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それから年月は流れ、ラフィニアは十四才になった。そしてカインはといえば――。
「随分髪が伸びたわね。カイン」
複雑な気持ちで、もう後ろでひとつに結べそうなくらいに伸びたカインの髪の毛に触れた。ルナが見た未来のカインの姿に近しい姿が、そこにあった。
(きっとあと数か月もすれば、ルナが見たのと同じくらいの長さになるはず……。でもまだ頬に傷はない。ルナが見た傷が事実なら、カインはこの後どこかで頬にけがをするんだわ。そしてついにルナが見た未来が……)
まだ頬に傷がないということは、まだもう少し時間の猶予はあるということだ。けれどもう運命の日はすぐそばまで迫っているのは確かだった。
「もう少し伸びれば紐でくくれるんですけどね。一応願掛けのつもりで伸ばしているんだ。次の停戦調停こそうまく事が運んで、この戦争が終結するようにってね」
停戦調停はもう何度も繰り返されていた。けれどその度に双方の条件が折り合わず、いまだ戦争の終結には至っていない。けれど互いの国も長く続いた戦争で疲弊し、民も兵も疲れ切っていた。もはや戦争を続けるだけの力も国に残ってはいないのだ。
長く続いた戦争が残した傷跡は、大地にも深く残っていた。もとより肥沃ではなかった隣国の国境地帯では、ろくな農作物も作れず近隣の町や村も皆飢えていた。とともにその不満や苛立ちは、敵国であるこの国に向けられ日に日に深刻なものになっていた。
(カインが頬にけがをする前に、隣国との関係をなんとかましなものにしなくちゃ……。でも最近じゃ国境沿いの町や村はひどい有様だって聞くし……、いくら雪芋の栽培方法を隣国に提供したところで本当にうまくいくのかしら……?)
そんな不安に心を揺らしていると、カインが口を開いた。
「そういえばラフィニアお嬢さん、雪芋の研究はもうあらかた終わったって聞きましたよ。いやあ、研究をはじめてあれから五年以上たつんですね……。お嬢さんの情熱には頭が下がります。まさかここまでやり遂げるなんて……」
カインの感心した声に、思わず頬を染めた。
私が九歳ではじめた雪芋栽培研究は、いまや国を巻き込んだ一大事業に発展していた。あくまで表向きは自国の有事の際の食糧確保のためだけれど、隣国との関係を良好なものにすべくその栽培方法を隣国に伝える旨はすでに国の許しを得ている。
そしてその研究はただやせ地での栽培のみならず、その保存や加工技術にまで至っていた。雪芋があちらの国で安定的に栽培されるようになれば、きっと今よりはずっと土壌も良くなるだろう。そうすれば他の農作物だって、ある程度は栽培できるようになる。
「私はきっかけを作っただけよ。国が資金も技術援助もしてくれたから、こんなに研究が進んだんだもの。でもこれでどんなやせ地でも食糧確保はできるはずだし、隣国で今飢えている人たちだってきっと……」
「えぇ、そうですね。……ふはっ! あの時はびっくりしましたけどね。飢えがなくなれば戦争だってなくなるってお嬢さんが言い出した時には……」
おかしそうに噴き出したカインに、なんだか気恥ずかしくなって頬をふくらませた。今思えば子どもっぽい発想かと思うけれど、でも結果的にこうして研究が実を結んだのだからそう悪くない。
「でも本当によくやったと思いますよ。ラフィニアお嬢様……いや、もう十三歳なんだ。そろそろラフィニア様と呼ぶべきかな……」
目を細め優しく、けれどどこか寂しげに微笑んだカインの顔に胸がドキリと高鳴った。
「そ……そんなこと言ったって、おやつのプディングはあげないわよっ‼ 私の大好物なんだからっ!」
赤く染まった顔をごまかすように、ツンとそっぽを向けばカインがぶはっと噴き出した。いつもと変わらないそのやりとりに、どこかほっとしつつけれどきっとこの先ふたりの関係はどうしたって変わっていくんだろうな、と思う。
(きっとカインは私のこと、妹か姪っ子くらいにしか思ってないもの……。いまだにカインに浮いた話はないけど、きっといつかは誰かと婚約して結婚して、私のそばからいなくなってしまうんだろうな……)
十四歳になり、デビュタントまで残り一年と半年を切った今、私は大きくなる一方の恋心を持て余していた。今もカインへの思いは変わっていない。ルナがカインに恋をしたのと同じように、私もカインに恋をしている。ルナとしてではなく、ラフィニアとして――。
でもその恋心が成就する日はきっとこないだろう。そうも思っていた。なんといっても年が離れ過ぎているし、カインが自分に特別な思いを抱いていないことはこれまでの行動や言動でわかり過ぎるほどわかっていたから。
そう、あれは去年の誕生日――。
『はい、お嬢さん。おみやげです』
隣国との調停のやり取りでしばらく屋敷を明けていたカインが、私にきれいにリボンをかけられた箱を差し出した。
『ありがとうっ! 開けてもいいかしら?』
カインは、長期間屋敷を離れる時にはいつもこうしておみやげを買ってきてくれる。たとえばきれいな缶に入ったキャンディだったり素敵な挿絵の入った本、とてもかわいらしい人形だったこともある。けれど十三才の誕生日ともなれば、ほんのちょっぴり大人びたものを贈ってくれるんじゃないかと期待してしまったのだ。けれどワクワク胸を高鳴らせながら箱を開けてみれば、中に入っていたのは――。
『わ……わぁぁぁっ! とってもすごいわ……。ありがとうっ。カイン!』
一瞬凍りついた笑顔をなんとか貼り付け直し、カインに礼を口にした。けれどしゅるしゅるとしぼんでいく心は止められなかった。
『ん……、あれ? ……これ、欲しがってませんでしたっけ?』
私の微妙な反応に気がついたのだろう。困惑気味にそう私にたずねたカインに、満面の笑みで首を横に振ってごまかした。
『えっ? あ、うんっ! そうよっ。ずっと……ずっとこれが欲しかったの! 覚えてくれてたのねっ。嬉しいわっ。本当にありがとうっ』
なんと中身は、釣りに使う疑似餌なんかのセットと丈夫な畑仕事用の革手袋だった。いや、嬉しくないわけじゃない。ずっとほしいと思っていたのは本当だし。それをちゃんと覚えていてくれたこともとても嬉しい。けれど気持ちは複雑だった。がっかりしてしまっていたのだ。どうしてこんな男の子みたいなおみやげなんだろうって。
そしてようやく私は気がついたのだ。自分がカインに感じているこの感情が、もうただの年上の男性への一時の憧れなんかじゃなく、心からの愛情――つまり恋心なんだということを。と同時にはっきりと理解したのだった。カインが自分をいまだに五才の子ども同然にしか見ていないであろうことを。
そんな苦い記憶を思い出し、思わず深くため息をついた。
きっと恋心を打ち明けたところで、カインは相手にしてくれないだろう。けれど自分にはルナの思いを伝えるという約束がある。カインを悲劇の運命から救い出し、デビュタントを迎えた暁にはきっとルナと自分の恋心を伝えよう――、そう決めていた。
(デビュタントを迎えれば一応は大人の仲間入りだし、恋心を打ち明けても一応は一人前の女性として上手に断ってくれると思うし……。あぁあ、せめてもう少し年の差がなかったら少しは恋が叶う可能性もあったかもしれないのに……)
ついそんな考えても仕方のないことを思い、私は苦笑いを浮かべた。
「まぁとにかく、次の停戦協定までには隣国に雪芋の栽培方法と当面の飢えをしのげるくらいの雪芋を供給できるはず! そうなればきっと今度こそ停戦も全面合意になるかもしれないわ。そうなったいよいよ……」
「戦争が終わるわ‼」
「戦争が終わりますね‼」
カインと声がきれいに重なった。
思わずカインと顔を見合わせ噴き出した私は、明るい希望とほんの少しの不安を胸に未来へと思いをはせた。
それからしばらくたったある日のこと、カインが仕事の最中頬を負傷したとの知らせが舞い込んだのだった――。




