第6話 さすがに親の前では
カレー大好き『リンゴと蜂ミッツ』と申します。いつも読んでくださっている方は、大変ありがとうございます。
モチベーション維持のために感想を頂けると大変嬉しいです。
期末テストが終わった火曜日の放課後。
「どうだった?」
「正直、微妙かな‥‥‥」
ホームルームが終わると井上さんが僕の所へやってきた。
テストの出来についての質問に、苦笑いで答える。
「同じだね。ドンマイだよ。それよりテストも終わったし、こんどランチ行かない? 美味しいそうなとこ見つけたんだ」
陸上部に所属し、週末はアルバイトで汗を流している頑張り屋の井上さん。
ふとしたきっかけで仲良くなった。彼女には少し前にパンケーキランチをご馳走になっている。
あの時は妹が強引についてきて、井上さんに僕たち兄妹の関係をバラされるっていうことがあったけど、ご馳走されたパンケーキは本当に美味しくて、好き嫌いの多い自分を反省するきっかけになっていた。
「こんどは僕にご馳走させてくれるなら」
「やったぁ~決まりね」
つぶらな瞳の彼女の破顔一笑を見せられて、すこしドキッとしてしまう。
「じゃあスケジュール空けとくから」
そう言ったのは、どこからともなく現れた学級委員長の加藤さんだった。
イケメン好きなのに、何故だか僕に対してグイグイきている地雷系女子。
「加藤は誘ってない!」
笑顔を引っ込めた井上さんがピシャリと言ってのけた。
僕としては、仲良くみんなでランチを楽しみたいんだけど。
「抜け駆けは許さないから」
「加藤には関係ない」
「あら、中学の時の―――」
「―――それ今言うかな? 加藤の方こそ‥‥‥」
話が長くなりそうなので、僕は一足先に教室を後にした。
―――帰り道。
テストの手応えの無さに肩を落として歩いていると、突然後ろから声を掛けられた。
「あら1人? 妹は剣道かしら―――?」
場所は学校最寄り駅に向かう緩やかな下り坂の途中。
すこし高飛車な感じで、凛とした声音の主は振り返らなくてもすぐにわかった。
「―――満月さん」
彼女の名前を口にしてから立ち止まり振り返った。
「元気のない顔ね。もしかしてフラれた、とか? いや違うわね‥‥‥罪悪感‥‥‥ついにしちゃったとか?」
陰キャ仲間である西野入宗助の彼女は、ものすごい情報網を持っている。
それでいて鋭い観察眼の持ち主で、つまりは油断ならない存在だ。
「しちゃってないから‥‥‥。満月さんこそ、宗助は?」
「部活よ」
短い返答だったけど、違和感を覚えるのには十分だった。
素っ気なく答えた満月さんの顔。その瞳に一瞬だけど、不安と焦りの入り混じったような―――翳りのようなものが見えた気がした。
「‥‥‥何かあった?」
理由を聞かないという選択肢もあったんだけど、初めて見る満月さんの様子に気がつけば心の声が口を衝いて出ていた。
「‥‥‥」
「余計なこと聞いたかな、ごめん」
「いいのよ。呼び止めたのは私の方だから」
そう言った満月さんが、ゆっくりと歩いてこっちに近づき僕の横に並んだ。
無言のまま歩きだし、一緒に駅へと向かうことになった。
学校では、美しすぎる整った顔立ちとモデル顔負けのプロポーションで高嶺の花と称され、人を寄せつけない凛とした佇まいから孤高の存在と噂されている彼女だ。
その横顔がどこか寂しそうに見えるのは気のせいじゃない。
しばらく歩いていると彼女の方から口を開いた。
「最近の宗助はどう? カッコいいでしょ?」
「そうだね、痩せてからうちのクラスの女子が噂してたよ。めちゃカッコいいって」
「そう、私の目論見どおりの反応ね。あっ、誤解があったらいけないから先に言っておくけど、太っていた頃の宗助の見た目が嫌だったから彼を改造した訳ではないわ」
「か、改造って‥‥‥そんなことくらい、わかってるつもりだけど。満月さんが見た目重視で彼氏を選ぶ人だったら、最初から宗助とは付き合ってないだろうし」
「‥‥‥そうね。そのとおりよ」
「じゃあ、なんで最近になって改造―――じゃなくって、ダイエットさせたり、話し方を変えさせたり―――?」
僕の質問に満月さんは、すぐに答えを返してはくれなかった。
力なく歩く満月さんに歩調を合わせているけど、そろそろ駅舎の屋根が見えてくる頃だ。
ふと周りを見れば、同じ学校の生徒の視線が僕と満月さんに集中していた。
それもそのはずで、高嶺の花と高校2年生デビューの陰キャ男子が一緒に歩いているのだ。普段にない取り合わせに興味が湧かない生徒はいないだろう。
「‥‥‥私、腐ってるの」
「う、うん」
宗助から話は聞いて知ってはいたけど、僕の口からは言えない訳で。
満月さんの独白のような言葉に曖昧に相槌を打った。
「友人の少ない私は、小さい頃から空想するのが好きだった。空想上の恋人は、100人は下らないわ」
「そ、そうなんだ」
100人のくだりで満月さんが少し胸を張っているように感じて、僕は困惑を隠せない。
こういう時の正解ってなんだろう。
「色々なシチュエーションで想像を膨らませるの。無限に楽しめるわ。でね、気がついたら腐っていたの」
「へ、へぇ~~~そ、そうなんだ」
色々と反応に窮したけど、ここまでは前振り的な話しだった。
満月さんは一呼吸置いて、いよいよ本題の話に入った。
「軽い気持ちだったのよ‥‥‥宗助がモテてしまったらどうなるのかなって」
彼女が『寝取り・寝取られ』に目覚めたと宗助から聞いていた。
けど、まさか本人の口から性癖を聞かされるとは‥‥‥責任の一端は僕にもあるって‥‥‥。
「そ、それで」
話しの続きを促すと、満月さんがこっちを向いて淋しそうに小さく笑った。
「初めはね、宗助が段々とカッコよくなって徐々に周りにモテ始めて―――そうゆう場面を想像するだけで楽しめたの」
「楽しめたんだ‥‥‥」
「でも、違った。パソコン部に宗助目当ての女子が入部したらしいって情報が入ってきて‥‥‥実際に宗助とその新入部員が話しているところを見かけてから‥‥‥私は私でいられなくなってしまった」
急にその場で立ち止まった満月さん。
僕も慌てて立ち止まると、後ろを歩いていた生徒が迷惑そうな顔を向け、僕たちの傍らを通り過ぎていく。
「こんな気持ちになるなんて」
「ど、どんな気持ち‥‥‥?」
聞かずにはいられなかった。たぶん彼女も聞いて欲しかったんだと思う。どこか縋るような雰囲気があったんだ。
「不安、焦り、悲しみ、それに憎しみってとこかしら‥‥‥」
低いトーンの声に、僕は思わず彼女の瞳を覗いてしまった。
そこには深淵を覗き込んだ人間の落ち窪んだ真っ黒い2つの眼孔があって、前を向いて一点を見つめる満月さんの横顔には自虐的な笑みが張り付いていた。
「でね、気づいてしまったのよ―――自分自身を支配している感情に」
「う、ん」
僕は緊張からゴクリと生唾を呑み込んだ。
「初めて抱いた感情の名前は―――嫉妬! 宗助と新入部員の関係に嫉妬を抱いてしまった。こんなに苦しいものだとは知らなかったわ。寝取り作戦ではジェラシーだなんて言ってあなたの義妹を焚きつけたのに‥‥‥私は全然わかってなかったのよ。ねぇ、どうすればいいの? 教えてよ百崎くん!」
最後は叫ぶように言った満月さんが、僕を置き去りにして走りだした。
出遅れた僕は追いつけそうにない。
「あっ! ま、満月さん‥‥‥」
彼女は駅舎には入らず、ロータリーに止まっていた黒塗りの大きな車に近づいた。
すると運転手だろうか、中年の男性が現れて後ろ側のドアを開け、そこへ満月さんの体は吸い込まれるようにして消えてしまった―――。
「やっぱり、お嬢様なんだ」
1人取り残された僕はそんな感想が口から漏れた。
―――久しぶりの家族団欒の夕食。
杏叔母さんは家出中でも仕事が忙しいらしく、まだ帰ってきていない。
「テストはできたか?」
「どうだろう‥‥‥」
「私はできた、かな」
父さんの質問に、僕は胸を張って答えることはできなくて言葉を濁した。
隣に座る妹はそんな僕とは正反対で―――なんとか父さんの機嫌はプラマイゼロ。
「郁人、来年は受験生なんだ。そろそろ本腰入れないとな。夏休みはどうする? 塾は? 夏期講習に参加するか?」
今回は本気で学年20位以内を目指していたんだけど、現実はそんなに甘くないだろう。
父さんも苦労した経験を基に僕の将来を心配してくれている訳で。
「う、うん‥‥‥」
横目で隣に座る妹を見た。
人のせいにはしたくないけど、毎晩のように誘惑してきた妹が恨めしい。
「もう、隼人さんったら。テストが終わったばかりで勉強の話はいいじゃない」
僕の様子を見かねた母さんが、いつものように助け舟を出してくれた。
その後は夕食の皿を片付けて、父さんが仕事先で貰ってきたロールケーキを食べることに。
母さんがカフェインレスの紅茶を淹れてくれた。
「美味しいわね」
「こんどお返しを買わないと。愛ちゃん何がいいかな?」
向かいの席では母さんと父さんが仲良く話をしている。
「うま」
隣を見れば妹の小皿はすでに空っぽだった。
食べるの早すぎだろう、と思っていたら、
「隙あり!」
「あっ―――!」
油断していると残り半分のロールケーキを妹に持っていかれてしまった。
「兄ちゃんのが‥‥‥」
日常の兄妹のやり取りだった。両親には仲の良い兄妹に見えているんだろうけど、僕たちはすでに家族の枠を大きく外れていた。
もちろん杏叔母に貰った例の箱は開けていない。
と、不意にテーブルの下にあった僕の手が握られた。
「やめ‥‥‥」
止めろと言いかけて、僕の言葉はすぐにしぼんでしまう。
なにせ目の前には両親がいる。
それなのに妹は何食わぬ顔で僕の手を握ってきた。
バレれば終わりな訳で、スリルを味わうっていう気軽な気持ちでは済まない。
「‥‥‥」
抗議の視線を投げれば、
「‥‥‥」
妹はわざとらしくそっぽを向いた。
腕を振って繋いだ手を引き剥がそうとしたけど、彼女はけして握った手を離そうとはしなかった。
こういう行動にでる妹の心境って‥‥‥帰り道の満月さんの言葉が蘇ってきた。
隣に座る妹は悪戯心があるのかもしれないけど、思い返せば心当たりがあった。
井上さんとの食事を邪魔したり、僕たちが義理の兄妹だと暴露したり、加藤さんがくれたクッキーを全部食べたり―――その行動のどれもが嫉妬心からくるものだったとしたら、腑に落ちる。
「不安、焦り、悲しみ、それに憎しみってとこかしら」
満月さんは自分の中の気持ちを、あんなに苦しそうな表情で吐露していた。
妹の行動の裏側に嫉妬っていう感情があったとしたなら―――僕は兄だから、兄妹だからと言って一方的に距離を保とうとしてきたけど、妹も満月さんが抱いていたものと同じような気持ちだったのだろうか?
―――そう考えると、いたたまれない気持ちになった。
―――だから妹に握られた手を強く握り返した。
「あら‥‥‥? 2人ともどうしたの? 顔が真っ赤よ」
テーブルの下、両親に隠れて手を繋いでいる僕たち兄妹。
こんどは母さんの声に驚いた妹が引っ込めようとしたけど、僕が繋いだ手に力を込めると彼女の汗ばんだ手はその場に留まったままで。
「もしかしてロールケーキにアルコールでも入ってたか?」
そんなことを真顔で父さんが言った。
まさか自分たちの子供が見えないところで、恋人のように手を繋いでいるなんて思ってもみないだろう。
結局、テーブルに着いている間、両親に対する罪悪感は拭えないままに僕たち兄妹の手は離れることはなかった。
―――2階に上がると妹が唇を尖らせて詰め寄ってきた。
「兄貴、バレたら責任取れよ」
「いや、恋の方から繋いできたのに」
「積極的だったじゃん」
確かに僕は初めて積極的だった。そんな様子に戸惑う妹。
抗議してくる彼女の顔は、1階にいる時から真っ赤なままで。
照れている今夜の妹もめちゃ可愛い。
「嫌だった?」
「別に―――あっ、そっか。もう私たち付き合ってんだよね」
先週末、僕は自分の正直な気持ちを言葉にして伝えていた。
妹は僕の気持ちに応えてくれて、結果、互いの気持ちを確かめ合うことができた。ただ、それだけで付き合うってことになるんだろうか?
「僕たちは付き合ってるのか?」
「たりまえじゃん」
「当たり前?」
「嫌なん?」
「い、いやじゃないけど」
「なら、いいじゃん」
妹が静かに体を寄せてきた。
僕の胸に俯いた小さな頭がコツンと当たる。
妹は出会った頃から好きでいてくれた。
陰キャな僕はモテモテだった経験はないけれど、それでも今の人間関係の中で不安にさせたり悲しませていたことがあったなら―――もう少し自分の中の気持ちに勇気をだして向き合う必要があるように思えた。
胸の前で体を預けてくる妹。その背中に腕を回した。
早鐘を打つ僕の心臓の音を、彼女はどんな思いで聞いているんだろうか?
甘い匂いがする柔らかい体を強く抱きしめると、それに応えるように妹の顔が押し付けられた。
僕は部屋の真ん中に立ったまま、しばらく彼女の体を抱きしめ続けた。
読んで頂きありがとうございました。
平日は最低でも2話以上(毎日が理想(無理です))の更新ができるようにと考えています。
もしよかったらリンゴと蜂ミッツを推してくださいね。ブクマ、評価をよろしくお願いします