第19章
俺はその後も、クレイグ・ウェリントンとアーサー・ホランド博士の会話に挟まろうとしてみたことが数度、さらにはジェイムズ・ホリスター博士の部屋を直接訪ねてみたりもした。また、ホリスター博士はクリストファー・ランド博士の死後、部屋に閉じこもっていることが多かったものの、唯一早朝のマラソンと体操については欠かさなかったこともあり……俺はそうした時一緒に走り、前庭の日陰で博士の奇妙な体操の真似事をしたことさえあった。とはいえ、いずれの時もホリスター博士の機嫌はあまりよろしくなく、そのつむじ曲がり具合から(いや、彼をファイナルアンサーとして答えるのは危険なんじゃないか?)と疑いはじめてしまったほどである。
せっかく朝の四時という時刻に早起きし、黒い岩影に身を隠してホリスター博士がやって来るのを待っていたというのに――博士は大きな痰が絡んだという振りをして、ぺっと唾を吐くと「何か用かね?」と冷たい眼差しでこちらを容赦なく睨んできたものである。「いえ、近ごろ食堂などでお姿をお見かけしないものですから、お加減のほうでも悪いのかと……」機嫌が悪いのはまだ眠いせいではないかと思い、俺は遠慮がちにそう聞いた。「いや、見てのとおりピンピンしておるよ。君のようなジャーナリストいう名のチンピラは、セレブの噂話を嗅ぎ回って金に換えるといったところなのだろうな。百万ドルが喉から手が出るほど欲しくて、私に何かヒントでももらいに来たのかね?」
「ええ、まあ」と、俺は頭をかきながら答えた。実際はちょっと違ったが、何をどう弁解したところで、ホリスター博士の見方や考え方を変えられるとは思わない。「単に俺は、あなたのようなセンティビリオネアにとっては百万ドルなんて大した額でないはずなのに……今もこうしてここに滞在しておられる理由はなんなのだろうと、そんなことがずっと不思議だったんです」
この時点でホリスター博士は(思ったよりバカではないようだな)と、片方の眉を吊り上げていた。博士の髪は白いものが混ざりかかっており、眉毛のほうも同じように変化しつつあった。ついでにいうと髭のほうも同様で、いわゆるゴマ塩状態だったものである。
「ほほーう。まあ、君のような小物には理解できんことだろうが、私のような立場の人間はね、時々完全に外部と連絡を断ち、孤独になりたいと思うことがあるものなのだよ。実は会社のほうはすでに息子にいつ譲ってもいいように準備がしてある。ただ、やはり裸一貫からここまで成り上がったにも等しいという意味で――私のほうが経営総責任者としてどうしても『会社の顔』といったところがあるのだね。そこで今の地位に座り続けておるが、これは本来であれば私の本意ではないのだ。出来れば会社自体は息子に譲り、自分は研究だけに没頭できればどんなにいいかと……ずっとそんなふうに思っておるわけだ」
「では、いつもお部屋のほうへ籠っておられるのはその研究のためだったりされるのですか?」
「ああ、まあな」しゃべりすぎたと思ったのだろうか。この瞬間、ジェイムズ・ホリスターは走るペースを上げると、息の上がってきた俺のことを一気に引き離そうとした。「お宅が何をどう考えておるのかは知らんが、わしにはすでに息子と娘が計三人、それから孫が五人ばかりもおるわな。そんな人間が『本物のヒューマノイド』だなぞと本気でそう思うのかね?また、理由のほうはアーサー・ホランド博士にしても同じこと……私はな、あの老人三人が直感的にくさいと思っているが、今のところ誰、とまでは見当がつきかねるな」
ホリスター博士は言外に、俺やフランチェスカやモーガンやミカエラのことは除外して語っている気がした。何故なら彼の目にも俺たち四人は仲が良く、自分たちの間でも『この中にヒューマノイドなぞいるはずがない』と確信しあっていると、そう感じたせいに違いない。
俺はまだ色々とジェイムズ・ホリスターに聞きたいことがあったが、彼のハイペースについていけないようになると、早々に諦めてホテルのほうへ引き返すことにした。腹の横っちょあたりは痛くなるし、朝早くにシャワーを浴びたばかりだというのに、すでに全身汗まみれだった。
その後も俺は朝のマラソン時を狙ってホリスター博士に色々と質問したが、そんなことが連日続くうち、彼は(ちょっとくらいならまあ、相手してやるか)という気になったのだろう。一度だけ博士の七階の部屋のほうへ招いてくれたことがある(ちなみにそれはつい先日の、九月十一日のことだった)。
ジェイムズ・ホリスター博士は、色々なトレーニング・マシンに囲まれており、それがアンティークな雰囲気の臙脂色のカーテン、それを留める金色のタッセル、ウィリアム・モリス風の壁紙、ヴィクトリア朝時代の家具類やラファエロの絵画などの調和を乱しているように見えたものだった。だが、それであればこそ俺には納得できることもひとつだけあった。博士が六十七歳という年齢ながら、その半分ほどの歳の俺を一気に引き離し、ロボットのような単調さでマラソンを走り、再びホテルまで戻って来れたことの理由が、最新式のトレッドミルといったマシンが説明してくれていたからだ。
「見苦しい部屋ですまんね」
ホリスターは形ばかりそうあやまり、絨毯の上の鉄アレイを持ち上げ片付けていた。その他、スミスマシンやスピニングバイク、レッグプレスなど、ジムでお馴染みのマシンがいくつも並んでいる。俺も部屋でデジタルトレーナーについてもらうことがあったが、博士はおそらくそんなものなどなくとも鋼鉄のように強靭な意志力によりトレーニングを続けられるタイプの人間なのだろう。
俺は飾り暖炉の前に設置された向かい合わせのソファの片側に腰掛け、ジェイムズ・ホリスターと少しの間会話することを許された。とはいえ、会見のほうは極めて短く三十分ほどだった。これは俺のほうで博士の感興を引くような会話が出来なかったことが原因だったのだろうから、そうした意味で俺自身の落ち度ではある。
「その、こんなことをお伺いするのは失礼かもしれませんが」天気がどうこういうくだらぬ社交辞令ののち、俺はそう切り出した。「博士が以前、アンダーソン夫妻とジョーンズ氏の三人のうち誰かが本物のヒューマノイドではないかとおっしゃっていたことがなんとなく引っかかっておりまして……」
「ああ、そんなことかね」
(もっと高尚な質問ができんのかね)といったような、博士の失望を感じ、俺は自分が明らかに質問をあやまったらしいと感じた。とはいえ、スカイウォーカー社のエアカーの性能がどうこうだの、宇宙ゴミの撤去やセキュリティ問題の解決法など、俺なりにホリスター博士の気を惹こうとしたネタについてはすでに全弾尽きていたのである。そしてそうした時の博士の反応というのは概ね、今まで多方面から何度も同じことを繰り返し質問され、答えることにもすっかり飽き飽きだ――といったような反応だったわけである。
「ほら、あのじいさんばあさんは……などといってもまあ、私もいずれ歳を取り、同じようになってはいくのだろうがね。ミスター・フォアマンが経営している高級介護施設にいると最初に言っておったではないか。その瞬間、私などはすぐにピーンと来たね。だが、その後すぐランド博士の死のことがあり、私はね、人生とはなんと儚いものかと改めて思ったのだよ。そこで博士の死のショックが少しずつ遠のいてのちは、自分の個人的な研究のことに没頭することに決めたのだ。それで、お宅のほうではあのじいさんばあさん三名のうち、誰が一番ヒューマノイドに近いと思うか、少しくらいは何か掴めたのかね?」
「いえ……博士の言葉を受けてのち、あらためてよくアンダーソン夫妻やジョーンズ氏のことをそれとなくじっと観察し続けましたが、よくわかりませんでした」と、俺はあえて嘘をついた。「こんなことを申し上げて、博士が不愉快なお気持ちにならないといいのですが、ヒュー・アンダーソンとトム・ジョーンズ氏は介護ロボットのシノブを相手に……そのう、婉曲的に言いますと、事に及ぶと言いますか、そうしたことがあるようなんですよ。となるとどうなります?セックスドールと人間に極めて近いヒューマノイドが性交渉を行っていることになりますよね。メアリーさんはそのことで、あんなに献身的に仕えてくれるシノブさんのことをこっそりいじめることがあるようですし……そして、メアリーさんがシノブさんのことをいじめていることを考えると、人間に極めて近いヒューマノイドが、それよりも劣る身分のアンドロイドをいじめているということになるわけです。そんなふうに考えていくと、俺にはさっぱり何がなんだか……」
「そうかね。ハハハハッ!!ワッハッハッハッ!!」ホリスター博士は大笑いすると、机の上にあった葉巻入れから一本取りだし、専用のカッターで切り、火を点けた。俺も勧められたが、遠慮しておいた。「ほうほう、なるほど。あのじいさんとばあさんは、比較的若い頃から今のように年取ることを考えて、細胞が若返るための薬を飲んだり、老化リセットカプセルなどに定期的に入ってきたのだろうな。だが、その方面について我々の科学はまだ万能とは言えない。というのも、そこまでのことをしたにも関わらず、大体百歳を越えたくらいのところで――まるでそれまで蓄えた老いが一気に追いついたとでもいうように、容貌のほうが一般的にいって醜くなるのだね。とはいえ、あのじいさんたちは下半身のほうも健康元気で、あのばあさんのほうも同じ年齢のおばあさんよりは身体機能のほうが健康なのではないかね。我が社にはそうした方面に関する医療部門もあるので、私は詳しいのだよ……また、ミスター・フォアマンとは昔から知り合いなのでね、あのじいさんばあさんがなんのためにここへ招かれたかの見当も多少はつく。時に、アーサー・ホランドとクレイグ・ウェリントン博士は今も医者同士、仲良くお話されたりしてるのかな?」
「ええ、まあ……時折、おふたりの傍らで話を聞いたりしてますが、専門的なことになると俺などではなんのことやらさっぱりといったところです。とはいえ、いわゆる臨床例というのですか?こんな珍しい病気の患者がいてあんな治療をしたとか、そうしたお話は俺にも十分理解できますし、いつ聞いていても大変興味深いと思っています」
「ふむ。では、それでもう大体のところ十分なのではないかね?」
「はあ……そうでしょうか」
博士が葉巻をやり、三十年もののマッカランをぐいっと煽るように飲むのを見て、俺はぼんやり首を傾げた。だがこの瞬間、コンコンとドアをノックする音がし、ホリスター博士が「入れ」と命じると、そこにはどこか恭しい様子のミロスがいたのである。そして彼は言った。「本社からお電話でございます」と。
こうして、俺とジェイムズ・ホリスターの会話はそれきりとなった。次の日には博士はもうホワイトサンドを走って昇りたての太陽を拝まなくなったし、部屋へ訪ねていっても「研究の邪魔だ!帰れ」とか、「頭の悪いバカにつきあっている暇はない」などとドアの内側から怒鳴られて終わっていた。まさしくけんもほろろである。
さて、これが俺なりに努力した情報収集のすべてといったところだった。だが、ただ単純に『金』ということに関していえば――俺はと言うべきか、俺たちはというべきか、百万ドル以上のものを獲得してオカドゥグ島をあとにすることにはなったのだ。だが、その代わりに金などいくら積んでも取り返しのつかないものを、俺はいずれ失うことになるのだったが。
>>続く。




