13.青髭夫妻と熊さんとお嬢さん 二日目
「……んぅ…」
チチチ、と鳥の鳴き声がしたけれど、お嬢さんは聞かなかった振りをしてもぞもぞと温かい"もの"にぴったりくっつきました。
朝日を受けて銀の綺麗な髪が眩く輝くのを、誰かが指で追いかけている気がして―――お嬢さんはしょうがなくゆっくりと目を開き、
「ぐーてんもるげん!」
「ぐーてん……ぴゃああああああ!!」
悲鳴をあげて、お嬢さんは兎のように飛び退いて震えていました。
そしてあの夜、押し問答の末に(どちらがソファで寝るか、です)結局一緒のベッドで寝たのだと思い出したお嬢さんは、真っ赤になっては「あ」とか「う」しか出ない口に苛々します。
「よく寝れたみたいだね」
「は、は…ぃ」
「お嬢さんの寝顔可愛かったよ」
「」
「寝言も面白かったなあ」
「ね……わ、わたし、何て言ってました…!?」
「なーいしょっ」
「そんなっ」
子爵にからかわれているのも気付かず、お嬢さんは必死に「な、なんて言ったんですかー!」と子爵に詰め寄ります。
子爵は「うーんとねえ、」と勿体ぶって、
お嬢さんの泣きそうな顔に、近づいて。
「おい!!起きてるか!?」
「えっ」
「あっ」
「へ?」
着替え途中、という感じ―――そりゃそうでしょう、だってここは子爵の客室。気軽な格好で会いに来てもおかしなことではありません。
伯爵は跳ねた髪のまま、シャツとズボンというシンプルな格好で扉をノックも無しに開けて、ベッドの上の二人を口を開けて見つめていました。
やがてその視線は、お嬢さんの――サイズが大きすぎて、肩が露わになっているシャツ姿に。
「あ、あ、の。伯爵、その、こ、これは、えっと、」
上手い言い訳の思いつかないお嬢さんを放って、伯爵は子爵に嫌そうな顔を向けました。
「おい、俺の城で手を出すな。この客室はお前以外でも使うんだよ」
「あー、ごめんごめん」
「待って下さい!あの、わ、私テディさんと何もありません!か、匿ってもらってたんです!!」
「冗談も分からねーのか。……って匿う?」
伯爵が近づくので、お嬢さんは枕を抱いて少し退きます。
子爵は逆にベッドから足を下すと、前髪を手で梳いて代わりに説明してくれました。
「いやさ、幽霊が出たみたいでね。お嬢さんはとばっちりに遭ったというか。風呂と所々怪我してるから治療してあげて」
「ああ分かった。……じゃなくて幽霊!?ゆ、ゆゆゆゆゆ幽れ―――おい!まさかあの時お前があそこに居たのは……!」
「へ、部屋に出たんです……に、逃げた先で、…会ったけど、でもあの首は私を追いかけてきました」
「ば、ばばばばばば馬鹿言うな!こ、この城に悪霊が出る訳ないだろ!こ、この城は優良物件なんだからな!」
「そうだねえ。幽霊がいっぱい出るだろう的な意味で優良物件だねえ」
「テディ!!」
どうやら伯爵は幽霊が怖いようです……。
お嬢さんは笑えばいいやら同調すればいいのか、悩んではベッドから出るタイミングを探っていました。
ふと薄茶の髪が伯爵の背後に見えて、お嬢さんは「あっ」と声を上げると、
「ひいいいい!?何!?何よ!?」
「え、あ……イリア様、おはようございます…」
「おはよー」
「ええ、おはようございますリーゼさん、モントノワール子爵。……そしてその犬がビンタを喰らったような顔をお止め下さいませヴェルンハルト様」
「例え分かり辛っ!?…ていうか足音消して近づくな!」
「はいはい悪うございました。…そんなことよりもリーゼさん?いくらモントノワール子爵が温かいとしてもそんな薄着で寝るのは感心しませんよ。ほら、殿方はとっとこ出て行ってくださいまし」
「は、はあ…」
伯爵を押しやると、夫人はテキパキと侍女にあれこれと命じさせました。
子爵は「べーちゃんの所で着替えようかなー」とのんびり欠伸をし、伯爵はかまってもらえなくて寂しそうです。
―――そして朝風呂と治療の面倒を見てもらい、動きやすいエプロンドレスに着替えて髪を結ってもらうと、猫ちゃんのリボンを変えていた夫人が優しげに微笑んで朝食の席へ案内してくれました。
先に待っていた伯爵は「聞きたくない」と顔を伏せていて、子爵は「可愛いね」と御世辞を言ってくれます。
「―――さあ皆様、ご飯の前にちょっと大事なお話をしましょう」
「いっ、いやだ!ご飯先に食べよう!」
「いえね、ちょっとお台所で不祥事がありましたので、まあその間の時間潰しにでも」
本日は伯爵と御揃いの鮮やかな青と黒のドレスを着た夫人は、にこやかに「先ほどの怪我と部屋の惨状について聞きたいのですが」と尋ねます。
実はヴェルンハルト様もお嬢さんの面倒を見る侍女からの「部屋に居ない」+「椅子大破など」を聞いてすっ飛んで(子爵に確認をしようと)来たのです。
でも例の話を聞いて―――お嬢さんは鼻で笑われる覚悟で、正直にあの「怪奇・生首男」について語りました。
「…嘘と思われるかもしれません。でも本当なんです!子爵も見たんです!」
「いやー、夜中にお嬢さんの悲鳴が聞こえて吃驚したよ」
「ぅ、そ、そんなの幻覚だ!どーせ酔っぱらって暴れて深夜徘徊してたんだろ!」
「違――――」
絶対信じたくない伯爵に指差されても、お嬢さんは「違います」と真実を言い張ろうとしました。
子爵は頬杖を突いて、自分の番を静かに待っていて、夫人が組んだ両手の上に顎を乗せて溜息を吐くのに気付きました。
なんだか幼いその仕草のまま、夫人は。
「……やれやれまったく、"義父様にも困ったものです"」
―――時間が、止まりました。
子爵は夫人の苦労に苦笑い、伯爵は夫人が隠していた事実に口をあんぐり。お嬢さんは「あんな目に遭ってそれだけ!?」と夫人の肝の据わり具合に驚きました。
「ねえイリアちゃん、出てくるのってべーちゃんのお父さんだけ?」
「そうですね、前は女性も出てきましたが脅し返したら出てこなくなりました」
「お、おおおおお前!そ、そんなこと俺に言わなかったじゃんか!」
「ヴェルンハルト様の御心を大事にしたかったので」
「えっ」
「ヴェルンハルト様が日々幸せであることを願っていましたので。……けれど余所様に迷惑をかけるようじゃあ駄目ですね、任せてください、義父様はじご…天国に送り返すようにしておきます」
「どうやって!?」
「内緒です」
危ないことすんな!と早速イチャつき始めたご夫婦を見ていると、あの夜のキスシーンを思い出して―――お嬢さんは顔を背けて、赤くなった頬を一生懸命冷ましていました。
*
その後、殿方二人は狩に、お嬢さんは夫人との約束を果たしていました。
猫を抱いた(まったく大人しい猫ちゃんです)夫人をキャンバスに描くお嬢さんの、二人と一匹は和やかにこの時間を楽しんでいます。
「―――イリア様、あの、どうして私なんかに絵を……?」
慎重に描いていくお嬢さんは、ずっと疑問に思っていたことを口にしました。
だって、伯爵家とくればこんな特に抜きん出たものもない女を使う必要もなく、もっと上級な画家を頼んで煌びやかに出来るのですから―――
「………お母様との、約束だったんです」
「…え?」
懐かしむようなその顔に、猫ちゃんはすりすりと頬をすり寄せます。
お嬢さんは思わず手が止まったまま、夫人が口開くのを見つめていました。
「私、幼い頃にお母様に強請ったんです。"大人になった私の絵を描いてね"と」
「そ……なのですか」
「ええ。お母様はよく、家族の絵を描いてくれました。だけどそれは集合絵ばかりで。私だけを描いた絵が欲しかった。……ううん、」
「…?」
「私が大人になるのを、"生きて見届けて欲しかった"。それゆえの約束。お母様は勿論と頭を撫でてくれたけど、約束は叶いませんでした」
「……」
「お父様も、ヴェルンハルト様も。良い画家を呼ぼうと言ってくれたけど、私はどうしてもお母様がよかった。他の人に描かれるくらいなら、私の絵なんて無くていいとも。そしたら―――」
「そ、そしたら?」
「子爵の劇場に二度目のお邪魔をした時に、見せてもらったんです。……ふふふ、風景の表現は多少違ったけど、人物画の描写は母とほとんど似てて、とても吃驚したのですよ」
「……ご、ごめんなさい……」
「え?」
「その……私、アリア先生…あ、えっと、私が勝手にそう呼ばせて頂いているのですが―――まるで、アリア先生の名前に傷をつけるような、下手なくせに、勝手に真似しちゃって……」
俯くと、「まあ!ふふふ、」と夫人が何故か楽しそうな笑い声をあげて、優雅にお嬢さんに近づきました。
そしてお嬢さんに視線を合わせて、
「お母様も、いつか弟子をとるほどの画家になりたいと言っておりましたから。きっと天国ではしゃいでいますよ」
「そう……でしょうか?こんな未完成の絵ばかりしか描けないのに?」
「完成された絵などありませんよ―――さあさあ、母の代わりに約束を果たしてくださいな」
これ以上根暗な言葉を続ければ、きっと夫人は呆れ、また疲れるでしょう。
お嬢さんはどうあがいても夫人のように強くはなれないけれど、まずこの後ろ向きな態度から直そうと決めて、――静かに息を吸って、筆を持ち直します。
(わたしが、アリア先生の代役―――)
それが叶うやもしれないと、アリア夫人のご息女の御眼鏡に適ったのだから。
ゆっくりと目を開くと、キャンバスの向こう、椅子にゆったりと座り猫ちゃんを膝に乗せる夫人が見えます。
夫人は、今まで伯爵と結婚した女性の中でも際立って美人ではありませんが、その心の輝きが偽りのない魅力を放っています。
それでいて、伯爵と話している夫人はとても幸せそうなのです。まるで幸せの頂きにいる花嫁のような美しさ―――これを表現するのはとても骨が折りそうですが。
(とても、やりがいがある)
お嬢さんは、気合を入れて、色を付けました。
*
「―――しっかしまー、べーちゃんの前の馬、荒馬になっちゃって」
「イリアがスピード狂だからあんなになっちまったんだよ―――おら娘ども!狩ったぞ!」
「べーちゃんがイノシシ仕留めたんだよー」
「……、お前が脳震盪起こさせたイノシシを狩とっても全然誇らしくないわ」
「えー」
などとあれこれ言い合っていると、夫人は微笑を浮かべて「お帰りなさいませ」とスカートを摘まみ、お嬢さんは子爵の熊っぷり(服が破れてます…)に開いた口が塞がらぬ状態でした。
「お、怪我、は……?」
「ないよー?」
子爵がのんびりと答えるのに、お嬢さんはムッとした顔で言いました。
「うそつき」
…というのも、泥を落としたばかりの子爵の手に、赤い線がいくつか見受けられたからです。
お嬢さんは滲みつつあるその傷の上に綺麗な白いハンカチを押し当てて、もう一度「うそつき…」と頬を膨らませました。
子爵は珍しく慌てた後、何度か「ごめんね」と謝りましたが効果なし。…まあ、怪我をしたのは子爵ですから、意味はありませんよね。
困り果てた子爵をニヤニヤと見ていた伯爵ですが、まあ助けてやろうと思ったのか話題を変えます。
「イリアの絵もまあまあじゃないか。…指輪はもうちょっと大きめに描け」
「了解しました」
「ふん、この調子で頑張ってくれたら夫婦の絵も頼むかもな」
「………―――えっ!?」
「あら、いいですねえ。私、お母様に夫婦絵も頼みたかったんですよ」
「にゃーん」
膨れていたお嬢さんも、まさかの話に驚いてわたわたと手を動かしたあと、縋るように子爵を見上げました。
きゅ、と袖を掴む姿が泣きそうな子供のようで、子爵は困っていたのも忘れて微笑みます。
「いいんじゃない、お嬢さん。……今度は俺の絵も描いてもらおうかなー」
「て、テディさんまでっ」
裏切られて怒るお嬢さんに手を伸ばし―――子爵は、お嬢さんがこのまま怪我の事を思い出さないうちにと主導権を握ってしまいます。
現在処理中の昼食を食べようと担ぎ上げて(当然ながらお嬢さんは驚いてじたばたと暴れました)、四人と一匹は豪快なお昼を楽しんだのです。
「……なんか、上手く丸め込まれた気がします……」
「気のせいだよー。ほら、お嬢さん肉食べて肉」
「………」
「ほぉーら見てみろイリア!どうだ、グロいだろう!?怖いだろう!?」
「ヴェルンハルト様、そこはまだ焼けてないですよ」
「にゃーん」
「なんだよおおおお!もうちょっと可愛げのある反応しろよー!あと頭齧ってんじゃねーぞ猫!」
とても、楽しいお昼でした。
*
子爵はお嬢さんが不機嫌になったりして「嫌い」って言われるのを一番恐れてたり。
これで宿泊編は終了、次回はドロドロし始めます。




