第1話 自動車事故
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石畳のイタリアンレストランの路面店。ガラス越しに差し込む陽射しが、チェックのテーブルクロスを白く灼く。ランチメニューを広げた まほ は、怪訝そうな顔をした。テーブルのスマートフォンに見慣れない電話番号が表示されている。
「ねぇ、ママ……これって詐欺の電話かな」
けれどその着信音は途切れることなく、鳴り続けていた。周囲の客の視線が自然とテーブルに集まる。まほ の指が画面に触れる寸前、着信音がぴたりと止まった。静寂がテーブルを包む。まるで誰かが息を殺して見ているみたいで、背筋がぞわっとした。
「……切れたね」
まほ が小声で呟いて、でもすぐに眉を寄せる。「……そうね」私はその着信にただならぬ気配を感じ、その携帯電話番号を検索した。それは隣町の県立中央病院の外線電話だった。嫌な予感が胸をざわめかせた。
「ちょっと電話してみるわ」
私は席を立ち、店の外に出た。スマートフォンを握る指先が微かに震える。病院からの電話、夫の隆也は県外に出張中だ。今夜の新幹線で帰って来ると言い、土産は何が良いかと笑顔で玄関の扉を閉めた。その時感じた違和感……。
「もしもし……今し方、お電話頂きました小笠原と申します」
ドクドクと波打つ心臓を嘲笑うかのように、電話口では軽やかなメロディが流れる。やがて、「整形外科にお繋ぎいたします」と言われ喉が窄まった。嫌な予感は的中した。看護師の落ち着いた声が、逆に不安を煽る。
「小笠原隆也さんのご家族の方のお電話で、お間違えないでしょうか?」
「……は……はい」
看護師の淡々とした声が耳を素通りした。足元から崩れ落ちそうになるのを堪え、街灯に寄りかかって深く息を吐く。まさか……そんな、そんなことって。私の顔が真っ青なことに気づいた まほ は店の会計を済ませ、背中を支えた。ふと見上げると、 まほ の表情にも焦燥が見てとれた。
「ママ、パパに何かあったの!?」
「 まほ 、どうしよう……パパが交通事故に遭って……救急車で運ばれたって」
「交通事故!大丈夫なの!」
まほ は路肩に停まっていたタクシーの後部座席を慌ててノックした。空気の抜ける音がしてゆっくりとドアが開く。私は まほ に手を引かれ、タクシーに滑り込んだ。
「どちらまで?」
気の良さそうな年配のドライバーが、ルームミラー越しに行き先を尋ねた。 まほ は助手席に身を乗り出し、「県立中央病院までお願いします!」と声を大にした。彼は青ざめた私と、 まほ の唯ならぬ気配を察し、ハンドルを握る手に力を込めた。こめかみが押さえつけられたように痛む。そんな私の肩を まほ はギュッと抱き、彼女自身の不安を振り払っているようだった。時速60キロメートルで流れる景色がスローモーションのように見える。タクシーは黄色信号を突っ切って交差点を横断したが、その時間さえもどかしく私は祈る思いで両手を組んだ。
「ありがとうございました!」
タクシーは病院の車寄せでブレーキを踏んだ。釣りはいらないと言い、運賃を支払う。車から降りると、足が震えていることに気がついた。ドライバーは、気の毒そうな顔で声を掛けて来た。
「お大事に」
「はい......」
県立中央病院は、地上十四階建ての大規模医療施設だ。吹き抜けのロビーには陽光が降り注ぎ、穏やかなバックミュージックが流れている。けれど一歩角を曲がれば、仄暗い廊下が奥まで続く。消毒薬の匂いが漂う廊下に、白い蛍光灯が寂しげに映る。どこからともなく聞こえてくる規則的なビープ音。外来患者の騒めく波を掻き分け、私たちは救急外来へと足早に向かった。
「……ママ、ここだよ!」
救急外来と赤いランプが点るグレーの扉が、まるで自分を拒むように重々しく佇んでいる。ノックをする握り拳が震えた。喉に渇きを感じ、鼓動が早鐘を打つ。戸惑っていると、まほ が焦ったく扉を叩いた。乾いた音が静まり返った廊下に響く。蝶番が軋む音、ゆっくりと開く扉、中から神妙な表情の看護師が顔を覗かせた。その背後に、ベッドに横たわる隆也の姿が見え、心臓が鷲掴みにされた。
「た……隆也」
「パパ!」
白いシーツの下、隆也は目を閉じていた。右腕にギプス、額に包帯。点滴の管が蛇のようにはい回り、顔は土気色だった。いつも冗談を言って私たちを笑わせる唇が、今は乾いてかすかに開いている。まほが「パパ……」と掠れた声を漏らし、私の腕にすがりついた。看護師が静かに口を開いた。「手術は無事に終わりました。骨折と打撲が主で、意識が戻るまであと少しです」 その言葉に力が抜けて、私は膝から崩れ落ちそうになった。まほが支えてくれなければ、床に座り込んでいただろう。隆也の指先が、小さく、確かに動いた。まるで「ここにいるよ」と告げるように。
まほ が看護師の横をすり抜け、隆也のベッドに駆け寄った。彼は眠るように目を閉じていた。「鎮痛剤で意識が朦朧としています……お声を掛けて差し上げて下さい」長身の医師は銀縁眼鏡の奥で微笑んだ。
「パパ、パパ……大丈夫なの?」
すると彼はうっすらと目を開け、痛みに顔を歪めながら起き上がった。「お父様は、右足を骨折されました。それだけで済んで奇跡としか言いようがありませんね」医師によれば、隆也を乗せたタクシーは大型トラックと接触し、車体は大破。ドライバーは生死の淵を彷徨っていると言う。
「念の為、二日ほど入院して下さい」
医師は白衣のポケットに手を入れながら まほ に優しく声を掛けた。けれど不思議なことに、彼の視線は私を素通りする。
「分かりました……よろしくお願いします」
「……ただ」
それまでの柔らかな物腰が一転し、険しい顔になった。不安が押し寄せる。
「ただ?ただ……なんですか?」
看護師がカーテンを捲ると、見覚えのある女性が頭に白い包帯を巻きベッドに横たわっていた。呼吸器が白く曇り、胸がわずかに上下している。鼻にはチューブ、腕には点滴を付け、まるで操り人形のようだった。
「ただ……奥様は意識がありません」




