。
いたたまれなくなった僕は、挙動がおかしい妹に優しく声を掛けた。
「先にお風呂入ってきたら? 晩ご飯は僕が作るから」
「うん。そうする」
僕の声で我に返った妹は、そのまま階段を駆け上がると着替えを持って脱衣所へと駆け込んだ。
夕食は、カレーにした。仕事で遅くなる両親と杏叔母さんのことを考えて多めに作った。
妹は、「激旨~」と言って2杯をぺろりと平らげた。剣道の練習に参加するようになってから明らかに食欲が増している。でも、そんなことを指摘しようものなら‥‥‥僕は口から出かかった言葉をカレーとともに胃の中へ流し込んだ。
夕食を終えると僕もシャワーを浴びた。
寝る準備が整ってからも両親と杏叔母さんは帰ってこなかった。
両親を見ていると、社会人が学生とは違ってどんなに大変なのかがわかる。だからこそ僕自身、将来を真剣に考えなければいけない。
来週が終われば夏休みに突入する。期末テストは終わったけど、残念ながら手ごたえはなかった。気が緩む時期だからこそ今夜はテストで出題されたところをしっかり復習しよう。
そう思って自室に戻れば、エアコンの効いた中で僕のベッドに寝転がった妹が大笑いしながら漫画を読んでいた。
そんな様子を眺めていると、さっきまでの学生の本分を全うしようとする僕の崇高な気持ちが勢いよく削がれていく訳で。
「これ、おもろ。兄貴、新刊出てないん?」
そう言った部屋着姿の妹が短パンの裾からのびている片方の素足を持ち上げて足を組んだ。
その動きを自然と目で追ってしまい短パンの裾の僅かな空間で動きが止まった。
―――あ、青か‥‥‥
すぐに顔を逸らして机の椅子に座った。
「新刊は来月だったかな」
「エロ要素多いな。やっぱ兄貴はムッツリーニだわ」
「う、うるさい―――ムッツリーニ言うな」
妹は漫画に夢中で、こっちの邪な視線に気がついていなかった。
と、思っていたんだけど、両親不在のこのタイミングで突拍子もないことを言い出す。
「兄貴さ、本物のゴムって見た事ある?」
ベッドを見ると体を起こした妹がじっとこっちを見ていた。
彼女の言うゴムとは消しゴムのことでも輪ゴムのことでもない。やっぱりあのゴムのことで。
件の箱はカバンから取り出して机の引き出しの中に隠したばかりだった。
「そりゃあるだろう‥‥‥学校で大変だったんだからな」
「私が言ってんのは箱じゃなくて中身のこと。本物のゴムって見たことあるん?」
「あ、ある訳ないだろう」
童貞なんだから。
「一緒に開けてみよ」
「お、おい―――! いきなり何なんだよ!?」
「だって、興味あるし。何事も勉強じゃんよ。兄貴が使い方を勉強しとかないと、その時困るの私だし」
「そ、そそそ、その時って―――な、なんで恋が困るんだよ」
なんとか突っ込んでみたものの、全然平静を装えていなかった。顔が火照って仕方がない。心臓だってうるさいくらいに早鐘を打っていた。
妹のやつ、コンドームの一つをどこかに無くしたくせに全く反省が見られない。
「ま、避妊しなくても私はいいけど」
「恋―――!」
そんなやり取りの中、いつの間にかコンドームを手にしていた妹がベッドの上で包装を破ってしまった。
「あっ!! こんなところで開けてどうするんだよ」
「兄貴、着けてみ」
「ば、バカなこと言うな‥‥‥!」
たぶんだけど、普通の状態では着けたりできないと思う。そのくらいの知識は僕にもあった。
「勉強じゃん。ほらこっち来て」
ベットから起き出した妹がコンドームを手ににじり寄ってくる。思わず椅子から腰を上げた。
「待つんだ、恋。冷静に」
「わっ、なんかヌルっとしてる。ちょっとエッチ」
そんなことを言いながら、妹は手に持ったコンドームをこっちに見せつけるようにして顔の前に掲げた。
「こんなに可愛い彼女のお願いだよ、お兄ちゃん♡」
「可愛かったらなんでも許されるわけじゃない」
思春期男子を何だと思ってるんだ。深呼吸してから煩悩を鎮める。そして距離を詰めてくる妹の腕を部屋の中央でぐいっと掴んだ。
「兄貴、観念しろや」
「まだ間に合う。やめるんだ、恋!」
僕たち兄妹は向かい合わせで揉み合うような格好となり、その拍子に妹の手からコンドームが床へと落ちた。
「あっ、落ちたじゃん」
「いったん落ち着こう」
掴んでいる手を離せば妹はゴムを拾い上げるだろう。そうさせないつもりで一旦手を離し、動きを封じるつもりで腕の上から彼女の体に強く抱き付いた。
「いやぁ~~~兄貴に襲われるぅ~」
「いい加減にしないか」
妹はこっちの動揺を楽しんでいた。ゴムの話が冗談だったとしても、仮に僕が「じゃあやっぱり着けてみるか」って言ったなら、たぶん彼女はそういう流れを受け入れるだろう。行動が簡単に予測できるからこそ、本当にヤバい訳で。
抱きしめていたら、妹がきゅうに静かになった。彼女の体から力が抜ける。そのままこっちに体重を預けてきた。
「恋さん‥‥‥?」
「私は本気だから。今夜は‥‥‥」
妹の甘い吐息混じりの声が耳朶をくすぐった。
僕は生唾をごくりと飲み込んだ。と、次の瞬間だった。部屋のドアが勢いよく開かれた―――。
「―――郁人!? おまえ妹に何やってんだぁあああ!!」
怒鳴り声と同時にドンドンと床を踏みしめる重い足音が近づいてきて、傍に落ちていたコンドームが拾い上げられた。
そして、その後は―――父親の鬼のような形相と左頬に走った鈍く熱い感覚。
「隼人さん、止めて!」
「兄貴ぃいいい―――!!」
室内には母親と妹の悲痛な叫び声が木霊していた。
平手打ちされた僕の体は無様な格好で床に転がっていた。
こんな状況なのに―――いや、こんな状況だからなのかもしれない。頭の中は意外と冷静だった。
父親は、「妹と」ではなく「妹に何を」と言っていた。
だから―――嗚呼、そういうことか、と瞬時に理解できたんだ。
パンドラの箱に入っていたもの。
それは両親の想いを踏みにじり、この温かな家族の関係を壊してしまった長男としての罪。
そしてなにより、かけがえのない存在の妹のことを『寝取る』と考えた臆病で卑屈な兄としての罪だった。
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