第二十九話 赤の狼と東の商人
アレクが目を覚ましたのは、昼を過ぎてからだった。
目覚めると、ヴィックが部屋にいた。たっぷりと睡眠を取ってスッキリとしたアレクとは対照的に、彼女は心なしかげっそりとしていた。それは、朝と昼に代わる代わるやってきた村の女性たちの噂話のせいであった。
「何か食べるか? 食べるなら用意させるが」
「いや……そんなに腹は空いてないので」
そう言った途端に、「ぐ〜ぅ」とお腹が鳴った。
「そう言えば、あの集落でも腹が鳴ってたな」
ヴィックは思い出して、口元を緩めた。
アイラとマイラは、子供たちが巣立ってから、元実家(旧族長の家)で一緒に生活している。村の若い女性たちに手伝いに来てもらい、生活全般を回していた。
今朝は、頼んでもいない村の女性たちが、朝食の手伝いに来ていた。父親に反対されて駆け落ちしたという噂の二人、アレクとヴィックの様子を見に来たのである。
しかし、アレクは明け方ようやく寝入ったばかりで、朝食の席にはヴィックしか居なかった。
いなくて正解である。
村の女達の話にうんざりしながら、適当に相槌を打っていたヴィックは、驚愕した。
アレクとこの村で再会した際、ヴィックはアレクの『胸ぐらを掴んだ』というのが真相なのだが、昨日のうちに『抱き合っていた』になり、そして今朝は、二人は人目もはばからず『熱いキス』を交わした、という話になっていたのだ。
話の尾ひれはそこで終わるかと思いきや、昼には、ヴィックの右肩の怪我はどうやら、アレクがヴィックの父親に手打ちにされそうになったのを止めようとして負った傷だ、という話が付け加えられていた。
ジュリアンの妹セシリアことエリック・エルトンジョン先生が書いたのではないかと思うくらいの、ロマンス小説が出来上がっていたのだ。
もうどこをどう突っ込んでいいのか分からない。
ヴィックの右肩の怪我は、ラナハイムの金融機関の馬車置き場で狙撃を受けた際の傷である。その真実を言ったところで、また違う話が創作され、噂話になるだけだ。
『(もうどうにでもなれ!)』
と、ヴィックはあきらめ気味だった。
冬は雪が積もって、これと言ってやることがない。
その上、男達は南側の山に不審な輩達が出たというので、その警備に出て村を留守にしている。
男達がいない村は暇なのである。
その暇な女達にとって、二人は格好の話のネタなのだ。
ヴィックがハンナに用意させた遅い昼食を部屋で食べながら、その話を聞いていたアレクは──持っていたスプーンを、カチャン、と音を立てて皿に落とした。
「……き、キス……?」
彼は動揺した。人目もはばからない熱いキスというのは、ディープキスをしたということだ。
現実では、彼はまだ彼女に自分の感情を告白するという最も重要な一歩さえ踏み出していない。それなのに噂では自分たちは相思相愛の熱愛カップルとして扱われているという、現実との差にアレクは言葉を失う。
「だが、ひとつだけ言えることは、お前を襲おうとする若い雌狼がこれで完全にいなくなったことだけだ。良かったな、アレク」
ヴィックは力なく笑った。
もう笑うしかなかったのだ。この茶番を春までやらなければならないのだから。
「俺は前にも言いましたけど、もてませんでした。そんなに男前でもないし……」
「ん?」
「だから、この村の女性が俺にどうのこうのというのは…ないと思います」
「前から聞こうと思ったが……アレク、お前は自分の容姿をどう思ってるんだ?」
「えーっと、普通、ですかね? 特段、男前だとか、そういったことを言われたことはありませんし」
『シオス村』の女性達にも、御屋敷の女性達からも声を掛けられた事がない。
それはアレクが常に忙しくいて、隙が全くなかったからと、アレクに付きまとっていたイザベラ御嬢様のせいでもあったが、アレクはその自覚がなかった。
「お前は男前の方に入ると思うぞ」
ヴィックはアレクの方を見ずに、ぼそっとそう言った。
そう言われて、アレクはドキリと心臓がはねた。
そりゃあそうだ。アレクはヴィックに好意を寄せている。好きな女性から自分の容姿を褒められたのだ。嬉しくないわけがない。
「背も高い方だし、身体つきもその年でそれなら悪くない……若いしな。この村の若い女達からしたら、格好の獲物だな」
「え……獲物」
村では長男と女性以外の子供は、ある程度の年齢、だいたい十四才位になったら一旦村を出ていく。
大概その時に外の娘とくっついて、結婚して、村に帰って来るというのがパターンだった。中には外の娘と結婚せずに戻ってくるのもいて、そういう男は村の女性とくっつくことになるのだが、圧倒的に男性の数が足りない。
「昔は数百の部族があって、その部族同士で結婚していたみたいだが、今はその部族もいないからな」
そう言われてアレクはようやくこの村がどこであるのか理解した。
ユグドラシア大陸には、数百の部族が乱立していた。その部族を統一したのが、今の七つの国の王の始祖のグランデル王である。大陸の伝説の王だ。
その王が唯一統一出来なかった部族がいた。大陸の最後の部族とも言われてる。赤の狼。獰猛で最強の武装集団。
「スカーレットウルフ」
彼は誰にいうわけでもなく呟いた。
「あぁ、外部の人はそう言う名前で呼んでたな。正式名はルベルコルス、族長の姓だけど。村の名は『クレミス』だ」
「ヴィックもこの村の……いや、確か……俺に東の商人だと言いましたよね?」
『カレムの街』でアレクがヴィックの雇われになった際、ヴィックは自分の事を『東の商人』で、名前は『ヴィック』だとアレクに自己紹介したのだ。
ヴィックは旅での名前だ。彼女は男装して男の名前で旅に出ている。
「それは嘘ではない。私は東の『ルベライト商会』の商人だ。半分この村の血は入ってるが」
「『ルベライト商会』? え……」
そこでアレクは『白カモメ亭』で一緒になったレニードの言葉を思い出した。
「私は東のローゼリアン王国にある港町ソルティの『ルベライト商会』に勤めている。レニード・クレイグだ」
そう言って、ルベライト商会の場所と自分の名前を書いた紙を渡してくれた。
そのレニードは、『白カモメ亭』のラナや自分が憧れて目指している英雄の赤髪の双剣使いと同じ、『暁の閃光』という勇者パーティーのメンバーだった。
アレクは、ラナからマントの餞別をもらう際にその『暁の閃光』パーティーの肖像画を見たのだった。
「レニードさん……『ルベライト商会』……アイラさんはモリスさんの母親……アイラさんが叔母さん……え……え……」
アレクは段々混乱してきた。
とにかくヴィックの周りの人間関係が整理がつかない。一度に全部を頭で整理しようとすると、脳の中がパンクしそうだった。
「人物相関図とかいう、小説とかでよく見るのを書いて渡そうか?」
と、ヴィックはニャリと笑った。
そして更にヴィックはアレクが最も吃驚する爆弾を落とした。
「この村に来てしまったから、そのうち誰からか話を聞いてしまうかもしれない。だから、先に打ち明けるが、お前が憧れている赤髪の双剣使いは、ヴォルフガング・ルベライトという名の私の父親だ」
一瞬、アレクはヴィックが何を言っているのか、まるで理解できなかった。
呆然と口を開けたまま、彼の思考は停止していた。憧れの英雄と、今目の前にいるヴィックという存在が、脳内で全く結びつかない。
どれほどの時間が経っただろうか。
ようやく言葉を紡ぎ出したとき、それは悲鳴に近い拒絶だった。
「嘘だぁ!」と、彼は叫んだ。
自分が最も敬愛している赤髪の双剣使いが
自分が好意を寄せている目の前の彼女の父親?!
『本編読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』
村の女性たちの噂話により、駆け落ち中の「熱愛カップル」に仕立て上げられたアレクとヴィック。困惑するアレクだったが、ヴィックからさらなる衝撃の事実を告げられる。彼女の父親こそが、アレクが憧れてやまない伝説の英雄「赤髪の双剣使い」だったのだ。




