12 悪しき怪物は迷宮に潜む③
「ごめん! そんなつもりはなかったんだ」
本当に申し訳ないと思ったが、口から血を流したミノタウルスは、何故か微笑みを浮かべていた。
「ふっ……。俺の負けだ……」
そう言って、その場にドカッと座り込んだ。
血走っていた目も、落ちつきを取り戻している。
「さあ、とどめを刺して『悪しきミノタウロス』を成敗するがいい……」
「成敗? いや、違う。さっきから言ってるが、俺はお前を倒すのが目的じゃない。農家になってくれないかって、誘いに来たんだ」
なのに、ぶん殴ってしまったなんて……本当に申し訳なく思う。
「……農家だと?」
「ああ、農家だ」
「農家……。 農家と言ったら……や、野菜を作らせてもらえるということか……?」
突然、ミノタウロスが話題に食いついてきた。
「もしかして、興味があるのか?」
「あ、ああ……」
ミノタウロスは、ためらいがちな様子で頷いた。
「ミノタウロスには、人肉食嗜好があるなんていうやつもいるが、あれは単なる噂だ。俺はベジタリアンなのだ! 野菜がとにかく大好きで……愛している……」
なら打ってつけじゃないか。
「実は、独学で肥料の研究などもしていた」
「肥料?」
「ああ。料理の際に出た野菜くず――、いわゆる残飯を使って、肥料を作る貯蔵庫の研究だ。発酵を利用して、暗黒大陸の枯れた土地でも、作物が育つように土壌を改良する」
「それは……」
俺が最も求めていたものだ。
「なあ、ミノタウロス。せっかくの機会だし、一緒に来ないか?」
ミノタウロスが、ごくりと喉を鳴らす。
「君も第二の人生を始めたらいい。農家としての新しい人生を」
「新しい人生か……」
まだはじめたばかりだけれど、先輩として自信を持ってお勧めする。
自分の夢見ていた暮らしを実現するのは、本当に楽しい日々だって。
「……承知した。……あんたは多種族、しかも人間だが、信頼できそうだ。世話になることにしよう」
ミノタウロスの言葉が、俺には嬉しかった。
ミノタウロスも、なんだか嬉しそうだ。
「よろしく頼む。ミノタウロス」
「ああ……」
ミノタウロスはおずおずと、人差し指を差し出してきた。
(なんだろう? あ。 もしかして握手か? )
俺からも手を伸ばし、その巨大な人差し指に振れる。
大きさの違いで、到底握手とは言えないやりとりになってしまった。
でも、ミノタウロスは満足したような表情で、ぎこちない笑顔を浮かべてみせてくれた。
「そうと決まったら、早速、死の谷に来てくれ。あ、でもここからだと多少、距離があるから、通いというわけにはいかないよな。もし引っ越しの準備や、挨拶をする家族がいるなら俺、外で待ってるよ」
「家族……家族はいるが……。だがしかし……挨拶はしないほうがいいだろう……」
「なに? もしかしてケンカ中? だったら尚更、仲直りしていったほうがよくないか?」
「ううむ……。喧嘩というわけではないのだが……ううむ……」
「どうした? 歯切れが悪いな。悩み事なら相談にのるよ」
そんなことを言いながら、ミノタウロスと連れ立って、ラビュリントス最深部の部屋から出ようとした時――。
突然、足元の床がガクンと音を立てて開いた。
「……!」
(落とし穴……!?)
咄嗟に手を伸ばしてもどこにも届かない。
流石に予測不能の事態で、落下は防げなかった。
「……っ、と」
空中で体勢を持ち直し、頭を上へ。
俺は受け身を取って着地したあと、さっと辺りを見回した。
「ここは……?」
疑問を持つと同時に、どん! と走る振動。
同じく落下したらしいミノタウロスだ。
ミノタウロスもなんとか受身をとったようだ。
が、呆然とした表情でキョロキョロと視線を動かしている。
そこは、がらんとした正方形の石室だった。
四隅に簡素なオイルランプが置かれている。
でもそれ以外は何もない。
薄暗くて、黴の臭いに満ちている辛気臭い場所だ。
(なんだか牢獄みたいだな……)
「ミノタウロス、怪我はないか?」
頷いたミノタウロスだが、表情はかたい。
「ああ、問題ない。……しかし、馬鹿な。いったいどういうことだ……。俺に対し、この仕掛けが発動するはずもないのに」
ミノタウロスにも予測できない罠が、この神殿にあったってことか。
「ラビュリントスの罠を管理しているのは、別の者なのか?」
「……! しまった……これは……」
ミノタウロスは突然、頭を抱え込んだ。
「……姉上だ……」
「え? 『姉上』?」
「ああ……。先ほどの会話を姉上に聞かれていたのだろう。それできっと仕掛けを動かしたのだ。俺を逃さぬために」
「逃がさないって……。なんで、ミノタウロスの姉さんがそんなことを? ミノタウロスは閉じ込められていたのか?」
「そうではない。俺だって所用で出かけることもあるし、外出は自由だ。しかし、家を出て、独り立ちをするとなると、話は違う」
「どう違うんだ?」
「姉は父ミノス王から、俺の見張りを命じられている。俺が血迷って、地上に出たりしないように。うちの家族は、俺が一生ラビュリントスに閉じこもって暮らすことを、望んでいるのだ」
一体どうしてなんだろう。
(一人で生活すると、何か問題が発生するのか? 片付けられない症候群とか……。 経済感覚が破綻しているとか……。 それともまさか……。
いまはこうして紳士的だけど、満月を見ると人が変わったようになるとか……? それは違う動物か……)
「なあ、ミノタウロス。もしよかったら事情を話してくれないか? これから雇用契約を結ぶわけだし。俺もミノタウロスに配慮する必要があることなら、知っておきたいんだ」
ミノタウロスは深いため息をついた。
「……恥ずかしい事情なんだが。俺は昔……」
ミノタウロスが語り始めようとした。
ところが――……。




