第四節 黒い飛竜 ③
「あはは。思っていた以上にとても逞しくて素直になったね、ユリア。食への強欲っぷりが、妙なところで精神の支えとして役立ってくれていたとは思わなかったな」
と、テオドルスは呆れた様子もなくしみじみと言った。彼はツッコミ役にはなれないようだとユリア以外の全員が思ったが、指摘はしなかった。
「……マジでウチらの食費は国が持ってくれて良かったな……」
アシュリーが遠い目をして呟くと、クレイグがジト目で微笑んだ。
「おう。なんか通常運転すぎて逆に安心してきたぜ」
「満腹感を感じないと満足しねぇって叫ぶあたり本当に通常運転だな……」
ダグラスも呆れながら同意する。
「全然元気そうでよかったけど、若干あれだけ心配してた時間は何だったんだろうって思っちゃったよ……」
イヴェットはどこか残念そうな、それでも少し安心した目でユリアを見つめている。すると、クレイグは「ホント、心配してたのが馬鹿らしいな」と言いながら笑った。
「きっと、この調子ならユリアは絶対ぇ死なねぇよ。無視しても絶対帰ってくる。食が絡んでたら、ユリアの生命力はゴキブリ以上になるからな」
すると、ユリアはクレイグの発言に不満を漏らす。
「私を『台所の天敵』扱いしないでくれる? 例えるなら、もっと別の何かにしてほしいものだわ」
「なんや『台所の天敵』って」
聞き慣れない単語にアシュリーが首を傾げると、クレイグが補足した。
「名前言いたくないんだろ。たまに台所で格闘してたし」
「わたしもゴキブリの生態はよく知っている。だから、あながち『台所の天敵』という別称は間違っていないと思うぞ」
と、アイオーンがその話に乗ってきた。続けてダグラスもアイオーンの言葉に反応する。
「お前さん、わりと台所に住んでんのかって思うほど台所にいる時間が多いよな」
「やることがたくさんある。特に料理の下ごしらえだが──地道で細々とした作業は嫌いではないから苦しくは感じない。それに料理ができたときの達成感は気持ちが良い」
「ユリアちゃんがすっごくよく食べるし、アイオーンはその顔が見たいから作るんだよね」
イヴェットも話に加わってそう言うと、アイオーンは微笑んだ。
「そうだが、それはユリアに関わらず、きみたちもだ。きみたちからの美味しいという声が最大の報酬だと思っている」
「アイオーンの料理はなんでも美味しいよ。けれど、たまにはユリアに食事制限をさせたほうがいいかもしれない。あれは……さすがに食べすぎだろうからね」
テオドルスから衝撃の言葉が放たれたことでユリアの心に激震が走り、それが顔にも表れ、顔が変な形になるほどに口を大きく開けた。
「えッ!? これ以上食べられないとなるとやる気が失せてしまいそうだから嫌よ!?」
聖杯の呪いとの決戦前だというのに、完全に話題が食や台所の話に変わってしまった。
ラウレンティウスだけは、『どうしてこのチームはこんな時に気が抜けた会話ができてしまうのだろう』と言わんばかりの呆れた目線を仲間たちに向けるが、誰も気づいていない。暗い気持ちになるよりまだ良いかもしれないが、それはそれでどうなのか。
「……ところで、アイオーン。それはなんだ?」
とはいえ、自分にも決戦とは関係のないことが気になったため、彼は話を元には戻さなかった。
「ああ。思わぬ来客があってな」
「来客?」
「ガラードとパーシーだ。昨晩、本当の姿のモルガナに連れられてやってきた。ふたりが用意してくれたものだ」
「は……?」
ここで、アイオーンは昨日の夜の出来事を説明した。モルガナの真の姿は、いわゆるグリフォンのような伝説上の生き物の見た目。ここが住処でもあったがためにユリアの現状を知り、スミスから聖杯の欠片をめぐるこれまでのあらましを聞いていたこともあり、ガラードとパーシーを連れて飛んでやってきたとのこと。スミスが、ガラードとパーシーの未来について不安に思ったことで、彼の勧めでふたりは極秘部隊になることを決めたこと。
そのことから、ふたりの刑罰は執行猶予となるかもしれないとダグラスは予測した。極秘部隊となれるような力を持った人間はただでさえ少ないため、ふたりのことは丁重に扱われるだろうとのことだ。
「──なるほど。まさか、アイツらも極秘部隊にねぇ……」
そんなふたりと同じく、元『持たざる者』だったクレイグは感慨深そうにひとりごとを言った。
「もしかしたら、今後もどこかで出会うかもしれないわね。それか情報のやり取りとか」
ふたりはどのような戦士になるだろうか。少しだけ楽しみではある。もちろん、モルガナと関わるのはもう勘弁願いたいが。
「……さて。気持ちもほぐれてきたし、そろそろ本題に入りましょう。全員、準備は大丈夫かしら?」
ユリアが確認すると場の空気が一瞬で変わった。
「ああ。だからこそ、ここに来た」
ラウレンティウスがそう言うと、ほかの仲間たちも頷いた。
ユリアは、アイオーンに目線を送った。
「──では、アイオーン。あれを行いましょう」
「何をするんだ?」
ラウレンティウスが問う。
「これからの戦いのなかで、目立たないが必要となる魔術だ」
魂の契り。互いの魂に魔術的な繫がりを結ぶ魔術。星霊社会では、人間社会の結婚式に相当する行為。しかし、今はそこまで伝える必要はない。むしろ言ってしまえば話がややこしくなる。
「私の戦場は、見えないところにあるわ。そのせいで、みんなには私が生きているのかどうかが全然判らないから、私の精神の状況が感覚的に判るようにしておいたほうがいいかもしれないと思ったの。私の精神に何かが起きたら、この魔術がアイオーンに伝えてくれるわ」
「……たしかに、今回ばかりはそれが一番良いかな」
テオドルスが呟く。彼がそう言ったことで、誰も異論は唱えなかった。
アイオーンがユリアを閉じ込める障壁の中に入ると、彼女に手を差し出した。ユリアはその手の上に自らの手を置く。ふたりは手を繋ぎ、目を閉じた。胸のあたりがほのかな熱を帯びていいき、ふたりはその熱に身を委ねた。
やがて、見えない繋がりが強く結ばれた。といっても、いつもと変わりない。それは契りを結んだ相手が近くにいるからだろう。遠くに離れれば、この結びつきを感じるものだ。
「──わたしたちは、ユリアを信じている」
繋いだ手を、アイオーンは強く握った。
「私も、みんなを信じているわ。私がいない間は頼むわね」
ユリアも微笑んで手を握り返す。
やがてふたりは手を離し、仲間たちを見た。アイオーンが口を開く。
「……皆は、ここから離れてくれ。ユリアの障壁を解く」
仲間たちは頷き、岩陰から去っていく。
作戦開始だ。
「──いくぞ、ユリア。身体のことは一切放置し、精神を保つことだけに集中しろ」
「ええ、お願い。また、すぐに会いましょう」
「ああ。また、すぐに会える。……いくぞ」
アイオーンは障壁から出ると、障壁の固定させるために術と接続させていた剣の握りを持ち、それを引き離した。支えとなるものがなくなったことで障壁にひびが入る。その瞬間、ユリアの身体にまとって変化させていた呪いの進行がじわじわと始また。
アイオーンは、最後の支えとなっていた血の術式を解いた。赤い液体は、アイオーンの手の上に球体となって収束していく。
ユリアを封じていた障壁が完全に崩壊した。高濃度に凝縮されていた魔力が勢いよく弾け飛ぶ。その直後、ユリアの呪いが急激に進行していく。胴体、左手、両足、そして顔。頭の上から足先までのすべてが真っ黒な呪いに包まれた。
それを見届けると、アイオーンは岩陰から離れた。
刹那、岩が崩れていく音が聞こえてきた。岩陰のあった山が崩壊している。そして、少し離れたところから、大きな力が存在を主張するかのような気配が届く。きっと最後の聖杯の欠片だ。




