帰って来た『まだ見ぬ風の吹く場所で』
いま書き上げました。
シャンパンの泡を眩しそうに見つめていた西田が、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて思い出したように言った。
「なあジョー、覚えてるか? 俺たちが国道41号線をツーリングしてた時のこと」
「41号線……ああ、愛知と岐阜の県境あたりか」
「そう。あの時、気まぐれでバイクを止めて立ち寄った『日本モンキーセンター』だよ」
思い出すだけでも懐かしい。当時は二人とも、どこへ向かうとも決めずに風の向くままバイクを走らせていた。
道路脇に見えたサルの案内看板につられて何の気なしに立ち寄ったのだが、そこはまさにサルの超絶パラダイスだった。
想像を遥かに超えるサルの種類数に圧倒され、園内の案内板でさらに驚くことになる。
敷地内に隣接しているのは、なんと二人の母校である京都大学のヒト行動進化研究施設だったのだ。
学術的なにおいとサルの熱気にすっかり魅了され、即座に「よし、今日はここに泊まろう」と満場一致。近くで宿を取り、2日連続で朝から晩までサルを鑑賞し倒すという異例の旅程に変更したのだった。
「そういえばさ、あの旅から帰ってからモンキーセンターのことを調べたら、面白いことが分かったんだよ」西田が思い出したように指を立てる。
「昔の特撮の『ウルトラセブン』でさ、モンキーセンターがロケ地になってて、サルの宇宙人が出てくる放送回があったんだってさ」
「本当か?」
思わず身を乗り出した。
「おい西田、それ記憶は確かか? 初代マンとか、帰ってきたウルトラマンとか、エースじゃなくて、本当に『セブン』なんだな?」
「……どんだけウルトラシリーズに詳しいんだよ」
私の食い込みぶりに、西田は半ば呆れ顔でグラスを傾けた。
「そこはどうでもいいだろ! とにかく、あのモンキーセンターは特撮ファンにとっても聖地だったってことだよ」
「まあいいや」と西田は喉を鳴らしてシャンパンを飲み干すと、話を本題に戻した。
「あの『マダガスカル館』の圧倒的な固有種の数々……あれを見ちまったら、マダガスカル島に行ってみたくなるのも時間の問題だったな」
「間違いない。そしてあの時、お前が余計なことを言い出したんだ。『よし、俺たちの推しサルを決めよう』ってな」
西田は満足げにうなずいた。
「俺の推しは、やっぱりアイアイだね。童謡だと『お目めが丸いよ、しっぽが長いよ』なんて可愛らしく歌われてるくせに、本物はどうだ? 深夜の闇に浮かぶ悪魔みたいな恐ろしい顔つき、商売道具のあのかさついた小枝みたいな不気味な中指! あのギャップに萌えない男がいるか?」
「萌えの基準が歪みすぎだろ。怪奇映画の怪物じゃあるまいし」
「失礼な! あの指で木の幹をコンコン叩いて虫を探す姿は、熟練の職人芸だぞ。……で、ジョー、お前の推しは?」
「言うまでもなくワオキツネザルだ」
胸を張ってシャンパンを一口含んだ。
「冬場、寒さに弱い彼らのために電気ストーブが置かれるだろ? あの前にちょこんと座って、拝むように両手を広げて温まっている姿……あの無防備さと愛くるしさには勝てん。あれこそが萌えの至高だ」
「お前の萌えも大概わかりやすいけどな」
そんな思い出話をしながら熱弁を振るっていると、カートを押したフライトアテンダント(FA)が、上品な笑顔で私たちのシートへと近づいてきた。
「失礼いたします。お食事の前のアペリチフとおつまみをお持ちいたしました」
トレイには色鮮やかなカナッペやナッツが並んでいる。グラスにワインを注いでもらいながら、西田が何気なく「ありがとうございます。実は僕たち、現地に着いたら『推し猿』に会いに行く途中なんです」と話しかけた。
すると、それまで完璧な接客スマイルを保っていたFAの目が、一瞬で爛々と輝いた。
「……いま、『推し猿』とおっしゃいましたか?」
「ええ、まあ。アイアイとワオキツネザルなんですけど」
FAはサッとカートを固定すると、一歩身を乗り出してきた。洗練された胸元のネームプレートが揺れる。
「素晴らしい選択です! しかしお客様、マダガスカルの魅力はそれだけではありません。もしよろしければ……私の『推し猿』も熱弁させていただけないでしょうか?」
「え、あ、はいどうぞ……?」
思わぬ展開に毒気を抜かれた私と西田を前に、FAは両手を胸の前で握り締め、うっとりとした表情で語り始めた。
「私の推しは、断然ベローシファカでございます!」
「シファカ! あの木から木へ飛ぶやつか?」
「左様でございます! しかし彼らの真骨頂は『地上』に降りた時なのです! 長すぎる後ろ足の構造ゆえに普通に歩くことができず、両手を高々と頭上に掲げながら、横飛び——いわゆる『ハイテンションなサイドステップ』で移動するのです! あの優雅かつシュールなステップを目撃した瞬間、私の心はマダガスカルに奪われました……!」
静かなビジネスクラスの機内に、FAの情熱的なポエトリーリーディングのような声が響き渡る。
「……えーっと、お仕事は大丈夫ですか?」
「あ、申し訳ございません! つい熱くなってしまいました」
一瞬でプロの顔に戻ったFAは、深々と一礼すると「では、素敵な『推し活旅』になりますように」と爽やかに去っていった。
残された私と西田は、顔を見合わせて苦笑した。
「おいおい……世の中には上には上がいるな」
「ああ。一番の旅先なんて決められないのと同じで、『一番の推しサル』を決めるのも一筋縄じゃいかないらしい」
眼下に広がる雲海を眺めながら、私たちは再びグラスを掲げた。
飛行機はまだマダガスカルに着いていない。まだ見ぬ島への胸の高鳴りは、高度一万メートルを遥かに超えていた。
(つづくのか?)
眠いですね。
★を!




