番外編 ディクリーヌの恋−4
「おはようございます……」
気まずい気持ちをえいっと振り払うように、ドアを開けた。
「……おはよう」
「……うん」
「……」
いつもよりトーンの低い皆の挨拶に、一瞬こくりと息をのんだ。もしかしたら昨日の騒動を皆聞いて知っているのかもしれない。これは何か皆に謝罪の言葉でも口にすべきかどうかと逡巡していると。
「……ディクリーヌ。ちょっとこちらへ」
タバサに呼ばれ、その物静かながら圧のある声に胃がキュッとなりながら向かえば。
「おはようございます……。あの……昨日は……」
するとタバサは無言で机の上に鍵を差し出した。
「これはここの内鍵よ。これを中からかけておけば、誰も入れないわ。今後のためにこれをあなたに預けておくわね。……これがあれば、ひとりで残ることがあっても多少は安心でしょう」
「え……?」
タバサは私をため息混じりに見上げ、口を開いた。
「あなたが男につきまとわれているという話はメルヴィンに聞いていたのに、すぐに対処しなかった責任は上司の私にもあるわ。でもあなたが無事で良かったわ……」
「いえ、それは私の注意不足で……。本当にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
そう謝罪した私に、タバサの眉尻がくっと上がった。
「あなた、その癖は治した方がいいわね。……ここは職場よ。仕事に支障があるような問題は皆で対処して然るべきだわ。でもあなたは全部ひとりでなんとかしようとしたでしょう?」
「それは……。ただでさえ未熟なのに、皆さんにさらに迷惑がかけてはと……」
タバサの呆れたようなため息が降ってきた。どうも今日は呆れられることの多い日らしい。
「人ひとりが抱え込める量には限界があるの。だから抱えきれないものは、まわりにちゃんと話して共有しなさい。少なくともここにはあなたをひとりで頑張らせようなんて思う人間はひとりもいないわ。それはもちろんあなたがそれだけの人物だと知っているからよ?」
「それだけの……人物?」
「あなたはとても優秀で努力家で、常に手を抜かない。誰も見ていないところでもそれができる人は希少よ? だからあなたを採用したの。あなたならきっとここでうまくやっていけると思ったから」
タバサの口から語られるその話に、驚きを隠せなかった。まさかそんなに自分を買っていてくれたなんて、と。嬉しくもあり、なんだかそんなに大層な自分ではないのに、と気後れする気持ちもある。
「でもあんな男につきまとわれたら疲弊するのは当然だわ。ディクリーヌ、今度からはできるだけ誰かと一緒に残業なさい。そしてきちんと休みも取ること。あなた、いくらなんでも働き過ぎだわ」
「……はい」
厳しくもあたたかいタバサの言葉に、反省した。こんなに自分のことを気にかけてくれていたのなら、もっと早くに相談すべきだったのかもしれないと。
もっとまわりに頼れ、皆力になってくれるからと繰り返し言ってくれていたのはメルヴィンだった。その言葉をもっと素直に聞いていたら――。
するとタバサが珍しく小さくからかうような笑みを含んで言った。
「……メルヴィンにお礼を言うのね。なんならお礼方々今日はふたりで半休でも取って、町へ食事にでも行ってきたらどう?」と。
「……えっ! いえ……そんな……昨日残した仕事もありますし……。そんな……」
昨日の今日でメルヴィンとふたりきりなんて、考えただけでもおかしな汗が出てくる。あんな醜態を晒した挙げ句、寮まで抱きかかえて運んでくれたと聞いてしまったらもう平静ではいられない。恥ずかしくて顔から火が出そうで、メルヴィンの方を振り向くこともまだできていないのに。
けれどタバサは容赦なかった。
「メルヴィン! 今日はあなたとディクリーヌは半休ね。ふたりでのんびり町にでもいってらっしゃい!」
その声に、まわりの仲間たちも声を上げる。
「……おみやげは、西通りにある『子熊亭』のパイがいい。……よろしく」
「過労はいい仕事の大敵だからね~……。しっかり骨休めしてくるといいよ~……」
「調子に乗って飲み過ぎるなよ、メルヴィン。ディクリーヌちゃんはたっぷり飲み食いしておいで~」
気のせいだろうか。なんだか今までより皆との垣根が低くなったような。
「……というわけらしいから、行こうか。ディクリーヌ」
背後から聞き慣れた声がして、飛び上がった。
「メルヴィン……!! えっと、あの……昨日は……色々と……!」
あぁ、まただ。やっぱり素直に言葉が出てこない。本当に自分のこういう素直じゃないところが嫌になる。頭を抱えたい気持ちに襲われながらもなんとか昨日の礼を言おうと思うのだけれど、どうしてもメルヴィンの顔すら見ることができなくて困る。
するとメルヴィンは小さく笑い声を上げ、私の頭をポンと軽く叩いたのだった。
「とにかくここを出よう! ……もう行っていいですよね? 多分この人こんな調子で仕事に集中できないでしょうし」
メルヴィンの問いかけに、タバサはさっさと行けとばかりにひらひらと手を振ってみせた。
こうして私とメルヴィンは、皆に追い立てられるように職場をあとにして町へと繰り出すことになったのだった。




