暴君の断末魔
ジェイクは廊下を疾走する。
味方たちが戸惑うのにも気づかず、ただ全速力で走る。ミルのところに行っても自分には何もできないということは、考えなかった。
自分の足音と、遅れて走り出した味方たちの足音が頭に響いてガンガンする。
廊下を左に曲がると、離れたところに人影がふたつあった。
「まずい……!」
遠くからだが、確かにイーガーの手に、黒い皮表紙の本が握られているのがわかった。
ミルは、動いていない。イーガーが隙だらけだというのに、剣を持った右手をだらりと下げて突っ立っている。
明らかに様子がおかしい。
「ミル! しっかりしろ!」
叫んでみても、ミルはぼんやりと宙を見つめたまま動かない。
「無駄ですよ、ジェイク王子。この娘には動く意思をなくすように魔術をかけましたからね、そこで待っててもらえたら、首なし美少女の出来上がりだ」
「やめろ!」
頼んでやめるはずがない。
だからジェイクは、駆け出して、地面を勢いよく蹴ってイーガーに飛びかかった。
誰が見ても、結果は明らかだ。後ろからやってきた味方たちは思わず目を覆う。もうあと一秒後には、ジェイクの身体はイーガーの立派な剣に深々と刺され、穴が空いてしまうだろう。
しかし、血の海を見るような惨劇は起こらなかった。かわりにジェイクの身体が、後ろに吹っ飛んだ。まるで何か見えない壁にぶつかったようだった。
「何が起きたんだ……!?」
「古き力を侮ってはいけませんよ、王子。その昔、権威ある魔術師が三日間洞窟にこもって、その血をもって記した魔術書だ。今でこそ魔術師は御伽噺だが、本当にいるんですよ、これが」
せせら笑って言うイーガーを睨みつけて、ジェイクは素早く体を起こした。早くミルを助けなければ。でも、どうする? 無闇に飛び込んで行ったって、弾き飛ばされるのが落ちだ。そうなったとたんイーガーはミルを貫くだろう。
ミルは剣をだらしなく提げて、敵が目の前にいるというのに動かない。
永遠の時間が過ぎたように思われた。だがそれは、イーガーがすらりと剣をかまえたことによって破られた。
軽々と剣を一振りして、ミルの命を奪う。そう思われた。が、イーガーは何を思ったのか、ふんと笑ってミルの剣に触れた。
「これで、一体何人殺してきたんだ? 死神の噂通りだな。冷酷非情の、屍を引き連れた呪われた娘だっていう」
ジェイクは、イーガーの言葉を聞き逃すことはできなかった。先程国王に感じたどす黒い憎しみからくる怒りとはまた別の、純粋な憤りに突き動かされるままに叫んでいた。
「違う! ミルはそんな、血も涙もないやつじゃない! 武器を握ってる時はいつも、暗い顔をしてるんだ! お前みたいに、剣をふるいながら笑うなんてことできねえんだよ!」
刃物を投擲するときも、剣を突きつけるときも、ミルの顔はほんのわずかだが翳っていた。
ミルは本当は、争いなど望んでいないのだ。恐ろしげな通り名と、それに相応しい戦闘能力を持っていても、決して好んで戦っているわけではない。
ジェイクたちの仲間になると言ったのも、レーヴェスが故郷ソルのように血みどろの国になってほしくなかったからだろう。今はそれがわかる。
「王子、自分の立場はわかっていますか?」
イーガーはジェイクを面白そうに見て、ミルの剣を握った。
それが、イーガーの最大のあやまちだった。
「がっ……」
みぞおちをおさえてうずくまるイーガー。魔術書は、ページがばらばらになって遠くに飛んでしまっている。今の一瞬で、一体何が起きたのか。
答えは、しっかりとした意志を持った瞳で剣をかまえるミルを見ればわかった。
「レーヴェスの騎士は、随分と行儀が悪いらしいな」
怒りに満ちた声だった。その場にいたものたちはたじろぐ。
どうしてここまで怒ったのだろう。イーガーが剣に触れたから?
あの剣は、大切なものなのだろうか。
ミルは、焦点の定まらなくなった目で、ぼんやりと宙を見ていた。
どうして、ここに来たのだろうか。思い出せない。目の前にいる男を倒さなければ命がないというのはわかる。
ああでも、身体がぴくりとも動かない。いつも自分の思った通りに素早く動いてくれていた身体が、ぴくりとも動かない。
剣が迫ってくる。殺されると思った。
それでも、仕方がないと思った。
今まで奪ってきた命のことを思えば、自分はいつどこでどんな死に方をしても文句は言えまい。父さんの剣と共に、自分の業を持って地獄にでも行こう。
しかし、男の剣は急に動きを止めて、かわりに剣を触る手があった。
虫唾が走る。触るな、父さんの剣に、触るな。
身体が動くような予感があった。しかし動かない。
目が覚めるような怒りを噛み締めていると、後ろの方で大きな声がした。うまく聞き取れないが、何かを語っているようだ。聴き覚えのある声のような気もする。こんな時にべらべらと喋り出すなんて、呑気なやつだ。
男の手が、剣をぎゅっと握った。
その瞬間、身体の自由がきくようになった。激しい怒りがそうしたのかもしれない。迷わず、男のみぞおちを目掛けて蹴り入れた。
「ミル!」
ジェイクは、再び動き出したミルの名を呼んだ。
再開された、達人同士の渡り合い。
ただ、それを見守る。ミルが勝つと信じて。それしかできない。
舞のように優雅に動く刀身が白くきらめく。キンキン、と響く金属音。どちらの手元も速すぎて見えない。
たんっ、と軽快な音を立てて、ミルが舞い上がった。そしてイーガーのうしろに着地する。
全く予想外の動きに、イーガーの反応が少しだけ遅れた。
どれだけ鮮やかに振り返っても間に合わなかった。
ドスドスっと、低い音がして、イーガーのうしろの壁に二本の剣が、彼の首を囲むように交差して突き刺さっていた。一本はミルの剣、もう一本はイーガーの剣だ。
「こんな……」
こんなはずでは、ない。そう言いたかったのだろう。しかしもうイーガーは身動きできない。剣を奪われ、抵抗しようものなら首が胴体を離れてしまう。
「無様だな、イーガー。魔術書を使わなかったのか?」
しわがれた国王の声がした。
「お前いつの間に!」
「父親に向かってそれはないだろう、ジェイク。……どうやら、お前が手に入れた"死神"は、わしの手駒よりも優れていたようだな」
ミルが険しい顔をして国王を睨みつける。イーガーを捕らえている剣を放すわけにはいかない。手が出せないのが悔しいのか、唇を噛んでいる。
「だが、お前たちのような烏合の衆が一国の城を攻めようとて無駄なことだ。全員、極刑に……」
「烏合の衆を最上階まで侵入させておいて、何を言い出すのやら」
国王の顔がわずかに強張った。
東の大階段から、鎧のガシャガシャという音を立てて、ラッセルたちが上がってきた。
「いち貴族がでしゃばりおって!」
激昂した国王が大声を上げる。
「それが、暴君の断末魔か? お粗末なものだな」
「黙れ!! 王を殺せるとでも思うのか!?」
「はい、お父様」
ーークリスティ王女の声がした。
みな、目を見開いて声の方を見る。眩しく光る金色の髪を、飾り立てずにふわりとおろしているその女性は、まぎれもなくクリスティ王女だ。
「クリスティ、何を言っている。親殺しになるつもりか?」
「いいえ、血が流れるのは好みません。それに、殺してしまうのは一瞬でしょう? 稀代の暴君にふさわしい罰は、生きながら苦しむことだと私は思いますの」
ひどく美しい笑顔で言うクリスティ。彼女の後ろには、数人の青いローブの老人たちが控えている。レーヴェスの裁判官だ。胸に付けた天秤のバッジと知性に光る眼は本物だ。
「お祖母様ーー先代レーヴェス女王は、ある取り決めをしていました」
クリスティは、裁判官が持っている書簡を読み上げるように促す。
「国を守るため、国民が生きやすい国であるための誓いです。王に対して反乱が起こり、かつ国民が反乱を妥当だと認めれば、王は王座を退き、別の場所に移送され、監視の元で生活する」
どっと場がざわめいた。一番動揺したのは国王だ。
「戯言を!! ええい、そんなのは知らん!
聞いたこともない! 誰か、この者たちの首をはねよ!」
「誰も、いないだろ」
ジェイクがぽつりと独り言のように言った。
その通りだ。この場には、動ける国王の味方はいない。イーガーは力なくうなだれて唇を噛み締めている。
「わしは、王だぞ、王、王なのだ」
わなわなと震えるその声はだんだんと弱くなっていく。
「そういうわけですわ。お父様、お元気で」
わあっ、と、割れんばかりの拍手と歓声が城下町を覆った。
市場には花が舞い散り、大人たちは酒を飲み、子供達は走り回っている。今日は、クリスティ女王の誕生だ。
「ジェイク、あんたまだここにいるの?」
キャベツやタマネギの前で小銭を数えているジェイクに、カレンが声を掛けてきた。
「もう国王もいないんだから、お母さんと一緒に城に戻らないの? クリスティ女王も歓迎するわよ」
「いいんだよ、城は堅苦しいし。城に帰りたいから反乱起こしたわけじゃねえし。母さんの病気の治療費もたんまり貰ったしな」
「そう……まあ確かにあんた、城は性に合わないかもね」
「まあでも、姉さんが女王になったんだから、少しは城の金ピカも見直されるだろ」
言って、ふうと息を吐く。
自分たちはやり遂げた。死ぬかとも思ったけれど、こうしてここに生きている。
「おい、リンゴ」
今度こそ、国は平和になるだろう。
「……聞いてるのか」
ミルも、もう血に汚れた世界に身を置かないで済む。
「返事がないなら貰っていくぞ」
「ちょっ、お客さん!? ってミルかよ」
「その言い方は何だ」
不遜な態度で売り物のリンゴを掴み、持って行こうとする黒髪の少女は、先日の反乱の英雄ともいうべき人物だ。
「お前、今どうしてるんだ?」
「見世物小屋のナイフ投げ」
「……うん、かなり適職だな」
的を外したりしないだろうが、あの殺気で何かを狙えば、見にきた子供は泣くんじゃないかと思う。
「元気そうで良かったよ。リンゴ一個だけ? ブドウとかオレンジとかは?」
「相変わらずうるさい奴だな」
「お前も相変わらず口悪いよな」
しばし無言で睨み合う。本気ではない。
やがて根負けしたジェイクは、リンゴをミルに差し出した。つやつやとした赤いリンゴ。
ミルはリンゴを受け取ると、さっさと行ってしまい、やがて人ごみにまぎれて見えなくなった。
そういえば、彼女は黒装束ではなかった。今になって気がついた。それほど自然だったのだろう。鋭く研がれた刃物のような雰囲気が、少しだけ柔らかくなったような気がするが、そのせいだろうか。
「ジェイク、女王様きれいね」
カレンが向こうの通りを指差す。その先には人だかりができていて、ひとりの画家が壁にクリスティの肖像画を描いているところだづた。金色の髪が壁の上でふわりと輝く。
「ああ。……さてと、今日は酒ばっか売れるし、もう店閉めるか」
ふわりと飛んできた花びらが、ジェイクの頬にひっついた。優しい感触に、ジェイクは頬を緩めて笑った。




