第2話 妹はそんなに嫌がってない!?
図書委員の活動を終えて校舎を出ると地面が濡れていた。
知らない間に降った雨はすでに止んでいる。
辺りは曇り空のせいですっかり暗くなっていた。
昇降口から文化部の生徒がぽろぽろと吐き出されてくる。
湿気を含んだ空気の中、微かに制汗剤の香りがした。体育館のある方へ振り返ると、そこには息を弾ませた妹が立っていた。
「メチャ疲れたぁ~」
練習は相当激しいみたいで、笑顔の中に疲労の色が窺えた。
妹は実兄に請われて2学期の早々に行われる他校との試合に助っ人として参加する。今は期間限定で剣道部に入部していた。
僕たち兄妹の前を帰宅する運動部の生徒が通りすぎてゆく。
その多くはジャージー姿なのに、妹の格好は朝と変わらず制服姿のままで剣道とは無縁のギャルっぽい見た目の女子だった。
道着や防具は受験勉強で顔が出せない3年生のものを借りていると聞いている。
妹は部活に参加していることを母さんに伝えていない。僕も話す気はない。剣道は前の家族のことを連想させるみたいで、だからその辺の事情は妹に任せていた。
「腹減ったぁ~」
「武波先輩は?」
「まだ道場。試合が近いかんね」
試合前の運動部は特例で最終下校時刻の延長ができる。
「恋はいいのか?」
「正式な部員じゃないもん。仮入部だし」
武波先輩との関係は、正体が判明してから大きく変化していた。
僕は下の名前で呼ばれるようになったし、時間が合えば一緒に駅まで帰ることもあった。
「じゃ、帰ろう」
「アイス奢れ」
「はっ? なんで」
「朝、小春先輩と加藤先輩に囲まれてデレデレしてたろ? その罰」
「デレデレなんてしてないって、誤解だから」
周りから見れば僕の話している内容は浮気がバレた彼氏のそれだ。
「朝起きたら兄貴のコレクションが食卓に並んでんぞ」
「絶対にやめてくれ!」
立ち話をしていると部活終わりの生徒の姿がまばらになっていた。
気がつけば最終下校時刻が迫っていて、難癖をつけてくる妹を促して一緒に歩きだした。
電車を降りると駅前のコンビニに仕方なく立ち寄った。
大好きなクーリッ〇ュのバニラを口にくわえて上機嫌な妹。
都会じゃないので少し歩くと行き交う車のライトの数が激減する。
帰り道を照らすのは、家々から漏れ出る明かりと煌々とした街灯だけ。
車道側を歩いている僕の反対側の手に微かな感触があった。
辺りは薄暗くなっていて、すれ違う人がいたとしても誰も僕たち兄妹を気には留めないだろう。
だからと言って、妹と‥‥‥。
「―――ん」
隣から可愛らしい催促の声が聞こえた。
兄としては応えるべきではない。でも、やっぱり抗うことも難しい。
最近の僕たち兄妹は家族の枠を大きく外れてしまっていた。
両親に対する罪悪感を拭えないまま、隣を歩く妹の手に自分の手を重ねた。
無言のまま中間地点にある児童公園にさしかかる。
その頃には僕の指に彼女の細長い指が絡まっていて、まるで恋人のように繋がっていた。
一番身近にいる、ただそれだけの魔法にかかっていると思われる妹。僕は僕で本心をひた隠しにして、だから正常な関係とは言えない訳で。
―――本当にこれでいいんだろうか?
何度も自問自答を繰り返したけど、答えは見つからないまま。
そんな僕の心情を見透かしたように妹が口を開く。
「今日さ~別のクラスの男子にコクられた」
平気で嫉妬心を煽ってくる彼女は本当にモテる。
入学当初から超絶美少女の存在は学校中の噂になっていた。
「‥‥‥返事は?」
「知りたいんだぁ~」
「べ、別に知りたいわけじゃ」
「じゃあ教えん」
「どうせ断ったんだろう」
「‥‥‥」
妹が急に口をつぐんだ。
「恋‥‥‥?」
妹の手がすっと離れて僕との間に距離を取ったと思ったら、突然後ろから声を掛けられた。
「―――2人とも今帰り?」
「そだよ」
「‥‥‥母さん!?」
妹はいち早く気配に気づいていたみたいで、振り返るとそこには仕事帰りの母さんが立っていた。
いつもは車通勤のはずなのに今日は電車だったんだろうか?
「郁人、そんなに驚いてどうしたのよ」
「暗かったから、つい‥‥‥」
まさか高校生になる子供たちが仲良く手を繋いで帰宅しているとは思ってもみないだろう。
まさに危機一髪だった。不思議そうに僕の顔をみて母さんは小首を傾げていた。
「まあ、いいわ。今日はお客さんが来るから早く帰らないと」
「今夜?」
「そうよ。郁人と恋にお願いすることがあるから」
お願いって言葉が引っ掛かったけど、突然現れた母さんに促されて僕たちは家路を急いだ。
「「「ただいま―――」」」
玄関を入ると見慣れない靴が目に入った。
お洒落な装飾に高いヒール。
母さんから聞いたお客さんのものに違いない。
と、パタパタと廊下を走る音が聞こえたと思ったら母さんによく似た綺麗な女性が近づいてきて妹に抱き付いた。
「恋~久しぶり!」
「杏おばさん!?」
例えるなら母さんを一回り小さくして胸のボリュームを増した大人の女性。
僕にも面識がある。両親が再婚してから何度か顔を合せていた。
「おばさんって言うな!」
「だって―――」
妹の体から離れるとこんどは僕に向き直る。
「郁人くん、久しぶり。しばらく見ない間にイケメンになってる!?」
「お、お久ぶりです」
彼女は母さんの歳が離れた妹で杏叔母さん。
年齢は30代前半で仕事は旅行雑誌のライターだと聞いている。
明け透けな言動と派手な見た目のせいか、陰キャな僕は少し苦手としていた。
「旦那と喧嘩しちゃってさ~9月までお世話になりま~す」
そう言った杏叔母さんは、年甲斐もなく赤い舌を出してテヘペロをやって見せた。
父さんが帰宅してから、リビングでちょっとした家族会議が開かれた。
「でね、恋の部屋を杏に使わせてあげて」
この家の間取りはリビングとダイニングを広くした結果、1階には両親の寝室しかない。
2階には3部屋あるけど、その内の1つが物置部屋になっていた。
妹の部屋を杏叔母さんが使用するって話だけど‥‥‥じゃあ一体妹は何処で寝るんだろう?
そう考えていると、両親が口を揃えてとんでもないことを言い出したんだ。
「夏休みの間だけ恋はお兄ちゃんと一緒の部屋で我慢してね。杏は仕事の都合上、帰りが深夜になったりするみたいだから1人部屋じゃないと」
「兄妹だからいいだろう」
驚きの提案を前に僕は返す言葉を失った。
兄妹だけど―――兄妹じゃない。そのことを一番よく理解しているのは両親のはずで。
裏を返せば、それだけ僕たち兄妹を信用してくれているってことなんだろうけど、ぜひ視点を変えてもらいたい。僕たちは年頃の健全な男子と女子なんだ。
「ごめんね~可愛い甥っ子と姪っ子♡」
旦那さんと喧嘩したって? そんなことは僕たちには関係ない。
迷惑をかけているのにまったく反省の見られない叔母の態度に大きな溜息が漏れる。
最近の妹との関係―――家族の枠を外れている状態で彼女と一緒の部屋になったら‥‥‥正直兄としての矜持を保てる自信がない。
「えぇ~イヤだよ~~~兄貴と一緒の部屋なんて~」
そうだよな。さすがに兄ちゃんと同じ部屋っていうのは嫌だよな。
って、妹の顔に視線をやれば大きな瞳がギラっと光ったように見えたんだ。
それに、拒否している言葉はどことなく軽いような‥‥‥そう感じるのは、きっと気のせいだ。




