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頭上には、数え切れないほどの魔石を惜しげもなく使った巨大なシャンデリアが輝いている。足元に敷き詰められているのは、ため息が出るほど繊細な柄が織り込まれた真紅の絨毯。並べられた長テーブルには、私の母国では見たこともないような色鮮やかな果実や、芳醇なスパイスの香りを漂わせる料理の数々が山のように積まれている。
今宵、私の国――古い伝統と血筋を何よりも重んじるこの国の港に停泊しているのは、世界最大の商人国家である『ゼリュキア帝国』が誇る巨大な豪華客船である。まるで海に浮かぶ一つの城のような威容を誇るこの船の甲板及び大広間を貸し切りにして、現在、我が国の貴族たちを招いた大規模な船上親睦パーティーが開催されていた。
ゼリュキア帝国は、この世界の海上貿易のほぼすべてを独占していると言っても過言ではない超巨大国家である。彼らの持つ巨大な船団と、卓越した航海術、そして何より他国を圧倒する経済力は、他のどの国も無視できない絶対的な力を持っていた。
「ねえ、お聞きになりまして? 今夜のパーティーには、あのゼリュキア帝国の若き総督の甥がいらっしゃるそうですわよ」
「ええ、もちろん存じておりますわ。なんでも、我が国の周辺海域や交易路を新たに統括されることになったとか。もしお近づきになれれば、我が家にもどれほどの利益がもたらされることか……」
「ウフフ、それはもちろん、私たちが誇る『由緒正しき貴族』としての礼儀をもって、野蛮な商人たちに洗練された作法をお教えして差し上げませんとね」
着飾った令嬢や夫人たちが、扇子で口元を隠しながらひそひそと、それでいて周囲に聞こえよがしな声で囁き合っている。彼女たちの会話を遠巻きに聞きながら、私はそっとため息を吐いた。
私の名前はアウレリア・ウァレリウス。ウァレリウス子爵家の現当主である。
我が国は、良く言えば歴史と伝統を重んじる国、悪く言えば、貴族主義という古臭い概念が骨の髄まで染み付いた閉鎖的な国だ。貴族たちは自らの血統を鼻にかけ、平民を見下し、商売で汗水流して稼ぐことすら「卑しい行為」として蔑む傾向が強い。
しかし、そんな前時代的なプライドだけで国が潤うはずもなく、現実にはゼリュキア帝国の圧倒的な経済圏に依存しなければ、たちまち国の経済が傾いてしまうという状況にある。
流石に楯突けば、経済圏から締め出され、どことも貿易できないという地獄が待っているからである。
心を開いたというより、妥協に近い。
だからこそ、こうしてゼリュキア主催のパーティーには、体面上は「外交への配慮」などと高尚な理由をつけつつ、誰もが利益のおこぼれに与ろうと群がっているのだ。
そんな国の中で、我がウァレリウス家は徹底的に浮いた存在だった。
私は幼い頃に母を亡くし、数年前には持病を患っていた父も天に召された。私は若くして子爵家の当主という立場になり、父が時代を見越して始めていたビジネス――『精霊砂』の採掘を主軸とする鉱山経営をそのまま引き継ぐことになった。
精霊砂とは、魔石の加工や魔法薬の調合、燃料など、とにかく魔法が付きそうな物質には不可欠な触媒となる貴重な砂である。将来的には必ず莫大な需要が生まれる。父のその先見の明は正しかった。
実際、私の前世の記憶――そう、私は現代日本でごく普通の会社員として働き、過労の末に死んでこの世界に生まれ変わった転生者なのだが――その記憶と照らし合わせても、工業化や魔導技術の発展において、基礎素材を握るビジネスがどれほど強いかは理解できた。
だからこそ、私は令嬢としての着飾りや社交界での無意味な茶飲み話よりも、鉱山の経営と開拓に情熱を注いだのだ。
しかし、それが気に入らない者たちがいた。我が国で最も権力を持つ公爵家の令嬢、フラウィア・コルネリウスとその取り巻きたちである。
「あら、アウレリア。あなたのような『泥に塗れて小銭を拾うような方』が、よくもまあこのような華やかな場に足を運べましたこと。ゼリュキアの方々も、我が国の品位を疑ってしまいますわ」
つい先ほども、私は大広間の入り口でフラウィア公爵令嬢に捕まり、扇子で指を差されながら嘲笑を浴びたばかりだった。
フラウィアをはじめとする保守派の貴族たちは、私のような「貴族の分際で平民のように商売に手を出している者」を激しく憎悪している。彼らにとって、私は自分たちの神聖な特権階級を汚す異端者なのだ。
その嫌がらせは、社交界での陰口にとどまらない。私の鉱山で働く労働者を雇おうとしても、公爵家の息がかかったギルドから圧力がかかり、まともな人員を集めることができない。苦労して掘り出した精霊砂を運ぼうにも、「子爵家の荷馬車が通ると道が汚れる」などという理不尽な理由で主要な街道の通行を制限される。
結果として、私は他国へ直接輸出する手段を絶たれ、自国の悪徳商人に足元を見られ、相場の何分の一という信じられないほどの安値で買い叩かれるしかない状況に陥っている。
おかげで、ビジネス自体は有望なはずなのに、我がウァレリウス家の財政は未だに裕福とは程遠い。今日着ているこのドレスだって、母の形見を自ら仕立て直して、なんとか見栄えを整えた代物だ。
「……あー、もう、本当にうんざり」
私は壁際でポツリと独り言をこぼした。
フラウィアたちの陰湿な嫌がらせ。そして、前世の記憶がある私にとっては滑稽にしか見えない、貴族たちの建前だらけの薄っぺらい会話。あちこちで繰り広げられる「自分がいかに高貴であるか」の不毛なマウント合戦。
そんな空気に満ちた大広間にいるだけで、私の精神力はゴリゴリと削られていく。日本で働いていた頃の、無能な上司の自慢話と説教を延々と聞かされている飲み会を思い出して、胃がキリキリと痛んできた。
「限界。ちょっと休憩しよう」
私は周囲の目を盗み、近くのテーブルに置かれていた小皿を手に取った。そして、信じられないほど美味しそうな匂いをさせている串焼きの肉を数本、彩り豊かな海鮮のマリネ、そして小さなタルトなどを、バイキングの如く素早く皿に乗せまくり、誰にも気づかれないように大広間を抜け出し、人気のない船の甲板へと向かった。
背後の喧騒が嘘のように遠ざかった。
夜の海風が、熱を持った頬を撫でていく。潮の香りが心地よい。
船の甲板は広大で、パーティーのメイン会場となっている大広間からは死角になっている場所がいくつもあった。私は船尾の方へと歩き、人気のない静かな場所を見つけた。
そこはまさにオーシャンビューの特等席だった。波の音が静かに響き、空には無数の星が瞬いている。
「ふう……」
手すりに寄りかかり、夜空を見上げる。
そこには、前世の地球では絶対に見ることができない、奇妙な形をした月が浮かんでいた。
――四角い月。
角が丸みを帯びたその四角形の月は、淡い青白い光を放ち、夜の海を神秘的に照らしている。この世界に転生して十数年、未だにあの月を見ると「ああ、私は別の世界にいるんだな」と実感させられる。少しだけ不思議な気分になりながらも、私は手元の皿に視線を落とした。
さて、せっかくのゼリュキア帝国の料理なんだから、堪能させてもらわないとね。貧乏子爵家にはこんな豪華な食事、一年働いても出てこないんだから。
串を持ち上げて口に運ぶと、まずは舌の上で濃厚な肉の旨みと塩胡椒の香ばしさが一瞬で弾け、炭の芳しい香りがすっと鼻へと抜けていった。
そのまま一気に噛みちぎれば、表面の焼き目がパリッと心地よい抵抗感を見せたあと、歯が肉の柔らかさへすっと吸い込まれていった。歯を立てるたび、閉じ込められていた熱い肉汁がジュワッと溢れ出し、鶏モモ肉本来の力強い旨味が程よい塩味と重なり合って、噛むほどに深いコクへと変化していく。
ごくりと喉を通ったあとも、決してしつこくない上質な脂の甘みと、肉と胡椒特有の余韻が口の中に心地よく残り続けていた。炭の香ばしさをうっすらと舌に感じながら、気づけばもう次のひとくちを求めて手が動いていた。
「……っっっ! 美味しい……!」
我が国の貴族は嫌悪していた海鮮のマリネも、私からすれば前世の食となんら変わらない。マリネは酸味の中に爽やかな果実の風味が隠し味として使われており、いくらでも食べられそうだった。




