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ンードラロギア  作者: ああああ


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第七十三章:虚飾の英雄と灰の進軍

七十三章です。第三部がはじまりました。グロードル帝国の参謀、ロイドの視点から物語は開始です。

大陸南方に版図を広げる五ヶ国の中で、グロードル帝国は常に異質な、そして忌むべき隣人として君臨してきた。

隣国アンゾールマ国が莫大な資本と通商路を武器に繁栄を謳歌し、アルブール王国が古き良き騎士道と格式に酔いしれる中で、グロードルを形作ったのは「飢え」と「恐怖」であった。


北の最果て、人類不毛の地から溢れ出す魔獣たちの群れ。それらと日常的に刃を交えなければ生存さえ許されない過酷な環境が、この国の民を一人残らず戦闘員へと変貌させたのだ。彼らにとって、軍事力とは権威の象徴ではなく、呼吸をするための肺そのものであった。


現在の最高権力者、アズュール・プラ・クロムウェル大元帥。

彼は、歴代の皇帝の中でも一際冷徹な現実主義者として知られている。広大な国土を持ちながら、その半分以上が不毛な荒野であるグロードルの限界を彼は誰よりも理解していた。

大元帥は、国民の絶望を「熱狂」へと変換する術を心得ていた。


「二年の後、天に昇る月が血に染まる。その『月の蝕』によって降り注ぐ災厄は、我ら北の民を根絶やしにするだろう。そして、その回避の術を独占し、我らを見捨てようとしているのが、南方の肥沃な大地に居座るアルブール王国である」


この壮大な嘘、すなわちプロパガンダは、瞬く間に帝国全土を席巻した。

国民は農具を溶かして剣を打ち、絶望から逃れるための「唯一の生存圏」を求めて南へと視線を向けた。地政学的な絶望が、侵略という名の救済へとすり替えられた瞬間であった。


紀元3034年12月6日。

国境付近で行われていた「大規模軍事演習」は、何の前触れもなく「侵攻」へと姿を変えた。

夜霧に乗じて国境を越えた帝国軍は、平和に慣れきったアルブール王国の砦を瞬く間に陥落させる。それは宣戦布告と同時に勝利を掠め取る、帝国の『タブー破り』の始まりであった。


「……以上が、東部戦線における防衛、および進撃の概況です。王国の『騎士道精神』に基づく正面突破の突撃に対しては、伏兵による退路遮断と、地形を利用した分断工作――いわゆる『詭道』が、教本通りの戦術を上回る結果をもたらしました」


王国の旧領主館。その豪奢な会議室に、ロイド・ペトラス中佐の冷淡な声が響いた。

部屋を埋め尽くす参謀本部の将校たちの間に、さざ波のようなどよめきが広がる。


「……信じられん。わずか一個中隊だけで、王国の重装騎兵連隊を三つも無力化したというのか」


「これぞまさに、帝国の獅子。ロイド中佐、貴公の戦術眼は大元帥閣下も高く評価されているぞ」


称賛の言葉が矢のように降り注ぐ。だが、ロイドの心は氷のように冷めていた。

彼は、自分に向けられる羨望と期待の視線を、まるで汚物でも見るかのような無機質な瞳で受け流している。


「恐縮です。私はただ、無駄な損害を避けるために最善を尽くしたに過ぎません。今後の部隊運用については、書面にまとめて提出いたします」

「うむ……よろしい。下がって休め、英雄殿」


敬礼を交わし、部屋を出る。

分厚いオークの扉が閉まった瞬間、背後から「ロイド中佐がいれば、アルブール陥落も時間の問題だ」という無責任な歓声が漏れ聞こえてきた。


ロイドは、誰もいない廊下で深く、深く溜息を吐き出した。

彼は知っていた。自分が「天才」などではないことを。

ただ、戦場という極限状態において、誰よりも臆病で、誰よりも「死」を恐れているがゆえに、敵の動きを、風の向きを、泥の深さを、病的なまでに観察し続けているだけなのだ。


「……勝利は麻薬だ。それも、最小の犠牲で得られた勝利は最悪の毒だ」


彼は独りごちた。

一度「無傷で勝てる」と学習してしまった上層部は、次からはより少ない兵数で、より困難な目標を彼に押し付けるだろう。そしていつか、どれほど知恵を絞っても手が届かない絶望的な戦場へ、彼と彼の部下たちを放り込むに違いない。


ロイドは重い足取りで庭園へと向かった。

接収された館の庭には、冬の寒さに耐えるように咲く名もなき花があった。ベンチに腰を下ろし、額に手を当てて天を仰ぐ。視界に入るのは、皮肉なほどに美しい冬の蒼天だ。


(……この空の向こうで、俺が殺した連中の家族が泣いているのか。あるいは、俺の死を待っているのか)


その時、急に視界が真っ暗になった。

背後から忍び寄った何者かが、彼の目を両手で覆ったのだ。


「……だーれだ?」


指先から伝わる微かな体温。石鹸の香りと、それ以上に微かに混じる革製品と金属の匂い。

ロイドの口角が、ほんの数ミリだけ持ち上がった。この戦場において、唯一彼が武装を解くことができる瞬間。


「……わがままな妹」


「……っ! わがままは余計よ! それに、いつまでも妹扱いはやめてくれるかしら、英雄さん?」


視界が開けた。

振り返ると、そこには不満げに頬を膨らませた少女、レイン・フィールドが立っていた。

燃えるような赤い髪をポニーテールにまとめ、体格に合わない軍服に身を包んだ彼女は、20歳という若さでありながら、近衛騎兵の中隊長という重責を担っている。


「……イタタタタタ! レイン、本当に痛いって!」


彼女の小さな拳が、ロイドのこめかみを容赦なくグリグリと抉る。

かつて北部の屋敷で、稽古をサボろうとしたロイドを追いかけ回していた頃と何も変わらない仕草だった。


「英雄なんて呼ばれて、鼻が高くなってるんじゃないかと思ったけど。……あんまり元気なさそうね、ロイド兄さん」

レインは拳を解き、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。


「元気に見えるか? 参謀本部の連中は、俺に魔法でも使えると思っているらしい。次に出される命令が、素手で魔王を倒せ、じゃないことを祈っているよ」


「ふふ、兄さんならやりかねないわよ。……でも、本当に無理はしないで。父様も、兄さんのことだけは心配してたんだから」


レインの父親、オズワルド・フィールドは北部方面の軍事総督であり、ロイドの父の盟友であった。二人は親同士が定めた「許嫁」でもある。

だが、レインは軍人の家系に生まれた誇りからか、あるいはロイドの背中を追いかけたいという一念からか、花嫁修行を投げ出して剣を取った。


「レイン、どうしてこんな最前線にいるんだ? 近衛は帝都の守備が本分だろう」


「特殊任務大隊として派遣されたの。今回の電撃戦、近衛騎兵の機動力を試す絶好の機会だって上層部が張り切っちゃって。……私だって、いつまでも兄さんに守られてるだけの子供じゃないわ」


ロイドは彼女の腰にある剣を見た。

美しく装飾されているが、鞘の端には激しい戦闘を物語る傷跡が刻まれている。

彼女もまた、この帝国の「狂気」の一部として、血に染まろうとしている。


「……レイン。機密を承知で言う。今回の戦争、おかしいとは思わないか?」

ロイドの声が低くなった。庭園の木々を揺らす風が、不吉な音を立てる。


「……どういうこと?」


「準備期間が短すぎる。それに、アルブール王国の騎士団の練度は、こんなに低くない。彼らはまだ『本当の力』を出していないんだ。おそらく、わざと後退し、我々の兵站が伸びきるのを待っている。……罠だ。奥深くへ引きずり込んで、冬の到来と共に退路を断つ気だ」


「……でも、私たちは勝っているわ。兄さんの奇策で、砦は次々と落ちている」


「奇策は一度しか通用しない。二度目は『対策』される。……レイン、俺は怖いんだ。この『電撃戦』という名の華やかな舞台の裏で、誰かが巨大な罠を仕掛けているような気がしてならない」


ロイドの言葉は、レインの若き情熱には届かないようだった。

彼女の瞳にあるのは、国を守るという大義と、英雄である許嫁に並び立ちたいという純粋な憧憬だけだ。


「……その時は、私の近衛騎兵隊が兄さんを守ってあげるわ。参謀本部の英雄様も、たまには守られる側になってみたら?」

彼女は明るく笑い飛ばした。だが、その笑顔がいつか血に汚れ、物言わぬ骸に変わるかもしれないという恐怖が、ロイドの胸を締め付けた。


「……レイン。俺は、君のことが心配なんだ。軍人としてではなく、一人の人間として」

ロイドは、思わず彼女の細い肩を掴んでいた。

厚い軍服の上からでもわかる、彼女の華奢な体躯。こんな小さな肩に、帝国の未来や家族の誇りを背負わせていいはずがない。


「ロイド……兄さん……」

レインの顔が、夕焼けの光よりも赤く染まる。彼女は戸惑ったように視線を泳がせたが、やがて優しくロイドの手を握り返した。


「この戦争が……この狂った時間が終わったら、また会おう。その時は、軍服も、階級も、帝国も関係ない場所で……話したいことがたくさんあるんだ」


それは、ロイドにとって精一杯の求婚に近い言葉だった。

戦場という、今日死ぬかもしれない場所で「未来」を口にすることが、どれほど不吉なことか彼は知っている。それでも、口に出さずにはいられなかった。


「……はい。わかりました」

レインは、震える声で答えた。その瞳には、一筋の涙が浮かんでいるようにも見えた。

「でも、私も約束するわ。ロイド兄さんに負けないくらいの武功を立ててみせる。フィールドの名を汚さない、立派な軍人として……お父様の前で胸を張れるように」


「ああ……無理だけはしないでくれよ。生きて戻ること以上に優先すべき武功なんて、この世には存在しないんだ」


「うん。……それじゃ、私、行くね! 部隊の集合時間なの」

レインは、一度だけ強くロイドの手を握りしめると、弾かれたように走り出した。

彼女の後姿が、夕闇に染まりゆく館の影へと消えていく。


ロイドはその場に立ち尽くし、自分の手のひらに残る熱の余韻を噛みしめていた。


(戦争なんて、人間のすることで一番生産性がない……)


人が人を殺し、奪い、それを「正義」の名で飾り立てる。

愛する者を戦場へ送り出し、いつ届くかも知れぬ戦死通知に怯えながら暮らす。

そんなものが、人らしい生き方であるはずがない。


(終わらせるんだ。この戦争を……俺のこの手が、これ以上汚れきる前に。そして、レインを……あいつだけは、この泥沼から引きずり出してやる)


ロイド・ペトラス中佐は、空を見上げるのをやめた。

彼は、冷徹な戦術家の顔を取り戻し、戦場という名のチェス盤へと戻っていく。

その足取りは、先ほどよりも一層重く、だが確かな殺意に満ちていた。




七十三章読んでいただきありがとうございます。

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