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憎しみ、怒り、驚愕

 思い出にいつもあったのは、母の化粧の匂いだ。

 あのころは、母は毎日綺麗に着飾って、朗らかに笑っていた。笑顔には上品な輝きがあった。

 でも、城を追い出されてから、母は化粧なんかできなくなって、忙しなく働いた。笑顔は今にも崩れ落ちてしまうのではないかというような儚さを含み始めた。

 城を追い出されるまでは、確かに幸せだったような気がする。

 優しい異母姉クリスティもいた。泥まみれになるのも構わず、よく一緒な遊んでくれた。クリスティは本が好きで、よく自分が読んだ物語を聞かせてくれた。

 長くて、眩しくて、厳しい顔をした兵隊がびしっと立っていた廊下。走り回って笑い声を響かせていたのは、幻だったのだろうか。

 楽しい思い出は、いつもあるところで翳り出す。


<陛下、どうか休んでください。最近はいつもそんなに険しい顔で……>


 心底心配そうに、国王に話しかける母の姿。


<うるさいわ! 側室の分際で、王の私に意見しようなど、わきまえよ!>


 怒鳴り散らす国王の顔がこちらに向く。


<あいつも連れて出ていけ! お前に似た目が気に入らん!>


 ものすごい形相の国王の顔のところで、城の思い出はぷつりと途切れる。


 また、ここに来るとは。今日は一体、どういうふうに思い出が書き加えられるのだろう。十年ぶりに会うクリスティは自分のことを覚えているだろうか。

 ジェイクは、拳をぎゅっと握りしめる。


「おい、聞いてるのか? はぁ、先が思いやられるな。まだ終わってないんだろう? 顔を上げろ」


 ミルの声で、現実に引き戻された。目の前の黒装束の少女は、呆れかえったような視線を向けてきている。


「ミル、着いてたのか。怪我はないみたいだけど」


「怪我なんかするほうが難しかった。どいつもこいつも、本当に兵士か? 大方倒しておいた。殺してはないからな。薬が切れて歩けるようになるまで半日かかる」


「あ、ああ。心強いよ……」


「坊ちゃん、この子がそうか?」


 元囚人の男が、ミルを凝視しながらジェイクに問う。しばらくミルをじろじろと見ていたが、睨み返したミルにひるんで、目線を斜め下のあたりにそらした。


「で、ミル。これから……」


 ミルの大きな黒い目を見て、口を開いたところだった。彼女の顔が、一瞬にして暗く翳った。そしてそのまま、剣に手を掛けて駆け出す。


「ミル!?」


 あわててミルが走って行った方向を向く。


 キン、という高い金属音。

 その場にいたものは、何が起きたのか理解するのに数秒かかった。最上階までまだ辿り着いていなかったものたちも、何事かと駆け上がって身を乗り出した。


「イーガー!」


 ジェイクは、ミルと対峙するその男を知っていた。

 記憶の中の国王のいつも隣にいた、忠実な騎士だ。

 そして、このレーヴェスの騎士団の中で最も強い男。ジェイクが城にいた十年前はまだ二十歳に届いていなかった。そんなに若いのに国王の信頼を独り占めする、恐ろしい男……。


「ミル、危ない!」


 さすがのミルも、イーガーが相手では無傷ではいられないだろう。鮮やかに敵を倒していたミルを見たのに、安心できないほどイーガーは強い。

 ミルはジェイクの声など全く聞こえていないようだった。剣と剣が激しい音を立ててぶつかり合う。何度も何度も。鍛治職人が焼けた鉄を打つように、カンカンと音が響く。


「お、おい、あのお嬢ちゃんを助けてやれないのか!?」


 さっきまで嬉しそうに戦っていた味方の男は額に汗を浮かべている。目は恐怖で見開かれ、息もつかせぬミルとイーガーの命のやり取りをただ見ているだけだ。

 誰も間に入っていけるものはいない。入っていけるわけがない。二本の剣にぶすりと突き刺されるだけだ。

 ひときわ高らかな音を立てて、二人のぶつかった剣が静止した。ぎりぎりとミルがおされている。イーガーは口の端を吊り上げて笑う。


「しばらくぶりだな、死神。あのときは仕方なく大人しくしていたが、今日はーー手加減しない」


 舌舐めずりをして、イーガーが後ろへ軽々と飛び退き距離をとった。

 ミルはじっとイーガーを睨みつけている。構えた剣がぎらぎらと光る。瞳が暗く翳っている。

 一瞬、時が止まったかのように思われたが、すぐにイーガーがぐっと踏み込んでミルに飛びかかっていった。猫のようにしなやかに、イーガー身体が宙を舞う。

 振りかざされた剣が勢いよくミルに向かっていく。ジェイクは思わず二人が戦っている長い廊下に飛び出した。

 ほぼ同時に、ミルのいた場所にイーガーの剣が深々と突き刺さる。そこにミルはいなかった。いつのまにかイーガーの背後に回り込んでいて、足を振り上げてイーガーの背中目掛けて思いっきり振り下ろした。


「かっ!!」


 ずざざっ、と音がして、イーガーの身体はミルの細足によって吹っ飛ばされた。倒れたところにすかさず撃ち込まれる黒い刃物たち。すんでのところでイーガーは刃物を剣で撃ち返した。


「ミル……!」


 ジェイクの額から噴き出す汗が流れ落ちる。ジェイクに気づいたミルは思いきり眉を顰め、舌打ちをした。


「どうしてのこのこ出てきてるんだ。間違えて殺されても文句は言えないぞ? それより早く誰やらの部屋に行け」


 こんなところに来てまで、最強の騎士との対決中まで、流れるように毒を吐く。

 しかし反論している場合ではなかったので、ジェイクはうなずくと味方たちを引き連れて、ミルとイーガーが戦っている方とは反対側にのびている廊下を走った。

 突き当りを右に曲がり、多きな風景画がかけられている廊下に出る。そのまままっすぐに進み、左にあるドアがクリスティ王女の部屋だ。

 懐かしさで高鳴る鼓動を無視して、豪奢な異母姉の部屋のドアをたたく。

 ぎらぎらと金色に光る複雑な装飾のなされた取っ手に指が当たってじんじんと痛む。


「出てきてくれ、姉さん。俺だ、ジェイクだよ」


 声がかすれる。喉が薄い皮になってどこかにはりついているみたいだ。

 十年ぶりに会う姉が、この先にいると思うと、緊張と期待で粉々になってしまいそうだった。


「姉さん!」


 しかし、いくら呼んでも返事はない。

 ジェイクは当たり前のことにいまさら気づき、がっくりと肩を落とした。

 馬鹿だ、自分は。クリスティの知る十年前の自分は、今と声も全く違う。こうして反乱の中ドアをたたいて叫んでみても、応じるはずがない。反乱勢の一味が押しかけてきたとみるだろう。


「くそっ……どうすれば」


 力なく取っ手をつかむ。ぴかぴかと光る取っ手は、みすぼらしいジェイクを笑っているようだ。


「開いてねえのか?」


「そんなわけ、ないだろ……」


 ほら、と示そうとして取っ手を押す。

 ギイイ、重たい音を立てて、扉は開いた。中からまぶしい金色の調度品が顔を出す。


「え、え」


「ほらな! 俺の言った通り!」


「嘘だろ!? いくら姉さんでも、こんな時くらい鍵かけるだろ!」


 部屋の中はーー誰もいなかった。

 拍子抜けしたジェイクは、あやうく頭をドアにぶつけそうになる。


「いない。どこ行ったんだ……?」


 そのとき、廊下にぞろぞろといた味方たちが息をのんで固まるのがわかった。地下牢を出たときは百人近くいた味方たちも、戦えるものだけ連れてきてあとは安全なところで待機してもらっているので三十人ほどに減っている。しかしそれでも結構な数だ。人数が多いと、誰でも安心するものだ。

 それなのに、全員目を見開いて一点を見つめている。

 ジェイクは味方が凝視するその方向を追った。

 廊下の赤い絨毯を踏みしめて、堂々と一歩一歩近づいてくる、いかめしい顔つきの男。


「久しぶりだな、ずいぶんと偉くなったものだ。そんなに大勢引き連れて。……息子よ」


 レーヴェス国王はそういって、不気味な笑みを浮かべる。

 目の前に、いる。殺したいほど憎い男が。母をあんなに弱るまで追い詰めた冷酷で薄情な男が。

 槍を持つ手に力がこもる。手のひらに爪が食い込んで、血がにじんでいるかもしれない。それでも痛みを感じないほど、ジェイクは怒りでいっぱいだった。


「イーガーを見た時点で気づかんかったのか? 近くにわしがいると」


「臆病者が、こんなところまでのこのこ出てこれると思わなかったんだよ」


「ふ、まあいい。今、イーガーとお前のお気に入りの死神が対峙しているだろうが、そのうちイーガーは死神の首を持ってやってくるだろう。その時がお前の最期だ」


「お前の臣下なんかにあいつは殺せない」


 ジェイクの声は落ち着いてきていた。怒りが度を超えると、逆に静まってくるらしい。

 ジェイクの言ったことは挑発ではなく、本当に思ったことだ。ミルは強い。兵士たちのように、規則正しい訓練を積んできてあそこまで力をつけたわけではないだろう。あれは、まぎれもなく実戦で鍛えられた力だ。だからこそいつも迷いなく、冷静に剣をふるう。

 でも、人を傷つけるその顔は、決して晴れやかなものではない。

 今、ミルと対峙しながら笑っているイーガーのような残忍さはかけらもない。


「そんなに信じているのか? どこの馬の骨ともしれん小娘を。ならお前の首は処刑台にさらされているようなものだ、愚かなる息子よ。ここまで落ちぶれては、見るにたえんな」


 ――誰のせいで。

 抑えられていた怒りが、再びふつふつとわきあがってきて、頭を貫いたように思えた。

 気が付けば、国王の偉そうなまでに豪華なマントの襟をつかんで、ぎりぎりとしめあげていた。

 それでもなお、国王は薄い笑みを口に張り付けている。


「お前は知らないだろうが、『魔術書』はイーガーが持っている」


「!」


「あれは実は誰にでも使えるのだ。文字さえ読めればな。いろいろな使い方があるが、いちばんいいのは――洗脳か」


 魔術書が、本当にあったとは。

 ゆさぶりをかけているのか? いや、そんなことは重要じゃない。

 ミルが危ない。

 ジェイクは国王をしめあげていた手を乱暴に離して、廊下を走り出した。

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