第百三十二章:魂の宣誓
百三十二章です。
リーンネェムの屋敷の一角、厚手の遮光カーテンが外界の陽光を完全に遮断した一室。沈黙が支配する暗がりのなか、壁に掛けられた白幕に、青白い魔導の光が投射された。
それはイザベラとスイが、眼の下に隈を作りながらも徹夜で完成させた「最高傑作」だった。
マクシミリアンとヒョーバルは、瞬きすら惜しむようにその映像を凝視していた。
「……信じられん。編集前のものと見比べても、全く遜色がない。肌の質感、まつ毛に反射する光、そして何より……この、胸を突くような神々しさ。これが人の手で、一晩で合成されたものだとは、事前に説明を受けねば判別不可能だ」
マクシミリアンが嘆息混じりに呟く。画面の中では、エルキアのしなやかで力強い肉体と、リーンネェムの清廉にして儚げな顔立ちが、魔導演算の奇跡によって寸分の狂いもなく融合していた。
「まぁ、できればこれは使いたくはないわ。これはあくまで『切り札』よ。里の連中が納得しなかった時の、ね」
エルキアは壁に背を預け、腕を組んだまま、冷めた目で「顔だけが親友にすり替わった自らの裸体」を見つめていた。その横顔には、目的のためなら自らの名誉さえ切り捨てる、冷徹なまでの決意が滲んでいる。
「リーンネェム。映像を出すにせよ出さないにせよ、最後にモノを言うのは貴女の意志よ。これから貴女が巫女として、この里をどうしていきたいのか……皆にその想いを伝えるのよ。その『声』が本物なら、余計な映像なんて本当は必要ないんだから」
「えぇ、そうね、エルキア。今回の一件でよく思い知らされたわ。……ただ祈るだけじゃ、何も守れないって」
リーンネェムは静かに、しかし力強く顔を上げた。
「私は、里も世界もより良くしていきたい。特定の誰かが犠牲になるのではなく、人々が笑顔で幸せになれる世界を守りたい。そのために、私は『巫女』という名の盾にも剣にもなるわ」
その言葉を聞き、エルキアは密かに安堵した。エルキアの中にあった『エルフの里は今後、良い方向へ向かっていく』という確信が、今のリーンネェムの瞳によって証明されたからだ。それは確実にアルトの住む外の世界にも良い影響を与えることだろう。
「……いい覚悟ね」
エルキアは横で腕を組んで映像から目を話さないヒョーバルを肘で小突く。
「ヒョーバル、私が外界に戻った後、リーンネェムのこと頼んだわよ」
「はっ、お任せください、マスター。セレスティアル・サーヴァントの威信にかけて、必ずや御身をお守り致します」
「はぁ……あんた、本当に頭が固いわね。そういうことじゃないの。『一人の男として』って言ってるのよ」
「えぇっ!? 自分にそんな……そんな恐れ多い大任、果たせるかどうか……!」
狼狽し、顔を赤くするヒョーバルを見て、エルキアは呆れ顔で笑った。そして、ふっと思い出したように自分の端末を差し出す。
「そういや、ずっとこれ借りっぱなしだったわね。はい。……あ、中にある『私の映像』はちゃんと消しておいてよ。オリジナルは、もう必要ないんだから」
「はっ!! 直ちに消去いたします!!」
ヒョーバルは最敬礼で端末を受け取ったが、その懐にある「バックアップ」の感触に、一瞬だけ複雑な表情を浮かべた。だが、マスターの命令は絶対だ。彼は「私事」と「公務」の狭間で、苦渋の決断を下すことになる。
エルキアは最後に、マクシミリアンと正面から対峙した。
「おじ様。私、今回の一件でもっと里や世界の歴史を知っておく必要があると思うの。なぜ天使は私やリーンネェムのところへ来たのか、なぜエルフは世界を見守り続けているのか……表面上の知識だけじゃ、もう足りないわ」
「……うむ、そうじゃな。全くもって親譲りじゃな……いずれはそうなるとは思っておったよ。それ以上に儂も、今後の世界の在り様を考えていく上で、過去を知っておくべきだと痛感している。知識なき政治は盲目、歴史なき未来は漂流じゃ」
マクシミリアンは深く頷き、重厚な鍵束を手に取った。
「お父さんの集めた、資料や文献はどこに保管されているの?」
「『大樹の書庫』じゃ。里の最深部、世界樹の根元に位置する禁足地の一角……そこにリニュイェルが命を懸けて持ち帰った歴史の断片が眠っておる。禁書庫の蔵の鍵の取得手続きを行っておこう。……スイくん、ヒョーバル、リーンネェム。お主たちも同行を許そう。リニュイェルの遺した『真実』を、共に見届けるが良い」
「はいっ! ありがとうございます!!」
スイが目を輝かせて叫ぶ。
ひと段落がつき、張り詰めていた空気が緩んだところで、エルキアがいたずらっぽく微笑む。
「さ~て、映像完成祝いにまたみんなでお風呂に入るわよ~」
エルキアとイザベラがスイの両手を掴んで連行していく。
「えぇ!またですかぁぁぁ!?」
エルキアとイザベラに両脇を固められ、スイが再び連行されていく。女性陣が賑やかに脱衣所へと消えていくのを見届け、一人リビングに残ったヒョーバルは、静かに端末を取り出した。
エルキアの命令通り、天使との口づけ映像を消去しようとしたその時、彼は指を止めた。
「ん……?フォルダの容量が異常に増えているな―――こ、これはっ!?」
そこには、編集用の素材として「紛れ込んでいた」写真と動画の数々があった。リーンネェムだけではない。スイやイザベラ、そしてエルキア自身の、浴場でのあられもない、しかしあまりにも無防備で美しい姿が、高精細な画質で記録されていたのだ。エルキアが調子に乗って撮りまくった数々の写真、それを消し忘れていたのだった。
「……なんという、神の僥倖。いや、これはマスターからの無言の贈物か……」
ヒョーバルは震える指先で、命令通り「天使とエルキアの口づけ映像」のみを、そっと、そして断腸の思いで消去した。
こうしてアンセラルによって引き起こされた、エルフの里始まって以来のクーデターとも言えるような騒動は収束に向けて動き始め、リーンネェムの「演説」によって完全に鎮圧された。
「みなさん、二年後に全ての生きとし生ける者にとっての災厄となり得る『月の蝕』が迫っています。今回、天使様は、我々が絶対と信じていた結界を容易く打ち破りました。これは何を意味するでしょうか? 私たちは、閉ざされた森の中で特別に生き永らえられる存在ではないと示されたのです。生きとし生けるものの一種族として、決して驕ることなく、多種族と手を取り合い、この困難に立ち向かわねばなりません!」
リーンネェムの、魂を削るような強い訴えは、多くのエルフたちの琴線に触れた。結局、捏造された「天使の映像」が公にされることはなかったが、彼女の力強い言葉の裏に「奇跡の確信」を感じ取った民衆は、マクシミリアンの穏健派を熱狂的に支持したのである。
イザベラとスイは、自らの作品が使われなかったことを少しも惜しまなかった。彼女たちが作り上げた「偽りの聖像」は、リーンネェムという本物の巫女を誕生させるための、尊い儀式に過ぎなかったのだから。
マクシミリアンは管理当局、そして守旧派との対話を重ね、里の団結へと奔走し始めた。
彼らだけでは無い、エルフの枢密院を支えるためにリディアも、リーンネェムの言葉を体現するための法整備に取り掛かり始める。
演説を終えた後の静寂が、里を包み込んでいた。
かつての喧騒が嘘のように穏やかな風が吹き抜け、世界樹の葉がサワサワと音を立てて共鳴している。
エルキアとリーンネェムは、屋敷のテラスに並んで立ち、夕闇に染まりゆくエルフの里を見渡していた。
「……もう、後戻りできなくなっちゃったわね」
リーンネェムが、自身の細い指先をそっと手すりに重ね、独り言のように呟いた。
その「後戻り」という言葉には、多くの意味が込められていた。巫女として剣を取る決意、里を覆っていた欺瞞の結界を自ら解いたこと、そして――何よりも、エルキアという「嵐」によって、平穏だった日々が永遠に書き換えられたこと。
「そうね。でも、良い風がこの里に吹き抜けるようになったわ。淀んでいた空気が、ようやく動き出した感じがするもの」
エルキアは、どこか遠く……アルトたちが待つ外界の空を仰ぎ見た。彼女の瞳には、かつての「里への反発」ではなく、守るべき故郷を見つめる、慈愛と責任の色が宿っている。
「……いつまでも、このままであってほしいわ。この穏やかな風も、みんなの笑顔も」
リーンネェムは、隣に立つ親友の横顔に、縋るような視線を向けた。
これから自分たちが挑もうとしている「真実」が、あまりに過酷なものであったなら。もし、この里の平和そのものを根底から覆すような事実が書庫に眠っていたら――。そんな予兆のない不安が、彼女の胸をかすめた。
しかし、エルキアは動じることなく、凛とした声で返した。
「人も国も……時代も全て、生き物のように変化し続けるものよ。立ち止まっていては、いつの間にか歯車が噛み合わなくなる時がくる」
彼女はそこで言葉を切ると、優しく、しかし力強くリーンネェムの肩を抱き寄せた。
「もしそうなったら……その時は、また私たちが正せば良いだけよ。何度でも、私たちが望む形にね」
その言葉には、かつて父・リニュイェルと同じ、不屈の探究心と未来への希望が溢れていた。リーンネェムは、その温もりに不安が溶けていくのを感じ、小さく微笑んで頷いた。
「ええ……。あなたがいれば、私はどこまででも行けそうな気がするわ」
数刻後。
マクシミリアンから手渡された重厚な真鍮の鍵を携え、エルキアたちは「大樹の書庫」の入り口へと辿り着いた。
大樹の巨大な根が複雑に絡み合い、まるで天然の要塞のように鎮座するその場所は、陽光さえ届かぬ深淵の静寂に守られている。
「行こう。お父さんとお母さんが、私達に何を遺し伝えようとしていたのか。……本当の『世界』が、そこで待っているはずよ」
エルキアを先頭に、決意を秘めたヒョーバル、夢に胸を躍らせるスイ、そして覚悟を決めたリーンネェム。
一行は、沈黙する歴史の断片が眠る暗闇へと、迷いなくその足を踏み出した。
百三十二章読んでいただきありがとうございます。
嵐のような騒動が去り、静かに、しかし決定的に運命が動き出すエルフの里。
エルキアとリーンネェム、対照的な二人の少女が交わした言葉は、これから始まる「真実の探究」への序曲となりました。
変化を恐れず、噛み合わなくなった歯車を自らの手で直そうとするエルキア。
その強さは、亡き父から受け継いだ魂の灯火なのかもしれません。
そして、ついに舞台は大樹の書庫の奥の禁書庫区画へ。
リニュイェルが命を懸けて拾い集めた世界の成り立ちが今、エルキアの手で紐解かれます。




