12.怪奇!青髭城!!
※ホラーもどきですが注意
湯浴みから自室に戻ったお嬢さんは、足は羽でも付いたかのように軽いのに、濃い一日のせいで疲れてソファで眠ってしまいました。
けれどやはり寝心地が悪かったのか、二時間ほどで目覚めてしまったお嬢さんは、水で喉の渇きを潤してから再度眠りに付こうと水差しに手を伸ばし、
―――だん。……だんっ、だん……。
落下音、でしょうか?
寝ぼけたお嬢さんはよく考えずにカーテンを開けると、ほんのり滲む月明かりに安心して笑みを零しました、が。
「オ前はだぁぁぁぁぁれだあああああんんん???」
べちゃっ。
顔を、硝子にこれでもかと押し付けた、髭の長い男、の顔が。
ニタニタ笑いながら、固まったお嬢さんの手を、硝子越しにべたり、と厭らしく舐めました。
「ひっ……きゃああああああああああああああああああ!!!」
汚されたような気がして、お嬢さんはまるで火傷したかのように素早く手を庇うと、尻餅を着いて口をパクパクと魚のように動かします。
男の首はごりごりと硝子に頭を押し付けて、下卑た声で言いました。
「オマエ、お前は私の可愛いヴェルンハルトの何か?買われた身か?愛人か?二人目の妻かぁぁぁんん?」
「ぁ、ぁ……ち、が……」
「貴様は何だ。この城の何なのか。何者だあああああああああああああああああ!!!」
どんどん硝子から頭を入れてくる男に、後退りしていたお嬢さんは耐えきれずに何度か失敗しながらも不恰好に走り、扉に手を伸ばしてガチャガチャと捻ります。
鍵なんてかかっていないのに、何故か開かない―――歯をガチガチ鳴らしながら。お嬢さんはついに扉を殴りつけました。半狂乱で何度も、何度も。
「無駄だヨおおおん?開かないぞおお?」
「開けて、誰か開けてぇぇぇぇ!!!誰か、誰か!!」
「お前はなかなか愛いなあああ?くひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「誰か―――あああああああ!!!」
ここで一度目の"ぷっつん"がきてしまったお嬢さんは、火事場の馬鹿力と言いましょうか、椅子を振り上げると、ブンッと扉に投げつけました。
椅子は大破しましたが扉は見事開放―――し、気が緩んだ一瞬、背後でゴロゴロと転がっていた首は、口を大きく裂いて、
「よぉぉくも私の城を壊したなあああああああああああああああ!!!」
「ひっ……きゃああああ!!」
叫ぶ割には、折れた椅子の足で迫ってくる頭を殴りつけることに成功したお嬢さんは、半狂乱で冷えた廊下に飛び出します。
しかしながらお嬢さんは運動音痴ですので、足は鈍いのです。……背後で、あの頭がわざとお嬢さんの速さに合わせて追いかけてきます。
(あ、ああ、どうしよう、考えもせずにこっちに……!!)
左に行けば、夫人たちが居たのに。―――お嬢さんはもつれる足のせいで角を上手く曲がりきれずに転がると、ぬちゃりとした感覚が足から伝わって。
恐る恐る、目を向けると。
「うひゃああああ若いなあ生き生きしておるなああああ!生娘の味がするぞおおおお?」
お嬢さんは、言葉にならぬ絶叫を上げました。
暴れに暴れ、お嬢さんの踵が男の目に運よく当たると、男は「くっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」と転がるだけ。
夜の廊下で銀の綺麗な髪を乱れさせ、お嬢さんは必死で助けを求めました。
「楽しいなあ楽しいなああああ!!ほぉらもっと奥だ、奥に行け!!お前の仲間がぶら下がってるぞおおおおおおおお!!!」
「は、ぅ、ぅぅぅ……!」
「んんん?そっちでいいのかああ?本当にそっちでいいのかなああああああ?」
「あうっ!!」
ゴロゴロとお嬢さんの足にじゃれついたせいで、お嬢さんは無様に何度目かの冷えた床を味わいました。
それでも這いずって先を進むと、あの男が急に「あっ」と声を漏らし、消えまして。
(……き、消え、た……?)
何とか立ち上がり、人の声が近づくのに安心して、お嬢さんは急いで寝間着の汚れを落とし、髪を手櫛で整えました。
そして静かに声の方に進むと。
「……―――ん、」
何ということでしょう。 伯 爵 夫 妻 の キ ス シ ー ン に立ち会ってしまいました。
伯爵の上着を肩に羽織る夫人の腰をそっと抱き寄せ、優しく髪を梳いて。
……こんな非常事態なのに、お嬢さんは思わず頬を真っ赤にして動けずにいました。
「……ん?―――~~ッ!?」
「え、何……あばばばばばリーゼさん!?」
「あ、あの……えっと、わ、わざとじゃなくて、あの……!」
「お、おおおおおま、これ、あの、……夫婦だから!!」
「は、う、はい!そうですね、ご夫婦ですものね!」
「そ、そうですよ、夫婦ですから!おほほほほほ」
三人でぎこちない笑いの合唱をしますと、お嬢さんは先ほどの恐怖体験も忘れ、螺子の切れそうな人形のように踵を返し、
「お、おおおお、おやすみなさいませ!!」
「あ、ああ!良い夢を!」
「かっ体冷やしちゃ駄目ですよ!」
そうしてお嬢さんが角を曲がると、「だからお迎えに行きたくなかったんですよー!」とか、「一人で部屋に帰ると怖……寂しいだろっ」と仲良く言い合う声が聞こえます……お嬢さんは小さくため息を吐きました。
(つかれた……きっとあれは夢だったんだわ……)
それは、走って戻れば人が居る、という安心感から来たのかもしれません。
お嬢さんは隙間風に思わず肩を跳ねると、足早に客室に戻ろうと、
「楽しかったかなあああああんんん?」
俯いていた顔を、ふと、上げたら。
「あ、あ……!いやあああああああああああああああああ!!!」
自分の顔、数センチ先に浮かぶあの男の首に、お嬢さんは思わず手刀を叩きつけました。
一気に悪夢が迫って来て、お嬢さんはいやに冷えた足で伯爵夫妻の元へ戻ろうと振り向きます―――が、いつのまにか頭が跳ねては通せんぼをしていて。
(そ、だ―――テディさん!テディさんなら!!)
確か、子爵はお嬢さんの客室と伯爵夫妻の部屋を挟んだ向こうにあるのです。
幸いにも逃げ回ったこの先、あの絵画には見覚えがあります。あの絵画の先の角を曲がると、子爵の部屋があるのです…!
「て、でぃ、さ……!」
たすけて。
―――お嬢さんが絵画を目指して走り、思わず手を伸ばすと。頭の男はお嬢さんの無防備な背に体当たり(というのも変ですが)したのです!
哀れあと少し、という所で転がり、背に乗っかられたお嬢さんは、「いやっ、テディさああん!!」と叫んで身を捩りますが、軽々と跳ねていた男は岩のようにどんどん重くなります。
ああもう駄目、とお嬢さんが苦しい息を吐くと。―――ばたん、と音がして。
「伏せて!」
大人しく従うと、風を切るような音と、ぶちゃ、という音。次いで硝子の割れる音―――
「……大丈夫かい、お嬢さん?」
「て……てでぃしゃあああんんん!!」
わんわんと泣きながら抱きつくお嬢さんが、とても際どい格好をしていたことに気付くのはとても時間がかかりました。
*
「はい、どーぞ」
「あ、ありがとうございます……」
あの後、恥を忍んで子爵の部屋にお邪魔したお嬢さんはあまりの汚れっぷりに着替えることになりました。
けれど服を取りに戻るのも怖い、侍女に頼むのも申し訳ないし危ない目に遭わせてしまうかもしれないと考えたお嬢さんは。
「あ、あの……すみません、これ……」
「ん?気にしないでいいよー」
子爵が余分に(なんでも、力の加減を誤って釦を千切ることもあるらしいのです…)持って来ていたシャツを借りたお嬢さんは、くすんと鼻を鳴らして手の中のミルクに息を吹きかけます。
(……ぬるい…)
机を見ると書類があります―――仕事中だったのでしょうか。
この一口も付けられていないミルクも、本来は子爵が飲むはずの物だったのでしょう…ああ、でも。
(ホットミルク、飲むんだ………)
だからあんなに大きいのかな、とか。ちょっと可愛い、なんてほっこりしていると、子爵は水差しの水で濡らした手拭いを片手にお嬢さんの汚れた足を持ち上げました。
「きゃあ!?」
「ああ、ごめんごめん…でもここ、怪我してるみたいだから」
本当はお湯が良いんだけどねえ、と扉を見る子爵に、お嬢さんはブンブンと強く首を振りました。……今、あの扉を開けたら悪夢が再来しそうです……。
「痛かったら言ってね」
はい、トントンしますよー、と子供をあやすような子爵に、お嬢さんは思わず「あっ」と思い出して、
「ま、待って下さいテディさん、あの、……そっちの足、舐められちゃって、あの…!」
汚いので触らないで、と言おうとしたのを遮って、子爵は「ちゅ、」と足先にキスをして。
一瞬で真っ赤になったお嬢さんに、「怖かったねぇ」と微笑みかけるものだから、お嬢さんは思考停止して頷くことも出来ません。
子爵はしばらくお嬢さんの足を丹念に拭くと、未だ固まったままのお嬢さんに謝りました。
「へ……?」
「まさか、べーちゃんのお父さんが化けて出るとは思わなかったんだ。…ごめん」
その言葉に、お嬢さんはもう一度「え?」と呟いて。
「どういうことですか…?」とカップを握ったまま尋ねました。
「……伯爵のお父様。……どうして―――?」
「んー、なんていうか、ちょっと複雑で、お嬢さんに聞かせたくない話も多いんだけど」
「……?」
「……べーちゃんのお父さんはねえ、……うん、女の子みたいな顔でね。……」
―――つまり、伯爵の父君の説明を致しますと、こうです。
元々女顔だった伯爵の父君は伯爵の祖父様に"苛められて"いたそうです。祖父様は男らしい方だったそうですが……。
その伯爵の父君は髭を伸ばしたりして、結婚をする頃にはまあ、髭が目立って女顔と笑われることもなく。……けれどご自分の(誰にでもあろう)"女らしい面"を心底嫌悪した父君は、何度も離婚と再婚を繰り返したそうです。
他の貴族がグレーフェンベルク家に眉を顰める中、唯一仲の良かったのがあの、子爵の父君で、
「……べーちゃんのお父さんは、俺の父さんが好きだったんだ」
「ふぇ!?」
「いやー、よく母さんが笑顔で『撃退するの大変だった』って言ってたなあ」
逞しく、物静かで熊のように大柄な、子爵の父君。
幼い子爵に夫人は「憧れてた」と濁していたけれど、真実は「愛していた」のかもしれません。……まあ、本人に聞かねば分かるまいことでしょう。
非の打ち所のない夫人と大変仲の悪かった伯爵の父君は、やがて伯爵が産まれて父になりました。
するとどうでしょう、自分に似て中性的な顔立ち、甘えん坊な伯爵を、父君は溺愛したのです。
それは親としての愛だったのか。自分を重ねて、幸せにしたいと思ったのか。それとも―――その答えは、父を殺した伯爵の剣が物語っています。
「でもなあ、今までべーちゃんと結婚してきた人はこんな目に遭わなかったんだよ。だから、……まさか化けて出るなんて」
「わ、わたし……伯爵の、あい…二人目の妻か、とか。色々聞かれました……」
「たぶん、今の幸せな息子夫婦を見て寂しくなって。……いや、そしたらイリアちゃんに被害が―――うーん、」
ぶつぶつと呟きながらも、子爵の手は綺麗に包帯を巻いていきます。
(……なんだか、お貴族様って、大変なのね……)
泣き虫な私には似合わない―――そうお嬢さんが俯くと、子爵はポン、とお嬢さんの頭に手を置いて、わしゃわしゃと撫でました。
「俺が守るよ」
見透かされたような、その言葉。
お嬢さんは目を見開くと、…徐々に頬を赤く染めて、何か言おうと、オロオロしていたら。
「―――俺は幽霊とか全然平気だから、だーいじょうぶだよ」
「…え?」
「えっ?」
きょとんとした子爵の顔が可愛くて、想像を裏切られたお嬢さんは噴出してクスクスと笑いました。
いつもは傍からしか香らない子爵の匂いが、自分から香ることをとても嬉しく思いました―――。
「……そういえばお嬢さん、そのシャツって巷では何ていうか知ってる?」
「え…?あっ、な、何か流行の物ですか…?すいません、あとで弁償します…」
「いや、そうじゃなくて。この状態の意味知ってる?」
「え……か、借りてます?」
「…ぷっ、はははは!お嬢さんは可愛い人だなあ!」
「え、ええ!?」
「ぷふっ、うん、お嬢さん、」
「は、はいっ」
「俺以外からシャツ借りちゃあ駄目だよ」
「え……?わ、かりました…」
*
拍手文更新しました!




