↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の結び目  作者: 夕花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/71

- 40 -

 乾いた葉を踏むたび、足元で小さな音がした。


 歩道の端に寄っていた落ち葉は、風に押されてあちこちへ散っている。千綴が坂を上っているあいだにも、茶色く丸まった葉が何枚か、舗装の上を擦るように転がっていった。


 コートの襟元へ少し顎を寄せる。


 吐いた息が白い。


 朝日はもう出ているのに、頬に触れる空気は冷たいままだった。少し先を歩く生徒の中にも、マフラーを巻いた者や、両手をポケットへ入れたまま歩く者が目立つ。


 坂の上まで来たところで、千綴は足を止めて振り返った。


 今上ってきた道が、丘平の街の方へ長く下っている。家々の屋根が朝の光を受け、その向こうまで視線を伸ばすと、遠くに山の稜線が見えた。


 山肌には赤や黄がまだ残っている。ただ、少し前のような鮮やかさはなく、茶色の混じる場所が増えていた。葉を落とした木がまとまっているのか、ところどころ色の薄い斜面も見える。


 千綴は山から目を離し、校門へ向かった。


 あの夜のあと、警察で事情を聞かれたのは一度だけだった。環を探しに出たこと、見つけた時の状況、分かる範囲の経緯。それだけを確認され、あとの処理は直嗣たちの側で進められている。


 数日前には、直嗣から短い連絡も来ていた。


 環の拉致と監禁については、西園寺家への説明も済み、それで一区切りになるらしい。


 昇降口へ近づくと、入口脇の掲示板に文化祭のポスターが増えていた。校内へ入ってからも、廊下の壁には色紙や模造紙が貼られ、階段の踊り場には作りかけの看板が立てかけてある。


 千綴は上履きへ履き替え、教室へ向かった。


 扉を開けると、綾乃がすでに来ていた。


 自分の席でノートを広げ、そこへ何か書き込んでいる。


「おはよう」


「おはよ。今日はちづるより早かった」


「珍しいね」


「失礼だなあ」


 綾乃は笑いながらペンを止めた。


「昨日の続き?」


「うん。導入の台詞を少し直してた」


 ノートには文章が何段かに分けて書かれ、その横に間を取る場所や、札を渡すタイミングらしい印が入っている。


「今日、実際に読むんだよね」


「そのつもり。聞きづらいところがないか見たいし」


「分かった。放課後は生徒会から戻ったら合流する」


「じゃあ、それまでに床の線は引いとくね」


「お願い」


 千綴が鞄を置くと、綾乃はノートを少し持ち上げた。


「昨日言ってたやつ、これでいくつもり」


「名残の社(なごりのやしろ)?」


「そう。今日は導入を最後まで読んで、誰が読んでも変にならないように調整したい」


「じゃあ客側で聞いてる」


「お願い」


 千綴が返すと、綾乃は満足そうにノートへ視線を戻した。


 少しして予鈴が鳴り、教室の中に散っていた話し声が落ち着いていく。


 千綴も教科書を出した。


 休み時間になると、模造紙を抱えた生徒が廊下を通り、別の教室からは段ボールを切る音がする。昼休みには、廊下の端で看板へ色を塗っている生徒もいた。


 それでもチャイムが鳴れば席へ戻り、授業が始まる。


 最後の授業が終わる頃には、窓から差し込む光がずいぶん低くなっていた。


 終礼が済むと、教室の空気が一気に動き出す。


 机を動かす者。廊下へ材料を取りに行く者。部活へ向かうため急いで鞄をまとめる者。


 千綴は鞄を持ち上げ、綾乃へ声をかけた。


「先に生徒会行ってくるね」


「うん。こっちは始めてる」


「戻ったら合流するね」


「ちゃんと働いてもらうから」


「客役でしょ」


「最初はね」


 近くで環が狐面を手にしていた。


「私は先に寝る場所見とく」


「まだ寝ないでよ」


「死体役なんだから必要でしょ」


「位置だけね」


 綾乃が言うと、環は「分かってる」と気の抜けた返事をした。


 ヴァシリオスはその横で、別の面を顔へ当てている。


「それ見える?」


 千綴が聞く。


「正面はな」


「横は?」


「ちょっと狭い」


「じゃあ飛び出す位置、あとで見た方がいいね」


「俺は大丈夫だ」


「客が大丈夫じゃないかもしれないでしょ」


 綾乃がすぐに返す。


 千綴は二人のやり取りを聞きながら教室を出た。


 生徒会室へ向かう途中、連絡通路の窓から差し込む夕方の光が床へ長く伸びていた。


 別館へ入ると、廊下の先から何かを運ぶ音が聞こえた。


 生徒会室の扉を開ける。


「お疲れさまです」


 鈴が机の向こうから顔を上げた。


「お疲れ」


 悠司は届いた箱のそばに立ち、一覧表と中身を見比べている。


「そっちは?」


 千綴が聞く。


「借りた備品。今、数だけ確認してる」


「足りてる?」


「今のところは」


「じゃあ、そのままお願い」


「了解」


 千綴は机の中央へ置かれたポスターの束へ目を向けた。


「鈴、こっち一緒に見てもらえる?」


「はい」


 二人で向かい合い、束の上から配布先を順番に確認した。鈴が送る分を示すと、千綴は頷いてそちらへ分ける。手渡しする分は、横に別の束を作った。


「丘平商店の分、あった?」


「あります。これです」


 鈴が一枚差し出す。


「ありがとう。次に行く時、私が持っていく」


 千綴は丘平商店の分だけ、自分の鞄の脇へ置いた。


 残りも同じように確認していく。


 悠司が箱を閉じた。


「こっちは全部あった」


「じゃあ一覧、そこに置いといて」


「はいよ」


 千綴は最後の数枚を確認し、鈴と一緒に配布先ごとの束を揃えた。


 机の上が片づいたところで時計を見る。


「私、そろそろクラス戻るね」


「はい。こっちは片づけておきます」


「ありがとう」


 悠司も手を上げる。


「じゃあ、また明日」


「うん。お疲れ」


 千綴は丘平商店分のポスターを持ち、教室へ戻った。


 教室では、すでに机と椅子の多くが壁際へ寄せられていた。


 床には養生テープで何本か線が引かれている。


 入口側から伸びた線は途中で曲がり、その先に少し広い場所を作っていた。別の線は壁沿いを回り、客が通る場所とは分けられている。


 数人のクラスメイトが床へテープを貼り、別の生徒たちは段ボール板を立てていた。黒い布を掛ける位置を確認している者もいる。


「おかえり」


 綾乃がノートを片手に近づいてくる。


「ただいま。結構進んだね」


「とりあえず導入側だけ。奥はあとで組み直す」


「じゃあ、どこから見る?」


「まず歩いてみてほしい」


「分かった」


 千綴は鞄とポスターを邪魔にならない場所へ置き、入口側へ回った。


 まだ教室は明るく、段ボールの向こうまで見通せる。


 最初の曲がり角を抜け、導入を聞くために広く取った場所へ入る。


 千綴は一度止まった。


「ここ、狭くない?」


「だよね」


 綾乃も客側の線と、その外を通るスタッフ用の線へ目を落とした。


「二、三人止まると、外側と近くなりそう」


「じゃあ、二、三人入ってみて」


 綾乃が周りへ声をかける。


 近くにいたクラスメイトが二人入り、千綴と並んだ。別の一人が外側の線を歩くと、止まっている三人のすぐそばを通ることになった。


「ちょっと当たりそう」


「だね」


 線を引いていた生徒がテープへ手を掛ける。


「こっち広げる?」


「少し広げよう」


 千綴も一歩ずつ横へ動いて位置を確かめた。それに合わせてテープが貼り直され、段ボール板も動かされる。千綴たちはいったん入口側へ戻り、もう一度曲がり角から入って並んだ。


「今の方がいい」


「外側は?」


 綾乃に聞かれ、スタッフ役の生徒も線に沿って歩いた。今度は三人に近づきすぎず、その横を抜けていく。


「これなら大丈夫」


「じゃあ、ここはこれでいこう」


 綾乃がノートのラフ図へ印をつけると、次の角を見ていたクラスメイトへ声をかけた。


「そっちの角、少しだけこっちへ寄せてみて。今の幅に合わせたい」


「このくらい?」


「うん、一回それで見よう」


 床のテープが貼り直され、その横で段ボール板の位置も少し動く。


 導入側の幅が決まると、綾乃がノートを閉じた。


「じゃあ、次は導入を一回通してみようか」


 千綴へ小さな台を示す。


 そこには試作用の札とペンが置かれていた。


「最初から名前を書くところまで、客役でやってみてくれる?」


「うん」


 千綴が椅子へ座る。


 厚紙を切っただけの札には、仮名札(かなふだ)と書かれている。


 綾乃は少し離れたところへ立ち、息を整えた。


 普段より低い声になる。


「みなさん、ようこそいらっしゃいました」


 教室の話し声が、周りで少しずつ静かになった。


「この先にあるのは、地図には載っていない小さな社です」


 綾乃は急がず、言葉の間を取る。


「昔からこの土地には、こんな言い伝えがあります――」


 一拍置く。


「行き場を失った魂は、自分の名前を思い出せなくなる。名前を失った魂は、この世からもあの世からも弾かれて、ただそこに留まり続けるしかない」


 千綴は手元の札へ視線を落とした。


 作り話だと分かっている。


 それでも、名前を失う、という言葉だけは少し耳に残った。


「けれど、この社に来れば、しばらくの間だけ誰かの名前を借りることができる。名前を借りた魂は、ようやく人の形を保って、社の奥へと進むことができるのです」


 綾乃が札へ視線を向ける。


「これは『仮名札』と呼ばれるものです。どうぞ、ご自身の名前をここに書いてください」


 千綴はペンを取った。


 弥生千綴、と書く。


 綾乃は、千綴が書き終えるまで黙って待った。


「――ただし、これはあなたの名前であると同時に、今日だけ誰かに借りられる名前でもあります」


 千綴がペンを置く。


「社の中では、名前を失ったものたちが、あなたの名を頼りに近づいてくるかもしれません」


 少し離れたところで、面をつけたヴァシリオスがこちらを向いた。


 明るい教室の中では作り物だと分かる。それでも、表情のない面がこちらを向くだけで、さっきまでより話の雰囲気が出る。


「怖がらず、ただそのお札を大切に持っていてください。それさえあれば、あなたは『帰る場所のある者』として、最後まで進むことができます」


 綾乃は面をつけた生徒たちの方へ手を向けた。


「案内をするのは、社に仕える者たち。彼らは既に名前を失った身ですので、お顔を見せることができません。どうぞ、彼らの案内に従って、奥へお進みください」


 最後に少し間を置く。


「――さて、あなたの名前は、今夜だけ誰かの役に立つかもしれません。それでは、社の中へどうぞ」


 綾乃が声を戻した。


「どうだった?」


「ちょうどいいと思う。名前を書く時間もあるし、これ以上長いと少し間延びしそう」


 千綴は名前を書いた札を見た。書き終えるまで綾乃が待ってくれたので、途中で慌てることもなかった。


「書くところは、今みたいに待ってもらえると助かる」


「分かった」


 綾乃がノートへ書き添えると、近くで時間を見ていたクラスメイトも頷き、手元へ記録した。


 綾乃は次の確認へ移る。


「じゃあ今度は、札を使うところまでやってみよう」


 面をつけた案内役が所定の場所へ入る。


 千綴は仮名札を持ったまま、テープの線に沿って進んだ。


 最初のところで立ち止まり、札を差し出す。


 案内役は一度札を受け取り、名前へ目を落としてから千綴へ返した。


「このくらい止まる?」


 綾乃が聞く。


「一人なら気にならない」


「もう少し人数入れてみようか」


 環と、近くにいたクラスメイトが客役へ加わり、三人で入口から試し直した。


 導入を聞いてから、それぞれ札へ名前を書く。千綴は自分の札を前に置き、ペンを持って同じ動作を試した。立って並んだ時には気にならなかったが、座って腕を動かすと、隣との間が少し窮屈だった。


「ここ、もう少し離した方がよさそう」


 千綴が言う。


「椅子?」


「うん。横の人と肘が当たりそう」


 近くのクラスメイトが椅子を少しずらした。


「これくらい?」


「もう一回座ってみる」


 三人で座り直し、千綴は札の上へペンを動かしてみた。今度は隣の腕が気にならない。


「今なら大丈夫」


「三人でこれなら大丈夫そうだね。四人以上は分けるし」


「うん」


「じゃあ、その位置控えといて」


 綾乃が言うと、床の位置を見ていた生徒が寸法を確かめ、手元のメモへ書き込んだ。


 導入側の確認が済むと、試作用の札をまとめる。


 千綴も加わって床のテープを剥がし、段ボール板をいったん壁際へ戻した。


 綾乃がラフ図を開く。今度は後半側の配置に合わせて、何人かで線を引き直し、段ボール板を立て直していく。


 作業を終える頃には、窓から差し込む光がさっきより低くなっていた。


 後半側には、導入側より多くの曲がり角が作られた。


 客が歩く線の外を、スタッフ用の線が回っている。


 千綴はまず明るいまま一周した。


 スタッフ用の通路へヴァシリオスが入った。


「通れるぞ」


「横向いてるじゃん」


 環が言う。


「通れればいいだろ」


「面つけて、その向きで毎回通るの?」


 千綴が聞く。


「……少し狭いな」


「やっと認めた」


 近くにいた生徒が段ボール板へ手を掛ける。


「ここ、少し動かす?」


「客の通る方が狭くならないなら」


 千綴も客側へ戻った。段ボール板を客側へ少し寄せてもらい、その脇を歩いてみる。スタッフ側の生徒も反対側の通路を通り、板を挟んでそれぞれの幅を確かめた。


「これならいいと思う」


 スタッフ側にいた生徒も頷いた。その位置に合わせて、床のテープが貼り直される。


 窓側へ黒い布が掛けられるにつれ、教室の奥が見えにくくなった。布の端や扉の隙間には夕方の光が細く残り、完全な暗闇にはならない。床近くに置かれた小型の照明が、通路を赤みのある弱い光で照らしていた。


「一回、これで歩いてみて」


 綾乃に言われ、千綴は入口へ戻った。明るいまま歩いた時には見えていた仕切りの先が、今は影に隠れている。足元の光を見ながら進むと、仕切りの向こうで小さな扇風機が回り始め、数歩先で足首に弱い風が触れた。


 さらに奥へ入ったところで、香を思わせる匂いがわずかに混じった。


「匂い、分かる?」


 仕切りの向こうから綾乃の声がする。


「ここまで来ると分かる」


「強すぎない?」


「今くらいなら」


「了解」


 そのまま角へ近づく。


 曲がる前に、赤い光の端へ白いものが見えた。


 千綴は足を止めた。


「ヴァシリオス」


「何だ?」


「面が見えてる」


「まだ出てないぞ」


「出る前から見えてるってこと」


 仕切りの向こうで何人かが動く。


 照明の向きを少し変え、ヴァシリオスも立つ位置を下げた。


「もう一回、同じところまで戻って」


「分かった」


 千綴は数歩戻り、同じ通路を歩き直した。今度は角の手前まで進んでも何も見えない。そのまま曲がった瞬間、横から狐面が現れた。


「わっ」


 反射的に足が止まった。


「今のはどうだ?」


 ヴァシリオスがすぐ聞く。


「びっくりした」


「だろ」


「でも近いから、大声はいらないと思う」


 綾乃が横から言う。


「声はなし?」


「まずは出るだけで十分じゃない?」


「分かったよ」


 ヴァシリオスは少し不満そうだったが、今度は素直に位置へ戻った。


 さらに進む。


 次の区画では、環が壁際に横たわっていた。


 赤い光が身体の一部だけを照らし、顔の上側は影に沈んでいる。


 以前、教室で何度か見た姿勢なのに、暗さの中では印象が変わった。


 千綴は近くまで進み、そこで止まる。


「……これは結構怖い」


 環は動かない。


 そのまま数秒。


「環、もういいよ」


 綾乃が声をかける。


 環が目を開いた。


「どうだった?」


「動かない方がいい」


「動かないのは得意」


「前にも練習してたもんね」


 ヴァシリオスが言う。


「まだ言う?」


 環が起き上がる。


 その後も、人数や歩く速さを変えながら何度か通り直した。


「さっきの導入、一分半くらいだった」


 時間を見ていたクラスメイトが言う。


「じゃあ、前の組がヴァシリオスのところを抜けたら、次を導入に入れる感じ?」


「そのくらいを基準にしてみよう」


 前の組が止まる場所では、次を入れる間隔も少し広げてみる。時間を見ていたクラスメイトが、その差を記録した。


「ここは無理に広げなくてもいいかも」


 千綴が言う。


「交代するときだけ、すれ違わないように順番決める?」


「それなら客の方を狭くしなくて済むね」


「じゃあそれで試そう」


 綾乃は近くの担当へ伝え、ノートへ小さく印をつけた。


 照明の向きは別の生徒が調整し、風の位置は扇風機を置いていた二人が少しずつ変える。


 最後に出口側まで抜けると、時間を見ていた生徒が綾乃へ何か伝えた。


 綾乃はそれをノートへ書き込み、その日の確認を切り上げた。


 窓の布を外した頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 扇風機の電源を切り、照明を箱へ戻してから、段ボール板を壁際へ寄せた。床の養生テープを剥がし、何人かで机と椅子を元へ戻していく。さっきまで迷路の形をしていた教室が、少しずつ普段の姿へ戻っていった。


「これ、こっちでいい?」


 環が机を押しながら聞く。


「もう少しそっち」


 近くにいたクラスメイトが答える。


「ここ?」


「うん、そこ」


 ヴァシリオスは面を外し、使った段ボールを重ねている。


「俺の場所、次もあそこでいいだろ」


「今の位置なら先に見えないし、そこでいいと思う」


 綾乃が答える。


「ほら」


「最初は丸見えだったけどね」


 環が言う。


「灯りのせいだ」


「まだ言ってる」


 千綴は最後の椅子を戻し、壁際に置いた鞄を取った。


 その時、机の端に置いたままの試作用の仮名札に気づく。


「あ」


「どうしたの?」


 綾乃が振り向く。


「これ、持って帰っていい?」


 千綴は札を見せた。


 自分の名前がそのまま残っている。


「いいよ。本番も持って帰ってもらうつもりだし」


「じゃあ、もらってく」


 千綴は札を鞄へしまった。


 教室を出る頃には、廊下の窓も黒くなっていた。


 昇降口で靴を履き替え、外へ出る。


 朝よりさらに冷たい空気が頬へ当たった。


「寒い」


 綾乃がコートの前を閉じる。


「朝より冷えてるね」


「手袋、そろそろ出そうかな」


「もう手袋かあ」


「朝も寒かったしね」


 少し後ろでは、環とヴァシリオスがまださっきの演出について言い合っている。


 千綴もコートの前を閉じた。


 校門を出ると、坂の下に街の灯りが見えた。


 朝には色まで見えていた山は、今は遠くに暗い輪郭だけを残している。


 風が抜ける。


 歩道の端に集まっていた落ち葉が、乾いた音を立てて一斉に転がった。

2026/10/11 全体改訂

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。