ぼく、伯爵ぬこ
ある倉庫番の男が猫を飼っていました。
独身を貫いていた彼は、猫に餌をやり甘えられる度に心がほっこりしました。
けれどある日、男は心臓が止まって猫たちの世話をすることが叶わず……醜い姿なれどとても優しかった男の葬儀に、色んな人が悼む中、猫の存在は忘れられていました。
『おかあさーん、おなかすいたよぅ、おかあさーん』
猫はたくさんの子供を産んでいました。
まだ幼い子供たち。今まで母猫は安心して餌を調達していたので、男の死で忘れられた間、とても困ったのです。
しかも人間がたくさんどかどかと騒ぐので、母猫は警戒して動けません。だんだんお乳が出にくくなって、母猫は弱い子供をぺっと外に放り出して捨てたのです。
それは少しでも他の子供を生き残らせるため。悪ではないのです、でも―――捨てられた猫は母猫を恨み、恋しくて鳴くのです。
『おかあさーん……』
子猫は動けずに何度も鳴きました。
母猫に綺麗に舐められていた体は汚れ、兄弟の中でもたくさん食べる子であった子猫はやがてちょろちょろと歩いては草を齧ってみたり、蛙など小動物を追ってみました。運よく厨房に入り込んで食材やゴミを食べれたことも。
だけど小汚い彼は見つかると怒られて、箒で叩き出されます。しぶしぶと歩いていると、あの懐かしい故郷に戻れました。
「おう、お前ら仲良く食えよぅ」
新しい倉庫番の男が、母猫とちゃんと成長できている子供たちに餌を与えました。
捨て子猫は運の悪いことに、外に放り出されてやっと動き始めた頃に人間が猫たちの存在に気付いて餌やりを再開したのです……。
『おかあさーん!』
するりと開いていた戸に入り込み、子猫は昔のように母猫に飛びかかりますが、他の甘えん坊の子猫に数で苛められてしまいました。
たくさんの兄弟に追い出される形で外に出された捨て子猫は、未練がましく何度も振り返りながら倉庫から離れます……。
『おかあさん……おなかすいた……さむい……おかあさん……ごはん……』
子猫はとぼとぼと歩いていると、お城に潜りこめました。
……いえ、もともと子猫の住んでいるところは城の敷地内ですが。使用人の出入りしかない場所と違って、初めて見るところはお城の偉い人が歩く場所だけあって綺麗なものです。
子猫は何度も隠れながら城の中を進んで行きます。
冷えた廊下の角で甲冑や掃除用具の陰で寝たり、客室にこっそり紛れ込んで寝てみたり。まさに一つの冒険です。
でも飢えが最大の苦しみで、子猫はふらふらと夜の階段を上がると、とても良い匂いのする部屋を見つけたのです。
扉の隙間から暖かな空気が出てきて、ご飯の匂いもします。子猫は思わず扉に体を何度も押し付け、
『あけてあけて。ごはん ぼくもたべたい』
けれど中の人は変な声を上げると「いりあ――!!」と叫んだりばたばたして扉を開けてくれないのです。
やがて子猫は疲れてまた物陰で眠るけれど、あの匂いがするとまた何度も押しかけるのです。
すると、子猫はある人間に気に入られて、頬擦りされて匂いを付けられた後、その人間自らがお湯に浸した手拭いで子猫の汚れを落としてあげました。
目ヤニも取られ、栄養不足で曲がり気味の髭を撫でつけられ、子猫用の綺麗な皿で人肌に温めたご飯を貰いました。
『このにんげんが、ぼくのふたりめのおかあさんなんだあ……』
子猫用の寝床も貰ったけれど、子猫は拾ってくれた「お母さん」にくっついて寝るのが大好きです。
「名前はべーちゃんにしましょう」
「おま……ネーミングセンスが死んで蒸発してるな……」
「失礼な!」
「絶対子供の名づけに決定権をくれてやらないからな」
「いいですよ、私は私で勝手に呼びますからー!」
「そしたら子供が混乱するだろうが!」
子猫はよくお母さんに抱っこされています。
お母さんによく突っかかったりくっついてきたりする人間は子猫にあまり接触してこなかったけれど、お母さんが色々とこの人間に手を尽くすので偉い人間なのだと思います。
でも子猫はお母さんにしかこうまでぴったりと懐きません。いつもいつもお母さんの後を付いて行ったり、腕の中に居たり。バスケットの中でのんびり移動することもあります。
お母さんが葉っぱ弄りをしていると一緒になって土を掘ったり、縫い物をすればその布の上で寝てしまうけれど、子猫はとても可愛がられました。
元々甘えん坊だったので使用人にも甘えに行ったりしたけれど、誰も子猫を悪いようにはしません。それがとても幸せだったのでした。
「……イリア……いないなッ!」
そんなある日、子猫はお母さんに甘える人間に攫われてしまいました。
じたばたする子猫を籠に放り込み、だっと部屋から飛び出します。
子猫はあまりこの人間に可愛がられた記憶がないので、捨てられると思って一生懸命鳴いてはお母さんに助けを求めていました。
けれど抵抗空しく子猫はある部屋に連れて行かれ、でっぷりした人間の前に出されたのです。
「ほほぅ……これまた別嬪さんで…ふひひひひひ」
「おい、イリアに気付かれる前にやっちまえ」
「分かりました。…ほうら、怯えないでねー…くくくくく」
「にゃーっにゃーっ!」
にゅ、と出て来る道具に、子猫は驚いて悲鳴をあげました。
「ふふ…にくきゅう…にくきゅう……」
もみもみされて抵抗を封じ、更に爪を切られたり。
お腹をもみもみされ、冷えた何かを押し当てられたり。
目を引っ張られたり、口に指を突っ込まれたり……。
「はい、今の所大丈夫そうですよ…くひひひひ、よかったね、ぬこちゃん……」
「おい、これってどうやって付けりゃあいいんだ」
「首輪はこう、きっちり絞めないであげてください…ふひひひひ」
子猫は激怒しました。
でも、どんなに訴えても、あの人間にシャーってしても、お母さんはほっこりした顔であの人間の頭を撫でるのです。
『だまされてる!こうなったら ぼくがあのにんげんから、おかあさんをまもるんだ!』
そうして、猫は特訓に特訓を重ねました。
その合間に一生懸命ぬこパトロールをして、お母さんと眠るあの人間にくっついて暑さで起こしたり朝早くから耳元でにゃーにゃーはむはむして苛めてやりました。
「イリアー!この猫が俺にくっついてくるぞ!」
「まあ!よかったですねえヴェルンハルト様」
「ちょっと可愛いぞイリア!」
「ヴェルンハルト様、でもそれ、齧られてますよ」
「腹が空いたんだな!」
そんな敵だけれど、子猫はこの人間が最近、嫌いじゃないと思うようになりました。
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伯爵お猫様の出会いの話でした。
※拍手文がまた変なことになっているので今回は2p目を公開しています。




