第三十一話
「前の妻、つまり君のお母さんとの子作りがね、まあうまく出来なかったんだよ」
「つまり、セックスが出来なかったと?」
「もうちょっとさあ、柔らかい表現できないかな?」
「どう言えば、いいんですか」
「そうだなあ、性行為とか」
「何が違うんですか?」
「かなり違うでしょう?」
「同じです。むしろ、変に気を使う方が気持ち悪いですよ」
「そう言わないでよ」
「それで、先輩はつまり、EDになったと?」
「まあ、そうなるのかな?」
「病院には行ったんですか?」
「一応ね」
「不妊症の時には行かなかったのに、これには行ったんですね。それで、結果はどうだったんですか?」
「心因性だから、夫婦でよく話し合えって」
「つまり、前の奥様、私の母のせいで、先輩はセックスが出来なくなったんですね?」
「だから、身も蓋もないって」
「事実です。あの母なら、先輩をとことん追い詰めそうですから」
「まあ、実際追い詰められていたのは、事実だし」
「そうでしょうね。母らしい。やっぱり、もう一発ぶん殴っておけば良かった」
「物騒だなあ。君の母親だろう?」
「血の繋がりがあるだけで、もう親とは認めていません」
きっついなあ。まあ、咲良さんらしいか。
まあ、離れた方がいい場合もあるしね。修復不可能なら、なおさらだと思う。
私と前の妻の関係も、きっとそうだったんだろう。
「だからかな。離婚しましょうって言われた時、私は心底ホッとしたんだよ。最低だろう?」
「最低ですね」
「ホントだね」
「違います。先輩ではなく、母の方です」
「いや、この場合は」
「そのお医者さまも、おっしゃっていたんでしょう?夫婦で話し合えって?」
「そうなんだけどね」
「大方、努力が足りないとか言っていたんでしょう?」
「まあ、そんな感じかな?」
「私は悪くない、悪いのは全部先輩だって。ホント、最低ですね、あのオンナは」
おいおい、母親をあのオンナ呼ばわりかい?
まあ、仕方がないか。
「だから、君をね、まあ抱く訳にはいかなかったんだ」
「どうして?」
「だから、うまくいかないと思ったからだよ」
「別にいいじゃないですか?」
「別にって、そうなの?」
「はい、そうです」
「じゃあ、性行為は無くていいの?」
「そんなことは、言っていませんよ」
「ええ、どっち?」
「だから、出来るならしたいって、そういうことです。一応、私だってオンナなんですから」
「そうなんだ」
「先輩、それって、どういう意味ですか?」
「え?ち、違うんだよ。君は女性だよ、美人だし、キレイだし、スタイルいいし。ね?」
「何が、ネッですか?キモイですよ」
「はい、気を付けます」
ホント、言葉には気を付けないと。でも、どうやって?
「だいたい、私はあのオンナと違って、子供に固執しません」
「はははは」
「先輩?」
「ああ、悪かった」
「それだけですか?」
「え?」
「私を抱けない事情って?」
「あとはね、君の二十代を」
「そんなこと、もうどうでもいいです。先輩、しつこいですよ?」
「いや、良くないよ」
「私は、母とは違います。私が先輩を、私の旦那様として選んだんです。何か、私が決めたことに、文句でもあるんですか?」
咲良さんは立ち上がり、腕を組みながら、私の真正面に仁王立ちになった。
私を見下ろす彼女の表情は、どこか凛々しさを感じる。
なんというか、男気があるって言うか、カッコいいなあと思うよ。
「はい、問題ありません」
「なら、結構」
「はい」
「とは言え、今夜はさすがに疲れましたので、夫婦の営みはまた今度にしましょう」
「それだ!」
「何が、それですか?」
「夫婦の営みだよ。性行為だの、セックスだのって、どうしてそんな俗っぽい表現しか、思い浮かばなかったんだ?」
「それはもちろん」
「もちろん?」
「先輩が、馬鹿だからです」
はい、お後がよろしいようで。
翌日、社に出勤すると、咲良さんの母親、つまり私の前の奥様が居られた。
諦めが悪いなあ。
でも、どこか表情に、余裕があるような。
何だろう、切り札でも用意したのかな?
「咲良」
「また、来たんですか?」
「今日は、あなたに重大な事実を伝えに来ました」
「警察は、どうしたんですか?」
「気に入らないとは言え、元夫を告発するのは、さすがに人の道としてどうかと思いました。警察に通報するのを、今回に限りやめました」
「素直に、警察に相手にされませんでしたって、どうして言えないのかな?」
咲良さんは嘲笑していたけど、元妻はお構いなく話しを進めた。
強いなあ。
「いいですか。この結婚は、無効です」
「だから、成人した男女が決めたことです。あなたには、関係ありません」
「あの~ふたりとも。ここはさ」
「うるさい!」「先輩黙って!」
「ああ、はい。そうですよね」
ホント、間違いなく、君たちは血の繋がった親子だよ。
私を睨んだ時の二人の顔は、本当にそっくりだったよ。
「いい。あなたはね、認めたくないけど、この男の子供なのよ!」
咲良さんは、盛大にため息を吐いた。
首を振りながらだけど、どこかこいつは本物のバカだと、雄弁に語っているような感じすらした。
しかし、それとは逆に、私はすっかり動揺してしまった。
咲良さんが、何だって?
私の子供?
おいおい。
「どういうこと?」
「私は離婚する前に、すでに妊娠していたんです。だから、咲良はあなたの血を受け継ぐ、実の子供なんです」
「ええ?」
「親子で、結婚は出来ません。これで、分かったでしょう。さあ、咲良、私たちの家に帰りましょう。家族三人で、幸せに暮らしましょう」
「はあ~。何を言うかと思えば」
「これは、動かしがたい事実ですよ。裁判所に訴えれば、結婚も無効に出来ます。良かったね、咲良」
「ええっと、でも離婚後に妊娠したって、私はそう聞いたけど」
「あなたに愛想を尽かしていましたから、あなたとの縁を切る為に、妊娠日を誤魔化したんです」
「ああ、そうなんだ」
そんなことって、出来るのかな?
というか、それって問題じゃないのか?
でも咲良さんは、まるで意に介していないようだ。
「嘘も、大概にしてください」
「嘘じゃないわよ」
「嘘ですよ」
「知りもしないのに、何でそんなことを言うの?この男のせいね?あなたは、この男に騙されているのよ?」
「ホント、愚かな人」
あくまでも冷静な咲良さんのこの一言で、我が元妻は、若干だけど動揺していた。
「愚かなのは、あなたでしょう?事実を認めなさい。いい、私はあなたのことを、心から心配して言っているのよ?」
すると、咲良さんはカバンの中から、一通の封筒を出した。
その封筒の中から、一枚の書類を出して、母親に突きつけた。
「ほら」
「え?」
「DNA鑑定書よ」
「え、でぃ何?」
良かった、私も同じように聞こうとしてしまった。
で、それって何?
「DNA鑑定書。私と勝呂先輩の鑑定結果」
「どういうこと?」
「見て分からないの?」
咲良さんのお母さんは、懸命に書類を見ていた。
顔色が、はっきりと変わった。
「嘘よ、嘘に決まっているわ」
「科学で証明されたことよ。認めなさい」
「ええっと、どういうこと?」
「先輩のDNAと私のDNAを鑑定して、親子関係が無いことを証明した書類です」
「いつの間に」
「すみません、黙っていて」
いや、ホントだよ。
「これで、先輩と私は、いついかなる場合でも、婚姻が結べます」
「信じないわ」
「信じようが、信じまいが、私にはどうでもいい話です」
咲良さんは書類を母親から引ったくり、カバンにしまった。
「嘘よ」
「ねえ、母さん?」
「え?」
「私の本当のお父さんって、誰なんですか?」
咲良さんは笑っていたけど、ちょっと残忍な感じの笑顔だった。
私は、ゾクッとした。
こんな顔も、出来る子なんだと。
こんな顔を、させてしまったんだ。
「あ、あああ」
咲良さんの母親は、すっかり動揺していた。
元妻の自業自得とは言え、ここまで娘から追い込まれている姿を見ると、どこか気の毒な感じがした。
でも、やはり咲良さんに、非は無いと思う。
だって、子供を気遣うような言葉はもちろん、苦労を労う言葉もないんだから。
「先輩と婚姻中に妊娠したってことは、他の男と不義密通をしたって、そういうことですよね?母さんって、最低ですね」
「ち、ちがうの」
「ちなみにその頃は、先輩とはもう夫婦関係が無かったって、私は聞きましたけど?どうやって、私を妊娠したんでしょうね?」
「ち、ちがうの、ちがうのよ」
「夫以外の男と、セックスしたんでしょう?ホント、最低。どっちが、淫乱なんだか」
「だ、だから。ね?話を聞いて?」
「だから、聞いているじゃないですか?不倫相手は、誰なんですかって?」
「だ、だからね、いい?あのね?ええっと」
「要領を得ませんね。言い訳なんか、もう要りませんよ」
「う、うちにいきましょう。ね?落ち着いて?話し合いましょう」
「落ち着くのは、私ではなくあなたですけど?」
「すべてはね、あなたの為なのよ。あなたに幸せになってほしいって、私も夫も思っているのよ?」
「夫?誰それ?私、そんな奴、知らないんですけど?」
「だから、きちんと紹介するわ。咲良もきっと、気に入ってくれるわ」
「セックスの相手にですか?」
咲良さんの顔に、一段と残忍さが表れた。
「母さんの代わりに、私をその男の夜のお相手をさせる為でしょう?」
「な、なんて!は、はしたない!」
正直、まずいと思った。
「だって、事実がそうだったんだから」
「ち、違うわ。あれは、あなたが誘惑したって」
「ほら、やっぱり」
「だ、だから、お願いだから、話を聞いて」
「聞いているじゃない?それで、母さんは誰と、子供を作ったの?」
「ち、違うのよ」
「私には、知る権利があります。私の本当のお父さんって、いったい誰なんですか?」
「し、しらない。しらないわよ。ほ、ホントよ。ウソじゃないわ」
「ねえ、母さん。あなたは、誰とセックスしたんですか?」
「し、してないわ。あなたがなにを言ってるのか、私には分からないわよ」
「はあ?あんた、セックスした相手を・・・」
「咲良さん、もう、いいじゃないか」
「先輩?」
「君もだ。こんなことをやって、何が楽しい?私は、ただ不快なだけだ」
「あ、あなたのせいね!咲良に、あんなに素直だった咲良を、こんなにおかしな子にしたのは、あなたね?」
「君に、親の資格は無いよ。家族を持つってどういうことか、今からでもよく考えるんだね」
「わ、わたしは、わたしはがんばってきた、がんばったのよ?」
「頑張る方向を間違えたら、皆が不幸になるだけだ」
「先輩」
咲良さんが、私のスーツの袖を引いてきた。
まるで、捨てられた子犬のような、そんな表情をしていた。
一番、させてはいけない表情だ。
「うん、もう行こうか」
「はい、先輩」
「ま、待って」
「咲良さんは、私の大事な家族です。母親だからと言って、これ以上の勝手は認めません」
「あ、あなたのせいよ!あなたが、あなたが全部悪いのよ!私は悪くない!悪くないのよ!」
咲良さんは引き返そうとしたけど、私が咲良さんの手を取って引き留めた。
「ね?もう、終わりにしよう」
「はい」
「ああ、でも君の本当のお父さんが誰なのかは、知る権利はあると思う」
「別にいいんです。多分ですけど、母の前の旦那さんでしょうから」
「そうなんだ」
「はい」
「ゴメン」
「何で、先輩が謝るんですか?」
「だって、君が泣いているから」
「泣いていません」
「泣いているじゃないか?」
「花粉症です」
「そうかい」
「はい、そうなんです」
でも咲良さんは、私の胸にもたれ掛かってきた。
嗚咽を漏らしていたけど、私にはどうにも出来なかった。
ただ、頭を、背中を撫でてあげる以外に、本当に何も出来なかった。
昨日といい、今日といい。
本当に、私は無力だ。
もっと、うまいやり方って、無かったんだろうか?
私が蒔いた種だとしても、どう償えばいいんだろうか。
「せんぱい。ごめんなさい」
「君は悪くないよ」
「だって、だって」
「悪いのは、すべて大人なんだよ」
「せんぱい・・・」
「君を守ってあげる事が出来なくて、悪いと思っているよ」
「せんぱいのせいじゃないです」
「私を含め、すべての大人の責任なんだよ」
「なんですか、それ?」
「さあ?」
私にも、よく分からない。
でも、なんとなくこの騒動が、やっと終わったような気がした。
ひとりポツンと立ち尽くす、咲良さんのお母さんが気の毒に思ったけど、それは彼女の問題だろう。
だって、私も彼女も、大人なんだから。
子供に対する、責任はあると思うから。
それは、果たさないと。
その罪も罰も受け入れたり、引き受けるのも、大人の義務だろうから。
子供には、どうしようもないことなんだから。




