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空の結び目  作者: 夕花


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 アラームの少し前に目を覚まし、枕元のスマートフォンの画面をつけると、設定した時刻まではまだ数分あった。普段ならもう一度目を閉じるところだが、今日はそうする気にならなかった。


 千綴は布団の中で一度だけ天井を見上げてから身体を起こした。窓の外はまだ朝の色が薄く、カーテンの隙間から入る青白い光にも部屋の空気にも、夜の冷たさが残っている。アラームを止めて立ち上がると足元から冷たさが伝わり、肩をすくめながら暖房を入れて洗面台へ向かった。


 顔を洗ったあと、コップへ水を注いで一口飲む。髪を整えて着替えると、上着へ袖を通す左腕もいつも通り上がった。もう痛みはなく、少し前まで無意識に庇っていたことも、動かしたあとで思い出すくらいだった。


 鏡の前で襟を直してから、机の上の鞄を開き、昨夜まとめた手荷物をもう一度だけ確かめた。確認を終えたところで、スマートフォンが震えた。画面にはグループチャットの通知が出ている。


『起きた』


 環らしい一言に、千綴は少し笑う。続けて別の通知が入った。


『こっちも準備できた』


 今度はヴァシリオスだ。千綴も短く返事を打つ。


『私も起きてる。予定通り行くよ』


 送信してから、朝食を軽く済ませた。


 食器を洗って戻し、火元と蛇口、窓を確認する。三日空けるぶん、戸締まりだけはいつもより少し念入りに見た。


 最後に鞄を肩へ掛け、鍵を持ったことを確かめて玄関を出た。





 外へ出た瞬間、冷たい空気が頬に触れた。


「寒……」


 息を吐くと、白くほどける。朝の丘平はまだ静かだった。住宅の窓には灯りのついている部屋がまばらにあり、遠くの道路から車の走る音だけが続いている。


 千綴は上着の前を少し寄せ、駅へ向かって坂を下りた。

 制服ではなく、教科書も持っていない。普段なら登校時間に歩くことのない道を、この時間に駅へ向かっている。それだけでも、いつもの朝とは少し違っていた。


 坂を下りながらスマートフォンを見ると、綾乃からも起きたという連絡が入っていた。


 悠司はまだ何も書いていない。


 ただ、既読はついている。


 千綴はそれを確認して画面を閉じた。


 駅が近づくにつれて人が増えていく。通勤へ向かう大人たちに混じって、旅行用らしい小さな鞄を持った同じ学校の生徒も何人か見えた。制服ではないせいで一瞬分かりにくいが、顔を見れば知っている相手もいる。


 丘平駅の入口が見えたところで、柱の近くに立つ環を見つけた。首元まで上着を閉じ、片手に鞄を持ったまま、眠そうな顔でスマートフォンを見ている。千綴が近づくと、環が顔を上げた。


「おはよう」


「おはよう。待った?」


「今来たとこ」


 環はそう答えて、小さくあくびをした。


「眠そうだけど」


「起きるのと、眠くないのは別」


 千綴は笑って、その隣に並んだ。改札の向こうでは、朝の電車が到着する音が響いていた。





 環と改札を抜けてホームへ下りると、ほどなく電車が入ってきた。朝の通勤時間らしくそれなりに人はいるが、身動きが取れないほどではなく、二人で乗り込むと暖房の効いた車内で冷えていた頬がじわりと緩んだ。少し離れたところで、ヴァシリオスが手を上げる。


「おはよう。こっち」


「おはよう」


「おはよう」


 座席の端にいたヴァシリオスは、二人が近づくとすぐに立ち上がった。


「タマ、座るか?」


「いいの?」


「眠そうだし」


「じゃあ、ありがとう」


 環が空いた席へ腰を下ろし、千綴とヴァシリオスは、その前に並んで立った。


 電車が動き出し、吊革が揺れ、窓の外の景色がゆっくりと後ろへ流れ始めた。


「今日は晴れてよかったな」


 ヴァシリオスが窓の外を見ながら言う。


「沖縄も今日は大丈夫そうだよね」


「ああ。明日も今のところ雨はなさそうだ。海沿いは少し風があるみたいだけど」


「二日目は外を歩く時間長いし、そのくらいなら予定通りかな」


「そうだな。雨なら順番変えるつもりだった」


 ヴァシリオスの鞄の口から、見覚えのあるノートの端が覗いている。


「そっちも考えてあるんだ」


「時間決まってるからな。現地で全部考え直すよりはいいだろ」


「確かに」


 千綴が返すと、ヴァシリオスの口元が少しだけ緩んだ。環も座ったままそれを見上げた。


「楽しみなんだね」


「そりゃ楽しみだろ」


 間を置かずに返ってきた答えに、千綴も少し笑った。


 次の鏡峰駅を告げる放送が流れた。乗る電車も車両も乗車位置も昨日のうちに合わせてあり、減速する電車の窓から、決めた位置に立つ綾乃と悠司が見えた。


「あ、いた」


 綾乃もこちらに気づいたらしく、小さく手を上げる。


 電車が停まり、扉が開いた。


 先に降りる人の流れが抜けてから、綾乃と悠司が乗ってくる。


「おはよう、ちづる」


「おはよう、綾乃」


「西園寺さんも、中村くんもおはよう」


「おはよう」


「おう」


 悠司も四人へ軽く手を上げた。


「おはよう」


「おはよう、悠司」


 扉が閉まり、五人を乗せた電車がまた動き始める。そのまま、羽田の方角へ進んでいった。





 何度か乗り換えながら、電車は都心を抜けていった。途中からは同じ学校の生徒らしい姿も少しずつ増えていく。見覚えのある顔を見つけては軽く手を上げたり、別の車両へ乗っている友人にメッセージを送ったりしている。五人も話したり、窓の外を見たりしながら過ごした。やがて車内放送に空港の名前が混じり始める。


「もうすぐだね」


 綾乃が言った。


 千綴はスマートフォンで時刻を確かめた。集合時間にはまだ余裕がある。画面を閉じて窓へ目を戻すと、電車が地下へ入り、外の景色が暗くなった。しばらくして目的の駅に着き、扉が開くと、車内の人の流れが一気に動く。


「行こっか」


 千綴たちもその流れに混ざってホームへ降り、改札を抜けて天井の案内表示に従い通路を進んだ。キャリーケースを引く音や開いている店からの声が重なり、朝でも人の流れは駅の外とはまるで違う。エスカレーターを上がって広い出発ロビーへ出ると、ヴァシリオスが周囲を見回した。


「朝でも人多いな」


 千綴は栞を開き、集合場所の番号を確認した。


「この先みたい」


 綾乃が隣から覗き込む。


「柱の番号、あれじゃない?」


 綾乃が指した先に、見慣れた教師の姿があった。その周囲にはすでにかなりの生徒が集まっている。私服姿ばかりで、一般客の間に入ると学校の集団という境目が少し分かりにくい。


「あ、山田先生いる」


 綾乃が言う。


 千綴たちもそちらへ向かった。教師の近くにはクラスごとの簡単な表示が出されており、生徒は到着した順に自分のクラス側へ分かれている。


「じゃ、俺こっちだな」


 悠司が足を止めた。


「あとでね」


「おう」


 悠司が軽く手を上げて離れ、千綴たち四人も自分たちの列へ向かった。担任は別の生徒の名前を確認して名簿に印をつけてから、顔を上げた。


「おはようございます」


 千綴が先に声をかける。


「おはよう。弥生も来たな」


「はい」


 担任はそのまま四人を見て名簿へ視線を落とし、確認を終えて次の生徒へ目を向ける前に言った。


「まだ時間あるから、この辺から離れすぎないように。トイレ行くなら一声かけてくれ」


「はい」


 四人は列の後ろへ回った。周囲では、到着したばかりの生徒同士が朝の挨拶を交わしている。


「何時に起きた?」


「眠い」


「機内で寝る」


 そんな声があちこちから聞こえてくる。私服姿の生徒たちは、普段の校内とは少し印象が違って見えた。少し離れたところで、教師の一人が声を上げた。


「そろそろクラスごとに並んでー。このあと移動するぞ」


 話し声が少しずつ収まり始めた。千綴たちも列へ入り直した。





 担任の指示で列がゆっくり動き始め、千綴たちのクラスも前に続いて出発ロビーを横切った。保安検査場へ向かう途中で別のクラスの列と交差して悠司も見えたが、向こうも移動中なので、目が合ったところで軽く手を上げるだけに留めた。


「このままクラスごとにまとまって行くぞ」


 前方の担任にそれぞれ返事をしながら検査場の入口へ進むと、列は順調に流れていた。前の生徒に倣って千綴も鞄をトレーへ下ろし、スマートフォンや財布をまとめて、ポケットと身につけたままのものを確かめる。検査を抜けた先で鞄を受け取り、少し進んだところで綾乃たちを待った。


「終わった」


 綾乃が言う。


「終わるとあっという間だったね」


「待ってる間の方が緊張したかも」


 綾乃が鞄を肩へ戻し、千綴も鞄の口を閉じた。少し遅れて環とヴァシリオスも合流し、四人でクラスの列へ戻った。搭乗口への通路に並ぶ飲み物や軽食、土産物の店を横目で見ながら進んだ。


「帰り、時間あったら見たいな」


 綾乃が土産物の棚へ目を向ける。


「そのときゆっくり見よ」


 やがて、目的の搭乗口が見えてきた。周辺にはすでに同じ学校の生徒が何組か集まっている。座席は一般客も使っていて、空いている場所には生徒が二人、三人と分かれて腰を下ろしていた。立ったまま話している生徒も多い。千綴たちも人の流れを邪魔しない場所まで移動した。


「搭乗始まるまで、まだ少しあるね」


 綾乃が時刻を見る。


「うん。しばらくここで待機かな」


 千綴も栞を閉じた。少し離れたところでは、悠司のクラスも同じ搭乗口付近へ集まってきていた。悠司がこちらに気づき、今度は近くまで来る。


「そっちも終わったか」


「うん。今来たところ」


「こっちも」


 悠司は周囲を見回したが、近くの席はほとんど埋まっている。


「俺は立ってるよ」


「私たちも今はそうしてる」


 千綴が答える。


「じゃあこのままでいいか」


 悠司はそのまま近くに立った。


 五人がまた同じ場所に揃う。


 窓の向こうでは、白い機体がゆっくりと動いていた。


 地上の車両がその周囲を行き交い、少し離れたところで別の機体が滑走路の方へ進んでいく。


 綾乃は窓際へ少し寄り、動いていく機体を目で追った。千綴も同じ方を見る。ヴァシリオスも窓の向こうを追うように視線を動かし、環は少し離れた空席を見つけると、そちらへ座りに行った。搭乗口の周囲には、その後も同じ学校の生徒が少しずつ増えていく。教師たちはクラスごとの位置を確認しながら、通路を塞がないよう何度か声をかけていた。


 やがて搭乗開始を知らせる案内が流れ、周囲の生徒たちが荷物を持ち直し始めた。





 教師たちも生徒へ声をかけた。


「クラスごとに順番で行くぞ。呼ばれるまでそのまま待っててくれ」


 立ち上がった生徒たちが、鞄を持ったまま少しずつ位置を詰める。


 千綴たちも列の中へ戻った。


 前のクラスから順に搭乗口へ進み、しばらくして自分たちの番が来る。


 搭乗券を確認され、そのまま通路へ入った。


 窓の外に見えていた機体が近づき、やがて視界のほとんどを白い胴体が占める。


「近いと大きいね」


 綾乃が前を歩きながら言った。ヴァシリオスも窓の向こうへ一度目を向ける。環はその後ろで、列に合わせてゆっくり歩いていた。機内へ入ると、すでに前方の席には何人かの生徒が座っている。頭上の収納棚へ鞄を入れる者、足元へ収める者、座席番号を見ながら通路で一度止まる者。列は少しずつ進んだ。


「ここだ」


 ヴァシリオスが座席番号を見上げる。


 千綴たちの席は前後二列に分かれていた。


 千綴と綾乃が同じ列。


 そのすぐ後ろに環とヴァシリオス。


 悠司の席は別クラス側で、そこからは少し離れていた。


「ちづる、窓側どうする?」


 綾乃が聞く。


「綾乃でいいよ」


「いいの?」


「うん。私、どっちでもいいし」


「じゃあもらう」


 綾乃が嬉しそうに窓側へ入るのを待って、千綴も通路側へ座り、鞄を足元へ収めた。後ろの窓側に座った環は、もう外を見ていた。


 それぞれが席に着いていくうちに、通路の人影も少しずつ減っていった。千綴はシートベルトを締める。前方から流れる案内に合わせて、周囲でも同じ音がいくつも重なった。窓側の綾乃は、外で動く車両や係員を目で追っている。千綴も少しだけ窓の方へ身体を傾けた。


 しばらくして扉が閉まり、通路の動きが収まった。アナウンスが流れ、機体がゆっくりと動き始める。


「あ、動いた」


 綾乃の声が少し弾む。後ろからも、誰かが小さく「おお」と言うのが聞こえた。


 背もたれへ身体を預けると、誘導路を進んで何度か向きを変える機体に合わせ、窓の外の建物も後ろへ流れていった。やがて短く静止したあと、エンジン音が一段大きくなり、身体が座席へ押しつけられた。


「うわ」


 綾乃が小さく声を漏らす。


 速度が上がる。


 窓の外の地面が一気に流れ、次の瞬間、足元から伝わっていた細かな振動がふっと軽くなった。


 機体が浮く。


 建物も滑走路も、みるみる下へ遠ざかっていく。


 綾乃は窓に近づくように外を見ていた。


 千綴も横から外を見る。窓の下で、街が少しずつ小さくなっていった。




 離陸してしばらくすると、機体の傾きがゆるやかになった。


 窓の外には雲が広がり、その上に日差しが白く反射している。


 シートベルト着用の表示が消えると、機内のあちこちで人が動き始めた。頭上の棚を開ける音がして、通路を挟んだ向こうでは教師が生徒に何か声をかけている。


 綾乃は窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。


「雲の上って、こんな明るいんだ」


 千綴も横から覗いたが、さっきまでの街はもう見えず、窓の下に広がる白い雲とその向こうの青だけになっていた。


 通路側へ身体を少し向けて後ろを振り返ると、ヴァシリオスが手元のノートを開いていた。窓側の環は目を閉じている。千綴は前へ向き直った。少しして、綾乃が鞄からイヤホンを出し、片耳へ入れた。


 前方からカートが動き始めると、綾乃も気づいてイヤホンを外した。学校側で手配した食事が順に配られ、千綴たちも容器と飲み物を受け取って、綾乃が蓋を開けた。


「おいしそう」


 中にはいくつかの料理が詰められていた。千綴も箸を取る。味付けはしっかりしていて、綾乃も気に入ったらしい。気になったものを指しては、千綴と感想を交わしながら食べていく。後ろでは、環が目を覚まして食事を受け取り、ヴァシリオスもすぐに箸をつけていた。


 機内では、同じ学校の生徒たちがそれぞれに話し、食べ、窓の外を見ていた。ところどころで笑い声が上がるが、騒がしいというほどではない。


 食事を終えたあともしばらく飛行が続き、やがて外の雲が途切れ始めた。


 青い海が見える。


 最初は雲の隙間に細く覗くだけだったものが、次第に大きく広がっていく。


「海、色が明るいね」


 綾乃が窓へ近づいた。


 千綴も外を見る。


 空の青と海の青が、境目を挟んで重なっている。


 少しして、到着地が近いことを知らせるアナウンスが流れ、座席の背を戻し、荷物を足元へ収めるよう案内が続く。


 周囲でも、生徒たちが会話を止めて身の回りを整え始めた。


 千綴も鞄を確認し、シートベルトを締め直す。


 機体がゆるく傾いた。


 窓の下に、海の中へ伸びる陸地が見えた。白い建物の集まりと道路、その向こうには濃い緑が続いている。


 綾乃が窓の外へ目を向けたまま、少し身を乗り出す。


 千綴も横から陸地を見た。


 地面の色が、少しずつ近づいてくる。


 機体はそのまま高度を下げていった。





 海沿いの建物や道路を走る車が近づき、やがて地面が窓のすぐ下まで迫る。


 短い衝撃とともに、車輪が滑走路へ触れ、低い振動が座席へ伝わる。


 綾乃が窓の外を見たまま、小さく「着いた」と言った。


 機体は速度を落とし、そのまま誘導路へ入っていく。


 千綴はそのまま背もたれへ身体を預けて待つ。


 しばらくして機体が完全に止まり、シートベルト着用の表示が消えた。


 途端に、機内のあちこちで金具の外れる音が重なる。


 頭上の棚が開き、通路にも少しずつ人が出始めた。


「急がなくていいぞ。前から順番に出るからな」


 教師の声が聞こえ、千綴もベルトを外し、足元の鞄を持ち上げた。


 通路の様子を見てから千綴が席を立ち、綾乃もそれに続いた。


 後ろでは環とヴァシリオスも荷物を手にしていた。


 列が動き始めるまで少し待ち、それから四人も前へ続く。


 機体を出て通路を進む。


 教師の誘導に従ってターミナル内を進み、途中でクラスごとにまとまり直した。人数と顔の確認を受けてから出口へ向かう。


 到着口を出ると、案内役のスタッフと教師が待っていた。


「このあとバスに乗るぞ。クラスごとに案内された番号へ移動してくれ」


 前方から声が飛ぶ。千綴たちも列について歩き出した。建物の外へ出た途端、柔らかい暖気が肌に触れた。


「暖かい」


 綾乃が上着の前へ手を掛ける。


「朝と全然違うね」


 千綴も上着の前を開ける。環は首元のファスナーを下げ、ヴァシリオスも袖を軽くまくった。空港前には何台もの大型バスが並んでいる。各バスの前には教師が立ち、生徒をクラスごとの車両へ案内していた。


「うち、あれだね」


 綾乃が、車体の前に出されたクラス番号の表示を見つけた。


 千綴たちは順番に乗り込み、空いている席へ分かれて座った。


 千綴と綾乃は二人掛けの席へ、少し後ろに環とヴァシリオスが座る。


 全員が乗り終わるまで少し時間があり、その間にも車内では上着を脱ぐ音や、窓の外を見ながら話す声が続いている。


 千綴も上着を膝の上へ置いた。


 やがて扉が閉まり、バスがゆっくりと動き出す。


 空港の建物が窓の外へ流れていく。


 千綴は鞄から栞を取り出し、一日目の最初のページを開いた。


 最初の目的地は、ひめゆりだった。





 空港を離れて市街地へ入ったバスの窓には、白っぽい建物や道路沿いの店が続き、見慣れない街路樹とときおり混じる赤瓦の屋根が、東京とは違う景色をつくっていた。綾乃が上着を膝で畳み直す隣で、千綴も外を眺めると、前方では案内役のスタッフがマイクを手にしていた。


「これから、ひめゆりへ向かいます。到着までは四十分ほどです」


 簡単な案内を聞きながら、千綴は栞へ一度だけ目を落とし、すぐに閉じた。


 バスは市街地を抜け、建物の間隔が少しずつ広がっていった。道路の両側には畑や緑が増え、遠くに低い丘が見える。後ろの席から聞こえる環とヴァシリオスの小声を聞きながら、千綴は流れていく景色を眺めていた。


 しばらくして、バスが速度を落とす。


「もうすぐ到着します」


 生徒たちが鞄を持ち直し始めた。千綴と綾乃も前の席から続いて外へ出る。日差しは明るく、風にも朝の東京のような冷たさはなかった。





 ひめゆりの塔の前では、資料館の職員から短い説明を受けた。


 同じくらいの年齢の生徒たちが、沖縄戦の中で看護にあたっていたことが語られた。


 話が始まると、周囲の声は自然と静かになった。


 千綴は隣にいる綾乃と一度だけ目を合わせ、それから前へ視線を戻した。


 説明を聞いたあと、資料館へ入る。


 館内には、学校で過ごしていた頃の写真や、戦時中の記録が並んでいた。


 制服姿の生徒たちが写った一枚の前で、綾乃が足を止める。


「こういう写真も残ってるんだね」


 千綴も隣に立った。写っている表情だけを見れば、今の自分たちと大きく違わない。


 少し前を歩いていた環も、別の写真の前で立ち止まっている。ヴァシリオスは壁際の説明を読んでいた。四人とも、移動中のようには話さなかった。


 証言映像の前では並んで席に座り、画面に映る女性の話を聞いた。映像が終わって照明が戻っても、すぐに立つ生徒は少なかった。綾乃も一度息を吐いてから立ち上がる。


 その先には、壕を再現した展示があった。


「ここに何人も入ってたんだよね」


 綾乃が小さな声で言う。


「これだけ人がいたら、ほとんど動けなそう」


 千綴も周囲を見た。


 展示の終盤には、亡くなった生徒たちの写真や名前が並んでいた。千綴はその前で少し足を止める。





 見学のあとには、資料館の職員による講話があった。さっき見た展示や証言に触れながら話が続き、千綴は必要なところだけ栞へ書き留めた。隣では綾乃もペンを動かしている。


 講話が終わって外へ出ると明るい日差しが戻ってきた。


 千綴と綾乃はしばらく何も言わず、そのまま並んでバスへ向かった。


 少し歩いたところで、後ろからヴァシリオスと環も追いついてくる。四人でバスへ戻る頃には、周囲でも少しずつ会話が戻り始めていた。


「全員いるな。次は首里城へ向かうぞ」


 教師の声に生徒たちが順に乗り込み、千綴も綾乃と同じ席へ戻った。扉が閉まってバスが駐車場を出ると、流れていく景色を見ながら一度だけ息を吐いた。





 バスは再び市街地へ入り、坂の多い道を進んでいく。


 しばらくして、案内役から首里城公園への到着が告げられた。


 千綴たちも鞄を持ち、順番にバスを降りる。


 現地ガイドの前へクラスごとに集まり、簡単な説明を受けてから歩き始めた。


 石畳の先に、赤い門が見える。


「まず、あちらが守礼門です」


 ガイドが示した方へ、生徒たちの視線が集まった。門の前まで来ると、綾乃も歩調を緩めて見上げる。千綴も隣で足を止めた。


「赤、きれいだね」


 千綴も門を見上げた。再び坂を上がり始め、曲線を描く石垣や赤い門を眺めながら歩いていると、前にいたヴァシリオスが振り返った。


「こういう城、初めて見るな」


「石垣の形から全然違うね」


 環は少し先で、石垣の上まで視線を上げていた。


 ガイドの説明を聞きながら進み、やがて視界が開けると、そこには鮮やかな朱色の正殿が見えた。


「おお」


 近くの生徒から声が上がる。綾乃も足を止めた。


「装飾、かなり細かいね」


 千綴は正殿を見上げる。写真で見たことはあったが、実際に立つと、広がり方も装飾の密度も違って見えた。列が動き出し、四人も正殿の中へ入る。





 室内へ入ると、外とは光の色が変わった。赤や金の装飾が続き、綾乃は壁から天井へ目を動かしている。


「上までずっと続いてる」


 千綴もつられて見上げた。


 視線を戻すと、少し前ではヴァシリオスが説明板を読んでいる。環は気になった場所で足を止め、列が動くとまた追いついてくる。


 千綴も目に留まったものを見ながら歩いた。ガイドが立ち止まった場所では、周囲の生徒と一緒に足を止める。


 綾乃が小さく「ここ、写真で見た」と言い、千綴も頷いた。しばらく進んだところで、ヴァシリオスが地図の前から戻ってくる。


「地図で見ると、この辺の配置分かりやすいな」


 千綴も地図へ目を向ける。


 列が動き、二人もその後へ続いた。


 見学の終わりが近づく頃には、窓から差す光も少し傾いていた。


 最後の展示を抜け、再び外へ出ると、室内を歩いていた熱が風によって少し抜けた。


 クラスごとに集まり直し、ガイドへ礼を言ってから来た道を戻る。


 守礼門の近くまで来たところで、綾乃が振り返った。


「結構歩いたね」


「坂多かったしね」


「でも、面白かった」


 千綴が返すと、綾乃も笑った。


 少し前を歩く環が、もう一度石垣の方を見上げている。


 千綴は赤い門の方を一度だけ振り返ってから、列へ戻った。


 駐車場へ戻り、また同じバスへ乗る。


「このあとはホテルへ向かうぞ」


 教師の声が前から聞こえる。バスがゆっくり動き出した。





 バスは首里城を離れ、那覇の市街地へ戻っていった。窓の外では、夕方の光が建物の間へ長く差し込んでいる。朝からずっと動いていたせいか、車内は行きより静かだった。綾乃も座席へ深く身体を預けている。


「さすがにちょっと疲れた」


「結構歩いたしね」


 千綴も背もたれへ寄りかかった。足に重さはあるが、眠いというほどではない。後ろでは環が目を閉じ、ヴァシリオスは窓の外を見ていた。しばらくして、前方の教師が立ち上がる。


「もうすぐホテルに着くぞ。着いたらロビーでクラスごとに集まってくれ」


 生徒たちの間に、少しだけ動きが戻る。


 バスが大通りを曲がって少しすると、窓の外に大きなホテルの建物が見えた。


「着いたね」


 綾乃が身体を起こす。


 入口にはスタッフが何人か待っていて、先に到着した別クラスの生徒たちも降り始めていた。


 バスが停まり、扉が開くと千綴たちも順番に外へ出た。


 正面玄関を抜けると、広いロビーへ出る。


 高い天井の下に照明が並び、床にはその光が映っていた。大きな窓の向こうには、すでに灯りの増えた那覇の街が見えている。


「天井、高いね」


 綾乃が周囲を見回す隣で千綴も吹き抜けの上まで見上げた。


 ロビーの奥では、教師とホテルのスタッフが到着したクラスを順番に案内していた。


 千綴たちも教師からカードキーと部屋番号の書かれた案内を受け取るために順番を待った。


 順番が来ると、教師からそれぞれの部屋の案内を渡された。


「夕食は十九時十五分から。十九時五分までに一階の宴会場前へ集合な」


「分かりました」


 綾乃も隣で頷いた。二人はロビーを離れ、エレベーターへ向かう。途中で環の姿が見えた。


「あとで夕食のときね」


 綾乃が声をかけると、環が軽く頷いた。


 エレベーターの前にはすでに何人か並んでおり、千綴たちは少し待ってから乗り込む。


 階数表示が上がっていき、目的の階に着く。扉が開くと、千綴たちもエレベーターを降りた。


 廊下はロビーよりずっと静かだった。


「こっちだね」


 綾乃が部屋番号を確認する。二人で廊下を進み、角を曲がった先で目的の部屋を見つけた。


 千綴がカードキーを使って扉を開ける。中に入ると、二つのベッドと小さなテーブルがあり、壁際には昨日学校へ預けた大きな荷物が二人分並べられていた。


 奥には大きな窓がある。その向こうには、夜の那覇の街が広がっていた。


「わ、夜景きれい」


 綾乃が先に窓へ近づく。千綴も荷物を置いて、その隣へ立った。朝に家を出てから、ようやく一度、落ち着ける場所まで来た。





 綾乃はしばらく窓の外を見ていたが、やがて腕時計へ目を落とした。


「夕食まで、そんなにないね」


「少し休んだら準備しよ」


 千綴はベッドの端へ腰を下ろした。歩き続けていた足が、座った途端に重く感じる。綾乃も隣のベッドへ座り、そのまま背中から倒れ込んだ。


「動けなくなりそう」


「寝たら起こすよ」


「寝ない。たぶん」


 そう言いながらも、綾乃は目を閉じた。


 千綴は苦笑し、鞄からスマートフォンを取り出す。


 班の連絡には、環から『部屋着いた』、ヴァシリオスから『こっちも』と入っていた。


 千綴も『私たちも着いた。夕食前に下で』と返す。


 そのあと、充電器を取り出してスマートフォンへつなぎ、大きな荷物を開ける。


 着替えと洗面用具を確認し、必要なものだけ出していく。


「先に顔洗ってくる」


 綾乃が起き上がった。


「どうぞ」


 洗面所の扉が閉まる。


 千綴も上着を脱ぎ、ハンガーへ掛けた。


 鏡を見ると、朝より少し髪が乱れている。


 手ぐしで整えているうちに、綾乃が戻ってきた。


「ちづるも行ってきなよ。ちょっとすっきりするよ」


「そうする」


 千綴も洗面所で顔を洗い、髪を整えると、冷たい水に触れたせいか移動中の重さが少し抜けた。部屋へ戻る頃には、綾乃も服装を整えていた。


「そろそろ行く?」


 千綴は頷き、カードキーとスマートフォンだけ持って部屋を出る。


 廊下には同じ学校の生徒が何人か歩いていた。


 エレベーターへ乗り、一階へ下りる。


 扉が開くと、ロビーは到着したときより人が多くなっていた。


 宴会場の入口では教師が名簿を確認し、来た生徒から順に中へ通していた。


 その近くには、すでに何人かの生徒が集まっており、その中に環の姿を見つける。


「おつかれ」


 千綴が声をかける。


「ん」


 環が短く返す。少し遅れて、ヴァシリオスも会場前へやってきた。四人は入口へ進み、確認を受けて中へ入った。扉の向こうの広い会場には、丸いテーブルがいくつも並んでいた。奥には料理台が並び、その向こうには小さな舞台も見える。


「舞台まであるんだ」


 綾乃が声を落とす。千綴も会場の中を見回した。夕食は、ただ食べるだけでは終わらなさそうだった。





 案内された席へ着くと、テーブルの上には人数分のグラスと取り皿が並んでいた。


 千綴たちは同じ卓へ座る。


 周囲でも、生徒たちが決められた卓へ次々と腰を下ろしていく。クラスごとにまとまった一角には、いくつもの丸テーブルが並んでいた。


 やがて前方のマイクに、学年主任が立った。


「一日目、おつかれさま。沖縄の料理もいろいろ用意してもらっています。明日の連絡は、食事のあと各クラスの担任から伝えます。それじゃあ、夕食を楽しんでください」


 会場のあちこちから拍手が起こる。それを合図に、生徒たちが順番に料理台へ向かい始めた。


「行こ」


 綾乃が立ち上がり、千綴たちも列に加わった。


 料理台には、温かい料理やサラダ、果物、デザートが並んでいる。


 少し離れた場所では、調理スタッフがその場で肉や魚を焼いていた。


 鉄板の前では、焼き上がった肉がその場で切り分けられていた。


「俺、あれ行ってくる」


 ヴァシリオスが迷わず列へ向かう。環は料理を一通り見てから、必要なものだけ皿へ取っていた。綾乃は沖縄料理の札が付いた料理をいくつか選んでいる。


「せっかくだし、こういうの食べたい」


「分かる」


 千綴も同じように一品取った。四人が席へ戻る頃には、会場のほとんどの卓で食事が始まっていた。


「いただきます」


 綾乃が箸を取る。


 千綴も一口食べる。


 食べながら料理台へ目をやると、まだ取っていない料理がいくつも残っている。卓では、次は何を取りに行くかという話がもう始まっていた。


 綾乃が気に入った料理を少し千綴の皿へ分ける。千綴もそれを口にすると、自然ともう一口箸が伸びた。


 ヴァシリオスは焼きたての料理をかなり早いペースで食べ終えると、空いた皿を手にまた料理台へ向かった。


 しばらくして、会場の照明が少し落ち、舞台の方へ視線が集まった。


 司会役のスタッフがマイクを持ち、簡単な案内を始める。


 最初に登場したのは、琉球舞踊の衣装を身につけた踊り手たちだった。


 三線の音が流れ、ゆったりした動きで舞台を進んでいく。


 綾乃も箸を止め、さっきまで料理の話をしていた卓も、自然と舞台へ顔を向けていた。


「手の動きまで揃ってる」


 綾乃が小さく言う。


 千綴も舞台を見る。


 動きは大きくない。


 けれど、袖や手の向きまで意識して見ると、一つ一つの所作がよく揃っていた。


 三線の音は会場の空気を少し変えた。


 食器の音や話し声は残っているが、それでも舞台の音がはっきり聞こえる。


 演目が終わると拍手が起きた。


 続いて、三線の演奏が始まる。


 今度はさっきより少し明るい曲だった。


 何曲か続くうちに、会場の空気もだんだん軽くなっていく。


 ヴァシリオスも戻ってきて、料理を食べながら舞台を見ていた。


「この曲、いいな」


 ヴァシリオスが舞台を見たまま言う。


 千綴も三線の音へ耳を傾けた。


 演奏が終わると、舞台袖の動きが変わり、太鼓を持った出演者たちが並び始めた。


 司会が次の演目を紹介する。


「続いては、エイサーをもとにした創作演舞です」


 太鼓の低い音が一度、会場へ響いた。さっきまでとは違う強い音に、何人かの生徒が身体を起こす。ヴァシリオスもすぐに舞台へ顔を向けた。


 次の瞬間、太鼓と掛け声が一斉に重なった。





 低い響きが幾重にも続き、舞台の上では、出演者たちが大きく腕を振り、足を踏み込むたびに衣装が揺れた。さっきまでの琉球舞踊とはまったく違う勢いに、会場のあちこちから声が上がる。


 千綴も箸を置いて舞台へ身体を向けると、太鼓の音が腹の奥まで響いてきた。列を入れ替え、掛け声に合わせて一斉に向きを変える演者を、綾乃も目で追いながら自然と笑っていた。


「動き、一気に変わったね」


 綾乃が舞台から目を離さずに言う。隣ではヴァシリオスが完全に食事の手を止めている。環も椅子の背から身体を起こして、舞台を見ていた。


 演目の途中で、客席側まで掛け声を促される。前の方の生徒が応えると、それにつられるように声が広がった。千綴たちの卓からも何人かが声を返す。ヴァシリオスも迷わず混ざった。


 最後に太鼓が大きく鳴り、全員の動きが揃って止まる。一拍遅れて、会場いっぱいに拍手が広がった。綾乃も笑顔で拍手を送る。


「これ、楽しいね」


 千綴も笑いながら頷いた。


 出演者たちが一度舞台袖へ下がる。


 照明が少し戻り、生徒たちは再び料理へ手を伸ばした。


 会場のあちこちでは、今の演目の話が続いている。


「太鼓、近くで聞くとすごいな」


 ヴァシリオスが言う。


「音だけでも迫力あった」


 千綴が答える。


 環は残っていた飲み物を一口飲みながら、まだ舞台の方を見ていた。そのあともしばらく食事が続いた。デザートを取りに行く生徒も増え、千綴も綾乃と一緒に料理台へ向かう。小さなケーキや果物の横には、沖縄らしい菓子も並んでいた。


「これにしよ」


 綾乃が一つ取る。


「じゃあ私も」


 二人で皿へ載せ、席へ戻る。


 食べ終える頃、再び舞台の前へ司会が出てきた。


「それでは最後に、皆さんにも参加していただきたいと思います」


 会場の空気が少しざわつく。


「沖縄の祝いの席などでも踊られる、カチャーシーです。難しい決まりはありません。手を上げて、音に合わせて自由に動いてください」


 舞台では三線の音が始まる。出演者が手本を見せながら、左右へ腕を動かしていく。最初は座ったまま真似していた生徒たちも、前の方から少しずつ立ち始めた。綾乃が千綴を見る。


「やる?」


「せっかくだし」


 二人も立ち上がった。


 環は一瞬だけ二人を見てから、静かに席を立つ。


 ヴァシリオスはすでに腕を上げていた。


 周囲の生徒たちも次々に立ち、テーブルの間で手を動かし始める。


 決まった振りを揃えるというより、それぞれが音に合わせて身体を動かしている。


 千綴も見よう見まねで手を上げた。


 右へ、左へ。


 綾乃と目が合う。


 二人とも同時に笑った。


 少し離れたところでは、教師まで生徒に促されて腕を上げている。


 会場全体に三線と笑い声が広がった。


 曲が終わる頃には、大きな拍手と歓声が重なった。


 出演者たちが舞台の上から頭を下げる。


 生徒たちも席へ戻っていった。


 千綴は椅子へ座り、息を整える。


「最後、みんな立つとは思わなかった」


 綾乃が笑いながら言う。


「先生まで踊ってたしね」


 千綴も笑った。テーブルの上には、ほとんど空になった皿が並んでいる。やがて食事終了の案内が入り、生徒たちは少しずつ立ち始めた。初日の夕食は、にぎやかなまま終わった。





 食事を終えた生徒たちは、教師の案内でクラスごとにまとまった。会場の外へ出ると、廊下にはさっきまでの音がまだ少し残っているように感じた。千綴たちも自分たちのクラスの列へ戻る。前に立った教師が、明日の予定を簡単に伝えた。


「明日の朝食は六時半から。八時までには済ませておけ。ロビー集合は八時四十分。班行動になるから、遅れないようにな」


 生徒たちがそれぞれ返事をする。


「あと、体調悪いやつは無理せず早めに言うこと。以上。部屋に戻っていいぞ」


 列が崩れ、周囲が一気に動き始めた。確認が終わると、四人はそのままエレベーターホールへ向かった。


「じゃ、また明日」


 綾乃が言う。


「おやすみ」


 環が返す。


 四人でエレベーターに乗り、途中の階でヴァシリオスが先に降りた。そのあと、千綴と綾乃、環も女子の部屋がある階で降り、それぞれの部屋へ戻った。


 部屋へ戻ると、窓の外には那覇の街の灯りが広がっていた。


「お風呂、どうする?」


「先入っていいよ」


「じゃあ、先もらうね」


 綾乃が着替えを持って浴室へ入る。千綴はその間に、明日の朝すぐ動けるよう荷物だけ簡単に整えた。机の上に置いたスマートフォンへ、班のグループから新しい通知が入る。千綴が画面を確認したところで、浴室の扉が開いた。


「空いたよ」


「ありがと」


 今度は千綴が着替えを持って入る。湯気の残る浴室で髪を洗い、身体を温める。部屋へ戻ると、綾乃はベッドの上でスマートフォンを見ていた。


「班の連絡来てる?」


「うん。西園寺さんから『朝ロビーでいい?』って」


「それで大丈夫」


 綾乃が画面を操作し、短く返事を送る。


 千綴はベッドへ腰を下ろす。


 そのまま二人で、明日のことを少しだけ話した。


 気づけば、時計の針もかなり進んでいた。


「そろそろ寝よっか」


 千綴はスマートフォンを充電器へつなぎ、照明を少し落とす。


 窓の外には、那覇の街の灯りがまだ広がっていた。


「今日、楽しかったね」


 綾乃が枕へ頭を預ける。


「うん。楽しかった」


 千綴はそう答えて、自分のベッドへ入った。朝から見た景色や、夕食のときの笑い声がまだ頭に残っている。


「おやすみ、ちづる」


「おやすみ」


 千綴は目を閉じた。

2026/10/12 全体改訂

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