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王妃との謁見用に用意された控室には、たくさんの令嬢たちが集まっていた。
「あら。お久しぶりね。先日のお茶会以来かしら? どうぞこちらへお座りになって?」
「まぁ、素敵なドレス。合わせている小物もとても可憐だわ。こちらもしかして、今大人気のマダムバーリーのデザインではなくて?」
くすくす……。
しゃらしゃら……。
衣擦れの音にくすくす笑い。人生で一度きりのデビュタントのために、これでもかと華やかに着飾った令嬢たち。その華やかな色の洪水と混ざりあった香水の強い香りに、思わずクラリとする。
貴族社会にはいくつもの派閥が存在し、権力と密接に結びついている。たかがご婦人方が集まるお茶会ひとつとっても、とんでもない影響力を持つこともあるのだ。下手にどこかの派閥に属しているがゆえに身動きが取れなくなるなんてことも、よくある話。つまり社交界に深く身を置くということは身を守る盾にもなるけれど、両刃でもあるのだ。
だからあえて中立的な態度を貫きたい家はあまり社交界に顔を出さず、ひっそりと最低限の社交のみをしてやり過ごすのだ。ノートス家もそのひとつだった。和平調停なんていう非常に神経を使う役割を与えられているのも、中立を貫くその公平さを買われてのことだ。
けれど弊害もある。気がつけばすっかり一人娘である私は、社交界に疎くなっていた。特別親しく付き合う友人もいなければこうした華やかさにも不慣れなまま成長した私は、この空間にこれ以上ないくらい気後れしていた。
(ふぅ……。ドレスは苦しいし、慣れない靴で足も痛いし……。こうなったら時間まで隅っこでお茶でも飲んでやり過ごすしかないわね……)
できるだけ目立たないように、そっと令嬢たちの間をすり抜け端っこの席に着いたその時だった。
「あら? あなた……ドレスに染みがついていてよ? ほら、ここ」
不意に声をかけられ、慌ててその令嬢の指さした場所に視線を落とした。するとそこには、たった今ついたばかりと思しき薄茶色の染みがついていた。
「ええっ⁉ そんな……!」
色と湿り具合からみて紅茶か何か、しかも今しがたついたばかりのようである。せっかく父と母が何ヶ月もかけて用意してくれたドレスを汚してしまった、と肩を落としていると。
「すぐに染み抜きをしないと。でもメイドをここに呼びつけるわけにいかないし……。せめて化粧室で水拭きしてきたら?」
デビュタント用にしては少々露出多めで豊満な胸元を強調するようなドレスを身にまとったその令嬢が、急かすようにうながす。
「でももう時間が……」
「大丈夫よ。謁見まではしばらくかかるってさっき説明があったもの。染みを落とす時間くらい十分にあるわ。さ、急いで。私が事情を説明しておいてあげるから!」
「え……ええ? そ、それなら……。ありがとう!」
そう言われて、せっかくのドレスを台無しにしたくない一心で控室を飛び出したのだった。まさかそれが自分を危機に陥れる罠だとも知らずに――。
化粧室の中に置かれた椅子に腰掛け、水で濡らしたハンカチで汚れを押さえ慎重に拭き取っていく。
(もう……、なんでこんな日に限って……! でも紅茶のカップなんてそばにあったかしら……。まだ席にも着いてなかったのに……)
その時ふと人の気配を感じてはっと顔を上げた。
「……?」
見れば、そこには濃紺色のメイド服を来た気の弱そうな少女が立っていた。なぜかその顔にはひどく焦りような色が浮かんでいて、それに何か嫌な予感を感じて手を止めた。
「……何かご用? ここには私しかいな……。えっ……‼」
その瞬間、なぜかメイドがすごい早さでこちらに走り寄ってきた。そして。
「ちょっ! 何……んぐっ‼ ……っ!」
メイドは何を思ったか、突然私の口を布のようなもので覆うと羽交い締めにしてきた。突然のことにパニックになり、必死に逃れようともがいたのだけれどその力は存外強く、気がつけば私はふわりと意識を手放していたのだった。
目を覚ましたら、そこは化粧室の個室の中だった。
(……⁉ ここ、化粧室の個室……? なんでこんなところに……⁇ あっ……! そうだわ、急がないと謁見がはじまっちゃう……!)
けれど慌てて立ち上がろうとして、私は異変に気がついたのだった。自分が口にハンカチのようなものを猿轡をかまされ、両手も縛られていることに。
「んんんんっ……⁉ んぐっ!」
一体何事が起きているのかわからず、慌てふためく。必死にうめき声をあげてはみるものの、外には人のいる気配がしない。王妃との謁見の場が近いはずの王宮内で人の気配がないとはどういうことか。しかも今日は国中の貴族の令嬢子息が集まるデビュタントなのだ。そんな日に近くに衛兵もいないとはどういうことだろう。
首を傾げつつも、とにかくここから出て誰かに助けを求めなければと個室の中で身をよじった。
(どどどど、どうしようっ……! と……、とにかく外へ出なきゃ……。それにはせめてこの手首の縄をなんとか解いて……)
思い切り紐を引きちぎる勢いで両手首にぐっと力を込めてみれば、意外なことにそれはするりと解けた。
「ん……? あれ……?」
拍子抜けするほどあっさり解けたそれに呆然としながらも、個室の鍵を開け外へとはい出た。よほどあのメイドが非力なのか、それともあえてゆるく縛ったのか。いくら畑仕事で鍛えているとはいえ、そこまで怪力ではないつもりなのだけれど。それに床に落ちた紐、これは――。
(男物のリボンタイ? 上質な生地にイニシャルの刺繍……。一体誰の……? どうしてわざわざこんなもので縛ったのかしら?)
普通誰かを縛り上げる時に、こんなイニシャル入りの紐を使うだろうか。これがもし犯人のものだとしたら、簡単に足がつきそうではないか。
とはいえ、今はそんなことを悠長に考えている場合ではない。すぐにここを出て謁見に向かわなければ、王妃様との謁見を何の断りもなく欠席するなど不敬にもほどがある。そんなことを思いつつ、無造作にそれをポケットの中に突っ込み、周囲の気配を伺いながら化粧室の外へと出たのだった。
きょろきょろと化粧室から頭だけを出し、そうっと外の様子をうかがう。てっきり誰か見張りのために立っているのではなんて思ったのだけれど、やはり周囲に人の気配はまったくなかった。あのメイドの姿も、衛兵もひとりの姿も。
(なんでこんなに静かなの……? 衛兵がひとりもいないなんてこと、ある? それになんだかきた時とちょっと感じが違うような……?)
一体あれからどのくらい時間が過ぎたのだろう。もしやとっくに謁見がはじまっているから、こんなに静まり返っているのだろうか。とにもかくにもひとまずあの控室へと戻れば誰かいるだろうと判断して、しんと静まり返った回廊を歩き出そうとした、その時だった。
「そこのお前っ‼ そんなところで何をしているっ!」
しわがれた男の乱暴な声に、私は飛び上がったのだった。




